奇人街狂想曲

かなぶん

文字の大きさ
65 / 98
第一節 新たなる出遭い

第10話 佳人

しおりを挟む
 朝の凪海を前にして、炎を纏う鬼火が一人。
 芥屋ご近所さんのパブ経営者、クァン・シウだ。
 艶やかな唇をひと舐め、空色の瞳を鮮やかに輝かせるクァンは、穏やかな海面を忙しなく撫でていく。
「さあ来い、グズ共。今日も燃やしてやるわ……」
 野暮ったいジャケットの下では、薄いドレスに包まれた豊かな肢体がちらつくものの、ヒールの低い白靴で、砂が舞うのも厭わずリズムを刻み続ける様は、纏う炎がなくとも近寄りがたい気迫を放つ。
 今日は酷く夢見が悪かったクァン。
 うさばらしに一因である魚を燃やしに来たのだが、待てど暮らせど出てくる様子はない。
 だが、来ないはずはないのだ。
 今までだって、夢見の悪い日には必ず、目的の魚は姿を見せたのだから。
 いっそ海ごと燃やせたら――。
 そんな魅力的な発想に、ついついクァンの唇が剣呑に綻ぶ。
(来い、来い、来い、来い!)
 ゆっくり腰を落とし、指を波のように動かして獲物を手招く。
 すると、その耳に音色が届いた。
(来た!!!)
 勢い任せにぐるりと鬼の形相を向ければ、今まで誰もいなかったはずの砂浜に、見知らぬ少女が海へ向かい、初めて聞く歌を口ずさむ姿がある。
(見たところ、人間のようだが……)
 一瞬魚が化けたのではないか、と疑うが、それにしては様子がおかしい。
 クァンの知る憎き魚は、目的を決めたら脇目も振らず一直線に進むのが常。こんな風に立ち止まり、歌を奏でる優雅さはない。
 しばし考え、少女が見つめる海を振り返った。
 近くでは波が泡立ち、遠くでは地よりも平らな海面が広がるばかり。
 どこにも、探し求める魚の姿はない。
 苦々しいため息を一つ吐き、少女に近寄る。
 危険な炎は消し、額の小さな角を見せ付けるように、足元まで伸びた長い白髪を掻きあげ、いつもの気だるい調子で尋ねた。
「ねえ、アンタ、どうしたんだい?」
「……連れとはぐれてしまったの」
 歌を止めてはぼんやりと、海から目を逸らさず応える少女。
 茫然自失。そう表すのが妥当か。
 近づいたことで分かった、少女の手に巻かれた包帯が痛々しい。
 こんな状態でこのまま置いていけば、間違いなく良からぬ輩にかどわかされてしまうだろう。長い黒髪と黒い瞳を持つ少女の容姿は、想像に拍車をかけるほど美しい。
 儚げな少女に保護欲をかきたてられる一方で、クァンは、ふむ、と胸内で試算。
「ね、ここにいたって連れは見つからないだろうからさ、うちに来て探さないかい? アンタの歌、使えると思うわよ?」
(あの子には劣るとしても、ね)
 浮かんだ褐色の髪の少女に現を抜かせば、目の前の少女がのろのろとこちらを向く。
 同族とは違う容姿に怯える余裕もないのか、変化の乏しい声音で、
「見つかるかしら?」
「ああ、見つかるさ」
(根拠は全くないがね)
 それは決して口に出さず、クァンは少女に微笑みかけると、手を差し伸べる。

* * *

 芥屋店側でガラス戸を背に、縛るのを止めた褐色の髪を避けつつ、お手本のようなクセのない書体と睨めっこするのは、鳳凰の刺繍が施された白い衣服の泉。
 眉間に皺を寄せ、しばし考え込んでは、
「さっぱり分からないわ」
 熱くなった頭を冷やすように、深々とため息をついた。
 泉が手にしているのは、ワーズに書いて貰った、芥屋の主だった食材の料金表。規則正しく三列に分けられた内容は、左が品名、中央が分類、右には値段が書いてある――とワーズから説明を受けていた。
 とはいえ、値段は泉の知る数字であるものの、その他に用いられているのは、奇人街で一般的に使われている、漢字が変形したような文字。一応、文字の意味するところは大差ないようだが、なまじ似ている分、読み取るのに時間が掛かってしまう。この紙一枚だけでも、覚えるには根気と慣れが必要だった。
(……よし、もう一回)
 再び料金表へ意識を集中させる。
 いつもの芥屋であれば、こんなにも努力を見せる人間には、店主からの助言――という名の横槍が惜しみなく入るところなのだが、店にいるのは泉だけ。ワーズの黒い姿は、背にした磨りガラスの向こうにある。
 それもこれも、昨日、凪海で保護した少年を介抱しているためだ。
 未だ目を覚まさない少年だが、幸いにしてコレという外傷はなかった。だというのに、一夜明けても何故目覚めないのかと言えば、ワーズ曰く、身体がこの世界に馴染んでいないから、らしい。
 理解しかねる話だが、その後の少年の待遇を見てしまった泉としては、正直、すぐに目覚めなくて良かったという感想しかない。行きと違い、凪海からすんなりと芥屋二階に通じた物置の扉。これを訝しむ間も与えられず、冷えているからと少年に対してワーズが次々講じた策は、己の身に起きなくて良かったと思うものばかり。
 今もって磨りガラス向こうのソファの上に、何枚もの布団でぐるぐる巻きにされ、うなされている少年に、泉は心の中でそっと手を合わせていたものだ。
 ――もちろん、自分が芥屋で目覚める前のことについては、しっかり目を逸らしつつ。
 そんな心情も手伝って、余計なことは考えまいと必死に文字を追っていれば、前触れもなく、料金表が引っ張り上げられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜

まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、 専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活   現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。   しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。   彼は大陸一の富を誇る名門貴族―― ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。   カイルに与えられたのは ・世界一とも言える圧倒的な財力 ・財力に比例して増大する規格外の魔力   そして何より彼を驚かせたのは――   彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。   献身的なエルフのメイド長リリア。 護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。   さらに個性豊かな巨乳メイドたち。   カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。   すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――   「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」   領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、 時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、   最強の御曹司カイルは 世界一幸せなハーレムを築いていく。 最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。

元恋人が届けた、断りたい縁談

待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。 手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。 「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」 そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?

【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのになぜか溺愛ルートに入りそうです⁉︎【コミカライズ化決定】

sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。 遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら 自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に スカウトされて異世界召喚に応じる。 その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に 第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に かまい倒されながら癒し子任務をする話。 時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。 初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。 2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。

ストーカーから逃げ切ったのも束の間、転移後はヤンデレ騎士団に殺されかけている現実!

由汰のらん
ファンタジー
ストーカーから逃げていたある日、ハルは異世界に召喚されてしまう。 しかし神官によれば、どうやらハルは間違って召喚された模様。さらに王子に盾ついてしまったことがきっかけで、ハルは国外追放されてしまう。 さらに連行されている道中、魔族に襲われ、ハルの荷馬車は置き去りに。 そのさなか、黒い閃光を放つ騎士が、ハルに取引を持ちかけてきた。 「貴様の血を差し出せ。さすれば助けてやろう。」 やたら態度のでかい騎士は、なんとダンピールだった! しかしハルの血が特殊だと知った騎士はハルを連れ帰って? いっそ美味しい血と癒しを与えるダンピール騎士団のセラピストを目指します!

半世紀の契約

篠原皐月
恋愛
 それぞれ個性的な妹達に振り回されつつ、五人姉妹の長女としての役割を自分なりに理解し、母親に代わって藤宮家を纏めている美子(よしこ)。一見、他人からは凡庸に見られがちな彼女は、自分の人生においての生きがいを、未だにはっきりと見い出せないまま日々を過ごしていたが、とある見合いの席で鼻持ちならない相手を袖にした結果、その男が彼女の家族とその後の人生に、大きく関わってくる事になる。  一見常識人でも、とてつもなく非凡な美子と、傲岸不遜で得体の知れない秀明の、二人の出会いから始まる物語です。

異世界育ちの侯爵令嬢と呪いをかけられた完璧王子

冬野月子
恋愛
突然日本から異世界に召喚されたリリヤ。 けれど実は、リリヤはこの世界で生まれた侯爵令嬢で、呪いをかけられ異世界(日本)へ飛ばされていたのだ。 魔力量も多く家柄の良いリリヤは王太子ラウリの婚約者候補となる。 「完璧王子」と呼ばれていたが、リリヤと同じく呪いのせいで魔力と片目の視力を失っていたラウリ。 彼との出会いの印象はあまり良いものではなかった。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

最弱スライムに転生した俺、捕食スキルで無限進化していたら魔王軍すら支配してました

チー牛Y
ファンタジー
残業中に倒れた俺が次に目を覚ました時、なぜか異世界で最弱モンスターのスライムになっていた。 完全に詰んだ、戦う力もない。そう思っていた時、俺には一つだけ、とんでもないスキルがあった。 【捕食】 それは、倒した相手を取り込み、能力・スキル・力のすべてを奪うチート能力だった。 ゴブリンを食べれば腕力を獲得。 魔物を食べれば新スキルを習得。 レベルは爆速で上がり、進化は止まらない。 森の魔物を支配し、ダンジョンを制圧し、気づけば俺は魔物たちの王になっていた。 やがてその力は魔王軍すら飲み込み、世界の勢力図を塗り替えていく。 これは―― 最弱スライムから始まる、無限進化の成り上がり無双譚。

処理中です...