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第二節 雨上がりの逃走劇
第7話 末路の首
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そろりと伸ばされる爪。
対する泉は慌ててそれに手の平を押しつけ遮った。
「ちょ、ちょっと待ってください! ここがそういう場所ってことは……あー……つまり、そのぉ……私?」
理解を拒絶し、先を言わずに自分を指差せば、シウォンはおどけたような仕草をし、顎に手をやり渋面を作る。
「前言撤回した方が無難か? 察しは悪くないが、この期に及んで及び腰とはいただけねぇ」
「この期にって、私が望んだわけでもないですし、逃げて当たり前じゃないですか」
「ほう? では訊くが、逃げられる算段でもあるのか、小娘?」
完全に遊ぶ風体で、ぐいっと身を近づけるシウォンへ両手を翳し、仰け反った泉は首を振る。
「いえ、ないですけど、あなたが私相手にそんなことして何のメリットがあるんです? ワーズさんへの嫌がらせにしたって、あの人、私が死んだところで……傷一つつかないでしょうし」
シウォンの所業に「困る」と言って笑うだけの赤い口を浮べては、酷く萎れていく気持ち。仕舞いにはバリケード代わりの両手すら下ろして、深いため息をつきうなだれた。
それがどれほど無防備な状態か、分からないほど気落ちはしていないが、段々どうでも良くなってきた。
抵抗して無事芥屋に着いたとしても、晩飯時、「やあ、泉嬢、おかえり」なんて、のほほんと出迎えてくれるに違いない。しかも、彼が作ったと思しき、食欲を減退させる料理が食卓に並んでいるのだ。「腹減ったでしょう?」と差し出すのは、植木鉢の説明に使った人狼のモノかも知れない。
もう一度深く息を吐いては顔を上げ、何故か虚を衝かれたような顔のシウォンへ、憐憫の目を向けた。
(きっと、いや絶対、あの人相手じゃこの人の嫌がらせは報われない)
そう思えば、なんだか似ているかもしれないと、口の端が自嘲に歪む。
人間好きを豪語しようが個人としては見られていない自分と、惨たらしい嫌がらせをしても「やれやれ」で終ってしまうシウォンと。
「…………? 変なの。それじゃあまるで私……認めて貰いたいみたいじゃない」
ワーズさんに。
自分を。
単なる人間ではなく、私個人として。
そんな結論に至ったなら、獣姿だろうが蠱惑的な魅力を感じるシウォンを前にしても変化のなかった顔が、音が出そうなくらい一気に赤くなってしまった。
慌てて俯いた泉は、拘束されたままの両手を頬に当て、熱を冷ますようにぱしぱし叩いた。どうしてこうも赤くならねばならないのか、全く理解できないままに。
すると突然、手首の拘束が捕らわれ、つられて泉の顔が上がる。
眼前、鋭く細められた鮮やかな緑に迎えられ、息を詰めた。
置かれている状況を忘れていた自分に対し、驚愕から悲鳴も出せない。
「メリット、だと? そんなもの、お前が知ってどうなる? 何にせよ、お前の道筋は決まっている。……実感が湧かないか? ならばコレを見るがいい」
面白くなさそうにそう言い、捕らえた泉の手へ、シウォンはクッションの中から取り出した何かを乗せた。しかし、バスケットボール大のソレは、力を入れていない手に収まるほど軽量ではなく、ぽろっと零れ落ちて泉の膝の上に着地。
「………………ひっ!?」
目でこれを追った泉、膝のモノを認めるなり手で払わず除けようと立ち上がりかけ、不安定なクッションと拘束にバランスを崩しては、シウォンに抱きとめられる。
だが、構ってなどいられない。
縋る相手が嫌悪する人狼であることや、芥屋の従業員を文字通り食い物にする輩であることも放り投げ、逃げるように必死でしがみついた。
「な、何なんですか、アレは!?」
シウォンの頭を胸に抱き、極力ソレを見ないようにシウォンの首元で指差す泉。
ソレ自体シウォンがもたらした事実を忘れた行いにからかう声はなく、代わりに泉の身体を支える片腕と爪が添えられ、労わるような力で引き寄せられる。
「何、か。……何に見える?」
「な、何って、そんなの! だ、だって、アレ、ひ、人の首」
「ああ。正確には腐りかけの、だがな」
わざわざ付け加えられた説明に、一瞬の邂逅でしかなかったはずの鮮明な映像が、泉の脳裏に甦る。
膜が貼る濁った目玉には虫が泳ぎ、ひび割れた唇から覗くのは、血を染み込ませた肉と褪せた骨。削げた頬は皮膚下の繊維を露わにし、鼻からは眦同様どろりとした痕跡が流れている。半分千切れた耳には小さな羽虫が這い、髪が抜けた先の闇には何かが蠢く。
確かに腐りかけ。
そして今なお――喰われかけ。
なれど、
「ど、どうして? ニオイもしなかったのに」
それに対する答えは、泉の腕の中から為される。
「知らねぇのか、小娘。奇人街特有のニオイの在り方を」
「特有?」
「そうだ。どういう原理かは知らんが、奇人街のニオイには嗅ぎ取るための優先順位がある。この場合は食。虫や小動物程度ではなく、住人が喰らう、な。例外もあるが……ほら、この部屋のニオイを嗅いでみろ」
近くに首があるにも関わらずそう言われ、眉を顰めては、見上げる緑と交わすこげ茶の瞳。泉の身体を支える腕とは別の爪が促すように頬を撫で、また不気味なほど緩む緊張から、鼻腔をくすぐる匂いに気づく。
対する泉は慌ててそれに手の平を押しつけ遮った。
「ちょ、ちょっと待ってください! ここがそういう場所ってことは……あー……つまり、そのぉ……私?」
理解を拒絶し、先を言わずに自分を指差せば、シウォンはおどけたような仕草をし、顎に手をやり渋面を作る。
「前言撤回した方が無難か? 察しは悪くないが、この期に及んで及び腰とはいただけねぇ」
「この期にって、私が望んだわけでもないですし、逃げて当たり前じゃないですか」
「ほう? では訊くが、逃げられる算段でもあるのか、小娘?」
完全に遊ぶ風体で、ぐいっと身を近づけるシウォンへ両手を翳し、仰け反った泉は首を振る。
「いえ、ないですけど、あなたが私相手にそんなことして何のメリットがあるんです? ワーズさんへの嫌がらせにしたって、あの人、私が死んだところで……傷一つつかないでしょうし」
シウォンの所業に「困る」と言って笑うだけの赤い口を浮べては、酷く萎れていく気持ち。仕舞いにはバリケード代わりの両手すら下ろして、深いため息をつきうなだれた。
それがどれほど無防備な状態か、分からないほど気落ちはしていないが、段々どうでも良くなってきた。
抵抗して無事芥屋に着いたとしても、晩飯時、「やあ、泉嬢、おかえり」なんて、のほほんと出迎えてくれるに違いない。しかも、彼が作ったと思しき、食欲を減退させる料理が食卓に並んでいるのだ。「腹減ったでしょう?」と差し出すのは、植木鉢の説明に使った人狼のモノかも知れない。
もう一度深く息を吐いては顔を上げ、何故か虚を衝かれたような顔のシウォンへ、憐憫の目を向けた。
(きっと、いや絶対、あの人相手じゃこの人の嫌がらせは報われない)
そう思えば、なんだか似ているかもしれないと、口の端が自嘲に歪む。
人間好きを豪語しようが個人としては見られていない自分と、惨たらしい嫌がらせをしても「やれやれ」で終ってしまうシウォンと。
「…………? 変なの。それじゃあまるで私……認めて貰いたいみたいじゃない」
ワーズさんに。
自分を。
単なる人間ではなく、私個人として。
そんな結論に至ったなら、獣姿だろうが蠱惑的な魅力を感じるシウォンを前にしても変化のなかった顔が、音が出そうなくらい一気に赤くなってしまった。
慌てて俯いた泉は、拘束されたままの両手を頬に当て、熱を冷ますようにぱしぱし叩いた。どうしてこうも赤くならねばならないのか、全く理解できないままに。
すると突然、手首の拘束が捕らわれ、つられて泉の顔が上がる。
眼前、鋭く細められた鮮やかな緑に迎えられ、息を詰めた。
置かれている状況を忘れていた自分に対し、驚愕から悲鳴も出せない。
「メリット、だと? そんなもの、お前が知ってどうなる? 何にせよ、お前の道筋は決まっている。……実感が湧かないか? ならばコレを見るがいい」
面白くなさそうにそう言い、捕らえた泉の手へ、シウォンはクッションの中から取り出した何かを乗せた。しかし、バスケットボール大のソレは、力を入れていない手に収まるほど軽量ではなく、ぽろっと零れ落ちて泉の膝の上に着地。
「………………ひっ!?」
目でこれを追った泉、膝のモノを認めるなり手で払わず除けようと立ち上がりかけ、不安定なクッションと拘束にバランスを崩しては、シウォンに抱きとめられる。
だが、構ってなどいられない。
縋る相手が嫌悪する人狼であることや、芥屋の従業員を文字通り食い物にする輩であることも放り投げ、逃げるように必死でしがみついた。
「な、何なんですか、アレは!?」
シウォンの頭を胸に抱き、極力ソレを見ないようにシウォンの首元で指差す泉。
ソレ自体シウォンがもたらした事実を忘れた行いにからかう声はなく、代わりに泉の身体を支える片腕と爪が添えられ、労わるような力で引き寄せられる。
「何、か。……何に見える?」
「な、何って、そんなの! だ、だって、アレ、ひ、人の首」
「ああ。正確には腐りかけの、だがな」
わざわざ付け加えられた説明に、一瞬の邂逅でしかなかったはずの鮮明な映像が、泉の脳裏に甦る。
膜が貼る濁った目玉には虫が泳ぎ、ひび割れた唇から覗くのは、血を染み込ませた肉と褪せた骨。削げた頬は皮膚下の繊維を露わにし、鼻からは眦同様どろりとした痕跡が流れている。半分千切れた耳には小さな羽虫が這い、髪が抜けた先の闇には何かが蠢く。
確かに腐りかけ。
そして今なお――喰われかけ。
なれど、
「ど、どうして? ニオイもしなかったのに」
それに対する答えは、泉の腕の中から為される。
「知らねぇのか、小娘。奇人街特有のニオイの在り方を」
「特有?」
「そうだ。どういう原理かは知らんが、奇人街のニオイには嗅ぎ取るための優先順位がある。この場合は食。虫や小動物程度ではなく、住人が喰らう、な。例外もあるが……ほら、この部屋のニオイを嗅いでみろ」
近くに首があるにも関わらずそう言われ、眉を顰めては、見上げる緑と交わすこげ茶の瞳。泉の身体を支える腕とは別の爪が促すように頬を撫で、また不気味なほど緩む緊張から、鼻腔をくすぐる匂いに気づく。
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