奇人街狂想曲

かなぶん

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第二節 雨上がりの逃走劇

狼首の罰・前編

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 雑多な種が住まう奇人街において、一番多いのが人狼である。
 欲望に忠実な本性ゆえ、留まるところを知らず数増す彼らは、日中のほとんどを寝て過ごしている。
 理由は単に、本来の姿たる獣が夜を好むためだ。
 だが、群れ単位で行動する人狼にとって、奇人街は安息を得るに狭すぎた。
 広い路はあっても、人が多いせいか建物自体の規格は一定を保つ奇人街の街並み。拡張するにしても室内の横幅が広がるだけで、もし仮に、路を圧迫する造りを実行しても、何のつもりか、本来であれば建造物に興味のない幽鬼が、路幅を確保するようにその部分を破壊してしまうのだ。しかも家を破壊された住人は逃げ場を失い、彼らの美味しい夕食となり果てるオマケ付き。
 ならばと数多く、群れたがりの人狼は、己が種の集う場を奇人街の地下へ求めた。
 地平を覆う奇人街とは異なり、大小様々な広さの空洞で構成されたそこは、洞穴と呼ばれる縄張りを作るのにも丁度良い場所。
 かくして地下を巡り、人狼の間で行われる、群れ同士の争い。
 それぞれの狼首から選ばれた地は、地上と錯覚してしまうほど広い、空洞の一つ。
 昼も夕もなく、そこで繰り広げられた戦いは、群れの狼首を幾度となく変え、また、離反・造反により、群れの数は終わりない争いを望むように増えていった。
 世の終わりまで続ける気概に陶酔しながら。

 だが、何事にも終息は訪れる。

 ランタンを灯せば朱の霧と、ぬめる黒水が姿を現す、その中央。
 瓦礫のように積み上げられた屍を玉座とし、荒い呼気を鎮めた人狼は、他の狼首と対峙する。
 牙を剥き、また争おうとする彼らへ、しかし人狼は応じる様子なく、逆に旧友を向かえる風体で両手を広げ、問う。

 お前たちが欲しいのは、ココか?――と。

 それに対し、まず返されたのは笑い。
 次いで怒号と軽蔑。
 そして――――動揺。
 問われるまで、彼らはランタンに明かされた世界を見ていなかった。
 暗闇の中、地上から微かに届く明りだけを頼りに、血肉を沸き躍らせ酔う彼らが、その時になって初めて省みた空洞は、おびただしい数の同族の血と肉がひしめき合う、住まうには相応しくない場へと変貌を遂げていた。
 作り上げたのは自分たちであるにも関わらず、沈黙を保てば静寂しか耳を通らない死の世界に、彼らは本性のまま怯えてしまう。
 やがて一人がぽつり、言った。

 俺が欲しいのはココじゃない――と。

 初めの一人が出たなら、あとはなし崩しで続いてゆき、最後に残ったのは玉座の人狼と彼らの中でも年若かった男。
 残った彼を面白そうに眺めた人狼は、攻撃を仕掛けようとし、突然の平伏に驚いた。
 それがココ、虎狼公社と後に名付けられた洞穴の成り立ちであり、平伏した男は後に狼首となり――……。

 そんな彼を己に重ねて、現在の虎狼公社の狼首と対峙する男は、若かった。
 だから何が何でも連れて行こうとする相手を宥め、自分からここに来た。
 自分の足、自分の意思で。
 器用にいなせる自信はあった。
 なにせ男は、あと一歩のところで、艶美な女を二人も自由にできたのだ。
 それに、原因は取るに足らない種の、それも彼の狼首が囲い女より遥かに劣る餓鬼一匹。
 最悪、骨を一本折られる程度だろう、と。

 だが、狼首を前に張った胸はすぐに咽せた。

 男が案内されたのは朱の瓦屋根と柱が美しい色合いを織り成す屋敷の奥。
 この部屋に辿り着くまで、重厚な扉を一つ潜る度、天井を飾る豪奢な灯の細工に魅せられたのは確かだが、だからといって、緊張すべき場面で咳き込んだ理由はただ一つ。
 室内が煙いのだ。
「うっ……げほっ、げぇっ」
 胃の内容物まで吐き出す勢いの咳は、肺に新鮮な酸素を求めるが、どれだけ吸い込んでも入ってくるのは甘ったるい煙混じりの空気。
 堪え切れない咳に、男は両膝をついて頭を垂れた。
 するとその耳に、ぞくりと粟立つ声が滑り込む。
「クク……煙は初めてかい、ボウヤ。そりゃあ悪いコトしたなぁ? だが諦めて貰おう。なんせここは入り組んだ屋敷でな。風の通りがすこぶる悪い」
 次いで誘惑するような痺れを与える吐息が為された。
 至近で発せられたと錯覚するそれに震えては、男の心情を如実に表すが如く、「きゃぁ」と甲高くも小さな嬌声が遠くに聞こえた。
「……やれやれ。お前ら、向こうへ行ってろ。俺は大切な客人を迎えている最中なんだぞ? 馬鹿みたいに騒ぎ立てられちゃ、話もまともにできねぇ……なぁ?」
「はっ」
 伏せたままの眼には深紅のカーペットしか映らないが、声の主の周りには誰かいるらしい。そこから同意を投げかけられ、まだ咳を続けていた男は条件反射で応える。
「ほらな?」
 これに気分を良くした声音が届き、恐る恐る男が顔を上げれば、たっぷり距離を置いた先に、金縁深紅の長椅子へ身を横たえる、声の主と思しき美丈夫と、恨めしげな視線をぶつけてくる女たちがいた。
 男を客人と称したくせに、右手を青黒い髪に埋め、左手で煙管を宙に遊ばせる美丈夫は、鮮やかな緑の双眸を他方へ向けては煙を気だるげに吐き出すだけで、男の存在を忘れたてい。
 女たちの方は、種族は雑多に、それぞれに麗しい容姿を持ちながら、一様の憎悪を含ませた視線だけで、男を腰砕けにしてしまうほど妖艶。
(これが……虎狼公社の狼首とその囲い女…………)
 比ではないと、床に尻を打ちつけた男は思う。
 同時に、囲い女の内の二人とのひと時の約束を悦んだ、己の愚かさを知った。
 虎狼の囲い女――自らの意思で囲われるからこそ、より一層華やぐ女たち。
 もしこの場で、あの二人が狼首に添う中で、男へ声を掛けたなら……。
 想像だけで、男の全身を暴力的な波が、吐き気を喚起する甘さを伴って駆け巡った。
 そんな内側の余韻に浸った、酔っ払っただらしない視界の中では、女たちが男の内面を見透かした様子で侮蔑混じりに笑い、次々と長椅子奥の扉へ消えていく。
 残ったのは侍女と思しき中年女が一人と長椅子の前で左右、しなだれる女が二人。
 そして美丈夫が――この部屋、ひいては虎狼公社の狼首が無論、一人。
 これに男を合わせれば計五名、しばし、沈黙が室内を行き交う。
 その間も、視界を妖しく遮り咳を長引かせる煙は、何度も吸われては吐かれるを繰り返す。
 見るともなしに見てしまった唇は、同性だというのに男の心をざわめかせた。
 ともすれば、先ほどの女たちの比ではないほどに。
 しかし願う情欲は、被支配の方向を示す。
 じろり、突然にその眼光が男を射抜けば、最初の自信はどこへやら、男は臣下のように平伏した。
 それだけで脈動はえもいわれぬ昂りを男へもたらす。
 向けられる、第一声。
「……で、失敗したそうだな?」
「…………はい」
 フーッと吐かれた息の方向を察して、外された視線をもどかしく思いつつ、男は呻くような声で肯定する。
 忘れたわけではない。
 咎められるべく、自分はこの場にいるのだ。
 それも、どういう経緯かは知らないが、たかだか人間の小娘を一匹、嬲り殺そうとしただけで。
 失敗、したというのに。
 思い返せば、男の心を陶酔以外の感情が覆い始める。
 純然たる恐怖。
 奇人街を闊歩する猫の仕業を噂だけでしか知らない男にとって、猫より恐ろしいと刻み付けられた、力を具現化した容姿。

 我が種、最強の名である狡月こうげつを掲げし男、ラン・ホングス。

 ぶるり、震えた。
 決して醜悪ではない凶悪な相貌は、なるほど確かに目の前の狼首よりも同族の女を惹きつけるだろうが、纏う雰囲気は何者をも寄せ付けない孤高を感じさせた。
 ――最強ではあっても、人狼の群れを統率する狼首にはなれないだろう、とも。
 それは、群れなす人狼という種に属する男にとって、何よりも不鮮明な感覚だった。
 畏怖すべき、もしくは忌むべき、本性に反する独立性。
「しかもラン・ホングス……奴相手に。立ち向かいもせず逃げた……」
 男の怯えをなぞるように、せせら笑う声が響き、またも男の身体が勝手に震えた。
 今度は、目の前にいる狼首に対して。
 クツクツ喉を鳴らす音はさも愉快そうだが、気配に剣呑が滲み始めている。
 逃げるくらいなら死ね――今から下される咎めが死、以上のモノであると言外に伝わる。
 思い起こされるラン・ホングスと狼首の因縁が、その咎めを現実に起こりうるものだと男へ告げる。
だが、続けて放たれた狼首の言葉は、男の恐怖を止めた。
「ご苦労さん」
「……へ?」
 惚けた声で顔を上げたなら、白い姿が長椅子の中央に腰掛ける形へと変わった。
 そのまま煙管を咥えた狼首は、自由になった両手を左右に侍る女の頭へ埋めると、無造作に髪を引っ張ってみせた。
「「あぐっ」」
「!」
 くぐもった声を上げ、目に焼けつく白い首筋を晒すその顔。
 俯いていたために今の今まで気づかなかったが、青ざめた女たちの顔つきは、人間然の姿であろうとも分かる、男が得ようとしたモノ――二人の囲い女。
 狼首は驚く男を愛でるように彼女らの髪をゆっくり解放し、咥えていた煙管を離して溜めた煙を吐き出す。
「……本当に、ご苦労なことだ。コイツ等欲しさに自分の身を危険に晒すなんざ、俺にはできねぇ芸当だよ」
 しみじみ吐かれた言葉は真実を色濃くし、感嘆とも嘲りとも付かぬ印象を男に与える。
「と、そこで、だ。そんな”勇敢”なお前を見込んで、一つ、頼みがある」
「……え…………と、咎められるんじゃ」
 狼首の突然の提案に男が驚けば、おどけたような仕草が返ってくる。
「俺が? 何故? おいおい、違う群れとはいえ、俺はお前に敬意を表してるんだぜ? お前のその”勇敢さ”に……だからこそ頼もうとしてるんだ、”勇敢”なお前に。ああ、ああ、もちろんタダなんて野暮なことは言わねぇさ。まさか虎狼公社率いてる狼首が、”勇敢さ”に漬け込んで、おんぶに抱っこじゃ示しが付かねぇ……だろう?」
 探るような問いかけ。
 ぞくりと背筋を這う、自分よりも遥かに強い存在からの伺う視線に、男は酔ったような面持ちで頷いた。
「報酬は――コイツ等でどうだ? 好きにしていいぜ? どんな風に扱っても、コイツ等はお前に従う。なんせ保障は俺が付けるんだから、なあ?」
 優しい声音に、女たちの身が震え、呻きのような甘ったるい肯定が、艶やかな唇を這い――

 報酬に浮かれ、簡単な頼みに軽い足取りを添える。
 平伏して後、狼首となった彼と、同じ道筋を着実に辿りゆく、己に酔う。
 怯えた咎めもなく、”勇敢”と評された意味も知らず。
 古い話に出てくる彼を淘汰し、次代の狼首となった相手が誰とも知らずに。

 自分の足、自分の意思で、年若い男は先へ進む。
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