奇人街狂想曲

かなぶん

文字の大きさ
95 / 98
第二節 雨上がりの逃走劇

狼首の罰・後編

しおりを挟む
 ずるずると音を立て、血色の鎖が床を這えば、喘ぐような低い悲鳴が二つ上がる。
 これを背後に立ち上がったシウォンは、侍女へ煙管を預け、身体を伸ばした。
「くぁー……眠ぃな」
 男が去って後、換気された部屋が煙を拭えば、白い服の中身が艶やかな毛並みの獣へと変貌を遂げる。
 時刻はまだ、地上の街に朝を迎え入れていないのだから、人の姿で在り続ける理由もなし。
 次いで起こるのは、シウォンの命を受け、呼ばれた者たちが息を呑む音。
 どれもが乾いた喉を鳴らす中で、煙に隠されていたシウォンの怒気が、低い声と共に吐き出された。
「餓鬼が…………煙の意味も知らねぇで、薄汚ぇ咳なんぞしやがって」
 鼻面に皺が寄れば、誰もが目を逸らして命ぜられた作業に没頭する。
 しかし一人、白い人狼が近寄っては、シウォンに向かって咳を一つしてみせた。
「けほ、親分。当たり前じゃないっすか。煙は下っ端にゃ、手が出せない代物なんすから。大体、煙漬けなんて酔狂のやることっすよ?」
「……………司楼……てめぇは何処の群れに属してるつもりだ?」
 頭一つ上からの、一層鮮やかな緑の射殺す視線に、司楼と呼ばれた人狼は臆せず事なげに即答した。
「もちろん、親分の群れっす。けど、いいんすか、アレ? わざわざ本性消す、毒同然の煙使ってまで怒り抑えた相手だってのに、何もナシで。しかもあんなガキがするようなおつかいに褒美の約束って」
「なんだ? 羨ましいのか、司楼? 何だったらやるぞ?」
 そう言って鼻白むシウォンが顎で示したのは、背後で四肢の拘束を解かれている、二人の女。
 つられたように司楼のくりくりとした黒い目が向けられるが、そこには何の感情もない。ただ、事実のみが映し出されていた。
 逃げられぬよう女たちにつけられた鎖が、貫き繋いだ両足から骨と肉を弄り、血と共に床に落ちていく。かと思えば、ソファにしなだれる形を取らされた両手を、深々と縫い止めていた装飾の剣が引き抜かれた。
 鋭さのない鎖と刃のない返しのついた剣は、女たちの手足を醜く傷つけていくが、彼女たちは呻きに似た悲鳴を上げるのみ。想像を絶する痛みがあるだろうに、気絶さえしないのは、シウォンがソレを許さないためだ。
 従い慕う狼首の恩赦をひと時、たとえ後に誰へ添わねばならぬとも、背かず隷属することで得ようとする――。
 その浅ましくもいじましい想いゆえに、女たちは苦痛を内に秘めて呻きを甘んじる。
 だが、司楼は彼女たちの想いを否定するように、ため息をついて首を振った。
「いりませんよ。オレは仕事が好きですし」
 断ち切る言葉を受け、拒まれたシウォンは「だろうな」と薄く笑う。
「まあ、あの餓鬼に言ったことが全て、偽りだったって訳でもねぇ。勇敢だと言ったのは本心からさ。あの小娘を嬲り殺そうとしたんだからなぁ? 俺じゃあ、とてもとても」
 心底呆れ切った調子で言ったなら、司楼がぽんっと手を打った。
「なるほど? つまり、娘を連れ去ったことへの芥屋への謝罪は、そういう意味で?」
「ああ。そういう意味さ。謝罪は俺の柄じゃねぇが……あの小娘に関して咎める権利があるのは……」
 続く言葉はごくりと呑み込み、代わりに絡みつくような熱い吐息を吐き出すシウォン。
 これに対しては、今まで平静に接していた司楼の背を怖気が走り、意味を探る暇なく、鮮やかな緑の瞳が輝く。
「知ってるか? 奴相手に最長でどのくらい生きていられるか?」
 決して司楼を見ないその目は、殊更明るい様相を呈しながら、内に珍しくも恐怖を宿していた。
「「っぁ……」」
 鎖と剣が最後まで引き抜かれたのだろう。後方で女たちのすすり泣く荒い息を聞きながら、司楼は鼻面に皺を寄せて答える。
「最長……って、一瞬でしょう? 遊ばない限り――――っ、まさか?」
「そう、そのまさかだ。俺が知る内じゃ、最長で十日。弄られつつ、強制で生かされてな。ソイツは精神が先にイッちまい、自害しようとしたところを――と」
「そんな面倒臭そうなやり口を?」
「ああ。どうもソイツは爪一枚分、ちょろまかしたらしい。……な? 俺の咎めなぞ、入る余地もないだろう?」
「…………あ、れ? でもそうすると、親分も危険なんじゃ?」
 純白の耳を伏せた司楼は、はたと気づいてシウォンを見やる。
 これに肩を竦めただけの白い姿は、外へ通じる扉をくぐる。
 そんな親分の行動に一瞬キョトンとした司楼は、とてとてと後を追った。
「あ、あの親分? いいんですかい? 姐さん方、待ってらっしゃるんじゃ。それに、あの二人の処分も」
「んん?…………ああ、忘れてた」
「親分……オレに全部押しつけないでくださいよぉ? 向こう行ってろ、なんて期待させといて、来たのオレだったら……イヤっすよ。あの人の二の舞は」
「……ランのことか?」
 司楼の言葉に過剰ともとれる反応を示し、シウォンは振り返っては鼻面の皺を深くした。
「あの若造……女の相手もまだ満足にできんのか? 親父似のクセしやがって、とことん真逆を行く……」
「親父……って、先代っすか。初代に媚びへつらって命拾いして、数代挟んでから狼首の座についた棚ボタの」
「お前、顔に似合わず……死んだヤツに鞭打つような真似は感心せんぞ?」
「でも事実でしょう? それに殺したお人が言う台詞じゃありませんぜ?」
 呆れ果てた部下にシウォンは「確かに」とおどけ、黒い瞳がじっと待っている様子を受けては、観念したような息を吐いた。
「分かった分かった。女どもはあの二人を解放した連中にでも任せておけ。好きにしろと。ただし、先にあの二人を捨ててからだ。わざわざ殺す必要はない。路にでも放っておきゃあ、勝手に消えるだろう。……そうそう、ヤツらにゃ今後俺の前に現れたら”落とす”、って伝言も忘れずにな」
 指示だけを残し、また歩き出す背中。
 頷き、踵を返した司楼が、ふとその背を振り返って尋ねた。
「あり? 親分、お帰りですか?」
「……ああ。眠くて堪らん」
 欠伸交じりの答えに納得したらしい白い人狼は、青黒い獣姿を見送ることなく、背を向けて離れた。


 それから幾らもせず、苦痛を耐えた先の絶望を謳う重奏と、悲鳴に似た無数の嬌声を聞き、シウォンはやれやれと首を振った。
 彼が認めた側近の中で、誰よりも若いくせに、誰よりも物事に動じない、忠実な白い人狼へ向けて。
「仕事……ねぇ。俺も大概酔狂の部類だが……お前にゃ負けるよ」
 評された部下は、けたたましい声をけろりとした表情で聞いているだろう。
 もしかしたら、二人の廃棄を若さを理由に押しつけられているかもしれないが。
「ふぁあふ……」
 訪れる欠伸を堪え切れず行えば、鮮やかな緑がうっすら涙に潤う。
 だが充分な睡眠は得られまい。
 他の誰もが察することの出来ない猫を感知できるシウォンの能力は、強すぎる本性が怯えるゆえに為される業。
 そんな猫の諍いへの介入は、眠りを妨げるほど能力の範囲と効果を広げている。
 不意に浮かぶのは、脆弱な人間の小娘。
 猫を操る術を持つと噂される、自身には何の力もない、弱く儚い存在。だというのに、得られなかった分、更に高まる本性の猫への恐怖を植えつけた相手。
 猫は地下へ降りられないと知っていても、能力は広大な虎狼公社全ての状況をシウォンへ、逐一無駄に送り続けてくる。
 この状態から回復するのに手っ取り早い方法は、小娘の死だ。
 シウォン自ら出向く必要はない。
 下っ端に命じて小娘を殺させ、ソイツの一生を虎狼公社で匿うよう配慮すれば良いだけだ。しばらく上は猫に蹂躙されるだろうが、群れの連中を引っ込めさせれば良いだけの話。
 人狼の狼首にとって群れ以外の者の安否なぞ、知ったことではないのだから。
 実に簡単――だが、シウォンは終ぞ、その選択は下さず。
「礼は…………まだ返してねぇぞ、小娘。俺は狙った獲物をそう簡単には諦めん」
 ランにせよ……ワーズ・メイク・ワーズ、従業員たる小娘の主にせよ――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜

まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、 専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活   現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。   しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。   彼は大陸一の富を誇る名門貴族―― ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。   カイルに与えられたのは ・世界一とも言える圧倒的な財力 ・財力に比例して増大する規格外の魔力   そして何より彼を驚かせたのは――   彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。   献身的なエルフのメイド長リリア。 護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。   さらに個性豊かな巨乳メイドたち。   カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。   すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――   「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」   領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、 時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、   最強の御曹司カイルは 世界一幸せなハーレムを築いていく。 最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。

元恋人が届けた、断りたい縁談

待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。 手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。 「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」 そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?

半世紀の契約

篠原皐月
恋愛
 それぞれ個性的な妹達に振り回されつつ、五人姉妹の長女としての役割を自分なりに理解し、母親に代わって藤宮家を纏めている美子(よしこ)。一見、他人からは凡庸に見られがちな彼女は、自分の人生においての生きがいを、未だにはっきりと見い出せないまま日々を過ごしていたが、とある見合いの席で鼻持ちならない相手を袖にした結果、その男が彼女の家族とその後の人生に、大きく関わってくる事になる。  一見常識人でも、とてつもなく非凡な美子と、傲岸不遜で得体の知れない秀明の、二人の出会いから始まる物語です。

ストーカーから逃げ切ったのも束の間、転移後はヤンデレ騎士団に殺されかけている現実!

由汰のらん
ファンタジー
ストーカーから逃げていたある日、ハルは異世界に召喚されてしまう。 しかし神官によれば、どうやらハルは間違って召喚された模様。さらに王子に盾ついてしまったことがきっかけで、ハルは国外追放されてしまう。 さらに連行されている道中、魔族に襲われ、ハルの荷馬車は置き去りに。 そのさなか、黒い閃光を放つ騎士が、ハルに取引を持ちかけてきた。 「貴様の血を差し出せ。さすれば助けてやろう。」 やたら態度のでかい騎士は、なんとダンピールだった! しかしハルの血が特殊だと知った騎士はハルを連れ帰って? いっそ美味しい血と癒しを与えるダンピール騎士団のセラピストを目指します!

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

異世界育ちの侯爵令嬢と呪いをかけられた完璧王子

冬野月子
恋愛
突然日本から異世界に召喚されたリリヤ。 けれど実は、リリヤはこの世界で生まれた侯爵令嬢で、呪いをかけられ異世界(日本)へ飛ばされていたのだ。 魔力量も多く家柄の良いリリヤは王太子ラウリの婚約者候補となる。 「完璧王子」と呼ばれていたが、リリヤと同じく呪いのせいで魔力と片目の視力を失っていたラウリ。 彼との出会いの印象はあまり良いものではなかった。

【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのになぜか溺愛ルートに入りそうです⁉︎【コミカライズ化決定】

sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。 遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら 自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に スカウトされて異世界召喚に応じる。 その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に 第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に かまい倒されながら癒し子任務をする話。 時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。 初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。 2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。

二百年の眠り姫は、五人の薔薇騎士と龍に溺愛される

七海美桜
恋愛
旧タイトル:五人のイケメン薔薇騎士団団長に溺愛されて200年の眠りから覚めた聖女王女は困惑するばかりです! フーゲンベルク大陸で、長く大陸の大半を治めていたバッハシュタイン王国で、最後の古龍への生贄となった第三王女のヴェンデルガルト。しかしそれ以降古龍が亡くなり王国は滅びバルシュミーデ皇国の治世になり二百年後。封印されていたヴェンデルガルトが目覚めると、魔法は滅びた世で「治癒魔法」を使えるのは彼女だけ。亡き王国の王女という事で城に客人として滞在する事になるのだが、治癒魔法を使える上「金髪」である事から「黄金の魔女」と恐れられてしまう。しかしそんな中。五人の美青年騎士団長たちに溺愛されて、愛され過ぎて困惑する毎日。彼女を生涯の伴侶として愛する古龍・コンスタンティンは生まれ変わり彼女と出逢う事が出来るのか。龍と薔薇に愛されたヴェンデルガルトは、誰と結ばれるのか。 この作品は、小説家になろうにも掲載しています。

処理中です...