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第39話 裏切者
しおりを挟む会場内。
煌めくシャンデリアが静かに光を落とし、重厚な空気が漂っていた。
イザベラは顔を上げ、ふぅと息を吐いた。
「しずく。あのお方がユナイトアークのトップよ。ナンバーズになった以上、
これから関わる人だから――覚えておきなさい。
決して失礼な態度は取っちゃダメよ」
「はい、わかりました」
しずくは真剣な表情で頷いた。
ちょうどその時、イザベラに数名の人たちが近づいてきた。
会話を求める声。イザベラはにこりと営業スマイルを浮かべ、
華やかに対応を始めた。
そのまま、しずくは気配を残さぬように、そっとその場を離れた。
会場内を歩きながら、しずくは周囲を見回した。
セラフィナの周りには大勢の人々が集まり、圧倒的な余裕を感じさせていた。
ギルベルト、エレナらもそれぞれに洗練した立ち振る舞いをしている。
そのとき、しずくの視界に入ったのは――
リサだった。
彼女は髪を下ろし、落ち着いたドレスを身に纏っていた。
いつものリサからは、とても想像できない姿だった。
しかし、どこかその笑顔にはぎこちなさがあった。
足先が内側に入り、蟹股になりかけているのを必死に抑えているようで、
膝あたりがわずかに震えていた。
(リサさんも、がんばってるなぁ……)
しずくはそっと心で呟き、胸の中に小さな決意を灯した。
「よし! 私もがんばらないと!!」
その瞬間、視界の端に別の動きが入る。
人だかりの向こう側――そこに、あの人がいた。
ミラ・ヴェイル。
彼女はこのパーティーの華やかさから少し浮いた存在のように、
いつもの真っ黒なドレスを纏い、
手にはまるで血のような深紅のワインをたたえていた。
「ミラさん、いつも私どものためにありがとうございますね」
と、紳士然とした男性たちが声を掛ける。
ミラは淡い笑みも浮かべず、じっとワインを傾ける。
「はぁ? 別にあんたらのためじゃないわよ。」
鋭い口調で一言。
その瞬間、空気が一瞬止まった。
(これはまずい!!)
しずくは即座に反応し、ミラと男性たちの間に俊足で割って入った。
しずくは明るく、しかし多少強引に笑顔を作って言葉を繋いだ。
「失礼しました……ミラさんは支援や感謝されることを目的にされていないんです」
「あくまでご自身の信念で、なすべきことをなさっている――
つまり、当然の責務を果たしたまで、とおっしゃりたかったのだと思います」
しずくの言葉に、男性も客席の人々も納得したように頷き、
会場の空気がちらりと和んだ。
「……なるほど。そういうことでしたか」
ミラはしずくの顔をちらりと見て、抑えた声で答えた。
「えぇ、そうですね……」
そして、短く口角を上げてその場から離れて行った。
場の空気が少しだけ和らぎ、男は彼女に向かって頭を下げる。
「では、これからもよろしくお願いしますよ、はっはっはっ。」
満足げな笑みを浮かべ、男はそのまま引き上げていった。
しずくは背中から力が抜けるのを感じて、
思わず
「はぁ――よかった」
と小さく息を吐く。
しかし、その直後、ミラの声が低く、冷たく響いた。
「白封筒、感謝するわ。私、こういうのは……本当に嫌いなのよ」
ミラはグラスを片手に、口端を引き絞るようにして続けた。
「金に飢え、命の危険もないくせに『世界平和』だのきれいごとを並べる。
結局は自分の金と自分の身しか考えてない。――馬鹿ばかり。
本当に、全員、消えてくれればいいのにって思う。」
言葉の隅々に、鋭い殺気が滲んでいた。
「ミラさん、落ち着いてください!」
しずくは咄嗟に制した。
声は震えていたが、
真剣さだけは伝わったはずだ。
ミラはしずくをじっと見据え、
ゆっくりと息を吐いた。
目には確かな苛立ちが残っているが、
口元はどこか諦めに近い。
「わかってるわ。だから――あなた、
このパーティー中は私の隣にいなさい。全部、あなたが対応して」
「えっ! 私がですか!?」
しずくが慌てると、ミラは挑むように眉を上げる。
「なに、私に文句でもあるの?」
「い、いえ、ありません!」
しずくは即座に頭を下げた。
ミラはつんとそっぽを向き、グラスを一口含んだ。
ワインは深紅に揺れ、彼女の表情をさらに冷やかに見せた。
(……まったく、ミラさんってば……)
しずくは心の中で苦笑しながらも、その後の応対を引き受け続けた。
そして――
「……ふぅ……つ、つかれたぁ……」
人目を避け、ようやく小さく吐き出した一言。
肩を上下させ、大きく息を吐く。
ミラが少しだけ視線を向ける。
「ねぇ、白封筒」
「は、はい、なんですか?」
しずくは少し跳び上がりながら答える。
「アンナ……ちゃんとやれてる?」
「え、あ、はい! ものすごく助かってます!」
しずくは笑顔を作った。
「ミラさんが私たちの隊に入りなさいって言ってくれたんですよね。
ありがとうございます!」
「別にそんなんじゃないわ」
ミラはぐいっとグラスを置き、低く続けた。
「ただ……あなたたちの隊が、一番“まし”って思ってただけだから」
「え、それって……?」
しずくが言いかけたそのとき、ミラがぐっと近づいた。
その距離の近さに、しずくは息をのんだ。
「あなた、私と一緒に町で戦った時の司祭、覚えてるかしら?」
「はい……覚えています」
ミラは静かに頷き、視線を遠くに泳がせながら言った。
「あなたと私で出現したマガツを討伐した時に捕まえた……あの司祭から話を聞いていてね。
やっと最近話し始めたのよ」
しずくの心臓がキュッと締め付けられた。
「それが――ユナイトアークの内部情報を持っていたわ」
「え、それって……?」
「……内部に、裏切者がいる可能性があるわ。」
その言葉に、会場の喧騒が一瞬だけ遠のいた。
しずくの心臓が跳ねた。
「私たちの仲間の中に、マガツを扱う組織とつながっている裏切者が……?」
「ま、まさか、そんなはず……」
しずくは震える声で呟いた。
「いいえ、これは事実よ。こんなことが判明した今、
今後、もし何かあったときのことを考えて――
アンナをナンバーズの隊に入れておきたかったの。
でも今は明確に、誰も信頼できないわ」
ミラの言葉は静かだが、その奥には揺るぎない決意が宿っていた。
「その中で唯一、あの時、あそこにいた白封筒、
あなただけが違うってことがわかっているから――あなたの隊に入れたのよ。」
「もし、あの子になにかあったら――許さないから」
ミラの声は低く、震えるほど真剣だった。
「大丈夫です。任せてください。」
しずくはしっかりとした口調で応えた。
「……なら、いいわ」
ミラはそう言い、少しだけ安心したように息をついた。
ミラはグラスを口元に運びながら、ぼそりと呟いた。
「――今夜、私の部屋に来なさい。また、あの司祭から情報を搾り取るわ」
その声はごく小さく、他の誰にも届かないように抑えられていた。
しずくはすぐに頷き、低く返す。
「……わかりました。」
ミラはそのまま視線を前に向けたまま、言葉を重ねる。
「いい? このことを知っているのは――
イザベラと、私の信頼のおける部下数人、そしてあなただけ。
……わかってるわね」
「はい」
ほんの短いやりとりだった。
だが、そこに込められた秘密の重みは、
ひとつの任務よりもはるかに深いものだった。
そのとき、会場内に軽やかなベルの音が響いた。
司会者が壇上へと立ち、微笑を浮かべながら告げる。
「――それでは、これをもちまして、
本日のレセプションは閉会とさせていただきます。
皆様、良い夜をお過ごしくださいませ」
ミラは静かにグラスを掲げ、周囲に向けて一礼をする。
「では――皆さん、ありがとうございました。どうか楽しい夜を」
場内には自然と拍手が広がり、
立食会は賑やかな余韻を残しながら、ゆっくりと終息へ向かっていった。
しずくはミラの隣にそっと付き添いながら、ふと会場を見渡す。
煌びやかなシャンデリア、談笑する人々、光を反射するグラス。
そのすべてが、どこか遠くに感じられた。
それらが胸の奥に重なり、静かな覚悟となって波紋を広げていく。
しずくはひと息ついた
「……終わった」
自分自身に、そう言い聞かせるように。
パーティーは、その夜の満月のように、
静かに――しかし確かに幕を下ろした。
だが、しずくの胸に灯った決意は、
まだ消えることなく、確かな光として燃えていた。
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