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第54話 氷の断絶、炎の咆哮
しおりを挟む「ふぅ……あぁ、馴染む……」
セラフィナが陶酔したように息を吐く。
その背に広がる六枚の堕ちた翼が、不気味に蠢いた。
血管を流れる魔素が、人智を超えたエネルギーへと書き換わっていく感覚。
「これが……神の力……」
絶望的な重圧の中、しずくの横で、小さな嗚咽が聞こえた。
「……う、ぐぅ……」
振り返ると、地面に縫い付けられたクラウディアが、涙を流していた。
「セラフィナ様……信じていたのに……」
彼女の拳が、コンクリートの床を砕くほど強く握りしめられる。
憧れは、絶望へ。
そして、殺意へ。
「うおおおおおおッ!!」
バキッ、ゴキッ。
嫌な音が響く。
重力に逆らって体を起こそうとするあまり、彼女自身の骨が悲鳴を上げているのだ。
それでも、クラウディアは止まらない。
「クラウディアさん!? やめて、体が壊れちゃう!」
しずくの叫びも届かない。
クラウディアは血反吐を吐きながら、ついに立ち上がった。
「許さん……許さんぞ、セラフィナァァァッ!!」
彼女の手元に、冷気が爆発的に収束する。
生成されたのは、漆黒に近いほど濃密な氷の双剣。
「私を……人類を裏切った罪! 万死に値する!! くたばれぇッ!!」
クラウディアが跳んだ。
骨の軋みなど忘れたかのような、神速の突撃。
「氷絶秘奥――氷魂崩葬《ソウル・グレイブ》!!」
氷結の剣が、セラフィナの首を断ち切る軌道を描く。
だが。
「――目障りです」
セラフィナは、見る価値もないとばかりに指を振った。
ヒュン。
クラウディアの視界が回った。
いや、剣を振るうはずの感覚が、消えた。
バシュッ!!
鮮血が舞う。
クラウディアの右腕が、肩口からごっそりと消滅していた。
斬られたのではない。
最初から「なかった」かのように、空間ごと削り取られたのだ。
「ぐ、ああああああああッ!!」
「クラウディア!!」
激痛に絶叫し、膝をつくクラウディア。
しかし、彼女の瞳はまだ死んでいなかった。
「……まだだッ!!」
残った左手で地面を叩く。
「氷界・遮断壁!!」
ドゴォォォン!!
巨大な氷の壁が、地面から突き上げた。
それは防御のためではない。
セラフィナと自分たちの間の視界を遮るためだ。
フッ……。
その瞬間、体を押し潰していた重力が消えた。
重力操作は、視認した対象にしか効果が及ばない。
「はぁ、はぁ……い、今だ……!」
クラウディアが崩れ落ちる。
全員が、体が軽くなったことに気づく。
「……撤退だ! 総員、全力で走れ!!」
ギルベルトが即断し、叫んだ。
もはや勝てる相手ではない。ここに留まれば全滅する。
「ミラ! クラウディアを!」
「分かってる! シズ!」
「はっ!」
影から飛び出したシズが、瀕死のクラウディアを抱え上げる。
「皆様、こちらです!!」
通路の奥、アメリーが扉をこじ開けて手招きする。
全員がそこへ向かって走り出した、その時。
ドォォォン!!
爆音と共に、分厚い氷の壁が粉々に砕け散った。
舞い散る氷片の向こうに立っていたのは、杖を掲げたエリス。
「エリス……!」
リサが走りながら振り返り、睨みつける。
エリスは無表情のまま、杖を再び向けようとした。
「リサさん! 早く!!」
しずくに腕を引かれ、リサは唇を噛み切りながら背を向けた。
逃げる。今は、逃げるしかない。
「あら、逃げられると思いまして?」
セラフィナが冷ややかに笑う。
彼女の足元の影が、沼のように広がり、ボコボコと沸騰した。
「行きなさい」
影の沼から、ズルリと這い出てくる異形たち。
それは、肉塊のような通常のマガツではなかった。
細く、しなやかで、無駄のないフォルム。
外殻は薄く光を反射し、まるで磨かれた硝子細工のよう。
かつて掃討戦で遭遇した強敵――涯骸《ガカイ》。
だが、その動きはより洗練され、明らかに「知性」を感じさせた。
その数、三体。
『セ……ラフィナ、サマ……』
ガラスの人形が、人間の言葉を紡ぐ。
「始末なさい」
『ギョ、イ……』
三体の涯骸は、人間離れした速度で駆け出した。
静まり返った広間に、セラフィナとエリスだけが残る。
「……セラフィナ様、逃がしてよろしかったのですか?」
「ええ……っ、ぐ……」
セラフィナが胸を押さえ、苦しげに膝をつく。
「セラフィナ様?」
「……少し、欲張りすぎたかしらね。
この核を取り込んで、まだ体が馴染んでいないようですわ……」
彼女の肌に、幾何学模様の紋様が浮かび上がっては消える。
強大すぎる力は、器である彼女自身をも蝕み始めていた。
「エリス、私の為に命を掛けなさい」
エリスは深く一礼した。
「わが心、御心のままに」
――非常階段
冷たい金属音を響かせながら、しずくたちは駆け上がっていた。
「ちぃッ! 速えな!」
リサが焦燥の声を上げる。
背後から迫る気配。
硝子の体が壁を蹴り、天井を這い、不気味なほど滑らかに追ってくる。
「どうするの! 涯骸! しかも三体よ!」
「一体でも手に余る相手だというのに……!」
ギルベルトが歯噛みする。
全員が満身創痍。魔力も枯渇寸前。
まともに戦えば、数秒で全滅する。
「エレナ、まだ走れる!?」
「だ、だめ……もう息が……!」
「このままじゃ追いつかれるわ!!」
ミラの叫びと共に、最後尾の床がガラスの爪で抉られた。
もう、逃げ切れない。
誰もが死を覚悟した、その時。
タッ。
一人の足音が止まった。
「ライラ?」
リサが振り返る。
ライラは階段の踊り場で足を止め、追ってくる涯骸たちの方へ向き直っていた。
「ライラ! どうした! 走れ!」
リサの呼びかけに、ライラは振り返り――
いつものように、ニカッと笑った。
「私があいつらぶっ飛ばすから! みんなは先に行っててくれ!!」
「ッ!?」
「ライラ! あなた何言ってるの! 早く来なさい!」
ミラが叫ぶ。
「そうですライラさん!! 死んでしまいます!!」
しずくも手を伸ばす。
だが、ライラは首を振った。
その拳には、残った全ての魔力が蒼く燃え上がっている。
「誰かが!! 残らないと!! ここで奴らを止めなきゃ全滅だ!!」
「ライラ……!」
「あたし馬鹿だからさ! みんなみたいに賢いこと考えられないし、
殴ることしかできないけど!」
ライラはドン、と自分の胸を叩いた。
「これだけは分かる!
ここであいつらを食い止めて、仲間を守るのが!
“№7”の役目だってことがな!!」
迫りくる三体の硝子の死神。
ライラは恐怖など微塵も感じさせない背中で、それらの前に立ちはだかった。
「……っ」
ギルベルトが、苦渋の決断を下す。
「……行くぞ!!」
「皆! ライラにここを任せて先に行くぞ!
彼女の覚悟を無駄にするな!!」
ギルベルトの声が震えていた。
「……っ、くそッ!!」
ミラが叫ぶ。
「死ぬんじゃないわよ! 馬鹿ライラ!!」
「へへっ、当たり前だろ!」
ライラの明るい声が、背中に届く。
しずくは何度も振り返りながら、階段を駆け上がった。
「ライラさんっ!!必ず助けに来ます!!」
視界の端、踊り場で炎が爆ぜるのが見えた。
「っしゃあああ!! かかってこい、ガラス細工共!!
あたしの拳は、硬いヤツほど燃えるんだよぉぉぉッ!!」
ドォォォォン!!
爆炎と衝撃音が、遠ざかっていく。
しずくたちは前を向いて走り続けた。
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