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第64話 夜明け前の潜影
しおりを挟む夜明け前。世界が最も深く、冷たい闇に沈む刻。
廃墟のベースキャンプは、
決戦前の静けさに沈んでいた。
医療テントの中。
マルセラは作業台に置かれた金属器具を手に取り、刃先を光にかざして角度を確かめる。
小さな布で細かく拭い、指を滑らせる。
点検を終えると、
彼女は白衣の前をつまみ、静かに脱いだ。
代わりに椅子の背にかけてあった、
落ち着いた色のドレスに袖を通す。
動きやすさを優先したような装いだ。
ふと視線を奥のベッドへ向ける。
包帯に覆われ、
片腕を失ったクラウディアが横たわっていた。
壁を向いたまま、
かすかな呼吸だけが生を示している。
マルセラは短く息を吐き、無造作に声をかけた。
「……それで。あんたは、どうするつもり?」
返事はない。
沈黙だけが、冷えた空気の中に落ちた。
「……あの子たちはもう動くわよ」
それだけ告げると、
マルセラは道具をしまい、
ひるむことなくテントの幕を押し分けて外へ出た。
幕が揺れ、足音が遠ざかる。
テントの中に、重苦しい沈黙が戻る。
……パキッ。
微かな音がした。
クラウディアが握りしめていたシーツが、
一瞬にして凍りつき、粉々に砕け散った。
テントの外。
廃墟の影で、三人の人影が出発の準備を整えていた。
黒を基調としたエクリプスの戦闘服に、
フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えた姿。
アヤメ、ミカ、ソラだ。
「……本当に行くの?」
しずくが、不安げな声で問いかけた。
足元の包帯が痛々しい。
「相手は中央軍と、セラフィナだよ。
もし見つかったら……」
「しずく様」
アヤメが、しずくの手をそっと両手で包み込んだ。
「私達からこそ、行けるのです。今のユナイトアークは、蟻一匹通さないほどの高感度魔素センサーが張り巡らされています。
魔力を持つ皆さんでは、近づくだけで蜂の巣にされてしまいますから」
「でも……」
「それに」
横からミカが、
いつもの明るい口調で割って入った。
「私たちだって、悔しいんだよ。ライラさんが死んで、わかなちゃんがあんなことになって……。守られるだけじゃなくて、一発殴り返してやりたいじゃん?」
「ミカちゃん……」
「私は……」
一番後ろで、ソラが俯き加減に口を開いた。
「私は、怖いです。でも、しずくちゃんたちが傷つくのを見るのは、
もっと怖いです。だから……これが、私の戦いです」
ソラは顔を上げ、しずくを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、かつての内気な少女の面影はなく、
一人の兵士としての覚悟が宿っていた。
「……ったく。いつの間にこんなに強くなりやがったんだか」
腕を組んで見守っていたリサが、
鼻を鳴らして歩み寄り、
三人のヘルメットを拳で軽く小突いた。
「いいか、絶対に無理はするな。
ヤバいと思ったらすぐ隠れろ。
英雄になんかなろうとするな。
……必ず、生きて戻ってこい。命令だぞ」
「はいッ! 了解です!」
ミカが敬礼し、アヤメとソラも続く。
「これを持っていけ」
ギルベルトが進み出て、
アヤメに小さなデータチップを手渡した。
「これは?」
「イザベラが命懸けで回収した、
地下実験のデータだ。
そこには、実験体となった少女たちの写真
……そして、ゼノン総統自身が実験を視察している記録も残っている」
ギルベルトが悔しげに眉を寄せる。
「このデータがあれば証明できる。
実験は我々が勝手に行ったというセラフィナの主張が、真っ赤な嘘だということをな」
「……なるほど。組織ぐるみの犯行だったと、
突きつけるわけですね」
アヤメはチップを強く握りしめ、
胸ポケットに慎重にしまった。
「口で叫んでも、洗脳された兵士たちは信じません。ですが……自分たちが信じていた正義が、
こんな無惨な実験の上に成り立っていたと知れば、動揺せずにはいられないはずです」
「頼んだぞ。……夜明けと共に、我々も動く」
三人は深く一礼し、闇夜へと駆け出した。
しずくは、その背中が見えなくなるまで、
祈るように見つめ続けていた。
整備された正面ゲートとは対照的な、
雑草が生い茂るユナイトアーク障壁未舗装エリア。
冷たい夜風が吹きすさぶ中、
三人は藪をかき分けて進んでいた。
「うへぇ……クモの巣だらけじゃん」
先頭を行くミカが、
顔にかかった糸を払いながら顔をしかめる。
「文句を言わない。このルートは建設当時に使われていた旧排水区画です。もう十年以上、誰も立ち入っていないはず」
アヤメが端末の地図と、
目の前の風景を照らし合わせる。
巨大なコンクリート壁の根元に、
蔦に覆われた錆びついた金網が見えた。
「……ここですね」
ソラが持参した工具を取り出し、
腐食したボルトを回す。
ギギギ、と嫌な金属音が響き、金網が外れた。
中から、カビと鉄錆、
そして湿った泥の臭いが漂ってくる。
人間が一人、ようやく這って進めるほどの狭いダクトだ。
「……ここを行くんですか?」
「ええ。最短ルートで中枢エリアの真下に出られます」
アヤメは躊躇なく、泥のついたダクトの縁に手をかけ、身を乗り出した。
「ヘルメットを装着。通信はオフに。ここからは、音を立てたら終わりです」
「了解」
三人はヘルメットを被り、
暗く、狭く、汚れた闇の中へと侵入した。
ダクトの中は過酷だった。
四つん這いで進むたびに膝や掌に小石が食い込む。
すぐ頭上にはパイプが走り、
閉塞感が精神を削ってくる。
時折、ネズミのような小動物が足元を駆け抜け、
ソラが小さな悲鳴を上げそうになるのを必死で飲み込む。
どれくらい進んだだろうか。
永遠にも思えるほふく前進の末、
頭上に光が見えた。
アヤメがハンドサインを出す。停止。
慎重に格子を持ち上げると、
そこは薄暗い資材倉庫のようだった。
「……クリア」
小声で告げ、三人は音もなく倉庫内へと降り立った。
泥だらけになった装備を軽く払い、
互いに頷き合う。
三人は背筋を伸ばし、銃を携え、
堂々とした「中央軍兵士」としての振る舞いに切り替えた。
倉庫を出て廊下へ踏み出す。
そこは、彼女たちが知っている場所とは、
まるで違う世界だった。
煌びやかで清潔だった回廊には、
土嚢や防弾シールドによるバリケードが築かれ、
至る所に重武装した兵士たちが立哨している。
すれ違う兵士たちの殺気立った目。
どこかから聞こえる怒号。
完全に、戦時下の要塞の空気だ。
カツ、カツ、カツ……。
アヤメたちは一定のリズムで歩く。
心臓が早鐘を打つ。
もしここで「所属コードを見せろ」と言われれば、その瞬間に終わる。
(落ち着いて……私たちは、ただの兵士……)
ソラは手の中の汗を感じながら、
前の二人に必死についていく。
もう、引き返す道だけは消えていた。
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