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第63話 折れた氷冠
しおりを挟むライラの瞳が閉じられ、悲しみが夜風に溶けて消えてから、
どれくらいの時間が経っただろうか。
廃墟と化したビルの周囲には、重く、沈殿したような静寂が漂っていた。
「……行こう、しずく」
カレンが、そっと肩に手を置く。
しずくは最後に一度だけ、白い布をかけられた炎の少女を振り返り、深く一礼した。
(行ってきます、ライラさん。……あなたの灯してくれた火は、消させません)
テントを出ると、
そこには生き残った『白光隊《ルミナスホワイト》』のメンバーたちが待っていた。
リリア、そして他の少女たちも、ボロボロの姿で身を寄せ合っている。
「隊長! カレン様!」
「みんな……よかった、無事で……」
しずくは駆け寄り、互いの無事を確かめ合うように抱き合った。
失った仲間も多い。けれど、こうして残された命がある。
その温もりに安堵したのも束の間、伝令が駆け寄ってきた。
「しずく隊長、カレン副隊長。作戦会議を行います。指揮官テントへ」
「……了解」
しずくは涙を拭い、カレンと共に中央のテントへと向かった。
指揮官用テントの中は、張り詰めた空気が支配していた。
中央の粗末なテーブルには地図が広げられ、
カンテラの薄明かりが幹部たちの顔を照らしている。
リサ、エレナ、ミラ、ギルベルト。
そして目を真っ赤に腫らしながらも気丈に立つ、ライラの代理であるアイリス。
さらに、奥には腕組みをするマルセラと、見慣れない少女が一人いた。
青色の髪をきっちりと結い上げ、怜悧な雰囲気を纏った魔法少女だ。
「……揃ったな」
リサが重い口を開く。
「まずは紹介しておく。こいつはフレデリカ。氷冠騎士団の副官だ」
「フレデリカです」
少女――フレデリカは、感情の読めない声で短く挨拶した。
「クラウディア隊長の代理として参加します」
「……クラウディアさんの様子は?」
しずくが恐る恐る尋ねる。
「とりあえずは大丈夫よ」
答えたのはマルセラだった。
「片腕の欠損によるショックと、魔力枯渇で昏睡状態だけどね。命に別状はないわ。
もう少しで目を覚ますと思う」
「そうですか……」
しずくは胸を撫で下ろす。
あの怒れる氷の剣士が生きていてくれたことは、数少ない希望だった。
ギルベルトが地図の一点を指差す。ユナイトアークの中枢だ。
「状況は最悪だ。我々は追われる身となり、拠点は奪われた。
だが、このまま逃げ続けるわけにもいかん」
「ええ。全部聞いたわよ」
マルセラが眼鏡の位置を直し、鋭い眼光を放つ。
「まさか、あのセラフィナがねぇ……。
神になり、世界をリセットする? 狂ってるとしか思えないわ」
「先生。なにか策はないのか? あんたは元ナンバーズだ、
あいつの力のことも詳しいだろ」
リサの問いに、マルセラは腕を組み、推測を語り始めた。
「話を聞く限り、セラフィナはマガツの核を取り込んだ。
でも、あれほどの高密度エネルギー体よ。人の身で制御するには、
代償が必要になる」
「代償?」
「莫大な魔素の消費よ。今はまだ、肉体を神の器へと再構築している最中のはず。
その激しい消費に耐え、完全体となるためには……
外部からのエネルギー供給が不可欠だわ」
マルセラが地図上の、地下最深部を指差した。
「狙いはここ。――『生命の間』。
ユナイトアークの障壁、その結界エネルギーの源泉よ」
「なっ……!?」
しずくが息を呑む。
「それを吸収されたら……結界はどうなるんですか?」
「消滅するわ。結果、マガツを管理するセラフィナにより、
外にいる無数のマガツが雪崩を打って人類領域へ流れ込む。
……この世の終わりね」
テント内に戦慄が走る。
「ただし、逆も成り立つわ。」
「セラフィナは人類とマガツの因果式そのものを融合により書き換えてしまった。
マガツはセラフィナと繋がってしまった。
だからこそ、彼女が死ねば──その因果もまた崩れ落ちる。
マガツは塵へと還る、はずよ」
一瞬、沈黙が満ちた。
セラフィナを止めなければ、自分たちだけでなく、人類そのものが滅びる。
セラフィナを止められば、人類に希望が待っている。
その時、しずくの脳裏にある人物の顔が浮かんだ。
「そうだ、ガレスさん!」
『生命の間』を守護するナンバーズ。
「ガレスさんを、置いてきてしまいました……! 彼女は今も一人で……」
「……とりあえずは、大丈夫だろう」
リサが低い声で言った。
「生命の間への入り口は、巨大な対魔障壁の門で閉ざされている。
並大抵の武器じゃ傷一つつけられねぇ。俺の大剣でも無理だ。
セラフィナ本人が再構築で動けない今、すぐには突破されないはずだ」
「いや、まだ分からんぞ」
ギルベルトが眉間に皺を寄せる。
「向こうには、エリスがいる」
「ちっ……エリスか」
リサが悔しげに舌打ちする。
№3のエリス。彼女の魔法ならば、あるいは――。
「猶予はないということだ」
ギルベルトが決断を下す。
「とにかく、明日だ。
明日早朝、戦力を再編し、ユナイトアークへ攻め込む。
セラフィナが完全体になる前に討つ!」
「でも、どうやって入るの?」
エレナが不安げに声を上げた。
「正面ゲートは全て電子ロックと物理障壁で閉ざされているわ。
外からこじ開けるには時間がかかりすぎる。その間に狙い撃ちにされるわよ」
中に入る手段がない。
重苦しい沈黙が流れた、その時。
バッ!
テントの入り口が勢いよく開かれた。
「――私たちなら、いけます」
入ってきたのは、エクリプスの装備を身につけた三人の少女。
アヤメ、ミカ、ソラだった。
「お前ら……」
リサが目を見張る。
「私たちは元々、ユナイトアークの警備システムを熟知しているエクリプスです」
アヤメが一歩前に出る。
「建設当時の古い廃棄ルートから潜入し、
内部から制御室へアクセスすれば……正面ゲートを開放できます」
「馬鹿な!」
カレンが声を荒らげる。
「中は敵だらけだぞ!? 魔法も使えない生身のお前たちだけで潜入するなど……死にに行くようなものだ!」
「……分かっています」
ソラが、震える手を隠すように握りしめ、それでも顔を上げた。
「でも、私たちにしかできないことです」
「しずく様たちが……魔法少女の皆さんが命懸けで戦うなら、私たちだって!」
ミカも叫ぶ。
彼女たちの目には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
かつて守られるだけだった少女たちの、決死の志願。
「……っ」
しずくは唇を噛み締め、ギルベルトを見た。
ギルベルトはしばらく三人を睨みつけていたが、やがて深く息を吐いた。
「……分かった。許可する」
「ギルベルトさん!?」
「その代わり……死ぬなよ。必ず生きて扉を開けろ」
「はいッ!!」
三人が敬礼する。
「よし……では、それを元に作戦を――」
ギルベルトが号令をかけようとした、その時だった。
バッ!
指揮官用テントの幕が、慌ただしく開かれた。
「報告します! クラウディア様が、目を覚まされました!」
「ッ! 隊長!」
誰よりも早く反応したのは、フレデリカだった。
彼女は会議の途中であることも忘れ、弾かれたようにテントを飛び出した。
「フレデリカ!」
リサたちも、慌ててその後を追う。
医療テントの前。フレデリカは勢いよく幕を跳ね上げ、中へと飛び込んだ。
「クラウディア様! ご無事ですか!」
「……」
簡易ベッドの上で、クラウディアは身を起こしていた。
フレデリカは駆け寄り、その無事な左手を握りしめる。
「よかった……! 本当によかったです……!
もう二度と指揮を執れないのではないかと……」
遅れて入ってきたリサ、しずく、ギルベルトたちも、その姿に安堵の息をつく。
「よう、お目覚めか。心配かけさせやがって」
リサが努めて明るく声をかける。
「いいタイミングで起きたな。ちょうど作戦が決まったところだ。
夜明けと共に、ユナイトアークへ攻め込む。お前の力が必要だ。
片腕でも、お前ならやれるだろ? 一緒に来い」
当然、乗ってくると思っていた。
「愚問だ」と鼻で笑って、すぐに戦列に復帰すると思っていた。
フレデリカも、期待に満ちた目で主を見つめる。
だが。
「……嫌だ」
クラウディアは、フレデリカの手を振り払うようにして、膝を抱えた。
「……え?」
「勝てない……。勝てるわけがない……」
彼女の体が震え始める。
その瞳は虚ろで、焦点が定まっていない。
かつての鋭い眼光は消え失せ、ただの抜け殻のようだった。
「あの方は……セラフィナ様は、神だ。
私の信じた正義も、捧げた忠誠も、すべてはあの御方の掌の上だった……。
人類を守る? 正義を執行する? ……滑稽だ。
私たちはただの、餌だったんだ……」
「クラウディア様……? 何を仰っているのですか?」
フレデリカの声が震える。
「私は馬鹿だったんだ。偽物の神を崇め、仲間を傷つけ……。
私にはもう、剣を握る資格なんてない……。戦う理由も、何もないんだ……」
「おい、しっかりしろよ! らしくねぇぞ!」
リサが肩を掴もうとするが、クラウディアは怯えるように身を縮めるだけだった。
そのあまりの凋落ぶりに、誰もが言葉を失う。
その時だった。
バシィッ!!
乾いた音がテントに響いた。
「――ッ!?」
クラウディアの頬が赤く腫れ上がる。
殴ったのは、誰あろうフレデリカだった。
彼女は震える手でクラウディアの胸倉を掴み上げ、涙ながらに叫んだ。
「ふざけるなぁぁぁッ!!」
「……フレデリカ?」
「何ですか、その無様な姿は!
資格がない? 理由がない?
そんな惨めな言い訳を聞くために、私はあなたについてきたんじゃない!!」
フレデリカの結い上げた青髪が乱れる。
「私は……! 私は、誰よりも気高く! 誰よりも厳しく!
先頭に立って私たちを導いてくれた、
最強の剣士№4 クラウディア・フォン・ノルデンを尊敬していたんだ!!」
フレデリカの悲痛な叫びが、クラウディアの虚ろな心に突き刺さる。
「右腕がないなら、左腕があるでしょう! 剣があるでしょう!
心が折れたくらいで……部下を見捨てて、ここで腐り落ちるつもりですかッ!!」
「…………」
クラウディアは、何も言い返さなかった。
ただ、力なく視線を逸らし、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……すまない」
「ッ……!!」
フレデリカの手から力が抜ける。
彼女は失望と軽蔑の混じった目で、かつての上司を突き放した。
「……もういいです」
フレデリカは冷たく言い放ち、踵を返した。
「私が、隊を率います。
あなたはそこで……一生、自分の惨めさを嘆いていればいい」
「フレデリカさん……」
しずくが声をかけようとするが、彼女は止まらなかった。
テントを出て行くその背中は怒りで震えていたが、二度と振り返らなかった。
残されたのは、うなだれるクラウディアだけ。
「……行くぞ」
リサが歯を食いしばって言った。
「今のあいつを連れて行っても、足手まといになるだけだ」
「でも、リサさん……」
「……クラウディア。
ここで腐るか、這い上がってくるか……お前次第だ」
リサはそう言い残し、テントを出た。
しずくも、何度も振り返りながら、その後を追う。
一人残された医療テント。
クラウディアは、動かない右腕の断面を握りしめ、
暗い闇の中で一人、うずくまり続けていた。
「……私は…………」
彼女の時間は、まだ止まったままだった。
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