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第1話
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シャンデリアの煌めきが、これほどまでに鬱陶しいと感じたことがあっただろうか。王宮の大広間で数百の貴族たちの視線が、針のように公爵令嬢レティア・アルドリッヒに突き刺さっている。
「レティア! 貴様のような性根の腐った女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
張り上げた声が裏返っている。目の前に立つのは、我が国の第一王子カイル・エヴァンズ。金髪碧眼で絵に描いたような王子様だが、今はその整った顔を怒りで歪め、まるで親の仇でも見るかのような目で私を睨みつけていた。
そして、彼の腕にへばりついているのは、ピンクブロンドのゆるふわ髪が特徴的な男爵令嬢のセラフィ。彼女は小動物のように震えながら、上目遣いで周囲の同情を誘っている。
「……殿下。今の御言葉、正気でいらっしゃいますか?」
私の声は驚くほど冷静だった。いや、冷徹と言ってもいい。扇子をゆっくりと閉じカイル王子を直視する。その所作一つとっても、王妃教育で叩き込まれた完璧な令嬢としての仮面は微塵も揺らいでいない。
「はっ! あくまでシラを切るつもりか! セラフィへの陰湿な嫌がらせ、教科書の隠蔽、階段からの突き落とし未遂……数々の悪行、調べはついているのだ!」
「怖い……レティア様、どうしてあんな酷いことを……」
セラフィが涙を浮かべると、周囲の貴族たちからヒソヒソ話が漏れ聞こえてくる。
「なんて可憐な」
「レティア様も酷いことを」
「やはり氷の令嬢は心まで冷たいのか」
――ああ、面倒くさい。その瞬間、私の脳内で何かが弾けた。パチン、と糸が切れるような音と共に、濁流のような記憶が奔流となって意識を飲み込んでいく。
(……あ、これ、知ってる。この光景、見たことある)
ビル群の明かりと終わらない残業。疲れ果てて帰ってから孤独にコンビニの冷めた弁当。そして、過労による心不全で倒れた瞬間の無念。そうだ。私はかつて日本という国で、システムエンジニアとして働いていた。三十歳目前、彼氏なし、趣味は週末にプレイする乙女ゲーム。そして今、目の前で繰り広げられているこの茶番は、私が死ぬ直前にプレイしていた乙女ゲーム『エンペリアル・エモーション ~薔薇と剣の交響詩~』の断罪イベントそのものではないか!
私はレティア。高位貴族の娘として生まれ、高い魔力と美貌を持ちながらヒロインを虐める悪役令嬢。ゲームのシナリオ通りなら、この後私は『国外追放』か『修道院送り』、最悪の場合は『処刑』される運命にある。
普通なら絶望する場面だ。顔面蒼白になり地面に膝をつき、「違います!」と泣き叫ぶのが正解なのかもしれない。
(……待って。婚約破棄ってことは、まさか……)
私の脳内コンピュータが高速で計算を始める。婚約破棄=次期王妃という立場からの解放。国外追放=しがらみだらけの貴族社会からの脱出。つまり?
(王妃教育という名の毎朝五時起きの激務、クソ真面目な顔して行われる不毛なお茶会、予算配分に頭を悩ませる公務……これら全てから、解放されるってこと!?)
ヤッターーーー!! 心の中で盛大なファンファーレが鳴り響いた。前世の私がガッツポーズをし、今の私が打ち震える。誰も気づいていない。私が扇子で口元を隠しているのは、ショックを受けているからではない。油断するとニヤけそうになる口角を、必死に抑え込んでいるからだということに!
落ち着け私。ここで笑い出したら単なる不審者だ。まずは、この状況を最大限に利用しなければならない。ただ追放されるだけでは癪だ。前世の社畜根性が囁く。退職するなら有給消化と未払い残業代の請求、そして引継ぎの放棄を忘れるなと。
「……殿下」
私は一歩前に進み出た。コツン、とヒールの音が静まり返った広間に響く。背筋を伸ばし顎を少しだけ上げる。その堂々たる姿に、カイル王子が一瞬怯んだように後ずさった。
「貴方が仰る悪行についてですが、いくつか確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「な、何を今更……!」
「まず、セラフィ様の教科書を隠した件。あの日、私は王宮の図書館で財務報告書の作成をしておりました。その記録は入館名簿と、立ち会った司書官の証言で証明できます」
「なっ……」
「次に、階段からの突き落とし未遂。あの日時は、殿下の代理として隣国の大使をもてなす茶会を主催しておりました。百名以上の目撃者がおりますが、彼ら全員が嘘をついていると?」
「そ、それは……」
「最後に、いじめの件。……殿下、正直に申し上げまして、私にはそのような暇はございません」
私は冷ややかに言い放った。会場の空気が変わる。先ほどまで私を非難していた貴族たちが顔を見合わせ始めた。私の言葉には感情論ではなく圧倒的な事実の重みがあったからだ。
「私は十歳の頃より、次期王妃として誰よりも厳しく教育を受けてまいりました。殿下が剣術の稽古をサボって街へ抜け出している間も、私は経済学を学び。殿下がシルヴィア様と花畑で戯れている間も、私は領地の治水工事の計画書を精査しておりました」
私は、また一歩と近づくとカイル王子の顔色が青ざめていく。
「いじめる暇があるなら、私は寝たいのです。殿下が積み残した公務を片付けるために、私がどれだけの睡眠時間を削ってきたか、ご存じないとは言わせませんわ」
これは、半分はレティアとしての憤り、もう半分は前世の社畜としての魂の叫びだった。無能な上司(王子)の尻拭いをさせられる部下(婚約者)。その構造に私はもう我慢ならなかったのだ。
「ぐ、ぐぬぬ……! 屁理屈を! お前のそういう可愛げのないところが気に入らないのだ! セラフィを見ろ! 彼女は純粋で、優しくて、俺を癒してくれる!」
カイル王子が叫ぶ。ああ、やっぱりそこか。彼は劣等感を感じていたのだ。私という何でもできる婚約者に引け目を感じ、何も考えずに「すごいすごーい!」と褒めてくれるセラフィに逃げた。典型的なダメ男のパターンである。
「レティア! 貴様のような性根の腐った女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
張り上げた声が裏返っている。目の前に立つのは、我が国の第一王子カイル・エヴァンズ。金髪碧眼で絵に描いたような王子様だが、今はその整った顔を怒りで歪め、まるで親の仇でも見るかのような目で私を睨みつけていた。
そして、彼の腕にへばりついているのは、ピンクブロンドのゆるふわ髪が特徴的な男爵令嬢のセラフィ。彼女は小動物のように震えながら、上目遣いで周囲の同情を誘っている。
「……殿下。今の御言葉、正気でいらっしゃいますか?」
私の声は驚くほど冷静だった。いや、冷徹と言ってもいい。扇子をゆっくりと閉じカイル王子を直視する。その所作一つとっても、王妃教育で叩き込まれた完璧な令嬢としての仮面は微塵も揺らいでいない。
「はっ! あくまでシラを切るつもりか! セラフィへの陰湿な嫌がらせ、教科書の隠蔽、階段からの突き落とし未遂……数々の悪行、調べはついているのだ!」
「怖い……レティア様、どうしてあんな酷いことを……」
セラフィが涙を浮かべると、周囲の貴族たちからヒソヒソ話が漏れ聞こえてくる。
「なんて可憐な」
「レティア様も酷いことを」
「やはり氷の令嬢は心まで冷たいのか」
――ああ、面倒くさい。その瞬間、私の脳内で何かが弾けた。パチン、と糸が切れるような音と共に、濁流のような記憶が奔流となって意識を飲み込んでいく。
(……あ、これ、知ってる。この光景、見たことある)
ビル群の明かりと終わらない残業。疲れ果てて帰ってから孤独にコンビニの冷めた弁当。そして、過労による心不全で倒れた瞬間の無念。そうだ。私はかつて日本という国で、システムエンジニアとして働いていた。三十歳目前、彼氏なし、趣味は週末にプレイする乙女ゲーム。そして今、目の前で繰り広げられているこの茶番は、私が死ぬ直前にプレイしていた乙女ゲーム『エンペリアル・エモーション ~薔薇と剣の交響詩~』の断罪イベントそのものではないか!
私はレティア。高位貴族の娘として生まれ、高い魔力と美貌を持ちながらヒロインを虐める悪役令嬢。ゲームのシナリオ通りなら、この後私は『国外追放』か『修道院送り』、最悪の場合は『処刑』される運命にある。
普通なら絶望する場面だ。顔面蒼白になり地面に膝をつき、「違います!」と泣き叫ぶのが正解なのかもしれない。
(……待って。婚約破棄ってことは、まさか……)
私の脳内コンピュータが高速で計算を始める。婚約破棄=次期王妃という立場からの解放。国外追放=しがらみだらけの貴族社会からの脱出。つまり?
(王妃教育という名の毎朝五時起きの激務、クソ真面目な顔して行われる不毛なお茶会、予算配分に頭を悩ませる公務……これら全てから、解放されるってこと!?)
ヤッターーーー!! 心の中で盛大なファンファーレが鳴り響いた。前世の私がガッツポーズをし、今の私が打ち震える。誰も気づいていない。私が扇子で口元を隠しているのは、ショックを受けているからではない。油断するとニヤけそうになる口角を、必死に抑え込んでいるからだということに!
落ち着け私。ここで笑い出したら単なる不審者だ。まずは、この状況を最大限に利用しなければならない。ただ追放されるだけでは癪だ。前世の社畜根性が囁く。退職するなら有給消化と未払い残業代の請求、そして引継ぎの放棄を忘れるなと。
「……殿下」
私は一歩前に進み出た。コツン、とヒールの音が静まり返った広間に響く。背筋を伸ばし顎を少しだけ上げる。その堂々たる姿に、カイル王子が一瞬怯んだように後ずさった。
「貴方が仰る悪行についてですが、いくつか確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「な、何を今更……!」
「まず、セラフィ様の教科書を隠した件。あの日、私は王宮の図書館で財務報告書の作成をしておりました。その記録は入館名簿と、立ち会った司書官の証言で証明できます」
「なっ……」
「次に、階段からの突き落とし未遂。あの日時は、殿下の代理として隣国の大使をもてなす茶会を主催しておりました。百名以上の目撃者がおりますが、彼ら全員が嘘をついていると?」
「そ、それは……」
「最後に、いじめの件。……殿下、正直に申し上げまして、私にはそのような暇はございません」
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私は、また一歩と近づくとカイル王子の顔色が青ざめていく。
「いじめる暇があるなら、私は寝たいのです。殿下が積み残した公務を片付けるために、私がどれだけの睡眠時間を削ってきたか、ご存じないとは言わせませんわ」
これは、半分はレティアとしての憤り、もう半分は前世の社畜としての魂の叫びだった。無能な上司(王子)の尻拭いをさせられる部下(婚約者)。その構造に私はもう我慢ならなかったのだ。
「ぐ、ぐぬぬ……! 屁理屈を! お前のそういう可愛げのないところが気に入らないのだ! セラフィを見ろ! 彼女は純粋で、優しくて、俺を癒してくれる!」
カイル王子が叫ぶ。ああ、やっぱりそこか。彼は劣等感を感じていたのだ。私という何でもできる婚約者に引け目を感じ、何も考えずに「すごいすごーい!」と褒めてくれるセラフィに逃げた。典型的なダメ男のパターンである。
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