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第20話

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(に、逃げなくちゃっ……)

 とっさにそんな考えが頭をよぎる。
 ハンドルを握る手元はカチカチと震え、足は抜け落ちてしまったかのようにまるで力が入らなかった。

 けど、一度息を吸い込んで冷静になる。

 あの素早い身のこなし……たしか素早さは相手の方が4倍近く上だ。
 ここでおかしな動きをしたら最後、《フリーズウォーター》を放たれて氷瀑の餌食になるのは間違いない。

 とてもじゃないけど、こっちが《ファイヤーボウル》を8回も詠唱している余裕なんてなかった。

(どうすれば……何か手は……)

 その時、ふとあることを思い付く。

(そうだ! 《瞬間移動テレポート》を習得して脱出すればいいじゃないか!)

 今日中に【グラキエス氷窟】をクリアしなくちゃいけないって考えが一瞬過るも、死んだら元も子もない。
 一度態勢を整えてから、改めて今日ダンジョンに入ってもいいんだから。

 すぐに片手で水晶ディスプレイを弾いて、サポート系の【無属性魔法】一覧を表示する。
 でも……。 

-----------------

◆瞬間移動/消費LP20
内容:パーティーを地上へと帰還させる
詠唱時間0秒
消費MP0

環境適応コンバート/消費LP50
内容:自分をダンジョンの環境に適応させる
詠唱時間0秒
消費MP0

-----------------

(ダメだ、LPが足りない……!)

 現在のLPは18。《瞬間移動》を習得するにはあとLPが3も必要だった。

 そんな風に迷っているうちに、ビッグデスアントは確実にこちらへ狙いを定めつつあった。
 幾度となく冒険者シーカーによって討伐されてきたんだろう。相手の警戒心はとても強い。

 でも、僕が何も仕掛けてこない――いや、仕掛けられないってことが分かったのか。
 粘液混じりのどす黒い牙をガバッと開けると、こちらを威嚇するように甲高い声を上げる。

「ギュギャアアアッッ!」

 その時、僕は目を疑った。

「!」

 ビッグデスアントの足元に、再び魔法陣が浮かび上がっていたからだ。

 殺されるッ……と。
 はっきり、その瞬間分かった。

 すべてがスローモーションのように映る。

 ビッグデスアントの全身が青く輝き、改めて《フリーズウォーター》を放ってこようとしているのが分かっても、僕の足は動くことはなかった。
 このまま殺されるんだって、ある種の悟りのような感情が降ってきたためかもしれない。

(ごめんノエル……。僕、約束守れそうにないよ……)

 まるで、走馬灯のようにノエルと過ごした日々が甦ってくる。
 結局、僕はノエルにずっと辛い思いをさせてきただけで、救うことができなかったんだ。

 〝だって、お兄ちゃんは最強だし、すぐに有名なタイクーンになるって!〟

(っっ!?)

 突然、頭の中に今朝のノエルの言葉がフラッシュバックする。

(……タイクーンになる……?)

 ふと、開きっぱなしとなっていた水晶ディスプレイに目が向く。
 久しく忘れていた<バフトリガー>が、OFFのままとなっていることに気付いた。

 そして、すぐにハッとする。

(そうだよ! 今は、僕がこのパーティー【叛逆の渡り鳥バードオブリベリオン】のタイクーンじゃないか!)

 なんで今までそんな当たり前のことに気付かなかったのか。

 これまではずっと自分に関係のないものと思って、<バフトリガー>の存在をすっかり忘れてしまっていたけど……そうじゃない!

(このスキルは、僕にとって必要なものなんだ!)

「ギュギャアアアッッ!」

 詠唱時間が過ぎたのか、ビッグデスアントは再び《フリーズウォーター》を撃ち込んでくる。
 でも、僕は構わずに水晶ディスプレイの操作を続けた。

 次の刹那。

 ものすごい勢いの氷瀑が全身を飲み込むように襲いかかってきて……。
 
 ――けど、ほんの数秒。
 水晶ディスプレイを弾く僕の指先の方が早かった。

 シュドーン!!

「ぐ、うッ……」

 《フリーズウォーター》が僕の体に直撃する。
 これまでの通りなら、即死していたところだけど……。

「ギュギャアアア~~ッ!」

 ビッグデスアントは、6つの長い手足を上下に暴れさせながら、鋭い雄叫びを上げる。
 僕がまったく無傷なことに驚いているようだ。

 そう。
 僕の体は《フリーズウォーター》の直撃を受けたにもかかわらず、傷1つなかった。

 『<バフトリガー>をONにしました』

 水晶ディスプレイには、アナウンス画面がそのように表示されている。
 どうやら間一髪のところで、<バフトリガー>を切り替えることに成功したらしい。

「い、生きてる……?」

 が、驚くのはまだ早かった。

 ドックンッッ!!

(――ッ!?)

 痺れるような衝撃が駆け抜けたかと思うと、全身からものすごい力が溢れ出てくる。
 そして、映し出された自分のステータスを見て、僕は驚愕した。

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[ナード]
LP18
HP9/150
MP14/130
攻106(+10)
防106(+5)
魔攻106
魔防106
素早さ106
幸運110
ユニークスキル:
<アブソープション【スロットβ】>
<バフトリガー【ON】>
属性魔法:《ファイヤーボウル》
無属性魔法:
攻撃系スキル:<片手剣術>
補助系スキル:《分析アナライズ》《投紋キャスティング
武器:獣牙の短剣
防具:毛皮の服
アイテム:
マジックポーション×1、水晶ジェム×12
魔獣の卵×1
貴重品:ビーナスのしずく×1
所持金:0アロー
所属パーティー:叛逆の渡り鳥
討伐数:E級魔獣80体
状態:ランダム状態上昇<物理攻撃10倍ダメージ>

-----------------

「えっ、ちょ……ちょっと待って……。なに、これ……?」

 パラメーターが全部+100になってるんですけどッ!?
 
 意味が分からず、目をこすってもう一度見てみるけど、その内容は変わっていない。
 これは一体……。

「ギュギャアアアッッ!」

 この状況に痺れを切らしたのか。
 ビッグデスアントは全身の毛を激しく逆立てながら、今度はものすごい勢いでこちら目がけて突進してくる。

 これまでの僕なら、逃げ遅れてビッグデスアントの毒牙にかかっていたはず……。
 でも、今の僕には敵の動きが手に取るように分かった。

 シュッ!

 ビッグデスアントの体当たりをいとも簡単に回避してしまう。

「ギュギャアアア~~ッッ!」

 完全に仕留めたものと思ったんだろう。
 ビッグデスアントは、苛立つように長い手足を暴れさせながら、凍結した氷面をバリンッバリンッと激しく踏みつける。

 相手を翻弄するような形で攻撃を回避したんだ。
 これで、水晶ディスプレイに表示された内容に疑いはなかった。本当にすべてのパラメーターが+100になったんだ!

 さらにもう1つ、目を引く項目があることに気が付く。

(ランダム状態上昇?)

 それを見て、最初に<バフトリガー>の性能を確認した時のことを思い出した。
 たしかに〝【状態】をランダムに上昇させる〟って表示されていたけど……。

(にしても、<物理攻撃10倍ダメージ>って……ちょっとエグすぎない?)

 けど、今のこの状況でこれほど頼りになるバフもなかった。
 これなら間違いなく勝てる!

 ビッグデスアントは、もう一度足元に魔法陣を作り、《フリーズウォーター》を発動させようとしていた。
 その一瞬の隙に、水晶ディスプレイを弾いて<片手剣術>一覧を表示させる。

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◆初級技-ソードブレイク/消費LP10
内容:敵1体に物理攻撃(小)を与える
威力60ダメージ
消費MP4

◆中級技-鷹回剣ようかいけん/消費LP50
内容:敵1体に物理攻撃(中)を与える
威力220ダメージ
消費MP12

◆上級技-グラビティサザンクロス/消費LP100
内容:敵1体に物理攻撃(大)を与える
威力700ダメージ
消費MP36

-----------------

 迷っているヒマはない!
 僕はすぐさま《ソードブレイク》の項目をタップする。

 『LP10を消費して《ソードブレイク》を習得します。よろしいですか(Y/N)?』

 そのアナウンスに対して(Y)を選択しようとしたところで

 シュドーン!!

「っぐ!」

 またも《フリーズウォーター》の直撃を受けてしまう。
 ……が、やはり僕の体に傷がつくことはなかった。

 『《ソードブレイク》を習得しました』

 (Y)を選択した瞬間、そのようにアナウンス画面が表示される。

「ギュギャアアア、ギュギャアアア~~ッッ!」

 これまでと違い、 ビッグデスアントにも焦りが見え始めた。

 赤くただれた4つ目をぐるんぐるんと激しく回転させると、黒くとがった牙をガバッを広げて、粘液をまき散らしながら突進してくる。

 だが、もう遅いッ……!

 ビーナスのしずくから手を離すと、僕は獣牙の短剣のハンドルに力を込めて、向かってくるビッグデスアントに照準を定めた。

「悪いけどこれで終わりにさせてもらうよ! 片手剣術初級技――《ソードブレイク》!」

 ズオッビシュパンンンッッーーー!!

 短剣を振り抜いた瞬間。

 閃光が氷面を叩き割って一直線にのびていき、ビッグデスアントは悲鳴を上げる間もなく、一瞬のうちにして真っ二つに引き裂かれた。

 ドスンッ!!

 巨大な亡骸が大きな音を響かせながら氷面に落ちるのを確認すると、ようやく緊張感がほぐれる。

 そのままぺたりと僕は座り込んでしまった。

「……や、やった……勝ったんだ」

 見れば、ビッグデスアントの残骸の近くには、キラキラと光り輝く石が転がっていた。

「魔光石!」

 それを拾うと、ようやく実感が湧いてくる。
 本当に自分の力だけでボス魔獣を倒しちゃったんだ!

 これまでの鬱屈した日々の葛藤が、すべて嬉しさで洗い流されていくみたいだった。
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