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第六話
しおりを挟む他人がどうだったかまではわからないが、俺の身の上には、成長期というか、変声期というものが、二回起きた。最初の一回目は普通に小学校を卒業した頃。この時は声も上背も平均以下の成長しか見せず、同級生の中でも割りあい甲高い声のままでいれた。俺はそれ以前同様、全力で友達とじゃれ合っていた。一方で、高校に入学してからしばらくして訪れた二回目の成長期は、俺に劇的な変化をもたらした。身長がぐんと伸びて、声も見違えて低くなった。
声変わりが始まると、喉仏が急にせり出してくる感覚があり、首元が苦しくて仕方がなかった。声の変化は、自分の身体の成長そのものであって、嫌ではなかった。むしろ、誇らしいような気持ちすらあった。しかし、それはあくまでも自分に関する変化であって、自分の声が他人に与える影響というものまでは、考えが至っていなかった。
俺の声は完全に周りから浮くほどに低く、太くなっていた。ふとした一言で思いがけず教室の空気を凍らせてしまう。そんなことが、しばしば起きた。俺は、それまでの過激な発言や下品な物言いを徹底的に改めようと心に決めた。心に決めはしたのだが、どうすればいいのかまではわかっていなかった。とりあえず、俺はそれまでの自分に比べたら、格段に物静かな男子に変化していった。語彙を増やす助けになればと、本を読むようにもなった。何かいらつくことがあっても、怒りをあらわにしない。自分の主義と合わない人がいても、感情的にならない。とにかく、俺は、俺自身の声と、凶暴性とまで言ってしまうと大げさになってしまうが、なるべく攻撃的な感情を持つこと自体を、押さえつけることに慣れていった。
中学生の時に、剣道と出会った。剣道をしている間だけは、何も押さえつけずにいられた。俺の腕前など、技術だけだったら中の下がいいところだったろう。それを、気迫と大声で圧倒して、相手の隙を突く。こういうのが果たしてスポーツマンシップの則っているのはかどうかは疑問だが、剣道なんかを教えているような古臭い指導者たちには、やはり受けがよかった。戦績からしてみるとあまり妥当ではなかったのだが、強豪校だった高校時代にはレギュラーに抜擢されて、大会にもいくつも出場した。推薦で進んだ大学の四年間も剣道に明け暮れ、最後にはとうとう副部長にまでなった。
同期や後輩たちは、そんな俺に活躍の機会を奪われてもいただろうに、なぜだか俺を慕ってくれた。自分で言うのもなんだが、これは俺の人柄がなせる業だろう。ただし、それは俺が成長の過程で、やむを得ず身に着けた、仮の人格のみを目にしているからであって、彼らは俺の本当の激情を知らない。もっとも、俺自身そんなものには長らくお目にかかっていないので、これを露わにした時に何が起こるのか。俺にも知る由がなかった。
あきらの告白を受け、みんなが集まっているはずの休憩室に突進している間中、俺は完全に何もかもがどうにでもなれと思っていた。俺は足音荒く、肩で風を切って、決戦の場に向かう戦士の心境だった。あきらが後ろから慌てて「ちょ、ちょっと!」と追いかけてきたが、取り合わなかった。
「本気で待ってくださいよ!一旦ちょっと落ち着きましょ?俺はこんな解決の仕方望んでないんですって!!」
あきらが俺の前に滑り込んだ。両手で胸を突かれるような形になったので、一旦足を止める。
「俺はただ先輩に話を聞いて欲しかっただけで、こんな大ごとにしたかったわけじゃないんですよ。お願いですから、考え直しませんか?」
あきらの声を聞いているうちに、わずかに怒りがほどけかかったような気もしたが、荒い呼吸で上下している肩を見つめているうちに、なぜだかまた勢いを増した。
「……どけ」
俺はその肩を両手で掴んで、壁の方へそっと押しやった。ちょうど想像していたくらいの軽い感触が手に残る。俺が勢いよく叩きつけるように扉を開けると、あっけに取られた顔をした拓夢たちがこちらを見上げていた。
「おい、お前ら!」
俺は胸を目いっぱいに震わせて、本当に久しぶりに、全力で吠えた。喉を通る息は炎のように熱かった。俺は、俺の剝き出しの激情をぶつけられた人間が見せる怯えの表情を目の当たりにして、瞬く間に後悔の念に駆られたものの、同時にそれを上回る快感を感じたのも事実だった。
「先輩!ちょっと落ち着いてくださいよ!」
あきらが俺の腕を掴んで、引っ張った。しかし、その手を振り払うとあきらはよろけて尻餅をつく。
「なんですか、いきなり!」
「なんですかじゃない、邪魔しようとするな!ふざけるんじゃないぞ、お前ら!!」
俺はあきらの言葉を無視して、目の前にいた拓夢の胸ぐらを掴んだ。
「あきらはお前らのおもちゃじゃないんだぞ!」
そのまま壁に押し付けると、俺は拳を握って振り上げた。しかし、それはあきらによって阻まれてしまう。
「カヅさんごめん!こんな怒ると思ってなかった!」
相変わらず勘のいい拓夢は、瞬時に察したのだろう。謝りながら俺に抱き着いてきた。
「あきらなら似合いそうだな、やってくれたらいいな、くらいの軽い気持ちで言っちゃった!」
「軽い気持ち……」俺はまだ振り上げた拳を戻すことができず、それを睨みつけてはいたが、呼吸を一つ二つする間にほんの少しだけ冷静さを取り戻すことができた。周りを見渡すと、床にへたり込んだアルバイトが二人と、俺の片腕を引いているあきらの姿。息をつめて、目を見開いているその顔を見ていたら、首筋から怒りが抜けていってしまうのを感じた。そして次に息を吐きだしたときには、すっかりいつも通りの気分に戻ってしまっていた。
「軽い気持ちって、言われた方はそうは受け取らないこともあるんだからな。二度とやるなよ」
あれだけ取り乱した様子を晒してしまった以上、本来は俺が説教できる立場なんかにいられないのだが、今、みんなはそれを承知で俺の言葉を聞いてくれている。休憩室の空気が弛緩していくのを感じる。あきらも、二人のバイトもほっとした顔をしていたし、拓夢に至っては「わかりました!すみませんでした!」と隙あらば俺に抱き着こうとしてくる。
「やめろバカ、そういうのいらん」俺は彼の額に手刀を落としながらそう言った。
「それと、謝るなら、俺じゃない」
あきらの方へ振り返りながら、続けた。
「彼女の方に、きちんと謝罪しろ」
「彼女……?」
拓夢がきょとんとした顔をして言った。俺は取り返しのつかない過ちを犯したことに気付いた。血の気が一気に引き、視界が白く明けていく。おそるおそるあきらの方を振り返ってみると、あきらも真っ青な顔色をしたまま、吐き気でもこらえているのだろうか、両手で口を押さえていた。
「彼女?」
バイトの一人が呟いて、みんな一斉に俺の視線を追った。そしてそれはあきらの立ち姿に突き当たる。部屋の全員の視線があきらに集まり、次に俺のところに戻ってくる。
「どういう、ことっすか?」
拓夢がおずおずと口にした瞬間、あきらは弾かれたように部屋を飛び出した。俺はどうすればいいか見当もつかず、しかし、あきらが自分の目の前を横切ろうとした瞬間、反射的にその手をつかもうとしてしまった。しかし、それがむなしく空を切った時、やはりどうしていいかわからないままでで、無我夢中で追いかけ始めていた。
無理に追いかけたりしないほうがいいんじゃないか?頭の片隅で、誰かが忠告してくれている。きっと、それは正しい。ただ、このところ、俺の心は、正しくない選択肢ばかり選ぶよう、命じてくるのが、当たり前となっていたのだった。
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