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本編‐4
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約束の場所は、かつて二人がいた孤児院に似ていた。
海風に晒され、骨組みだけが剥き出しになった建設途中の廃ビル。灰色のコンクリートは湿り、足元には粉砕されたガラスの破片が星のように散らばっている。
アオは、最上階の影に身を潜めていた。
三日間、一睡もしていない。組織の追っ手を数人仕留めたが、その返り血を拭う余裕もなかった。アオの自慢だった青い瞳は、充血し、狂気的な鋭さを帯びている。
(エル、早く来て。早く、僕を殺して……)
その時、階下で車の停まる音がした。
アオは息を殺し、ナイフの柄を握りしめる。階段を上ってくる足音は複数だ。一つは聞き覚えのある、エルの軽やかな足取り。だが、その後ろから重く、軍靴のような音が続く。
影から覗いたアオの視界に、エルが入ってきた。
その背後には、エルの組織の「監視役」たちが三人、銃を構えて付き従っている。エルは無表情だった。その瞳には、かつての慈愛の欠片も見当たらない。
「そこにいるのは分かっている、アオ。出てこい」
エルの声が、冷たくコンクリートに反響した。アオは胸の鼓動を抑えながら、ゆっくりと姿を現す。
エルの顔を見た瞬間、アオの心に安堵が広がりかけた。だが、エルの放った次の一言が、その希望を粉々に砕く。
「……随分と無様な姿だな。組織を裏切り、ネズミのように逃げ回った末路がこれか」
エルはそう言うと、腰の銃を引き抜き、躊躇なくアオに向けた。
エルの背後の監視役たちが、ニヤリと卑俗な笑みを浮かべる。
「エリオット、早く終わらせてくれよな。こっちはその裏切り者の首を組織に持ち帰らなきゃいけないんだ」
アオの頭の中で、何かが音を立てて崩れた。
(……首を持ち帰る?)
(エル、嘘だよね? あの薬は? あの約束は?)
熱のない瞳がアオを捉える。
「アオ、最後にお前に教えてやる。愛なんてものは、地獄で生き残るためのただの道具だ」
エルが引き金に指をかける。
その瞬間、エルの瞳が一瞬だけ、アオの背後の「監視役」を射抜くように動いた。それは監視役を油断させ、隙を見てアオに薬を飲ませ、自分一人で盾になるための「合図」だった。
だが、限界を超えていたアオに、その繊細な意図を汲み取る余裕はない。
アオの目には、ただ自分に向けて冷徹に引き金を引こうとする「裏切り者の神」しか映っていなかった。
「あぁ……あああああ!!」
銃声が響くのと、アオが地を蹴るのは同時だった。
エルの放った弾丸は、あえてアオの肩を掠めるように計算されていた。しかし、殺意に染まったアオの突進を止めることはできなかった。
「エル、お前も僕を捨てるのか!!」
絶叫。
アオはエルの懐に飛び込み、渾身の力でナイフを突き立てた。
鋭利な刃が、エルの白い喉元を深く、深く切り裂く。
ドサリ、という重い音が響いた。
エルの手から銃がこぼれ落ちる。監視役たちが呆気にとられて動きを止める中、アオはエルの体を押さえつけたまま、返り血を浴びて激しく喘いでいた。
「はっ、はは……。エル、これで、一緒だ……お前に、僕を捨てさせない……」
アオが狂ったように笑いながら、エルの首から溢れ出す鮮血に両手で触れようとした。
だが、エルの胸元から転がり落ちた「ある物」を見て、アオの思考が停止した。
それは、血に汚れた二冊の偽造パスポート。
そして、折り畳まれた一枚の紙だった。
震える指でその紙を開く。そこには、エルの端正な字でこう記されていた。
『アオへ。俺はここで監視役を道連れにする。お前は、裏の道にある車に乗って、そのまま国を出ろ。お前の瞳が、本当の空を見ることを、俺は地獄の底から祈っている。愛しているよ、俺のアオ。』
「…………は」
アオの喉から、空気の抜けるような音が出る。
足元に倒れるエルを見下ろす。喉を割られ、言葉を発することもできないエルは、それでも残った最後の力を振り絞り、アオの頬に手を伸ばした。
その手は、血に濡れていたが、あの日孤児院でアオに名前をくれた時と同じ、温かさを持っていた。
エルはアオの青い瞳を、愛おしそうに、あまりにも哀しく見つめ、そして微かに微笑んだ。
カチリ、と背後で複数の安全装置が外される音がした。
監視役たちが、ようやく事態を把握し、銃口をアオに向ける。
「おい……こいつエリオットを殺しやがった。……まぁいい。裏切り者同士、まとめて片付けちまえ」
アオは、背後の死神たちを振り返ることすらしなかった。
ただ、息絶えようとしているエルの体を強く、強く抱きしめた。
海風に晒され、骨組みだけが剥き出しになった建設途中の廃ビル。灰色のコンクリートは湿り、足元には粉砕されたガラスの破片が星のように散らばっている。
アオは、最上階の影に身を潜めていた。
三日間、一睡もしていない。組織の追っ手を数人仕留めたが、その返り血を拭う余裕もなかった。アオの自慢だった青い瞳は、充血し、狂気的な鋭さを帯びている。
(エル、早く来て。早く、僕を殺して……)
その時、階下で車の停まる音がした。
アオは息を殺し、ナイフの柄を握りしめる。階段を上ってくる足音は複数だ。一つは聞き覚えのある、エルの軽やかな足取り。だが、その後ろから重く、軍靴のような音が続く。
影から覗いたアオの視界に、エルが入ってきた。
その背後には、エルの組織の「監視役」たちが三人、銃を構えて付き従っている。エルは無表情だった。その瞳には、かつての慈愛の欠片も見当たらない。
「そこにいるのは分かっている、アオ。出てこい」
エルの声が、冷たくコンクリートに反響した。アオは胸の鼓動を抑えながら、ゆっくりと姿を現す。
エルの顔を見た瞬間、アオの心に安堵が広がりかけた。だが、エルの放った次の一言が、その希望を粉々に砕く。
「……随分と無様な姿だな。組織を裏切り、ネズミのように逃げ回った末路がこれか」
エルはそう言うと、腰の銃を引き抜き、躊躇なくアオに向けた。
エルの背後の監視役たちが、ニヤリと卑俗な笑みを浮かべる。
「エリオット、早く終わらせてくれよな。こっちはその裏切り者の首を組織に持ち帰らなきゃいけないんだ」
アオの頭の中で、何かが音を立てて崩れた。
(……首を持ち帰る?)
(エル、嘘だよね? あの薬は? あの約束は?)
熱のない瞳がアオを捉える。
「アオ、最後にお前に教えてやる。愛なんてものは、地獄で生き残るためのただの道具だ」
エルが引き金に指をかける。
その瞬間、エルの瞳が一瞬だけ、アオの背後の「監視役」を射抜くように動いた。それは監視役を油断させ、隙を見てアオに薬を飲ませ、自分一人で盾になるための「合図」だった。
だが、限界を超えていたアオに、その繊細な意図を汲み取る余裕はない。
アオの目には、ただ自分に向けて冷徹に引き金を引こうとする「裏切り者の神」しか映っていなかった。
「あぁ……あああああ!!」
銃声が響くのと、アオが地を蹴るのは同時だった。
エルの放った弾丸は、あえてアオの肩を掠めるように計算されていた。しかし、殺意に染まったアオの突進を止めることはできなかった。
「エル、お前も僕を捨てるのか!!」
絶叫。
アオはエルの懐に飛び込み、渾身の力でナイフを突き立てた。
鋭利な刃が、エルの白い喉元を深く、深く切り裂く。
ドサリ、という重い音が響いた。
エルの手から銃がこぼれ落ちる。監視役たちが呆気にとられて動きを止める中、アオはエルの体を押さえつけたまま、返り血を浴びて激しく喘いでいた。
「はっ、はは……。エル、これで、一緒だ……お前に、僕を捨てさせない……」
アオが狂ったように笑いながら、エルの首から溢れ出す鮮血に両手で触れようとした。
だが、エルの胸元から転がり落ちた「ある物」を見て、アオの思考が停止した。
それは、血に汚れた二冊の偽造パスポート。
そして、折り畳まれた一枚の紙だった。
震える指でその紙を開く。そこには、エルの端正な字でこう記されていた。
『アオへ。俺はここで監視役を道連れにする。お前は、裏の道にある車に乗って、そのまま国を出ろ。お前の瞳が、本当の空を見ることを、俺は地獄の底から祈っている。愛しているよ、俺のアオ。』
「…………は」
アオの喉から、空気の抜けるような音が出る。
足元に倒れるエルを見下ろす。喉を割られ、言葉を発することもできないエルは、それでも残った最後の力を振り絞り、アオの頬に手を伸ばした。
その手は、血に濡れていたが、あの日孤児院でアオに名前をくれた時と同じ、温かさを持っていた。
エルはアオの青い瞳を、愛おしそうに、あまりにも哀しく見つめ、そして微かに微笑んだ。
カチリ、と背後で複数の安全装置が外される音がした。
監視役たちが、ようやく事態を把握し、銃口をアオに向ける。
「おい……こいつエリオットを殺しやがった。……まぁいい。裏切り者同士、まとめて片付けちまえ」
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