社畜から始める櫻花荘

杠静流

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櫻花荘との出会い

第四話 無職は堪能する

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 旅館の周辺をぐるりと廻るように散策をする。櫻花荘の周辺にもピンク色に色づいた蕾をぶら下げる桜が多く植えられており、毎年多くの人が訪れる桜の名所であり、街全体が桜をプッシュしているようだった。
 長野の南側に位置するこのまちは、東を見れば南アルプス、西を望めば中央アルプスが大きくそびえ立つ。
 山々のパノラマビューはこれまた訪れた人々を癒す要素なのだろう。

 小都市の外れで住民は少なく、見渡せば多くの木々、長くうねる細長いアスファルトの傍らに点在する民家。
 生活をしようと思うとコンビニエンスストアも、スーパーマーケットも無い不便な土地だろう。
 ただ都会の喧騒に慣れてしまっている俺にとってはとても新鮮で輝いて見えていた。

 俺は立ち止まり、廃瓦斯がすにまみれて無い新鮮な空気を大きく肺に入れ、吐き出した。

 厚手のパーカーに縫い付けられたポケットをまさぐり、スマートフォンを開く。
 先に伯父から勧められた蕎麦屋の名前を地図アプリに打ち込むと、密度の低い道路の一筋をなぞるようにルートが表示された。

「到着まで三〇分もかかるじゃん!」
 周囲に人がいないため、スマートフォンに表示された到着予定時刻へ対する驚きの声を上げる。
 やはり地方ということもあり、どこへ行くにも車が必須なようだ。
 自分は免許すら持っていないため、仕方なく歩いて行くことにした。

 ◇◆◇

 普段歩くことなんてあまりなく、精々通勤時に駅までの数十分を歩く程度な俺は、高校を卒業したあたりから運動不足まっしぐら。
 普通に三〇分歩いただけなのに息が切れて、道中は何度も立ち止まって休憩を入れていた。

 気温はそこまで高くなく、建物から出た頃は少し肌寒さを感じていたが、慣れない運動をしたせいか汗がにじみ出ていた。

 眼の前には大きな駐車場を拵え、看板に大きく『信州そば』と書かれたお店があった。
「やっと着いたか……」
 リフレッシュをしに来たのにこんなに大変な思いをしてどうするんだと自分でツッコミを入れたくなるような状況だが、結果お店には着いたため、よしとしよう。
 そう自分に言い聞かせた。

 格子状に竪子たてこが組まれた引き戸を開けると、チャイムが鳴り響く。
 店内には誰もいなく、店員の足音なのか、奥の方からバタバタと音がする。

 しばらくすると「いらっしゃい」と言いながら老齢の女性店員が出てきた。
 「まだ火を入れてないからちょっとだけ時間かかるけどいいかい?」と提供に時間がかかる旨を伝えられると承諾した。
 のんびりとした所作で厨房の手前に置かれたカウンターの椅子を引くと手招きで座るように促される。
 席に座ると「はい、これお品書きね」とラミネート加工された手書きのメニューを渡される。

 多少悩んだが、ざるそばを注文すると店員は復唱確認をし、厨房へと入っていった。
 鍋に火を入れると湯が沸騰するのを待つ。

 店員は鍋の前に設置された椅子へ腰掛けてこちらへ向き口をひらく。
「おにいちゃんは見ない顔だけど観光かい?」
「まぁ、そんな感じです……」
 若干濁したような返答をしてしまった。
「そうかい、何もないところだけど楽しんでくりょ」
 方言なのだろうか、少し聞き慣れない言葉ではあったが歓迎してくれた。
「そいじゃ、あれかね?桜屋さんのとこに泊まってるんかね? なんて旅館の名前はなんて言ったかね」
 そう言いつつも女性は首をひねる。
「櫻花荘に泊まってます」
 俺は今世話になってる旅館の名前を答えた。

「そうそう!櫻花荘だ! 桜屋さんがやってる旅館」
 思っていた宿泊先で会っていたようだが、桜屋とはなんのことだろう、そう疑問に思った。
「その桜屋って何のことでしょう?」
 質問を投げかけると、はっとなにかを思い出すような表情をした。
「屋号だよ。ここらじゃみんな同じ苗字だから誰のことかわからなくなっちゃうもんでね、どこも苗字とは別に家の名前をつけるんだよ。櫻花荘をやってるのが桜屋さん」
 
 知らなかった。東京ではだいたいみんな違う苗字だから屋号なんていう概念がない。
 
 「それで、お兄ちゃんはなんだい、桜を見に来たのかい?」
 「いえ、母の地元がここで、リフレッシュにと勧められて来ました」
 「そうかい、はて、どこの子だろうね」
 「櫻花荘の主人の妹と聞いてます」
 その一言に再び店員はハッとなる。
 「桜屋の恵美ちゃんかい!ちょっと前に東京言ったかと思ったらこんな立派な息子がいたなんてねぇ」
 嬉しそうに語る彼女は母のことを知っているようだった。
 「母のことを知っているんですか?」
 「そりゃこんな田舎だからねぇ、子供ができたらみんなで育てるんだよ。あの子は優しい子だったからみんなに可愛がられてたよ。元気にしてるかね?」
 「はい、とても元気ですよ」
 「そうかい、そりゃ良かった」
 そんな会話をしていると湯が湧いたようでそばを入れる。

「そいや平日だけど仕事は大丈夫なのかい?」
 その何気ない一言に一瞬体が震えた。
「――仕事を辞めて、引きこもりになっていたところを勧められて来ました」
 その応答が意外だったのか驚いた表情をした店員は少し気まずそうにした。
「そりゃ大変だったね。若いんだからこれから頑張ればいいんだよ」
 言い終えると鍋に向き直りそばを上げると水にさらした。
 ザルに盛り付けた後つゆとともに提供される。
 冷蔵庫から何かを取り出したと思ったら「これはサービスだよ」とプリンをそばに置かれる。

 しばらく談笑しつつもそばを啜り、食べ終えると店を出た。
 帰路もまた三〇分ほどかかることを考えると少し憂鬱になった。

 スマートフォンを開きタクシーアプリを開くもエリア外で利用できないことにまた少し絶望した。
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