凄腕女鍛冶師は氷の騎士の心を溶かす〜冷酷と噂の騎士様、本性はデロ甘でした〜

ひゅっげ

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引き裂かれる距離

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 風が、工房の粗い木の扉を揺らす。
 外はまだ昼下がりだというのに、空はどこか高く澄んでいて、寂しげな雲がゆっくり流れている。─こんな風の冷たさを、私はまだ知らなかった。

 鍛治台の上には、未仕上げの短剣が無造作に転がっている。炭火で赤くなった鋼が、少しずつ灰色へと戻る光景を、私はただ見つめていた。
 ある日を境に、彼の来訪がパタリとなくなった。日々は変わらず過ぎているのに、彼だけが私の日常から忽然と消えていた。

(もう1ヶ月、来てない)
 
 火と鉄の熱気はあったかいはずなのに、胸の奥にはぽっかりと穴が開いたような寒さが広がる。


 ギィ……。
 
 ─誰か来た音がした。
 もしかしてと表へ駆けると、灰色の鎧を身にまとった若い騎士が、少し浮かせた足取りで鍛冶屋に入ってきた。

「イリヤさん……」
 
 いつの日だったか、デュランの遣いで来ていた彼は、申し訳なさそうに目を伏せ、深く一礼した。声が震えているのを、私はすぐに感じ取った。

「どうしたの? 刃の調整?」
 
 私は鍛冶槌を台に置き、手に残る炭の粉を払い落としながら問いかけた。だが彼は首を振り、唇を噛みしめるようにして言った。

「実は……デュラン殿が、辺境へ遠征に向かわれて……。イリヤさんに挨拶も出来ていないと、デュラン殿から報せを頂き、今日はその知らせに来ました」

 彼の声は消え入りそうだった。工房に満ちていた金属の匂いが、一瞬で冷たく澱んだ空気に変わる。
 ただの遠征なら、彼がこんな表情をするはずがない。ふと心当たりがあって、近くの朝刊を手繰り寄せる。一面には、隣国バロウ皇国との和平調停が決裂したことを取り上げていた。

「辺境……」
 
 私は思わずつぶやき、自分の声に驚いた。喉がカラリと乾いて、言葉が続かない。刃を抱きかかえるように抱えていた腕が、無意識にぎゅっと力を込める。

「皇国との国境です。……間も無く帝国中の新聞が取り上げるでしょうがーデュラン殿は皇国の魔導兵討伐に向かわれたんです」
「帰還は、」

 騎士を見返すと、彼はそっと封印のごとく、私の名前を呼んだ。

「イリヤさん。……帰還の目処は、たっていません。ただ、今回の遠征次第では、ここ帝都への戦火は免れないでしょう。」

 その言葉に、胸の奥で何かが崩れた。
 思い出す。あの夜の火花のようなキス。重厚な鎧の下に隠された、誰よりも優しい声と眼差し。確かに──私は、疑いようも、抗いようもなく、あの人を好きになっていた。
 だが今は、遠く離れた戦場にいる。
 再び会える保証なんて、どこにもない。

 私は小さく息を吸い込み、秋風が揺らす煤だらけの窓を見つめた。


 

 辺境に旅立った彼の不在は、まるで空から星が1つ消えたようだった。
 工房の火は毎日絶やさず炊いているのに、その温もりがいつもどこか足りない。

 それでも、朝はいつもと同じように始まる。
 冷えた空気の中で炭を熾し、鍛冶槌を手に取り、鉄と火花が踊る音に耳を傾ける。
 だが彼の重厚な足音も、低く響く声も、あの冷たくも熱い視線も、もうこの場所にはない。
 部屋の片隅には、デュランの短剣が置かれている。磨かれた刃の先が、私を見つめているようで、たまらなく胸が締めつけられた。
 そんな私にとっての支えは、日々の仕事だけだった。
 鍛冶仕事に没頭する間だけ、彼への思いが少しだけ遠のく。幸か不幸か、にじり寄る開戦の気配もあって、仕事は次から次へと舞い込んできた。そうやって広まった評判からか、以前は女だと言う理由で嫌煙していた連中も、真摯な姿勢で私に剣を託すようになった。
 
 ふと思い出す彼の姿に無事を祈って、ひたすらに鉄を打ち、研ぎ、使い手へと託す。その繰り返し。
 しかし夕暮れが訪れると、その余韻が静かに胸を締めつけた。
 街のざわめき、遠くで響く馬の蹄音。
 誰かが「あの氷の騎士はどうしているか」と囁く声を耳にする度に、私はぎゅっと拳を握った。
 何度も彼の名前を呟き、窓の外を見つめた。帰ってくる日を待つ気持ちは、日に日に強くなる一方だった。

 それでも、心の奥では確かな声が響いていた。
 「彼はきっと無事よ」そう信じて、今日も私はここにいる。


 ――――――

 
 カン……カン……。
 
 鍛冶槌を打つ音だけが、静まり返った工房に響いていた。

 夕暮れが差し込む窓から、淡い茜色の光が差し込み、作業台の上の鋼に黄金の縁をつけてゆく。
 デュランが遠征へ向かったと言う知らせから季節は一周した。冬の始まりの朝日が鍛冶屋の入り口に差しかかり、炉の熱が心地よく感じるようになった。

 毎日、隅から隅まで目を通している新聞に彼の名前がないことに安堵し、終わらない皇国との競り合いに心が沈む。
 
 何度、火を熾し、何度、鉄を打ったか分からない。ただ、彼を待つためだけに私はこの場所に立ち続けていた。
 何かに集中していないと、押し寄せる不安や寂しさが喉元まで迫ってきてしまいそうだった。
 今日もまた、何も起きない日が終わる。そんな風に思っていた。

 けれど。

 ギィィ……。

 扉の軋む音が不意に工房に響いた。

 誰かが入ってきた?またドアを閉めていなかった?
 油と煤にまみれた前掛けを外しながら、私は何気なく顔を上げた。

 その瞬間、時間が止まった。

 「……デュラン……?」

 そこに立っていたのは、間違いようもなく彼だった。
 長い旅の末に戻ったその姿は、やや痩せたように見えたが、しっかりと立っている。

 いつも通りの、ぶっきらぼうな顔。
 でも目だけが揺れていた。私を見るその眼差しが、熱を帯びていた。
 私は何も言えず、ただ立ち尽くす。

 喉がひりつく。胸の奥が苦しくて、声にならなかった。
 逢いたかった。夢で何度も見た、この瞬間を。
 でも、言葉にならない。今ここにいる彼が、あまりにも現実味を帯びていて、私はただ、目の前のデュランを見つめていた。

 彼の足が、ゆっくりとこちらへ向かって動き出す。
 木の床がかすかに鳴った。

 一歩、また一歩。

 距離が縮まるたびに、私の鼓動はひとつひとつ、乱れていく。

 「……ただいま」
 
 やっと、かすれた声で彼が言った。


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