強く生きたい。激しく生きたい。 ーー歓喜ーー

勝也

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    ここまで書いてきて、思う。

 人間は他者への理解など最もできない生き物だ、と極端に言えば思う。

 まあ、人嫌いになりたくないので、健常者は、いや、全員ではないにしろ、多くは障害者、自分のような重度の筋ジストロフィー患者の痛みを理解できないけれど、言うなれば、実際にその人がなって苦しみを味わって本当にその憂鬱や怒りを経験したわけでもないし、それが現状であるので、理解してもらえないことに文句は、言いません。

 否定したいことは素直に否定するのも大切なことだし、それは自分の中の理想を殺したくない僕にとっては、前向きになるにも必要なこと、だ。

 苦行よ、来い! なんて愉しいのだろう?

 孤独で良いのだ! 僕には創作欲があるじゃないか?


                   ○

秀夫は言った。
「克幸って子供だなぁ」
 勇人は、
「てか阿呆」
 ため息をついた。

 二人は僕の陰口を言っている。先ほど僕はいつものように切れたのである。のみならず、散々騒ぎ僕は電動車椅子で逃走した。

 僕は中庭で叫んでいた。

「いた!」
 保育士の小川がやって来た。
「ダメでしょ!」
「じゃあどこに行けば良いの?」
「騒がないの。戻ろう?」

 
 説明すると、

 僕は針小棒大な事柄で切れて暴言を吐いたり、逃走や感情的になったことによる電動車椅子での暴走をするようなお人よしの悪人であったのだが、教育と周りへの、いや、暴走による事故や怪我を防ぐという意味合いでもって切れて騒ぎ出したら即手動押しにするというペナルティーが電動車椅子になってからできた、ということ、である。

 施設の公式かどうかあまりに怪しいにわか作りの文書にサインもさせられるわ、よくお節介にも僕を叱り付ける権藤と、のみならず、秀夫の担当看護師の重田、主治医の北山医師、僕の担当看護師須藤、看護師長の三条に囲まれてお灸を据えられるわ、地獄だった。早く終わらせたかったので、聞き流して、何も分かりもしないくせに頷いておいた、のみである。感情が一周回ってサディスティックに冷静だった。

 しかも、である。大声を出すから暴走するに違いないと決めつけているとしか思えなかったし、今思えば本来人間的には、他人を傷つけるから、切れるのは悪いことだ、であるべきだが、面倒なペナルティーを単に避けたいがために、黙っておこう、とどう考えてもなってしまっていた。それでは、そのペナルティーが与えられなくなる年齢になったらどうなるか? 怒りを自制できないタイプになるのは一目瞭然、事実現在23歳子供以下の大人である。まあ、たまに。

 だが、このような荒療治でもやらなければもっとひどい愚行に及んでいた可能性もあるので、感謝すべきやもしれない。暴走すると決めつけられ信じてもらえない孤独を味わったとて、してしまったかもしれない取り返しのつかない愚行の陰欝な後悔よりはましだ。強く、激しい後悔よりも。

 まあ、小川は半分は純粋な善意で、半分は僕がグズグズと切れるのが面倒で、手動押しに強制的になった僕を、頼めば解放してくれるわけだ。全く!

「知らない! 何だっていい!」
「良くないよ。話せば分かってくれるよ!」
 小川はいかにも一生懸命だ。
「そう?」
 僕は意外に落ち着いた。
「上手くいくと、信じて」
 そういう問題か? まあ、彼女の声は支えではあるが。

 とりあえず、部屋に戻ると僕は黙っていた。何故なら、秀夫も勇人も瑠璃と仲良くなり出し、部屋にもいなかったからだ。廊下を覗くと、二人は瑠璃の部屋の前で楽しそうに話していた。施設のアバウトなのかむしろ融通が利かないのか分からないルールでは、職員の目の届かないところでは他の部屋に入ってはいけない。なので、入らないで廊下を塞いでいる。僕は気に食わなかった。が、黙っていた。

                           ○

 あまり学校では切れてもさほどではなかったが、段々と酷くなっていた。母に担任の新田からいよいよ報告がいった。僕のためには必要な打撃だった。

 母には相変わらず、当然、
「していいこと、悪いこと分からないの?」
 ヒステリックに言われ、のみならず、
「学校行くな!」
 とのことであった。僕は怖くて黙っていたが、学校は義務教育だ、と心で屁理屈を言っていた。

 蛇足だが、夫婦喧嘩を傍で聞いているのは苦痛だった。が、それは天罰かもしれなかった。大人のくせに馬鹿かと薄々思ったから、神がむしろ自分を顧みろと。

 筋ジストロフィーはじわじわと進行していた。書いた通り、腕の筋力低下が進んで車椅子をこげなくなったので、電動車椅子になっていたし、介助の必要な場面が増えていた。職員との関わりが増えたので、思い通りにいかないと切れて、電動車椅子を手動にされていた。

 僕が小学六年になった四月に晴という女子が転校してきた。晴と書いてはる、と読む珍しい名前だった。晴は秀夫とすぐに仲良くなっていた。そのせいで、二ヶ月一言も話せなかった。秀夫への気まずさが何となくそうさせていた。まあ、空気が「少しは」読めてはいたからまだいいだろう。

 が、どうしても話したかったので、話しかけたときは空気はむしろ破壊した。僕が来ると秀夫は逃げた。或いはそう見えただけであったかもしれなかった。
「克幸です、よろしく」
「知ってるよ!」
「良かった」
「どうして話さなかったの?」
「いや」
「何?」
「気に食わなかった。いや、好きなことは?」
「学校!」
「将来の夢は?」
「ない」
 
晴は普通にいつも話してくれた。気分が前向きに少しはなっていた。が、秀夫はゲームを一緒にしたりしてくれないことはなかったものの、ストレートに仲良くしているとは僕にもあまり思えなかった。なので、秀夫の本心は悪いものだった。僕はもちろん、別に話してくれていたので、何でもない、とほとんど思っていた。幼かったので深い洞察はしなかった。それで良かったのだろう。が、或いは分かっていもしていたけれど。僕は完全に晴に好意を持っていた。

                          ○

 僕は荒らぶっていた。また、同時にいい意味で能天気であった。秀夫に切れて閉口されあからさまに冷たくされても分かっていないことの方が多かった。そして、勇人こそ僕を怖がっていたが、僕はそれに、年下のくせに、と因縁をつけて怒鳴った。すると、秀夫はまさに庇うように、誤魔化すように、僕に話しかけた。全く話せないわけではなかったが、学校では秀夫は晴とばかりいたので、機会は少なかった。

「年下のくせに」
 僕は勇人に因縁を付けた。
「克幸! テレビ見ようよ」
 秀夫は内心困惑して言う。
「いい! 勇人、無視するな!」
「克幸! 終わっちゃうよ」
「うるせえ! こいつ生意気なんだ! 友達やめろ!」
「いやあ」
「秀夫! 今すぐここで絶交しろ」
「克幸君も友達だよ」
 勇人はボソッと言った。が、秀夫は対照的に黙っていた。ここで絶交しろはさすがになにも言いたくなくなるだろう。
「秀夫! 貴様! 死ね!」
 秀夫は妙な表情を浮かべた。
「なんだ! その顔は」
「克幸君、友達だよ」
「うるさい! 嘘つけ」
 僕は八つ当たりに勇人のコミック本の数ページに5センチほどの亀裂を破いて付けた。勇人も黙ってしまった。僕は破いたことはビリビリにしたわけでもないし、読めなくなるほどでもないので、誤る必要すらないと思っていた。

 が、職員が見ていなかったにもかかわらず、ばれた。秀夫が復讐に密告したのだろうか。看護師から看護師長の重田に伝わり、叱られ、のみならず、母にもその日に連絡がいった。三条は退職していて、重田が引き継いだのである。

「読めるとか読めないとかそういう問題じゃないでしょ?」
 重田は呆れていた。
「読めるよ」
「悪いことしたつもりないのかな?」
「あるよ。謝ろうと思う。でもお母さんに言わないで。反省したし」
「それはできない」
「何で! 何それ! 謝ろうとしてる! 悪魔! 糞野郎」
「はい、糞野郎、ね。それも報告するよ」
 重田は冷淡だった。

 僕は翌日、勇人に謝った。
「聞いてる?」
 返事はなかった。
「謝ってるんだけど! 返事くらい」
 勇人は泣き出した。
「何も言ってないのに! ふざけんな!」
 僕はこれでも怒りを抑えたつもりだ。
「ごめん! 可哀想だね」

                             ○

 最悪に事態は悪化した。それは冗談のようであった。例の破いたコミック本が「読めないほど」ビリビリにされていたのだ。僕は何もしていない。いったい誰の仕業なのだろう? 重田は頭から言うまでもなく、僕だと決めつけた。勇人は不登校になってしまった。秀夫も冷たかった。そもそも、秀夫は瑠璃の部屋に、「部屋の前」に、逃げていて、冷たい以前の問題であったが。僕はむしろ地獄的過ぎて怒る気も失くしていた。感傷的でもあったが、呆然とするしかなかった。逆に普通なくらいだった。すぐに担任の新田にまで話は伝わった。彼女は決めつけずに話を聞いてくれた。それは間違いなく救いだった。僕は冷然と語った。勇人に謝った、と言うと、

「それは違うかな」
 何とも複雑そうであった。確かにそうである。僕はただ勇人を怖がらせていた。
「読めるからいいでしょってのも間違ってるからね。勇人君の立場を考えてね。自分がされたらどうなのかな? 嫌なことされたら何も言えなくなるし、許せないこともあるんだよ。そこは怒っちゃいけない。一回言ってしまった言葉は消せないんだよ。ひどいことしといて、もっとひどい言い方するとか最低だよ。いい関係ではなくなってるのに、そんなことしちゃったら許してもらえなくなるよ。それでいいなら勝手にしなよ」
 僕は激烈に反感を覚えたが、葛藤して答えた。心が煮えたぎっていた。あらゆる激しいものが混沌としていた。
「分かった。先生! 勇人君は嫌な思いしたから、謝らない。怒らないよ! ちゃんとするから! 仲直りできるように! 我慢する!」
「焦ってはいけないよ」
「分かってるって!」
 新田は心で苦笑した。上手くいかないのが見え透いていた。が、不思議と期待してしまっていた。だからこそ心配ではあった。
「約束して! 焦っても駄目! 良いことないし、友達になれなくなるよ! とにかく、そっとしておくこと! 悪いと思うのは今は心の中だけにしといてね。変に、いや、考えて、怒っちゃいけないよ。とにかくね、落ち着くんだよ」
「心の中だけ?」
 僕は少々愚鈍らしい。素直過ぎたのだ。
「お願いだから、怒らないで! むしろ普通にしてて! 克幸君はいい子なんだから、怒っちゃもったいなさ過ぎるからね。頑張ってるのは分かる! けど、ここが試練だよ。ここが、友達になれるかの、試練だよ。先生の話分かってるんだから、出来るよ! とにかく、いい子の元にはいいことしかないからね。それは忘れないで!」
 新田の言葉は素直に心に染みた。きちんと全てに折り合いをつけて考えられはした。が、不安は去らなかった。むしろ、嬉しい、からこそ、変に複雑であった。

                            ○

 不安は的中した。一方で、母は新田と同じく僕を信じていた。だが、もちろんいつものようにヒステリックに𠮟られた。今回は何を言われても理不尽とは思わなかったし、畏怖の中にむしろくすぶっているそんなに言うのは言い過ぎだ、というような軽蔑も感じなかった。
母は重田に過度に反感を持っているようであった。それは正しかった。味方をしてもらえて安心できた。が、自分が悪かったのに、重田の批判を聞くのは複雑だった。母はいつもよりも少しは穏やかでもあった。(母は悪いことをした場合、重大事な方がむしろ冷静かもしれなかった)勇人とのことについては言うには言ったが、煮え切らない言い方であった。のみならず、

「秀夫君がビリビリにやったんだ。マンガが置いてあったのは部屋だったし、克幸じゃない。秀夫君は否定している。そして、なんだっけ? そう、篠崎君はそんな破れるほどあれじゃない。重度の障害で動けないでしょ。あと、村田君だっけ? 村田君も手に麻痺があるからできない。秀夫君しかいない」
 最大限味方だった。僕としてはそれで良かったが、秀夫を犯人にしても無意味だし、仲良くなりもしないにも違いなかった。もっと𠮟られると思ったので、「むしろ」厳しく叱ってほしいと思っていたのかもしれない。或いは秀夫が犯人だというのに僕自身何も言わなかったのは、否、とにかく自分が悪いのに、話が秀夫に逸れるのはおかしな話に思えていた。

 数週間が経った。その間に秀夫は勇人に嫌がらせをして仲が良くはなくなっていた。僕は秀夫にストレスを与えて、そのせいで彼に勇人に八つ当たりをさせてしまったのかもしれない。仲が良くない、とはいっても僕と勇人とほどの険悪さではなく、会話はしていた。僕は、我慢していた。

 瑠璃と秀夫はますます仲が良くなっているように見えたし、実際にそうだった。晴と瑠璃こそ仲が良く、僕は蚊帳の外だった。瑠璃と僕はもはや一言も話さなかった。僕は瑠璃こそ嫌っていた。秀夫が瑠璃に何か言って僕は悪く思われはしていたらしかった。瑠璃から話してもらえたならば嫌いではなかっただろう。まあ、どちらにせよ何も陰で言われていなくても空気感で話しかけにくいとしか言えない感じだったのだ。暴言を周りで言っているのは分かられていただろう。少なくとも瑠璃には。一方で、晴はやはり普通に話してくれた。彼女は救いだった。秀夫には勇人が話してくれない不平不満ばかり八つ当たりのように言っていたが、春には自然と言わなかった。

「小体連(どの小学校も出ている陸上競技の大会)100m走練習頑張ってね!」
「頑張るよ」

 小体連で僕は100m走をやることになっていた。が、副担任の目黒に電動車椅子ではなく、死ぬほど遅くしかこげない手動の車椅子で出ろと言われた。僕はそれでは遅すぎて負けると言ったが、目黒は聞かなかった。僕の100mのタイムは13秒とかではなく、10分少しだった。大変過ぎて一本走った後に走るとタイムが落ちた。電動車椅子でも走るよりも遅いかもしれない。

「私はソフトボール投げやるんだけど、中々上手く投げれるんだ」
「上手いもんね」
「克幸君頑張ってるよね。大変そうだ」
「遅すぎる」
「しょうがないよ! 走るの楽しい?」
「勇人よりはまし」
「何それ」
「いや、一位になるよ!」
 僕は虚栄心から言った。清々しい嘘だった。
「私も頑張るよ!」
「晴ちゃんなら一位なれるよ!」
「克幸君、いい子でしょ? 私と一緒で。だったら勝てるよ」
 そう言われた僕は全てを忘れられていた。勇人などどうでもよかった。例え嫌われたとしても。

 僕は理性まで忘れた。晴と秀夫と勇人は良かったが、どう我慢しても瑠璃は嫌いであった。瑠璃が話し掛けてこないのはいくら嫌いであっても、気に食わなかった。仲間外れなのは許せなかった。瑠璃が秀夫となど話している時に自分の悪口を言っているに違いない、と被害妄想に憑りつかれていた。瑠璃め無視しやがって。自分が向き合いたくなくて瑠璃を避けていたくせに狂気的に因縁をつけていた。

 怒りは炸裂した。

 僕は唐突に、理由もなく、瑠璃を怒鳴りつけた。ほとんど叫んでいた。
「何を言ってる! 僕は大変なんだ! いつもうるせえんだ! 無視なんて糞野郎! 女のくせに偉そうなんだよ!」
「うるさいな」
 秀夫は嫌に冷静だった。瑠璃は俯いていた。僕を無視していた。僕は秀夫には何も言わず、
「無視すんな! 瑠璃、おい!」
 それでも瑠璃は何も言わなかった。言えもしなかっただろう。僕は瑠璃に文章に書けないほどの悪罵を浴びせた。が、なお彼女は黙っていた。秀夫は徹底した無表情であった。すかさず僕は秀夫にも徹底的に暴言を言いまくった。恐ろしい沈黙がその場に落ちた。
「何か言え」
 僕はただただ狂気的だった。秀夫はため息をついて、
「何なの? 分かるように言ってよ」
 僕はまたもや彼には取り合わず、
「瑠璃! 秀夫と喋るな! 今すぐあっち行け! 女は引っ込んでろ! おい、何してんだ。行け!秀夫とは関わるな」
 理不尽で狂った言い草で僕は瑠璃に秀夫とは関わるな、と執拗に言い続けた。あまりにエゴイスティック過ぎていた。痺れを切らして泣きそうになって瑠璃は言った。
「いいよ。そんなに言うなら。秀夫と絶交! 馬鹿じゃん!」
 瑠璃はその場から去ってしまった。秀夫は呆れていた。僕はその無表情を見て全てを後悔したのだった。が、怒りをどうすることもできなかった。

 翌朝、僕はあまりに不機嫌であった。瑠璃と秀夫の不快な表情が脳に貼りついていた。それでも僕は秀夫と、なんと、普通に話していた。秀夫はいつも通りの優しさで聞き手に努めて徹していた。余計なことは言えないし、何よりもただただ秀夫は僕を避けていた。絶交しようとならないのが不思議だった。そして、である。瑠璃は言葉通り秀夫と一切接しようとしなかった。秀夫の方でも僕を気にしてか瑠璃には声を掛けなかった。そう、こっそりと二人は筆談を交わしていたのだ。この日、勇人に対する無視されてしまっているもどかしさ、激烈な苛立ちは、嫌に落ち着いていた。が、登校する前、秀夫には切れて大声を上げた。優しいのが素っ気ないと状況を客観的に見れていない僕でも思えていた。

 体育の授業は各自、小体連の練習をした。

 僕は闇雲に懸命に手動の車椅子をこいだ。外のグラウンドは気持ちが良かった。暑くはないが、身体は火照っていた。こぐのが過酷すぎて、常にある苛立ちが吹き飛んでさえいた。別に上手くいくと将来が思えていた。僕は憂鬱にも希望にも素直であった。正直いつもより上手くこげなかった。筋肉が擦り減っていた。が、怒りと希望のために生命が充溢していた。過酷な孤立の状況は或いは僕に象徴的な意味合いにおけるプラスの反骨精神を生んでもいた。

ゴールまでの距離は永遠にも感じられた。実際タイムは悪かった。が、心は清々しく、無にすらなれていた。疲れはあったが、もう一本挑むことにした。ただ、気合いで前に進んでいた。喉すら渇いてきてもいたし、やはり疲労は襲ってきた。教師は誰もなぜか偶然居合わせなかった。気分が狂いそうだったので、僕はたまらず止まり深呼吸をし、空を見上げてじっと座ってはいるが、佇んだ。僕の好きな雲が多い晴天だった。空気感も最高だ。

僕は自分で感じていなかったが、詩的な、いや、あまりに曖昧な思念でしかなかったものの、文学的な、芸術的かもしれない観念が湧いては消えていっていた。この当時はその方面は知る由もなかったが、僕はそちらの、エキセントリックな癖のある人種だったのだ。(なのでこんなにも一方的に自惚れた、テーマだけ荘厳で内容は浅はかなクズ小説を書いている)

空を見上げていたらこぐ力は多少は復活した。走り終えても疲れはないにも等しかった。僕は恥知らずにも、正直に自分の赴くままに晴に話しかけた。別に晴は相変わらず普通な反応だった。秀夫と瑠璃は僕という共通の難関を持つことで結束していた。晴と秀夫は僕と同じで療育園ではもちろん、暮らしていないし、連帯の感は薄かった。秀夫とばかり晴はいたかもしれないが、或いは秀夫に対する気まずさのせいで余計な邪推をし過ぎていたらしかった。晴と僕の距離感は適度で、僕の傾向込みで、余計な愚図愚図が起こりにくく、まともだった。

「どうだった?」
「自己ベスト出したよ!」
 晴は嬉しそうだった。
「僕は二回走った」
「凄い! 手に何かその、赤くなってるよ! 大丈夫?」
 こぐのに懸命だったので、手に痕がついていた。普段手動の車椅子に乗っていなくて慣れていないのもあった。
「何ともない」
 僕はわざと気取って言った。
「頑張ってるね」
 晴は軽く素っ気なく言った。僕は調子に乗って晴と少々喋り過ぎた。悪いこと、ではないが。最高に気分は良かった。

 が、僕はそれを破壊する。最低と最高のジェットコースターということである。

 登校は施設の職員が付き添って、下校は担任か他の教師がいつも付き添ってしていた。その担任が急遽来れなくなった。代わりの教師がなかなか来ず僕は苛ついてきて一人で独語し出した。瑠璃はそれを鼻で笑った。僕は激した。最大限また罵り倒した。勇人にもちろん丸聞こえである。もはや八つ当たりの連鎖だった。実際、勇人は表情すら動かしてはいなかった。にもかかわらず、僕は笑った、と因縁をつけて瑠璃に対するよりは軽く罵り倒した。

代わりの教師がやって来た。僕は大人しくなった。教師は誰でも叱って来るし、のみならず、親に言うのでよほどとち狂わなければ落ち着くしかない。母を恐れての謂わば世当たりである。

僕は臆病過ぎて感じやす過ぎた。恐れがあまりに強かった。母に𠮟られるのを恐れ過ぎて敏感だった。母は或いは普通に厳しめなだけであって何ら問題はなかった。そもそも欠点のない親などいるだろうか? 怒られるということを大事に感じすぎて避けるためには怒りすら引っ込められた。ということは怒られないならば我慢を忘れ、暴走した。施設では物と人を傷つけなければ軽く注意されるか或いは放って置かれたし、母に言わなかった。誰もがそこまでやってられなかったが、厳しめの職員には手動に強制的にされるので人を見て態度を変えていた。進歩もしないしただのストレスだった。

途中、勇人も電動車椅子なのだが、後ろを走っていた僕は彼に間違ってぶつかりそうになった。こんな時だけなぜか謝った。無視されて腹も立った。

もう一度、ぶつかろうと半分わざとギリギリまで寄ったりした。が、教師の手前、躊躇した。けれど、怒りは倍加し出した。抑えられなかった。

ある意味突っ込むつもりはなかった。僕は後ろから勇人に突っ込んだ。もちろん加減はして。教師にばれた。勇人に僕は無意味に切れて因縁をつけた。まだ学校の中だった。偶然副担任の目黒が通りかかった。激怒された。彼は怒るタイプの教師である。僕はしおらしい態度になった。絶望あるのみだった。

「味方がいなくなるぞ」
 目黒は厳しかった。
「なれ」
 僕は呟いた。
「馬鹿か? 感情に任せて、思い通りいかないからって怒って、騒いで、赤ちゃんか? かっこ悪い。母ちゃん泣くぜ? 可哀想だと思ってほしい? 何とかしてほしい? 甘ったれるなよ。迷惑だな。秀夫に勇人、瑠璃もどうなんよ? うるせえだろうな。晴も友里恵もどうなんよ? もったいない阿呆や! そうやって自分だけ損してる。餓鬼! 何か言え!」
 僕は悪い意味で無心だった。心に何も入って来なかった。目黒は蛮声だか怒号だか騒いでいたが、僕は音響として聞いていただけだった。迷惑な説教だった。

 自分が恥ずかしくて虚しかった。それでも怒りは後から噴出した。

 帰ると、僕は偶然保育士の小川をつかまえて目黒への憤怒、のみならず、勇人と秀夫、瑠璃に対するエゴイスティックな、理不尽な感情を吐き出した。彼女はよく聞いてくれた。

「大変だ」
 小川はほとんど失笑していた。
「全員殺す」
「うん」
「うんじゃねえよ! 嫌だよ! 可哀想だよ! 馬鹿ばっかり」
「そう?」
「敵は成敗する」
「ほお」
「勝つぞ」
「すごいね!」
「なんだよ! 分からないよ!」
 僕は狂っていて、正直だった。
「いい子いい子」
 小川はなぜか適当にうそぶいた。

                             ○

 小体連当日。目黒に罵倒された翌日であった。母には勇人に突っ込んだことは連絡されていた。恐ろしく最悪な気分だった。勇人には切れて、職員に見つかっていないが、秀夫に電動車椅子で突っ込んだ。瑠璃にはむしろ何もしたくなかった。嘲弄的な視線を感じた。

 バスでは珍しく運よく晴と隣だった。あまりにも嬉しかった。
「いい天気だ!」
 秀夫と瑠璃は騒いでじゃれ合っていた。うるさかった。筆談はやめたようであった。なぜ、今のタイミングで約束をやめるのか? とは僕は思ったが、そんな約束はさすがに自分でもおかしすぎるとは感じたのでどうでもよかった。
「いいことはやっぱりあるね!」
 晴の何気ない言葉は僕には意味深だった。
「晴はあるでしょ」
「頑張ろう!」
 なんて前向きなのだろうか。僕にはやはり、嬉しかった。

 なぜか、小体連の会場につくと眠かった。秀夫と瑠璃、勇人の競技は僕より先だったので、睡魔に襲われながら見学していた。瑠璃のは寝てやった。終わった頃に目を覚ました。晴のソフトボール投げは熱烈に狂って応援したのは言うまでもなくである。瑠璃はうるさそうに顔をしかめていた。秀夫はわざと勇人と遠くにいた。

 僕が走るターンがいよいよ来た。仇敵の目黒に電動車椅子から手動の車椅子に乗せ替えてもらう。スタートラインにすぐついた。そしてスタート、遅くて僕は進んでいる気がしなかった。ライバルらは易々とゴールしてしまった。こぐのが大変なので、嫉妬心には構っていられなかった。

 応援は大分賑やかであった。どうも支援学校の前の小学校の面々らしいと察せられた。ということは支援学校の応援は冷ややかであった。秀夫は寝ていたし、瑠璃は晴と喋っていた。或いはわざとだったのだろう。

 身体は熱く、汗をかいていた。が、苦痛などあってもむしろ感じなかった。猜疑心も嫉妬心もどうでもよかった。晴に応援されているはずだと妄信してはいたが。瑠璃のおしゃべりめ。

 ようやく中ほどに到達した。応援は凄まじいものだった。僕はそれに応えたくなってさえ来ていた。それでも疲れはのしかかっていた。限界は超えかかっていた。つい止まってしまった。声援は高まった。熱烈だった。が、動けやしない。身体があまりにも重かった。こごうとしてもびくとも動けないのだ。とにかく息を吸って、とどまるしかなかった。

 僕はどうせ目黒にやめたいと言ったところで諦めるなと言われるだろうから完走するしかないと思っていた。疲れて頭がおかしかった。僕は叫んだが声にもならなかった。何かが吹き飛んだ。なぜか手は車椅子をこいでいた。休んだので少しは体力が回復しただけだっただが。それにしては勢いはあった。声援が大きいのは照れ臭かった。最後は僅かづつしか進まなかった。フィニッシュラインを跨ぎ越えるのもすぐではなかった。

やっと完走すると前の小学校の応援していた軍団は狂喜した。秀夫は目を覚まし、勇人は眠りはじめた。晴はそこそこは狂喜はしていた。僕は恐ろしい達成感を覚えていた。そのまま全てを忘れてしまいたかった。

 瑠璃と晴が駆け寄って来た。晴は瑠璃をほとんど連行していた。瑠璃は意味不明でしかなかった。

 晴は微笑んで言った。
「頑張った!」
 そうには違いなかった。
「そんなことないよ」
 僕はカッコつけて気取ってもいた。
「ビリだ」
 瑠璃は他人事のように呟いた。声が小さくて危うく聞こえないところであった。
「そうだよ」
「瑠璃ちゃん、ひどいな。そういうこと言う子は嫌い」
「瑠、璃? 200m走一位おめでとう」
 僕こそ声が囁く程度でしかなかった。
「ありがとう」
 瑠璃と言葉を交わしたのはあまりにも久しぶりではないだろうか。続くものではもちろんない。瑠璃は素っ気なかった。
「晴、一位おめでとう!」
「ありがとう! 克幸君、凄い! 止まっちゃったけど、負けなかった!」
 気持ちとしてはむしろ一位だった。
「当然だろ」

                             ○

 小体連の後、母には物凄くヒステリックに𠮟られた。結果は別として本を破くよりも電動車椅子で突っ込む方が或いは危険ではあった。僕は勇人にその後、しつこく謝った。勇人は考えたくなかっただろうに三回も謝った。のみならず、結局は彼に何も言って貰えず、先輩の言うことを聞かないのか、とまたもや切れて暴れた。

療育園では秀夫には八つ当たりもすれば、職員に見つからないように電動車椅子で突っ込むこともあった。見つかることもほとんどなかったが、おそらく職員も気に留めもあまりしなかった。僕はあまり勢い良く突っ込んで、もし怪我をさせ母に話が行く結果は嫌だったので、ほどほどにしておいた。段々、秀夫はあまり言われても真に受けず、無表情にすらならないし、むしろ僕の瑠璃と勇人への憤懣に耳を傾け、「不自然に」優しかった。皮肉な意味で悟りを開いているようであった。瑠璃は僕と一切関わらなかった。毛嫌いの度合いが増しに増していた。そう、秀夫に、僕は「低レベル」だから、「話」を聞いてやれ、と、「放っておくと」危険だ、と忠言したのは瑠璃だ。

ついに、瑠璃は僕を放っておかなかった。彼女は正義に燃えていた。乱暴は許さない、と。

療育園の食堂室で僕は秀夫に切れていつものように騒いでいた。秀夫は呆れていた。

僕はいつになく激しい口吻であった。理由は特になく、生活全てに嫌気がさしていた。しかも、勇人への憤懣はますます歪みきっていた。あまりにも本能的過ぎた。

僕は瑠璃を罵り出した。秀夫はさすがに、
「いい加減にしろよ」
 棒読みで呟いた。
「俺に指図するのか」
 刹那、隣でもない離れたいつもの席から瑠璃は叫んだ。
「馬鹿! 秀夫に何をする! 悪いことはするな!」
「おい! 誰に口を利いてるんだ!」

 僕は暴徒と化した。瑠璃と秀夫と勇人を狂気的にあまりに口汚く罵り、騒ぎに騒いだ。のみならず、電動車椅子で暴走しかけた。が、何か他の職員に用事のあった保育士の権藤が偶然やって来た。
「はい、手動」
 言うまでもなく、彼に手動にされた。
「少し反省しなさい」
 瑠璃は毅然と言った。
「してるわ! 勇人に謝ってるし! どいつもこいつも通じない!」
「そんな騒いでたら通じない」
 瑠璃は引かなかった。
「英語で言ってねえし!」
「それ屁理屈」
「お前が糞屁理屈だ! 女のくせに!」
「男のくせに、秀夫にわがままばっかり」
「女は黙れ!」
「馬鹿は黙れ!」
「そうだ」
 権藤は脇から言った。のみならず、
「相手にするな」
「権藤この野郎!」
 僕は怒り狂った。10分は怒り続けた。心臓は破裂しかかった。

「うるさいな」
 少し離れた席にいた勇人は呟いた。
「ああ?」
 僕はまたもや騒いだ。
「部屋戻りな」
 権藤は秀夫らを促した。そして権藤は足早に去っていった。
「殺せ! 秀夫! 権藤を殺せ! 悪い大人は殺すんだ!」
 秀夫はあくまで黙っていた。刹那、瑠璃は激した。
「間違ってないのに何で殺すの? この悪人!」
「虐待だ」
「されればいい」
 瑠璃は冷徹にも見えた。
「お前がされろ!」
「それしか言えないの?」
 僕は激し過ぎて狂い、叫び、本能そのものと化した。勇人は泣いていた。
「さ、い、あ、く」
 瑠璃は意味深にはきはきと言った。僕はなお叫んだ。何もかも突き抜けていた。
「死ね」
 僕はただそれだけを連呼していた。
「秀夫、勇人。行くよ」

 僕は誰もいなくなっても叫んでいた。随分経ってから小川が僕を部屋に戻しにやって来た。彼女は凄く無表情だった。僕は色々不平を並べ、騒いだが、小川は押し黙っていた。いつもとあまりにも違った。厳しい雰囲気であった。僕は部屋に戻っても一人だった。ただただ虚しかった。のみならず、電気が切れていて薄暗かった。

 僕はどうにもならなかったので、新田、ではなく副担任の目黒に相談した。大方話したところで一喝された。或いは僕は叱られたい衝動を持っていたらしい。

「極悪人!」
「はい」
「そんなの許されないぞ。お前、言葉の暴力って分かるよな? 分からないとは言わせないぞ」
 まさしく僕は屁理屈でそう言うつもりでいた。
「そういうお前の屁理屈が悪いところなんだよ! 相手をそれでシャットアウト、話になりはしない! 相手もお前を嫌いになる!」
「聞く気もない」
 僕は皮肉に言った。
「何様だ、極悪人! こうなったのは自分が悪いんだぞ! 責任転嫁。笑わせるな! 味方は欲しいけど、すぐ腐るという。何か言いたいんだろ? なんだよ! その顔は! かわいそうだな!」
「勇人と秀夫が」
「ふざけんな! 分かる癖によ! わざとかよ。わざと、なんですか? 克幸先生?」
「間違えたんだよ! 目黒君」
「お前死ねや! 減らず口しか言わないなら」
「はい。死にますよ」
 僕は醜く笑った。
「殺す」
 目黒は僅かな間、首を絞めてきた。案外苦しくはなかった。冗談だが、或いはこのまま破滅するのも悪くはなかった。
「犯罪者!」
 叫んでいた。
「苦しかったな。それは悪かった。でもな、言葉で、さっき先生言ったように、傷付けてしまう。何を思ってようが、ひどいことを言ったり、やったりすれば、言い返される。そうすると、また、屁理屈、を言いたくなる。喧嘩の果てに友達ではなくなる。それは因果応報、当たり前」
 僕は激烈に反抗心を覚えた。清く正しく云々的な正論は冷徹で、理解不能であった。僕はまた怒り狂うしかなかった。暴言を連呼した。
「母ちゃんに言いつけてやる!」
「ほお。だったら先生が母ちゃんに報告する。怒ってもらえ」
 僕は絶望した。その絶対的な雰囲気には抗いようもなかった。もはや茫然自失としていた。

                            ○

 目黒は母に暴言を言ったことを、僕が日頃からとんでもない蛮行に及んでいることを、あまり細かくではなかったが、言ったらしい。母はそこそこはヒステリックに𠮟ってきた。あまり怖くなかった。が、教師には何があっても切れない、と僕に誓わせるほど印象的な一件だった。怖い大人だけには当たり障りのないようにするという。もっとも、僕に真面目に掛り合う療育園の職員は少なかった。もっとそこで厳しければ、ここまでひどくはならなかった。まあ、厳しいのもそれはそれで苦痛だったろうが。もはや考えるのもあまりに無意味、である。

 ある意味、僕は(勇人は僕自身反省しているから、何をしようとも、悪いと思っている以上、いつか許してもらえると思い込んでいたし、それを感じていながらも秀夫が冷たいなんて噓だ、気のせいだ、とすら思っていた)楽天的だった。だが、楽天的でもずっとはいられなかった。ふとした刹那に悲観的になったり、誰も友達になんてなってくれない、とも感じていた。

 勇人と秀夫はもはや仲直りしていた。見たくない光景であった。瑠璃は僕を無視していた。僕も話したくはなかった。瑠璃の女の親友、友里恵といえば無視されてはいなかったが、瑠璃がいつも一緒にいたので、全く話せはしなかった。友里恵は、というか、彼女も話したいとは思っていなかった。ある意味僕こそ、秀夫と勇人、瑠璃と友里恵という煮え切らない、人間関係なぞ必要なかった。

 いつの間にか秀夫と晴は嫌に仲良くなっていた。

「秀夫ってカッコいいよね?」
 晴は僕に言っていた。
「何が?」
 僕は無意識に言った。
「大人っぽいと思う」

 それでも晴は僕を見放さなかった。何一つ変わらなかった。僕はどんどん秀夫らに対して狂暴になっていく一方であったが、いつも優しかった。互いに無知でいられた。僕は誰にも不平ばかり並べていたが、晴には沈黙を守っていた。話せることが幸福であった。

 秀夫との友情はもはや終わっていたが、彼は(僕を上手く避けられない場面に限り)無視はしなかったし、その一場面のみを見たならば、仲も勇人ほどの険悪さではなかった。まあ、秀夫が理性的だったお陰、だが。

 療育園の悪影響は他にもあった。ゲームやアニメ、のみならず、ドラマも映画も過激な、暴力的な所謂ヤンキーのような人物が出てくるものが多く置いてあった。それらは、もう療育園を退所した年上の人が好意で置いていったものであった。

「子供には過激ですよ」
「取り返しのつかない悪影響だわ」
 実際にそう囁く職員はいた。のみならず、実際悪影響であった。僕は真似た口調、否、そっくりに秀夫も勇人も罵っていた。

 過激なものより深刻かもしれないものがあった。それは筋ジストロフィーではないが、進行性で一見似ている、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を扱ったドラマ、「洪水の涙」であった。最後はただ或る気の強い有名女優の演じる主人公が死んでしまう。美人なのにもったいない展開である。ちなみにこれは夕方の再放送であった。僕はあまり見ていなかった。秀夫は見ていた。

 療育園でこれらは大問題となった。結果、北山医師の提案で何人かの職員と僕、また秀夫と勇人で集まることとまでなった。全く無意味な会合であった。深刻過ぎて無意味な、と皮肉りたい内容しかなかった。僕の問題行動まで槍玉に挙げられた。僕は欠伸を噛み殺すのに必死だった。長さばかりで内容もなかった。

「洪水の涙面白かった」
晴はいつか僕に言った。
「どういうところが?」
「演技噓っぽい」
 まさに同感だった。僕は妙に嬉しかった。
「僕が怒るのも演技」
「駄目だよ」
 晴は変わらず優しかった。

                       ○

 僕は秀夫が勇人に、
「俺、晴が好きなんだ」
 言っていたのを偶然聞いた。
「告白しろよ」
 勇人は偉そうに言った。

 僕はこれ以上聞きたくなかったので逃げた。

 が、こんな時に限って晴は学校で話しかけてくれる。まさに神である。

「元気ないよ?」
「逆に元気だよ」
「無理しないでね」
「ありがとう」

                    ○

 僕は確かその日バレないように秀夫に電動車椅子で突っ込んだ。ひどく罵ってとち狂った。

 僕はあまりに不機嫌だった。が、最悪なことに、
「秀夫君に告白する!」
 晴が言ってきた。嫉妬と言える感情を僕は覚えた。
「好きなんだってさ。秀夫。晴が」
「そうなの?」
「聞いたよ」

 僕はいったい何のためにそう言ったのか自覚はなかった。

 しばらくは良くない意味で何も変化もなかった。秀夫は僕にすら晴が好きだ、と時々言ってきた。素っ気なくあしらわれてもいたが、話はしないでもなかった。秀夫は嫌だったなりにも僕を受け入れていないわけではなかった。ある意味勇人との関係などよりはましであった。別に何ともない、と錯覚していたのも相変わらずであった。一方的な楽観でもって。

 勇人には謝っては振られてを繰り返していたが、瑠璃にはいつか暴言を言ったのも謝っていなかった。小心な僕は何もできなかったし、悪いと思っている中でも、瑠璃には秀夫を遠ざけられていたので、滑稽にも秀夫本人に瑠璃への不平をぶつけまくっていたのは言うまでもない。発狂し過ぎて何を言わんとしているのか不明なことも多々あった。瑠璃に注意されてはぶち切れていたのも相変わらず、その八つ当たりに秀夫はもちろん、母と教師以外には荒ぶっていた。瑠璃は僕の行いに痺れを切らしていた。秀夫はもちろん諦めに達していた。

 瑠璃の親友を傷つけるな、という一言は嫉妬と劣等感を倍加せしめた。とは言っても八つ当たりしまくってそれでも秀夫は表面的には不自然なほどに優しかったお陰でどれだけ助かったか分からない。お前も親友だ、と秀夫は僕に言ったのだ。真偽は問わずにでもその諦めきった、ある意味での純心は尊敬できる。見方を変えれば、瑠璃も正義であった。のみならず、僕はただただ皆と普通に過ごしたかっただけだ。様々な悪い偶然が悪さをしただけではないだろうか。その中でも良い偶然もあったと思う。そんなこと当たり前だ。気付かないのはあまりに滑稽である。

  ついには、瑠璃に、
「それは謝ってよ」
  秀夫と勇人にダブルで八つ当たりしていると𠮟られた。彼女は僕らの部屋に乱入してきた。キチガイといつも同じ部屋に押し込められている二人を思っての行動だ。
「人の部屋に入って来るな!」
「また屁理屈」
「ルール守れよ!」
「私は二人を守る」
「僕だって守ってるよ!」
  僕はもはや捨て鉢に言い捨てた。
「噓つき! 弱虫!」
「僕は正直だ」
「はあ? 馬鹿じゃないの。謝って」
「分かったよ」
「ここで見てるから」
「早く出ていけ」
「いや! すぐ謝って」
「いい加減にしろよ!」
  ついには勇人も加勢した。
「黙れ!」
「秀夫君は我慢してるんだ」
  僕は結局はぶち切れてどうにもならなかった。言葉にならない叫びだけ上げ続けていた。
「悲しいな。瑠璃ってそもそも何かしたか?」
  秀夫は穏やかに言った。
「してないよ」
  途端に僕は泣き出した。
「自分が泣くの?」
  勇人も泣いていた。それを見て僕はさらに泣けてきた。



 僕は知らなかったが、秀夫は晴にこの年いっぱいで転校する、と聞かされた。相当ショックを受けていたようで、時々泣いているのを見かけた。僕はそれを見て皮肉な意味でそれを憐れんでいないこともなかった。

  唐突に晴は言った。言われて当然だった。

「聞いたよ。療育園?  でのその、暴れるの」
「何でよ」
「みんな言ってるよ」
  内容とは裏腹に晴には反感も何もないようであった。理由は分からないが、そう思えた。
「克幸君、それ本当?」
「そうだよ」
「演技?」
「本気」
  僕は軽く流した。
「転校は寂しいね。僕もしてみたい」
「何それ?」
「そう思わない? ここじゃないどっかに行きたいな」
  そう言ったのは軽口に過ぎなかったが、心の深層を表してもいた。
「どこ行く?」
「行かないよ。行けないよ」
  僕は案外無心であった。実は自分には希望が用意されているに違いないとある意味での確信がないでもなかった。

  秀夫は勇人に言っていた。
「一緒に晴と行きたいよ」
「何言ってんだよ」
「俺は行くよ! 絶対」
「行けばいいよ」
  勇人は笑って言った。秀夫は号泣していた。
「無理言うな」
  僕は高慢に揶揄した。そう言ったのは寂しさの裏返しだ。
「偉そうになんだ」
  勇人は激した。
「そのままのことだよ」
「おい! 可哀想だろ」
「知るか」
「この悪人」
  勇人は僕の頭を力ない拳で殴ってきた。

  僕は激烈にぶち切れて、同時に泣き出した。怒りと寂しさがこみ上げて、涙が洪水のように溢れて止まらなかった。自分が恥ずかしかった。いっそ壊れてしまいたかった。泣いたら何かが吹っ切れた。ひどい顔をおそらくしていた。

  僕はようやく許す許さないだけでもちろん片付けられないことを知った上で、自力で勇人に謝った。なぜ素っ気なくされても切れなかったかは分からない。

勇人は相変わらず僕を避けていたし、ろくに話してもくれなかった。秀夫はますます瑠璃や勇人とばかり仲良くなる一方で、療育園でも話はしていたが相変わらず時々素っ気なく、部屋から逃げて瑠璃と遊んでいるのか話しているのかしていた。僕はどんどん友達ではなくなっていっているのは間違いなかった。というか、書くまでもなくそうだろう。担任の新田も副担任の目黒も手を尽くしていたが、あまり変わらなかった。見放されなかっただけ感謝である。秀夫も同様だ。



思い出せば周りには良くして貰えていた。こんなにも不満を投げつけるような、いかにも自分が悲劇だという内容にある意味での恥ずかしさを覚えてさえいる。内容が薄っぺらいことこの上ない。が、まだまだ続きはあるので書くしかない。なので、悲劇具合をましにしようとは思っている。



  秋が過ぎ、三月になった。僕は卒業式はインフルエンザにかかって出れなかった。相当な高熱で凄く苦しんだ。決して罰が当たったわけではない。幸い離任式は行けたので良かった。

  僕は晴と話すことしか頭になかった。転校してしまう、と思うと寂しかった。
「元気でね」
「うん」
「僕は勇人と仲良くなるよ」
  晴は優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「きっと大丈夫」
  僕は意味深に繰り返した。
「ねえ?  私、将来の夢見つけた!  とにかく大人になったら遠くに行くんだ」
「へえ!  それはいいと思うよ」
「足が悪くたって、障害あっても、どこにだって行けるよ」
「そうなるといいね!」
「そうなったら会いに来て」
「どうかな?」
「約束して」
  晴は真面目だった。
「そうだね、分かったよ」
  勇人が話に混ざってきた。
「寂しいよ」
  晴と勇人がしばらく話していると秀夫もやって来た。
「本当に転校しちゃうの?」
  秀夫は大分泣き濡れていた。晴は少し困っていた。勇人が秀夫を必死で慰めているのは微笑ましいに違いなかった。秀夫はなかなか会話にならず、言いたいことも言えないらしかった。僕は輪から抜けてそれを遠くからしばらく傍観していた。本当に羨ましかった。

  晴は最後に言った。
「また会おうね。会えるから」
「今よりいいことあるよ」
「頑張って」
「頑張ろう」
  僕は自分に言い聞かせるように呟いたのだった。
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