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消えゆく芸術
8.ドンベルト・ワーナーの「作品」
しおりを挟む階段を下りていくと、複雑にロックのかかった扉やら罠だらけだったり……と、思ったが。
どうやら、難問は最初の入り口だけらしい。
まるで何かの研究室の入り口の様な、真っ白で頑丈そうな扉は、ヴァルが手をかざしただけで、プシュ―……という空気の抜けるような音と共に、容易に開いた。
ヴァルは念の為に、腰にさしてある拳銃を慎重に右手で握ってから、左手でお尻のポケットに入れてあった薄型の手に収まるサイズの便利な小型ライトをつける。
左右前後……ライトで辺りを照らしていくら見渡しても、何もないただの一本通路が二人の眼前に広がっていることくらいしか分からない程、静寂に満ちているだけの何もない空間が二人を出迎えた。
ご丁寧に、左右に挟まれた壁までもが白い大理石だ。
ノアとヴァルが目を合わせて合図で一歩踏み出すと同時に、後ろで何かの機械音がした。
二人は咄嗟に身構えて後ずさる。拳銃を構えるヴァルと、武器を持ってきてないので護身術の構えをするノア。
その音の正体は、ノアが稼働させたこの玄関口へ通じる地面の扉が今まさに、二人の目の前で閉まっていく音で……つまり、後戻りを許されない状況にされてしまったわけだ。
ノアとヴァルも気が抜けて、ただ徐々に地上への扉越しにどんどん見えなくなっていく月明かりを眺めながら、同時に構えも緩んでいく。
ま、この展開の予想はなんとなく、していた。
すると、さっきの構えた時の後ずさりで、ノックも無しに入ってしまった玄関扉の方が、まるでポンプから空気の抜けるような音を発しながら二人の目の前で閉じていく……と、同時に二人が立って居る場所の天井が明るくなった。
まるでスポットライトのように。
そこから一つ、また一つ……と手前から順番に奥に向かって付いていくライトの方向へ向かって拳銃を構え直すヴァル。
だが……そこには驚くほど、何もない空間。
真っ白なのだ。目がちかちかしそうになるほどの。
何か別の色一つくらいあってもいいと思うが……何もなく、真っ白な廊下らしきものが広がっているだけだ。
……アルティストストリートの街並みも目に優しくなかったが、この家は目だけじゃなくて身体全体に優しくないな……視界どころか頭ん中丸ごとおかしくなりそうだ。
しかしヴァルもノアも、よくよく見ると、若干だがうっすらと床に影があることから、真正面はT字路になっていることだけ、なんとなくわかった。
それでも、地上で見た限りでの地面の敷地を考えると……いや、考えるのはやめとこう。
それこそ頭が痛くなる。
とてもじゃないが、丸一日あっても回れるかどうか怪しい広さだったもんな……。
「……さて、この頭がおかしくなりそうな空間から、どうするよ? ノア」
ここは得意分野であるノアに判断を任せた方がいいだろう。案の定、ノアの返事は遅くなどなかった。
「二手に分かれっゾ。ぜってーこの敷地内中に、奴の作品がゴロゴロ眠ってるだろうからな」
ま、ですよねー……と、言わんばかりの顔をして肩をすくめて見せるヴァル。
だが、今回の主役はコイツにあると言っても過言じゃない。よって、ノアの提案をヴァルが飲まないわけなどなかった。
「オーケー……んで? 俺はどっちから行けばいいんですかね、芸術家さん」
ケッ! とだけ吐き捨てるように言って、ノアはそのまま真っ直ぐ行って、曲がって右の方向へと歩き始めた。
……じゃ、俺は左ってワケね。ヴァルは勝手に、ノアの動きを合図として受け取って反対の方へ動く。自分の目は頼りにならないので、壁に手を添えて、あとは……もう感覚で行くしかない。
おっと、その前に……大事なモンを忘れてた……。
「おい! ノア!」
「アン? おわ……っと……ン?」
ノアがヴァルの方を振り向いたと同時に、何かを投げた。
ノアはつい、反射的にヴァルが投げたものを目視も出来ずに、それを受け取る。受け取った両手にあったのは、ノアの相棒の拳銃であるP228……と、耳の裏側に貼りつけるだけの超音波式の音声通信機器だった。
「返すのは無しだぜ。予定狂って呪いの家に入っちまったんだから、何かあったらお互いそれで、な」
「……ヘェーヘェー。ったく……過保護サンですことヨ」
そう文句をいいながらも、いつもの慣れた手つきで弾倉を確認してからノアは武器を構え、その通信機をすぐに耳裏へつけてくれる。
……ったく、お前は素直じゃねえなあ。と、微笑むようなため息を吐きながら、ヴァルもノアも、お互い左右の別れ道へと進んでいく。
信じてるぞ、ノア。お前が……こんなところで道を踏み外してくれるなよ。そう心で願いながら、ズボンの隠しポケットに入れたままの注射器に、手を添える。
芸術の良さは、俺には微塵も分からない。
だが、ノア……お前の人の良さだけは……誰よりも知ってるつもりだ。だから……例えドンベルト・ワーナーに会ったとしても……理性を保ってくれることを、祈る。
自分に言い聞かせるように、ヴァルは一歩ずつ、左であろう道を、壁に手を当てながら進んでいく。
だが、そう願うのは決してヴァルだけではなかった。
ノアもまた、自分の理性に言い聞かせるように考え込んでいたのだ。
Mr.ハロドゥにドンベルト・ワーナーの絵の模造品を見せられた、その時からずっと……。
ヴァルが仮眠を取っている間も、ノアは寝ずに、Mr.ハロドゥから渡された情報と模造絵を、常に見続けていた。自分の中でまるで絵と同調してしまうような……絵から伝わってくる、ドンベルト・ワーナーのその感情に押しつぶされかけていたから。
タスケテクレ マッサラニシタイ タスケテクレ ナニモカモイラナイ
そんな……救いを求める感情。
ノアは実際、この家の白い空間にさえも、押しつぶされそうになっていた。
ドンベルト・ワーナーにとって、この家そのものさえも、芸術作品の一つ……。
だが、だからこそ……ノアは分かるからこそ、あの薄っぺらい小屋の立体絵の仕組みにも分かったのだ。
真っ白でありたいのに、人間だれしも心の中、人生の中に絶対ある黒い染みの様な蟠り。そして悔しいことにも、その蟠りが人を成長させるんだ。困難無しに、人生は、歩んで行けない……。
ノアは過呼吸になりそうなこの真っ白な空間の中で、自分の握った相棒の黒い銃、P228に安心感さえ、覚える。
コイツが相棒なのは……皮肉にも、俺にはピッタリだ……。
自分は……どんなに美しい綺麗な芸術に触れても、それを歪んで見えてしまう程に……汚してしまう程に、真っ黒だ。
それを、認めなくてはいけないんだ……俺みたいな奴はヨ。だが、そんな自分を、汚れなどないと否定しながらも、お前は汚れていると矛盾に満ちて責め立てるような、この家……。
「そりゃ……こんな空間に入ったら、狂いたくも、なるぜ……」
ノアは静かに独り言を呟いて、自分の理性と戦う。
芸術齧りの俺でさえ、こんな風になってしまうのに……この街にいる芸術家達が、こんなところに入ったら、もう感動なんてモンを通り越して、精神の限界を迎えるだろう。
というより、普通の神経の持ち主であれば、この廊下を歩くという事すら耐えられるかどうか怪しい。左右前後どこを見ても、白、白、白……。何もない事の方が、逆に脳みその回路をぐちゃぐちゃにしていく。
そんな真っ白な空間に自分という汚物を入れてしまえば、なんと愚かしい存在に思えるだろうか……。そりゃ、下手すれば幻覚も見えて、霊やら呪いやらと騒ぎ立ててもおかしくは無いだろう。
少なくとも、ノアはそう感じさせられる。
だが……入ってから分かった事があるぜ、ドンベルト・ワーナーさんヨ。
ノアは一歩一歩、壁に手を当てて歩きながら確信していた。
あんたの本当の最後の作品は……この家なんだろう? この家にある空間そのものが……あんたが作り上げたかった、『身の潔白』なんだろう? そんな思いがひしひし伝わってく……。
スカッ……
「おわぁッ!!」
ピピ「ノア!?」
突然、肉眼で見えるものは当てにならないので、壁を右手で支えてたはずのところに突然、空間があった。
この白さのせいで、平均感覚も何もあったもんじゃない……。おかげで足元がおぼつかない状態だったノアは、精神的にも参っているせいもあって結構、重心かけて壁にもたれかかるように右手で体を支えていた。
そんなもんで、そりゃ、空間がありゃ右方向に思いっきりずっこけるって話で……クソ! なんだってこんな分かりづらい間取りの家なんか作りやがった……!
「……ッああクソ! なんでもねえ! ちょっとすっ転んだだけだ……よ……」
ピピピ「ノア? おい、ノア? どうした?」
通信機越しに聞こえるヴァルの声は、聞こえてるはずなのに、まるでノアの頭に入らなかった。
なぜなら、ノアが転んだ空間はだだっ広い部屋になっていて……。
そしてそこには……作品が、並んでいた。間違いなく、初めて白以外の色のついた、ドンベルト・ワーナーの作品が。
だが……こんなの……こんなのって……!
ピピピ「ノア? おい? ……クソ……!」
ヴァルは、感覚だけで添えていた壁から手を離し、自分が進んでいた方向とは逆方向へ走っていく。
ノアと違い、ヴァルは何も感じないまま、ズカズカと先に進んでいて、芸術どうこうよりもノアと離れていることばかり心配していたのだが……なんと幸いな事だろうか。
皮肉なことに、この家が真っ白なおかげで、先に見えるノアの足! ヴァルは全速力で走って、すぐにノアのそばに駆け寄る。
「おい、ノア! 一体どうし……」
ノアの視線の先には……常人じゃ理解できない、いや、これは……誰に理解できるというのか? これが……消えた芸術家達の……亡霊の正体……作品なのか!?
「ドンベルト……ワーナー氏……!?」
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