殺人鬼と綺麗な人形はやがて手を取り涙する

なつみかん

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犬生活編

人形は哀しみに諦めをおぼえた-1

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恭華は意外にも大人しく監禁生活に慣れていった。
仮監禁が事前にあったことが功を奏したのかもしれない。

最初の週こそ、恭華の情緒が流石に安定せず、落ち込んだり、キツネに逆らえない事実に苛立ったり、毎日キツネに凌辱されることに怯え、夜が更けるにつれ落ち着きがなくなったりした。

一度、全力でキツネに抵抗をしたらしく、体中にひどい痣を作り、首の周りにくっきりと絞められた指の痕を残していた。

相当怖い思いをしたらしく、その日はキツネが仕事から帰った後も、稲荷から離れようとしなかった。

フロントに帰ろうとする稲荷を引き留め、稲荷が部屋を移動する度に後ろをついてまわった。
夜になり、自室に帰るという稲荷に、震えながら帰らないでくれと頼み込んだが、キツネにあっさり却下された。

キツネはキツネで恭華に罪悪感を覚えたらしい。次の週、三ツ星のフレンチレストランに連れていき、恭華を喜ばせていた。

今までキツネに罪の意識など皆無であった。やることなすこと罪だらけの男に罪悪などという意識は芽生えるはずもない。それが、たかだか恭華に暴力で委縮をさせた、それだけで自責の念を感じている。明らかな変化。
だがキツネに自覚はなく、恭華を喜ばすためだと言っていた。

恭華が捕らえられた際、キツネと恭華はルールを設けた。
と、言ってもキツネが一方的に提唱するルールを、恭華が己の身を守るために呑んだに過ぎない。

この規則に背くことがなければ、基本的に恭華に理不尽な暴力は振るわない、そう言われたから仕方なく。

ルールは単純であった。

一つ、マンションの外に出ない
一つ、キツネに抵抗しない

ただそれだけだ。

ただし、それを遵守できなかった場合、恭華の身を保証しない。つまり殺されようが何されようが文句は言わせないというものだ。

かなり渋々ではあるものの、恭華もルールを了承した。というより了承するしか選択肢がなかった。

そのルールを守り、恭華は本当に静かに暮らしていた。

だから油断をしていたのだ。
それはキツネだけではない。稲荷も揚羽においても同様だ。
何の前触れもなく、それはやってきた。

監禁生活も三週目を終えようとしていた時、恭華が脱走した。

キツネ、稲荷がペアで仕事に出ていて、揚羽も途中で仕事が入り、完全にマンションは空だった。

いつもはポチと昼を過ごすが、そのポチも具合が悪く、その日は恭華が一人だったのだ。

一人になる機会は過去にもあったが、何事もなく大人しくお留守番をしていた。だからこその油断。

どこにも逃げられる場所などない。逃れる術などないと、十分に理解していると思っていたから。

何も持たずに逃亡など、と思うかもしれない。

だが恭華を溺愛している(稲荷の表現)キツネは、恭華をデレデレに甘やかしていた。大金を与え、不自由がないように欲しがるままに全てを与えていた。

元々、食べ物以外に物欲がない恭華だ。そんな恭華が何かを欲しがると、吊り上がっているキツネ目を限りなく垂れ下げて歓喜した。

その中にスマホも入っていた。
稲荷や揚羽は断固反対したが、スマホにはGPSも搭載されているから抑止にもなるだろうという、キツネに気圧された。

本音は喜ぶ恭華を見たかっただけだろう。

脱走時、それを知ってか知らずか、恭華はご丁寧にスマホを置いていった。

「キ、キツネさん?」
部屋に戻り、もぬけの殻となったリビングに立ち尽くすキツネを恐る恐る覗き見る。

部屋が凍えるように寒いのは、季節のせいでは決してない。

キツネが全身から発している殺気と、みなぎらせている怒気が部屋全体の温度を限りなく下げている。

「ヒッ・・・」
薄らと開かれたキツネの目を見て、稲荷が短い悲鳴を漏らす。

ターゲットを前にしたキツネからもこんな途轍もない殺気を感じたことなどない。
目を見たそれだけで、全身の毛が逆立った。寒気が止まらない。

もう生きている恭華に会うことはないだろう。それを確信させられるような気迫と殺気。

この部屋にいたら稲荷だって間違いなく危ない。

「キ、キツネさん、俺、仕事戻るッスね・・・」
蚊の鳴く声よりも小さく囁くと、稲荷は逃げるように部屋を後にした。

エレベーターの中、今でも動悸が収まらず、止まらない震えを抑えるように両腕を擦りながら気持ちを落ち着かせる。

残念だ。恭華を可愛がっていただけに非常に残念だ。
だが無理だ。到底、アレから恭華を庇ってやれる気がしない。

木偶の坊のように立っているのが関の山だ。

寂しさを残し、己の無力さを悔いながらも、『さよなら恭華ちゃん』と小さく呟いた。

あっさりとマンションから抜け出すことに成功した恭華は、久しぶりの都会の喧噪に気持ちを高揚させていた。

逃げるつもりは毛頭ない。逃げ延びることなど、到底無理だとこの身をもって証明されているのだから。逃げたら地獄を見ると散々学習させられたのだから。

ただこっそり遊びに出ただけだ。

キツネたちが仕事から帰ってくる前には戻る。

買い物をし、買い食いをし、一人でゆっくり映画を観て、そしてシンデレラが帰らなければならない時刻が迫っていた。

だが、想像以上に楽しい。小学生が帰り道、こっそり買い食いをする時のように、門限を過ぎた学生寮からこっそり抜け出した時のように、旦那に見つからないように、夫婦の愛の巣で女と寝る時のように。

スリルと解放感が相まって興奮を呼び覚ます。

そうだ、最後に智輝に会って帰ろう、そう思い立った。

智輝の番号なら暗記をしている。すっかり天然記念物並となった公衆電話ボックスをやっとの思いで見つけ、プッシュする。

ワンコール、ツーコール、スリーコール・・・非通知では出てくれないかと諦めかけていたが、受話器から声がした。

『もしもし?』
既に懐かしくある智輝の声は、完全に電話の相手を警戒していた。

それでも恭華は嬉しくなり声を上げる。

「あ、智輝?俺おれ!」
恭華と続けようとした時、ガンッと激しく何かを叩きつける音がし、受話器からはツーツーツーと終話を告げる音がする。

恭華の横を通過して伸びた腕が、受話器のフックを下げたのだ。

切れてしまった受話器を戻す事すらできず、恭華は真っ直ぐ前を見つめる。

見つめる先にはガラス越しに映っている男としっかり目が合っていた。

激怒している。憤怒している。

それがガラス越しでもはっきりと伝わる表情で恭華を見ている。
口元はいつものように凶悪なまでに三日月を描いているが、開かれた細い目は酷く冷たい。

それに背後からただならぬ殺気を、冷気を感じる。

ボックスの中が冷蔵庫のように冷え冷えする。
そして自分は鮮度を保つために瞬間冷凍されたマグロ。

さっきまでの楽しさがウソのようだ。今ではスリルなど無用の長物だと思う。強く思う。

怖い。逃げたい。背中から死の気配が迫ってきている。だが入口は男が塞いでいる。

目を逸らした瞬間に殺される、そういう先入観さえ与える冷眼に、恭華は目を離せずにいた。

「キ、キツ・・・に、逃げ、逃げて、逃げた、わけじゃ・・・な、なく、て・・・」
息が上がり、舌が回らずに上手く喋れない。

恭華の言い訳のような言葉にも、キツネは無言だ。

無言ではあるものの、その目は如実に語っていた。

ルールを破ったなと・・・殺すと・・・

何も言わないキツネに怯えと不安を感じ、恭華の目が潤んでいく。

「た、ただ・・・あ、遊び、遊びに、い、行きた、くて・・・」
しどろもどろに説明する。

恭華が言葉を途切れさせると、ボックス内に沈黙が訪れた。

それが怖くて懸命に言葉を探し、繋いだ。

「ちゃ、ちゃんと!・・・ちゃ、ちゃ、ちゃんと、か、か、帰っ・・・」

「来なさい」
やっと発せられた声は低く冷たく短い。

恭華から受話器を取り上げフックに戻すと、加減なく恭華の手首を捕える。

「痛っ!!ま、待って!キツネ聞いて!!」
力の差を十分に理解していた恭華は振りほどくことなどできないことは知っていた。
だがここでキツネに分かってもらわなければ。

ズルズルと引き摺るように電話ボックスから外へと外へと引き出していく。

電話ボックスの出口の縁を掴み、最後の抵抗を見せる。

「キツネ!!ちゃんと帰るつもりだった!逃げる気なんて・・・」

ボックスから手を離さない恭華をキツネが鋭く睨みつける。

「もしそうだとしても、貴方がルールを破ったことに変わりはありません」
二の句を恭華に続けさせないと、ぴしゃりと言い放つ。

「ル、ルールを破ったことは・・・謝る。ごめんなさい。でもっ!」
人通りの多い、大通りの電話ボックス。

何だ何だと徐々に人だかりができていく。

揉め事か?痴話喧嘩か?とコソコソ会話が聞こえる。

だがそんなことを気にしている場合ではない。こっちは命がかかっているのだ。

「何を仰っても無駄ですよ?貴方の運命は既に決まっています」

敵わない恭華はあっさりとシェルターである電話ボックスの中から引きずられ、野次馬からの痛いほどの視線を受けながら、車へと連れ込まれた。

車の中には絶対にいると思っていた、最後の頼みの綱、稲荷がいなかった。

「嫌だっ!」
キツネが話をきちんと聞いてくれるまではマンションに戻りたくない。

なおも抵抗を見せ、車から出ようとする恭華を、忠告も躊躇もなく、キツネが殴り倒した。

「カッ、ハッ!!」

胸を強打され、呼吸さえまともに出来ずに前屈姿勢になる。

口を大きく開け、涎をダラダラと垂らしながらヒクヒクと痙攣する。

「キ、キツ・・・」
出ない声を絞り出し、キツネを呼び止めようとするが、キツネは後部席から出ていき、運転席へと移動する。

パクパクとしばらく口だけ動かしていた恭華だったが、やがて静かに意識を失っていった。
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