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犬生活編
人形は哀しみに諦めをおぼえた-5 ◆
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「おはようございます」
聞きたくもなかった悠長な低い声が広くシンとした廊下に響く。
寝覚めの悪い恭華には珍しく、その一言で目を覚ました。
硬い床に無理な体勢、腹の違和感や尻の痛みからもう意識は随分前から覚醒に近づいていた。
「ごはんです。仕事に出なければいけないので早く召し上がってください」
昨日同様に恭華の前にエサ用の器が置かれた。
本日のメニューは炒飯にエビチリ、野菜炒め。
こんな形で出されなければ、手放しで喜ぶメニューだっただろう。
恭華は首を振り、拒否を示す。
だが昨日のように頭を押し付けられ、無理矢理食べさせられた。
水の器も与えられたが殆ど飲まなかった。
飲めば尿を足したくなる。
これまた同様、鎖を巻かれ壁にトビウオの標本のような状態で中腰体勢を強要される。
抉れた手首には包帯が巻かれ、痛みが緩和されたとはいえ辛い事に変わりはない。
「や、外し」
パーンッ
頬に平手が飛び、恭華が黙り込む。
「本日は粗相のないよう気を付けてくださいね。では行って参ります」
キツネが背を向け、部屋から出ていった。
姿が見えなくなり、恭華の肩の力が抜ける。まただ、またこの辛い体勢との長きにわたる格闘を繰り広げなければいけないのだ。
そう思うと朝から涙が出た。誰もいない部屋で、何に恥じる事なく大声で泣く。
「ただいま帰りました。イイコにしていましたか?」
ガクガクと崩れ落ちそうに足を震わせながら、汗まみれになっている恭華の元へと歩み寄る。
「ハアハア」
ぐったりと頭を垂れている恭華から荒い息遣いが聞こえた。
「おや、戻してしまったんですか?それにお腹も緩いですね」
トイレシートに吐き出された吐瀉物と、殆ど白濁色の緩い便を見てキツネが呟く。
鎖が放たれた瞬間に支えを失った恭華が降ってくる。
「貴方、尿は?」
全く力の入っていない恭華を片腕で抱き留め、問う。
その問いに小さく首を振った。
「我慢したのですか?」
また首を振る。
我慢したのではなく、出なかったのだ。
昨日、散々吐き、泣き、汗をかき、下痢をしたにもかかわらず、水分を摂取していない。催さなかったのだ。
「脱水症状になりますよ?・・・水分取りましょうか」
キツネの呼びかけに無反応な恭華と向き合うように両肩を支える。
「恭華さん?」
ペチペチと頬を手の甲で軽めに叩く。
完全に意識のない恭華はぐったりと身体を預け、硬く目を閉じていた。
「仕方ありませんねぇ」
汗で貼り付いている髪を指で優しく梳いていく。
大事そうに恭華を抱え、キツネは不敵な笑みを浮かべ、バスルームへと消えていった。
「おはようございます」
今日も降り注ぐ不快な声に、恭華が目を開ける。
「ごはんです」
見慣れた器に恭華は首を振る。
今日は嫌だという反発ではなく、本当に食欲がないのだ。
器が恭華の倒れている脇に置かれた。
ああ、今日も頭を押さえつけられ、強制的に犬のように食べさせられるのか。
諦めに目を閉じた恭華だったが、予想に反して影が遠のく気配を感じる。
「ここに置いておきます。お腹が減りましたら召し上がってください。それとお水です。これは今飲んでください」
そういうとコップ一杯の水が差しだされた。
そこで初めて気がついたが、手錠が前に回されている。
不自由ではあるものの、手が使える。
驚きに自分の手をしばらく見つめていると、キツネが恭華にコップを握らせた。
渡されるままにゴクゴクと飲む。久々に喉を潤す水の美味しさを感じ、最後の一滴まで飲み干した。
「ここにお水も置いておきますから、我慢せずに飲んでください。いいですね?」
強めに念を押され、気圧された恭華がコクリと頷く。
満足気にそれを見たキツネがニマッと笑みを深くする。
「行ってきます」
キツネの姿が見えなくなり、恭華がホッとする。
それにしてもどういう心境の変化だろうか?
手錠が前に回されただけではなく、今日は鎖も巻かれなかった。
この長さなら、ブルーシートを出て、その先へ行くことも可能なのではないかと、鎖をチャラッと持ち上げる。
いや、だからと言ってこの空間から出たら怒られるのだ。もうそんな気力さえ残っていない。
起き上がることもせず、恭華はその場で目を閉じる。
あとどのくらいこの生活が続くのか。
あとどれくらい何も食べなければ死ねるだろうか。
昨日気が付いたが、声を失っていた。喋りたくても声が出せないのだ。
息を漏らす音、喃語以外、全く出ない。
出たとしても引っ叩かれるだけの今、丁度良かったという安心感しか湧かない。
早く、早く、早く、死にたい。死神からの迎えを待っている。
早くと願いながら、心身共に疲弊していた恭華は眠りについていった。
「ただいま帰りました」
恭華のもとにキツネがしゃがみ込む。
薄らと目を開け、キツネの姿を確認すると、小さく頷きすぐに目を閉じる。
身を守るように丸く眠る恭華からは、誰も近付くな、誰も触れるなと言っているかのようだった。
「貴方、食べなかったのですか?水も飲んでいませんね」
手付かずとなっている二つの器をキツネが見つめる。
朝置いた位置から寸分もズレていない。
そして
「トイレに行かなかったのですか?」
鎖をあえて長くして出たキツネがトイレシートを目にして驚く。
キッチンやリビングは難しくてもトイレまでならば行ける長さだ。
しかしシートには極少量の尿の形跡がある。
漏らさないよう、こぼさないよう綺麗にしたつもりだが、咎められるのかと、恭華が身を硬くする。
「お腹すきませんか?何か作りましょうか?」
キツネの問いに怒られる訳ではないと知り、ホッとしながらも首を振る。
「そうですか・・・ではお風呂に入りましょう」
目に見えて衰弱している恭華に、珍しくキツネの顔に悔恨の表情が浮かぶ。だが残念ながら恭華はその表情を見てはいない。
お風呂もいいから放っておいて欲しい。
やることだけやれば何も文句はないだろう?
そう思ったが言葉にはできない。
キツネに抱え上げられ、大人しくバスルームへと連れていかれる。
叩かれて腫れている尻がお湯で染みて小さく呻く。
時々、人形にでも語り掛けるかのように口を開くキツネの言葉に少しの反応を見せるだけで、殆ど何の反応も見せなかった。
ブルーシートに戻され、キツネに犯されている時でさえ、時々「ぅ」と小さく漏らす以外、何も言わずに大人しく従う。
いつ解放されたか知らないが、いつの間にか意識を失っていたらしい。
目を覚ました時、事後処理がきちんと行われていた。真っ暗な廊下に伸びるリビングも同じく真っ暗で、静寂の音だけが聞こえていた。
聞きたくもなかった悠長な低い声が広くシンとした廊下に響く。
寝覚めの悪い恭華には珍しく、その一言で目を覚ました。
硬い床に無理な体勢、腹の違和感や尻の痛みからもう意識は随分前から覚醒に近づいていた。
「ごはんです。仕事に出なければいけないので早く召し上がってください」
昨日同様に恭華の前にエサ用の器が置かれた。
本日のメニューは炒飯にエビチリ、野菜炒め。
こんな形で出されなければ、手放しで喜ぶメニューだっただろう。
恭華は首を振り、拒否を示す。
だが昨日のように頭を押し付けられ、無理矢理食べさせられた。
水の器も与えられたが殆ど飲まなかった。
飲めば尿を足したくなる。
これまた同様、鎖を巻かれ壁にトビウオの標本のような状態で中腰体勢を強要される。
抉れた手首には包帯が巻かれ、痛みが緩和されたとはいえ辛い事に変わりはない。
「や、外し」
パーンッ
頬に平手が飛び、恭華が黙り込む。
「本日は粗相のないよう気を付けてくださいね。では行って参ります」
キツネが背を向け、部屋から出ていった。
姿が見えなくなり、恭華の肩の力が抜ける。まただ、またこの辛い体勢との長きにわたる格闘を繰り広げなければいけないのだ。
そう思うと朝から涙が出た。誰もいない部屋で、何に恥じる事なく大声で泣く。
「ただいま帰りました。イイコにしていましたか?」
ガクガクと崩れ落ちそうに足を震わせながら、汗まみれになっている恭華の元へと歩み寄る。
「ハアハア」
ぐったりと頭を垂れている恭華から荒い息遣いが聞こえた。
「おや、戻してしまったんですか?それにお腹も緩いですね」
トイレシートに吐き出された吐瀉物と、殆ど白濁色の緩い便を見てキツネが呟く。
鎖が放たれた瞬間に支えを失った恭華が降ってくる。
「貴方、尿は?」
全く力の入っていない恭華を片腕で抱き留め、問う。
その問いに小さく首を振った。
「我慢したのですか?」
また首を振る。
我慢したのではなく、出なかったのだ。
昨日、散々吐き、泣き、汗をかき、下痢をしたにもかかわらず、水分を摂取していない。催さなかったのだ。
「脱水症状になりますよ?・・・水分取りましょうか」
キツネの呼びかけに無反応な恭華と向き合うように両肩を支える。
「恭華さん?」
ペチペチと頬を手の甲で軽めに叩く。
完全に意識のない恭華はぐったりと身体を預け、硬く目を閉じていた。
「仕方ありませんねぇ」
汗で貼り付いている髪を指で優しく梳いていく。
大事そうに恭華を抱え、キツネは不敵な笑みを浮かべ、バスルームへと消えていった。
「おはようございます」
今日も降り注ぐ不快な声に、恭華が目を開ける。
「ごはんです」
見慣れた器に恭華は首を振る。
今日は嫌だという反発ではなく、本当に食欲がないのだ。
器が恭華の倒れている脇に置かれた。
ああ、今日も頭を押さえつけられ、強制的に犬のように食べさせられるのか。
諦めに目を閉じた恭華だったが、予想に反して影が遠のく気配を感じる。
「ここに置いておきます。お腹が減りましたら召し上がってください。それとお水です。これは今飲んでください」
そういうとコップ一杯の水が差しだされた。
そこで初めて気がついたが、手錠が前に回されている。
不自由ではあるものの、手が使える。
驚きに自分の手をしばらく見つめていると、キツネが恭華にコップを握らせた。
渡されるままにゴクゴクと飲む。久々に喉を潤す水の美味しさを感じ、最後の一滴まで飲み干した。
「ここにお水も置いておきますから、我慢せずに飲んでください。いいですね?」
強めに念を押され、気圧された恭華がコクリと頷く。
満足気にそれを見たキツネがニマッと笑みを深くする。
「行ってきます」
キツネの姿が見えなくなり、恭華がホッとする。
それにしてもどういう心境の変化だろうか?
手錠が前に回されただけではなく、今日は鎖も巻かれなかった。
この長さなら、ブルーシートを出て、その先へ行くことも可能なのではないかと、鎖をチャラッと持ち上げる。
いや、だからと言ってこの空間から出たら怒られるのだ。もうそんな気力さえ残っていない。
起き上がることもせず、恭華はその場で目を閉じる。
あとどのくらいこの生活が続くのか。
あとどれくらい何も食べなければ死ねるだろうか。
昨日気が付いたが、声を失っていた。喋りたくても声が出せないのだ。
息を漏らす音、喃語以外、全く出ない。
出たとしても引っ叩かれるだけの今、丁度良かったという安心感しか湧かない。
早く、早く、早く、死にたい。死神からの迎えを待っている。
早くと願いながら、心身共に疲弊していた恭華は眠りについていった。
「ただいま帰りました」
恭華のもとにキツネがしゃがみ込む。
薄らと目を開け、キツネの姿を確認すると、小さく頷きすぐに目を閉じる。
身を守るように丸く眠る恭華からは、誰も近付くな、誰も触れるなと言っているかのようだった。
「貴方、食べなかったのですか?水も飲んでいませんね」
手付かずとなっている二つの器をキツネが見つめる。
朝置いた位置から寸分もズレていない。
そして
「トイレに行かなかったのですか?」
鎖をあえて長くして出たキツネがトイレシートを目にして驚く。
キッチンやリビングは難しくてもトイレまでならば行ける長さだ。
しかしシートには極少量の尿の形跡がある。
漏らさないよう、こぼさないよう綺麗にしたつもりだが、咎められるのかと、恭華が身を硬くする。
「お腹すきませんか?何か作りましょうか?」
キツネの問いに怒られる訳ではないと知り、ホッとしながらも首を振る。
「そうですか・・・ではお風呂に入りましょう」
目に見えて衰弱している恭華に、珍しくキツネの顔に悔恨の表情が浮かぶ。だが残念ながら恭華はその表情を見てはいない。
お風呂もいいから放っておいて欲しい。
やることだけやれば何も文句はないだろう?
そう思ったが言葉にはできない。
キツネに抱え上げられ、大人しくバスルームへと連れていかれる。
叩かれて腫れている尻がお湯で染みて小さく呻く。
時々、人形にでも語り掛けるかのように口を開くキツネの言葉に少しの反応を見せるだけで、殆ど何の反応も見せなかった。
ブルーシートに戻され、キツネに犯されている時でさえ、時々「ぅ」と小さく漏らす以外、何も言わずに大人しく従う。
いつ解放されたか知らないが、いつの間にか意識を失っていたらしい。
目を覚ました時、事後処理がきちんと行われていた。真っ暗な廊下に伸びるリビングも同じく真っ暗で、静寂の音だけが聞こえていた。
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