殺人鬼と綺麗な人形はやがて手を取り涙する

なつみかん

文字の大きさ
55 / 84
犬生活編

人形は哀しみに諦めをおぼえた-8

しおりを挟む
あの日以来、恭華に声も表情も戻ってはいない。

首を絞められた痕も、尻の痣も、頬の腫れもすっかり消え、手首の傷も薄くなった。
間もなく一か月が過ぎようとしているのだが、恭華の心には深く傷跡を残していた。

たった四日間、人間の生活を離れただけであったが、その刷り込みは大きく、日常生活に支障をきたす程に影響していた。

大好きな食事も、前ほど食べなくなった。

時々、自分が箸やフォークを使っていることに嫌悪を抱くようで、食事の途中でその存在を認識し、投げ捨てる事もある。

トイレに自由に行けるようになった今でも、水分を取ることに随分ためらう。

一日に極少量しか摂取せず、トイレも一回しか行かない。トイレに行く行為そのものが恭華にストレスを与え、トイレに行った時は必ず吐いて帰ってくる。

とにかく情緒は不安定だ。

基本的に無表情で無気力だが、突然癇癪を起こしたり泣いたりする。

それでも変わらず毎日毎日世話をする稲荷には少しずつ心を開いていった。

また変化があったのは恭華だけではない。

キツネにも変化は訪れていた。

キツネが恭華にした仕打ちを悔いているのだ。

「恭華さん、ごめんなさい。僕が愚かでした。ですから笑ってください、声を聞かせてください」
毎日そう言って恭華に謝るのだ。

夜も慎重すぎるぐらい丁寧に慣らした後、一回で必ず終わらせる。
もちろん事後処理も行い、恭華を抱きしめて寝る。

仕事がない時間はずっと恭華のそばにいる。ずっと恭華に話しかけている。
だが恭華の心は閉じたままだ。

時々、窓をじっと見つめていることがある。

稲荷はその姿を見るとギョッとする。また飛び降りるのではないかと。
恭華の目の輝きは戻らず、まだ死をすぐ近くに見つめているのだから。

だからこそ、24時間ずっと誰かが恭華のそばにいる。ポチも心配して頻繁に恭華に会いにくる。

ある日、そんな稲荷の心配は的中した。

その日仕事を終えたキツネが脱いだ上着のポケットに、銃が入っていた。

その銃を目にした恭華が取り出し、迷わずに自分のこめかみに当て、無表情で引き金を引いた。キツネにでも、稲荷にでもなく、自分にむけて。

キツネも稲荷も気が付き止めようとした時には遅かった。

カチッ

一発目に弾が入っていないことを知ると、連続でカチカチと引き金を引いた。
全ての引き金を引き終えて、弾が入っていなかったことを知ると興味を失ったように銃を捨て、何事もなかったかのように就寝した。

キツネも稲荷も顔は真っ青だった。

仕事で全て撃ち終えた銃だったから良かったものの、実弾が入っていたら間に合わなかった。
確実に恭華は頭を撃ち抜いていた。
それほどまでに何の迷いも未練も感じさせなかった。

真っ青な二人は顔を見合わせた。
そしてキツネは稲荷にこう言った。

自分の知らないところで、力の及ばないところで、大切な人が死ぬということが、こんなに怖い事だとは知らなかった、と。

それは何も考えずに人を殺してきた殺戮兵器が人に一歩近づいた瞬間であった。

心を閉ざしたままの恭華より、キツネの行動を意外に思うことのほうが多い。

すぐに諦めて記憶を改ざんするだろうと思ったからだ。

またそれが一番いいと稲荷も考えていた。

しかしキツネの答えはNO。

影響を受けやすい恭華を慮ってのことだ。四日分の改ざんに耐えられないだろうということからだった。

確かに以前、たった数分間の記憶を塗り替えられただけで、吐き気と頭痛が止まらなかった。

これを聞いた時、稲荷は正直驚いた。
まさかキツネがその能力による後遺症を考慮する日がくるなんて。


ある晴れた日の午前、突然キツネが言った。

「どうやら僕、恭華さんを特別に思っているみたいです」

唐突に告げられた言葉に稲荷も揚羽も驚いた。

少し前あたりから、恭華が苦痛に歪んだり泣いたりする顔より、喜んでいる笑顔の方が今は見たい。とにかく無表情なのが辛い、そう稲荷と揚羽にこぼしていた。

皮肉にも恭華が人間らしさを失った分、キツネが人間に近付いている。

「だ、だと思ったッスよ?」
「え、ええ。存じておりました」
二人で顔を合わせながらパチクリとする。

「おや?何故ご存じなのでしょう?」

「いや、だって・・・扱いが明らかに違いすぎるッス」
どうでもいい人間と恭華への扱いが全く違う。

それは最初から、本当に最初から分かっていた。

だが、
いずれは殺してしまうただのお気に入りの玩具なのか、
ずっと愛していきたい愛しい一人の人間なのか、
その判断にいまいち稲荷も自信がなかった。

揚羽は気が付いていた。だからこそ、最初から恭華のことが嫌いだったのだ。

「そうですか・・・では僕、告白してきますね」

恥じらう乙女のように顔を赤らめ、もじもじした後、踵を返した。

「え?は?エエっ!!?ま、待って!キツネさん待ってください!」
ただでさえ、気持ちが届くか怪しい、成功率の低い告白。

今の恭華の状態ではまず間違いなく断られるだろう。
何の反応も見せずに断る恭華の姿が目に浮かぶ。

「何です、稲荷?」
出鼻をくじかれるように呼び止められ、キツネが不満そうに声を上げた。

「今センセーが診察中ッス!!そ、それに・・・約束してほしいッス!フラれても絶対に恭華ちゃんに暴力振るわないって!」
フラれたキツネが何をどう反応するのか全く予測ができない。

ようやく稲荷には心を開き始めたのだ。それを無にする行為だけは阻止したい。

恭華は定期的に九尾の診察を受けている。
九尾は精神科医ではないため、専門的なことはよく分からないらしいが、薬の処方とカウンセリングを担当している。

そして九尾も時間の許す限り、懸命に恭華に向き合ってくれる人のうちの一人だ。

「あ、はい。大丈夫です、フラれませんから。もし、フラれても僕めげませんから」
にんまりとキツネが笑う。

その姿を見て稲荷が額に手を当て嘆く。

全然分かってねー、と。
誰がキツネの心配などしたか。

「ですからね、・・・ってあれ?キツネさん?」
「もう行った。トロいんだよ、カスっ!」
キョロキョロとキツネを探す愚鈍な稲荷に揚羽が蹴りを入れる。

そして心配ならばとっとと追え、と追い打ちをかけるように蹴り飛ばす。

「痛っ!揚姉、痔になるっ!!・・・ありがとう、行ってきます」
嬉しい。嫌いだと言っても恭華を心配している揚羽の優しさが。

その優しさをもう少し稲荷にも分け与えてくれれば・・・

蹴られた尻を撫でながら、キツネの後を追った。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

終焉の晩餐会:追放される悪役令息は、狂欲の執事と飢えた庭師を飼い慣らす

河野彰
BL
かつて、ローゼンベルグ家の庭には白薔薇が咲き誇っていた。嫡男リュシアンは、そのバラのように繊細で、風が吹けば折れてしまいそうなほど心優しい青年だった。しかし、名門という名の虚飾は、代々の放蕩が積み上げた「負の遺産」によって、音を立てて崩れようとしていた。 悪役になり切れぬリュシアンと彼を執拗にいたぶる執事のフェラム、純粋な愛情を注ぐ?庭師のルタムの狂気の三重奏。

氷の檻に閉じ込められた月~兄上のすべては、私のもの~

春野ふぶき
BL
『兄上は私のものだ。魂も、肉体も。永遠に―—』 アーヴェント侯爵家の長男ライカは、妾腹として正妻に虐げられ続けてきた。 唯一の救いは、次期当主を目される異母弟カイエンの存在。 美しく聡明で、氷の騎士と呼ばれる彼だけは、常にライカの味方だった。 だが、その愛情は兄を守るものではなく、深く歪んだ執着だった。 母を排除し、兄を囲い込み、逃げれば鎖で捕らえる。 そしてついに、ライカの心身は限界に追い詰められていく。 ——カイエンが下す「最後の選択」とは。 ふたりが辿る結末は、幸福か、それとも狂気の果てか。

異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした

うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。 獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。 怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。 「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」 戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。 獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。 第一章 完結 第二章 完結

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺

スノウマン(ユッキー)
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。  大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?

お兄ちゃんができた!!

くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。 お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。 「悠くんはえらい子だね。」 「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」 「ふふ、かわいいね。」 律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡ 「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」 ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

処理中です...