殺人鬼と綺麗な人形はやがて手を取り涙する

なつみかん

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犬生活編

人形は哀しみに諦めをおぼえた-11

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全ての事情を稲荷が話終えた今、キツネの涙は嘘のように綺麗に消え去り、代わりに恭華が涙している。

キツネは口が顔からはみ出すのも時間の問題ではなかろうかと心配になるような深い笑みを浮かべている。

今道端を歩いていたら、間違いなく全員が全力で逃げる。口裂け女ならぬ口裂け男に出会ったと。

恭華の感情が、表情が戻り、最高潮に喜んでいる。更にその恭華がキツネに抱き着き泣いているという点が、キツネの笑みを一層深くした。

九尾が駆け付けた時、「俺の薬を自殺に使うとはいい度胸だな、ああん?」と胸倉をつかまれ、宙にブラブラと浮いた状態で有無を言わさず何度も殴打され。

しばらく呆然と見ていたキツネが、ハッとして止めに入った。

ドサッと落とされ、尻もちをついた恭華は痛む頬を押えながら九尾を上目遣いに見た。

般若が、鬼がそこにはいた。
ガタガタと涙目で震えだす恭華を冷たく見下ろし、九尾が言い放つ。

「そんなに胃洗浄が好きか。ならば俺がもう一度味わわせてやろう」

その死の宣告のような言葉に、ぷるぷる首を振り、近づく九尾から逃れるようにキツネにしがみついた。

勿論キツネは手放しで喜び、恭華を擁護した。

そしてバスルームからリビングへと移動し、今に至るのだ。

「まあ、あれだな。恭華の表情が戻ってよかったじゃないか」
冷静さを取り戻した九尾がお茶を啜りながら言った。

稲荷が淹れた日本茶をぬるいと罵り、文句を言いながら飲む。

「ホントによかった!」
そんなことでめげない稲荷が喜び恭華を見る。

両頬に痛々しく湿布を貼り、九尾の存在をチラチラ気にしながらキツネの脇に隠れている。

「恭華さんは相当キューちゃんに怯えていますね」
それにしても凄まじい怯えようだ。
カタカタと震えがキツネに伝わる。

普段なら真っ先に稲荷の脇に隠れそうなものだが、恭華自身本能的に分かっているのだろう。誰の元に隠れれば安全なのか。

「それにしてもどうしてこんなに・・・僕にでさえこんなに怯えたことはありませんよねぇ・・・」

キツネのその飄々とした物言いに、『ん?そうだったか?』と言いたげな恭華がキツネを見上げる。

「い、いやぁ、ホントどうしてッスかね~・・・ははっ」
稲荷がぬるいと罵倒されたお茶のおかわりを皆に注いで回る。その注ぐお茶以上に滝のような汗を流しながら。

「お前か、稲荷」
九尾が地底のドラゴンが唸るような低い声で稲荷を睨み据えた。

「ひぃっ!」
キツネにお茶を注いでいた稲荷が悲鳴を上げ、体の震えに合わせ、急須がカチャカチャと音を立てる。

恭華の震度が3なら、稲荷の震度は6といったところであろう。

「ち、ちが、ちが、違っ・・・」
ガチガチと歯の根が合わない稲荷はうまく口が回らない。

「稲荷、稲荷・・・」
困ったようにキツネが稲荷に声をかける。

稲荷が急須を傾けたまま金縛りに遭っているせいで、並々と注がれたお茶はとっくに表面張力を越え、ドバドバ溢れ出ていた。

「どうりで診察の時も硬直してるわけだ。俺はただの医者嫌いかと思っていたんだがな・・・なあ、稲荷?」
診察の時、恭華は九尾の一挙一動に警戒し、身を硬くしていたのだ。

目を細めた九尾がスクッと立ち上がる。

それを見て稲荷は急須を落とした。恭華はキツネの腕にギュッと力を込める。

稲荷から流れる大量の水分は、汗だけではなくなっていた。

まがいようもなく、涙も混じっている。

頬を叩かれただけの恭華が、それ以上に残虐なことをしてきたキツネ以上に九尾に怯える理由。
それは稲荷にあった。

稲荷との会話の中に、よく九尾は登場し、いかに残酷なことを平気でするかということを、切々と説いていた。

一日中、素っ裸で冷凍室に閉じ込められたこと。
処刑に使う電気椅子の実験台にされたこと。
お茶や食べ物に毒物を混ぜられ、死にかけたこと。
腹に水は何リットル入るのか、男の精液で実験されたこと。
尿道はどの程度の刺激で痛みを感じるのか、拡張され傷つけられたこと。
排便、排尿、射精を完全に管理された檻の中での生活を強いられたこと。
大人の玩具会社にいくらで売れるのかとオークションにかけられたこと。

もう毎日語られても尽きない程の惨たらしい、凄惨な内容であった。

それをモルモット実験のように、平然とやってのける医師の診察が恐怖でないわけがない。

そんな悪魔のような血も涙もない医師が恭華に怒っているのだ。歯の根が合わなくて当然だ。

「お、お、俺はただ!!ただ、恭華ちゃんがキツネさんにされていることがいかにマシかって思ってもらいたかったッス~!い、生きる希望を持ってもらいたかったッス」
だから悪気はない、と九尾に涙ながらに訴える。

「マシ?」
キツネの眉がピクリと動いた。

「え、あ・・・」

「そういえば明日はお休みでしたね、稲荷」
ニマッと薄い笑みを浮かべ、九尾に目配せをする。

「ほう、なら今日はうちに泊まるといい」
稲荷に歩み寄り、両腕で顔をガードするように構えている稲荷の腕を取る。

「い、イヤッス!!明日は恭華ちゃんとのんびりしようと・・・」

「ああ、大丈夫です。恭華さんには僕いるので」

ズルズルと引きずられ始める稲荷をあっさりと見放す。

「イヤァァァァッ!!キ、キツネさんっ!!恭華ちゃんっ!!!」

姿が見えなくなってなお、悲痛な叫びが聞こえる廊下を、恭華がコソッと覗き込んだ。

リビングに助けを求めるように片腕を伸ばし、廊下をモップのようにスーッと滑っていく稲荷と目が合う。

お互い泣いている。お互い震えている。お互い訴えかけるものがある。

た、たすけて
プルプル震える稲荷の目が訴える。

ご、ごめん無理だ
カタカタ震える恭華が小さく首を振る。

長い長い廊下を引きずられている間、ずっと合っていた二人の目は、靴も履かされずにドアの外に稲荷が連れ去られたことで、ようやく離れた。

稲荷大丈夫か?という意味をこめ、いつの間にか恭華の背後から恭華を抱き留めているキツネを見上げる。

「そういえばキューちゃん、ウミガメの産卵が見たいと言っていました・・・」

キツネの言葉に恭華がホッと胸を撫で下ろした。

ウミガメの産卵を見に行くだけなら、稲荷にだって酷いことはしないだろう、と。

勿論、キツネはウミガメになるのは稲荷で、孕卵と産卵を九尾によってさせられる意味で言ったのだが。

いつもならそれを伝え、恭華が驚愕と恐怖する様を見て興奮するところだが、今は不用意に怯えさせることもないと考えたキツネは黙っていた。

「恭華さんの表情が戻って本当に良かった。フフッ」
キツネが冷たい手で恭華の涙を拭っていく。

「感情を戻す程に恭華さんを怯えさせたキューちゃんに感謝ですね」

キューちゃんと聞き、叩かれた頬を思い出したのか、睫毛を震わせて頬を湿布の上から押さえる。

「大丈夫ですよ、キューちゃんは稲荷以外にはそこまで冷酷なことはしませんから」
恭華の熱で温まってしまった湿布を剥がし、代わりに自分の冷たい手で頬を包む。

「いえ・・・恭華さんにここまで怯えさせる話をした稲荷の功績になるのでしょうか?たまには役に立ちますねぇ」
フフッと笑うキツネに、思わず恭華も微笑んだ。

『本当はお前が泣いたからビックリして表情が戻ったのだ』とそう言いたかった代わりに笑みを浮かべたのだ。

「恭華さんっ!!」
自分に笑顔を向けてくれたことに嬉しさを抑え切れず、ギュッと恭華を抱きしめる。

ただ単に自分に笑顔を向けてくれることがこんなにも喜ばしいことであったなんて、キツネは知らなかった。

「恭華さん、これからは稲荷やお揚げ同伴であればお出かけしても構いません。事前に誰とどこで何をするのか申請し、許可を得れば一人でのお出かけも構いません」

キツネのいつになく寛容な言葉に驚き、恭華が目を見開く。

当のキツネは少し苦々しい顔でニンマリしているように見えた。

喜びに顔を輝かせた恭華がニコニコと嬉しそうに微笑む。

それを見ているだけで、何と幸せなことかとキツネは心から思った。
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