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お出かけ編
殺人鬼が感じたのはただ唯一の哀しみ-10 ◆
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その日の夜、恭華は決行に移した。
あらかじめ枕の下に忍ばせていたスタンガンを、男がいざ恭華に挿入しようと腰を進めた際、当ててやった。
バチンッ!!
と馬鹿でかい音がし、放った本人である恭華が一番驚いた。
目の前で散った火花と稲光のような電光に驚き、恭華は唖然とした。これ、人殺す威力があるのではないかと思える程の衝撃が恭華の手にも伝わったのだ。
「フフッ、これは驚きましたねぇ。まさか一番無防備なところを、それも武器まで使用して襲われるとは・・・」
しばらく動きがなかったキツネを心配したが、悠長に響いた声にホッとした。
だがやはり、と遺憾の念を感じずにはいられない。男には全く効いている様子がない。
諦めずに今度は長めにバチバチと当てる。
「フフッ、諦めが悪いですよ?」
キツネの細い目が開眼し、冷たく恭華を見降ろしている。声も低くなっている。
それだけで十分脅威を感じ、ゴクリと息を呑む恭華は完全に気圧されていた。
まだだ。
スタンガンを手放し、同じく枕の下に隠していたナイフを取り出す。
逆手に持ち、キツネの腰付近を目掛けて突き刺した。刺さった!と思ったが、そこにいたはずのキツネがいない。
「え?あれ?」
上体を起こし、キョトンとしていた恭華が真横に気配を感じてバッと振り向く。
「こんなもの、どこで手に入れたんです?威力が上がるよう改良されていますねぇ」
キツネの手には恭華が放り出したスタンガンが握られていた。
それを興味深そうにクルクル回しながら眺めている。
「ポチでさえ、一撃で・・・下手をしたら死にますね。僕が貴方に触れていなかったからよかったものの・・・」
「えっ!?」
そんなに強力?ただ暫く動けなくなるだけだって智輝は言っていた。
それに、それに、猛獣を一発で仕留めるスタンガンであれば、人間だって一撃で死ぬはずでは?
「キツネ、う、動いて・・・」
キツネは何もなかったかのように自由に動いている。舌だってきちんと回っている。それこそ震え始めた恭華よりも断然しっかりと。
「いつまで握っているつもりですか?手放しなさい」
恭華の質問には答えず、恭華のナイフを顎で示す。
いつの間にか恭華はカタカタと震えていた。イヤイヤと首を振り、ギュッとナイフを握る。
こんなもの、キツネを前にしては、熊に爪楊枝を向けて立ち向かっているようなものだ。そう理解していてもないよりはましだった。
今この恐怖をやり過ごすために、恭華には必要であった。
「恭華さん、何でも許されるなんて勘違いをさせるために、僕は優しくしていた訳ではありませんよ?」
キツネがゆっくりと恭華の首筋にスタンガンを押し当てる。
「ゃっ・・・」
自然に声は漏れ、体はピンッと硬直する。
キツネがスイッチに手をかける。それが入れられれば、恭華にはトラも一撃で仕留める程の強力な電撃が流れることになる。
口をキュッとへの字に結び、カタカタと震える。
「恭華さん?もしかして貴方、僕が恭華さんに強気に出れないとでも思っていますか?精神を壊すほどの酷いことはされないだろうと、そう?」
ブルブルと恭華が首を振る。
そんなことは思っていない。ただ・・
「キ、キツネが・・・意地悪したから・・・」
恭華の言葉にキツネが大きくため息を吐いた。
ビクッとする恭華に、キツネがスッとスタンガンを離し、ベッドに投げ捨てた。
「!?・・・・キ、キツネ?」
そのまま無言で寝室から出て行こうとするキツネに不安を感じて、つい呼びとめた。
「今日はもういいです。おやすみなさい」
振り返ることなくキツネがそう告げる。
やがてパタンと静かに扉が閉じられた。
キツネが部屋から出て行き、ようやく震える手からナイフを手放すことができた。
ナイフとスタンガンが広いベッドに残された。それに全裸の恭華もだ。丁寧に慣らされた孔はすっかり緊張し窄まり、ローションはとっくに乾燥していた。
怖かった。やっぱり実行するべきではなかった。結局得られるものが何もなかった。
恭華の予想に反して、報復はされなかった。刺し傷の二つや三つ覚悟していた。酷い性的虐待も。失敗の暁には性奴隷のように扱われることを覚悟してのことだ。だから決してキツネに酷くされないだろうと驕りがあったわけではない。
だが暴力を振るわれることよりも、振るわれなかった今の方が全然怖い。断然不安だ。
キツネがただ出て行った。たったそれだけなのに。
どこも何も傷つけられていないのに。
何故だか分からないがすごく痛い。
何故だか分からないがすごく悲しい。
どうしようもない不安に駆られ、キツネの後を追うように寝室の扉を開ける。
リビングはおろか、どの部屋も真っ暗で、キツネがどこに入ったのかも分からない。
「キツネ?」
廊下に向かって呼びかけてみたが、待っても返事はない。
仕方なく寝室へと戻り、電話もメールもLINEもしたが、何も反応がない。
くそ、何なんだこの胸のモヤモヤは。
結局恭華は一睡もできずに朝を迎え、部屋の掃除と食事の世話をしに来た稲荷に相談した。
「ああ、それはあれだね。恭華ちゃんがキツネさんを傷つけちゃったとこが怖かったんだね」
「傷つけたことが怖い?俺が?」
説明したら即答で返ってきた稲荷の言葉をすぐには理解できずに、オウム返しをする。
「そうだよ。恭華ちゃんはキツネさんを傷つけてしまったかもしれないことに戸惑って、不安を感じて・・・それで・・・」
「それで?」
「恭華ちゃんは認めたくないだろうけど、傷つけちゃったことでキツネさんから嫌われたんじゃないかって、怖かったんだよ」
「・・・・は?え?」
稲荷の言い方ではまるで、自分がキツネに気に入られたい、好きだみたいに聞こえる。
認めるもなにも、それはない。
いや、ないないないない。
嫌われるのが怖い?好都合ではないか、嫌われてしまった方が。
この監禁生活に終止符を打てるのだから。
「困らせちゃったかな?・・・とにかく、恭華ちゃんがキツネさんにしたことは、とっても悪いことだよ?」
「うん・・・」
それは自覚していた。不意打ち。卑怯で一番やってはいけないこと。それに少なくともキツネは誠意を持って恭華に接してくれていた。
きちんと前戯もしてさらにローションで慣らした上で、丁寧に抱こうとしてくれていたのだ。
「あと怖いから!ホントに怖いから!恭華ちゃんがやったことは、生きてて良かったね!ってくらい危険な行為なの、分かる?やめてよね」
稲荷が恭華の額をビシッと弾いた。
「いっ!」
弾かれた額を擦りながら恭華が頷く。
「じゃあほら、もうそんなに落ち込まないの。帰ってきたら謝るんだよ?」
罪悪感を背負っている影さえ見える程に恭華の元気がない。
「うん・・・稲荷、今日の晩御飯俺が作るよ・・・」
恭華の言葉に稲荷がふわりと微笑み頷いた。
本当に真っ直ぐないい子だ。
最後にはどうしても相手に付き合ってしまう恭華。断り切れない恭華だ。
精神的に相手に傷を負わせたことがないのだ。
だからこその不安や痛み、たとえ相手がキツネであってもだ。
稲荷は、キツネの存在が徐々に恭華にとってその他大勢ではない特別になってくれればいいと願う。
きっとこの罪悪を感じているということは、少なくともキツネが恭華にとってどうでもいい人間ではないということだ。
キツネのことを思いながら懸命に料理を考えて材料を口にする恭華の様子に微笑み、メモを取った。
「キツネ、お帰り!!!あの・・・」
恭華が玄関の上がり框の縁ギリギリに足の指先を立て、キツネを迎えた。
キツネが帰ってきたということを稲荷が連絡してくれたのだ。そして上がってくるまでの間、ドキドキと不安を募らせながら玄関で待機していた。
扉が開かれた瞬間に恭華がキツネに声をかけた。
懸命にキツネに伝えようと、前のめりに背伸びまでしていた恭華の横を、キツネが無言で過ぎていく。
恭華に一瞥もくれずに、まるで存在していないかのように無視していく。
無言で横を過ぎられた衝撃で頭が真っ白になりキュッと口を結んだ恭華が、即座に振り返り、腕を掴み引き止める。
「待って!!キツネ待って!き、昨日はごめんなさい!」
訴えかけるように背伸びしたまま謝る恭華の腕を無言で振りほどき、リビングへと消えていった。
「キツネ・・・・・・・・」
昨日から抱えていた不安はやがて涙に変わっていく。だがギリギリのところで零さないように堪える。
頭が真っ白を超え真っ暗になり、目に涙を溜めたまま呆然と立ち尽くす。
「キツネっ!!・・・・・キツネ・・・」
名前を何度も呼び、玄関ホールに涙を堪え震える声で名前を響かせるが、キツネには響かない。
キツネが冷たかった。完全に恭華を無視していた。
それならそれでいいじゃないか。無視してくれたら、これから先酷いことをされることもなく、理不尽な扱いを受けることもない。そっちの方が好都合じゃないか。
そう自分を納得させようと思っても、悲しさが勝る。酷くされるより、冷たい方が悲しい。辛い。
あれ?次は何をしたらいいんだっけ?どういう顔でキツネに会えば?それより、キツネを追いかけてリビングに入っていいんだっけ?
もしかしてこのまま・・・このまま出て行った方が・・・
玄関ホールに膝をつき、何も考えられない恭華の背中に不意にポンと手が置かれた。
ビクッと反応したが、冷たい手。この温度、知っている。
顔を上げるよりも先に体当たりのようにキツネに抱き着く。
「おっと・・・」
飛びついてきた恭華の衝撃で、しゃがんでいたキツネが少しよろけた。
「すみません、少しいじめ過ぎました」
クスッと笑い、ギュウッと抱き着いてきた恭華の背中をポンポンと叩く。
「キツネ・・・昨日はごめんなさい」
キツネに許されたことを知り、恭華がポロリと一粒こぼした涙を隠すように顔をキツネのスーツに擦り付ける。
「ええ、許します。恭華さんはお友達の智輝さんにたぶらかされただけですから」
キツネの言葉に恭華の動きが止まる。
「と、智輝は関係ない!!俺が勝手に智輝の部屋から盗んだんだ!」
「フフッ、それはいけませんねぇ。犯罪ですよ?」
違法行為だらけの男が言う。
「ですが、安心してください。智輝さんも許します。こんなに可愛らしい恭華さんが見れましたから❤」
フフフフフフフフッと玄関ホールに不気味なキツネの笑い声が響く。
何しろ恭華が自らキツネを求め、抱き着いてきたのだ。常に追う側であるキツネが恭華に追われる、非常に気分がいい。
恭華を抱えたままリビングへと向かい、潤んだ瞳の恭華に『料理を作った』と告げられたキツネが喜び悶えたのは言うまでもない。
「今度は毒でも混入させたのですか?」
と皮肉を言われ、恭華が落ち込む。
無言でうつむく恭華を見て、キツネがニマッと唇を持ち上げる。
「フフッ、意地悪が過ぎました❤冗談ですよ」
作ったのはキツネや稲荷などには到底足元にも及ばない、簡単な和食。しかしキツネはどれも美味しいと言って完食した。
恭華はこんな後味の悪い事は二度とすまい、やるなら正々堂々、戦おうと決意を新たにした。
あらかじめ枕の下に忍ばせていたスタンガンを、男がいざ恭華に挿入しようと腰を進めた際、当ててやった。
バチンッ!!
と馬鹿でかい音がし、放った本人である恭華が一番驚いた。
目の前で散った火花と稲光のような電光に驚き、恭華は唖然とした。これ、人殺す威力があるのではないかと思える程の衝撃が恭華の手にも伝わったのだ。
「フフッ、これは驚きましたねぇ。まさか一番無防備なところを、それも武器まで使用して襲われるとは・・・」
しばらく動きがなかったキツネを心配したが、悠長に響いた声にホッとした。
だがやはり、と遺憾の念を感じずにはいられない。男には全く効いている様子がない。
諦めずに今度は長めにバチバチと当てる。
「フフッ、諦めが悪いですよ?」
キツネの細い目が開眼し、冷たく恭華を見降ろしている。声も低くなっている。
それだけで十分脅威を感じ、ゴクリと息を呑む恭華は完全に気圧されていた。
まだだ。
スタンガンを手放し、同じく枕の下に隠していたナイフを取り出す。
逆手に持ち、キツネの腰付近を目掛けて突き刺した。刺さった!と思ったが、そこにいたはずのキツネがいない。
「え?あれ?」
上体を起こし、キョトンとしていた恭華が真横に気配を感じてバッと振り向く。
「こんなもの、どこで手に入れたんです?威力が上がるよう改良されていますねぇ」
キツネの手には恭華が放り出したスタンガンが握られていた。
それを興味深そうにクルクル回しながら眺めている。
「ポチでさえ、一撃で・・・下手をしたら死にますね。僕が貴方に触れていなかったからよかったものの・・・」
「えっ!?」
そんなに強力?ただ暫く動けなくなるだけだって智輝は言っていた。
それに、それに、猛獣を一発で仕留めるスタンガンであれば、人間だって一撃で死ぬはずでは?
「キツネ、う、動いて・・・」
キツネは何もなかったかのように自由に動いている。舌だってきちんと回っている。それこそ震え始めた恭華よりも断然しっかりと。
「いつまで握っているつもりですか?手放しなさい」
恭華の質問には答えず、恭華のナイフを顎で示す。
いつの間にか恭華はカタカタと震えていた。イヤイヤと首を振り、ギュッとナイフを握る。
こんなもの、キツネを前にしては、熊に爪楊枝を向けて立ち向かっているようなものだ。そう理解していてもないよりはましだった。
今この恐怖をやり過ごすために、恭華には必要であった。
「恭華さん、何でも許されるなんて勘違いをさせるために、僕は優しくしていた訳ではありませんよ?」
キツネがゆっくりと恭華の首筋にスタンガンを押し当てる。
「ゃっ・・・」
自然に声は漏れ、体はピンッと硬直する。
キツネがスイッチに手をかける。それが入れられれば、恭華にはトラも一撃で仕留める程の強力な電撃が流れることになる。
口をキュッとへの字に結び、カタカタと震える。
「恭華さん?もしかして貴方、僕が恭華さんに強気に出れないとでも思っていますか?精神を壊すほどの酷いことはされないだろうと、そう?」
ブルブルと恭華が首を振る。
そんなことは思っていない。ただ・・
「キ、キツネが・・・意地悪したから・・・」
恭華の言葉にキツネが大きくため息を吐いた。
ビクッとする恭華に、キツネがスッとスタンガンを離し、ベッドに投げ捨てた。
「!?・・・・キ、キツネ?」
そのまま無言で寝室から出て行こうとするキツネに不安を感じて、つい呼びとめた。
「今日はもういいです。おやすみなさい」
振り返ることなくキツネがそう告げる。
やがてパタンと静かに扉が閉じられた。
キツネが部屋から出て行き、ようやく震える手からナイフを手放すことができた。
ナイフとスタンガンが広いベッドに残された。それに全裸の恭華もだ。丁寧に慣らされた孔はすっかり緊張し窄まり、ローションはとっくに乾燥していた。
怖かった。やっぱり実行するべきではなかった。結局得られるものが何もなかった。
恭華の予想に反して、報復はされなかった。刺し傷の二つや三つ覚悟していた。酷い性的虐待も。失敗の暁には性奴隷のように扱われることを覚悟してのことだ。だから決してキツネに酷くされないだろうと驕りがあったわけではない。
だが暴力を振るわれることよりも、振るわれなかった今の方が全然怖い。断然不安だ。
キツネがただ出て行った。たったそれだけなのに。
どこも何も傷つけられていないのに。
何故だか分からないがすごく痛い。
何故だか分からないがすごく悲しい。
どうしようもない不安に駆られ、キツネの後を追うように寝室の扉を開ける。
リビングはおろか、どの部屋も真っ暗で、キツネがどこに入ったのかも分からない。
「キツネ?」
廊下に向かって呼びかけてみたが、待っても返事はない。
仕方なく寝室へと戻り、電話もメールもLINEもしたが、何も反応がない。
くそ、何なんだこの胸のモヤモヤは。
結局恭華は一睡もできずに朝を迎え、部屋の掃除と食事の世話をしに来た稲荷に相談した。
「ああ、それはあれだね。恭華ちゃんがキツネさんを傷つけちゃったとこが怖かったんだね」
「傷つけたことが怖い?俺が?」
説明したら即答で返ってきた稲荷の言葉をすぐには理解できずに、オウム返しをする。
「そうだよ。恭華ちゃんはキツネさんを傷つけてしまったかもしれないことに戸惑って、不安を感じて・・・それで・・・」
「それで?」
「恭華ちゃんは認めたくないだろうけど、傷つけちゃったことでキツネさんから嫌われたんじゃないかって、怖かったんだよ」
「・・・・は?え?」
稲荷の言い方ではまるで、自分がキツネに気に入られたい、好きだみたいに聞こえる。
認めるもなにも、それはない。
いや、ないないないない。
嫌われるのが怖い?好都合ではないか、嫌われてしまった方が。
この監禁生活に終止符を打てるのだから。
「困らせちゃったかな?・・・とにかく、恭華ちゃんがキツネさんにしたことは、とっても悪いことだよ?」
「うん・・・」
それは自覚していた。不意打ち。卑怯で一番やってはいけないこと。それに少なくともキツネは誠意を持って恭華に接してくれていた。
きちんと前戯もしてさらにローションで慣らした上で、丁寧に抱こうとしてくれていたのだ。
「あと怖いから!ホントに怖いから!恭華ちゃんがやったことは、生きてて良かったね!ってくらい危険な行為なの、分かる?やめてよね」
稲荷が恭華の額をビシッと弾いた。
「いっ!」
弾かれた額を擦りながら恭華が頷く。
「じゃあほら、もうそんなに落ち込まないの。帰ってきたら謝るんだよ?」
罪悪感を背負っている影さえ見える程に恭華の元気がない。
「うん・・・稲荷、今日の晩御飯俺が作るよ・・・」
恭華の言葉に稲荷がふわりと微笑み頷いた。
本当に真っ直ぐないい子だ。
最後にはどうしても相手に付き合ってしまう恭華。断り切れない恭華だ。
精神的に相手に傷を負わせたことがないのだ。
だからこその不安や痛み、たとえ相手がキツネであってもだ。
稲荷は、キツネの存在が徐々に恭華にとってその他大勢ではない特別になってくれればいいと願う。
きっとこの罪悪を感じているということは、少なくともキツネが恭華にとってどうでもいい人間ではないということだ。
キツネのことを思いながら懸命に料理を考えて材料を口にする恭華の様子に微笑み、メモを取った。
「キツネ、お帰り!!!あの・・・」
恭華が玄関の上がり框の縁ギリギリに足の指先を立て、キツネを迎えた。
キツネが帰ってきたということを稲荷が連絡してくれたのだ。そして上がってくるまでの間、ドキドキと不安を募らせながら玄関で待機していた。
扉が開かれた瞬間に恭華がキツネに声をかけた。
懸命にキツネに伝えようと、前のめりに背伸びまでしていた恭華の横を、キツネが無言で過ぎていく。
恭華に一瞥もくれずに、まるで存在していないかのように無視していく。
無言で横を過ぎられた衝撃で頭が真っ白になりキュッと口を結んだ恭華が、即座に振り返り、腕を掴み引き止める。
「待って!!キツネ待って!き、昨日はごめんなさい!」
訴えかけるように背伸びしたまま謝る恭華の腕を無言で振りほどき、リビングへと消えていった。
「キツネ・・・・・・・・」
昨日から抱えていた不安はやがて涙に変わっていく。だがギリギリのところで零さないように堪える。
頭が真っ白を超え真っ暗になり、目に涙を溜めたまま呆然と立ち尽くす。
「キツネっ!!・・・・・キツネ・・・」
名前を何度も呼び、玄関ホールに涙を堪え震える声で名前を響かせるが、キツネには響かない。
キツネが冷たかった。完全に恭華を無視していた。
それならそれでいいじゃないか。無視してくれたら、これから先酷いことをされることもなく、理不尽な扱いを受けることもない。そっちの方が好都合じゃないか。
そう自分を納得させようと思っても、悲しさが勝る。酷くされるより、冷たい方が悲しい。辛い。
あれ?次は何をしたらいいんだっけ?どういう顔でキツネに会えば?それより、キツネを追いかけてリビングに入っていいんだっけ?
もしかしてこのまま・・・このまま出て行った方が・・・
玄関ホールに膝をつき、何も考えられない恭華の背中に不意にポンと手が置かれた。
ビクッと反応したが、冷たい手。この温度、知っている。
顔を上げるよりも先に体当たりのようにキツネに抱き着く。
「おっと・・・」
飛びついてきた恭華の衝撃で、しゃがんでいたキツネが少しよろけた。
「すみません、少しいじめ過ぎました」
クスッと笑い、ギュウッと抱き着いてきた恭華の背中をポンポンと叩く。
「キツネ・・・昨日はごめんなさい」
キツネに許されたことを知り、恭華がポロリと一粒こぼした涙を隠すように顔をキツネのスーツに擦り付ける。
「ええ、許します。恭華さんはお友達の智輝さんにたぶらかされただけですから」
キツネの言葉に恭華の動きが止まる。
「と、智輝は関係ない!!俺が勝手に智輝の部屋から盗んだんだ!」
「フフッ、それはいけませんねぇ。犯罪ですよ?」
違法行為だらけの男が言う。
「ですが、安心してください。智輝さんも許します。こんなに可愛らしい恭華さんが見れましたから❤」
フフフフフフフフッと玄関ホールに不気味なキツネの笑い声が響く。
何しろ恭華が自らキツネを求め、抱き着いてきたのだ。常に追う側であるキツネが恭華に追われる、非常に気分がいい。
恭華を抱えたままリビングへと向かい、潤んだ瞳の恭華に『料理を作った』と告げられたキツネが喜び悶えたのは言うまでもない。
「今度は毒でも混入させたのですか?」
と皮肉を言われ、恭華が落ち込む。
無言でうつむく恭華を見て、キツネがニマッと唇を持ち上げる。
「フフッ、意地悪が過ぎました❤冗談ですよ」
作ったのはキツネや稲荷などには到底足元にも及ばない、簡単な和食。しかしキツネはどれも美味しいと言って完食した。
恭華はこんな後味の悪い事は二度とすまい、やるなら正々堂々、戦おうと決意を新たにした。
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