32 / 43
第6話 天使と牧師 Un Angelo e Un Ecclesiastico
(1)
しおりを挟む大道芸人が集まる通称「大道芸人の広場」から教会通りの石畳を少し歩いた突き当たりに、その教会は佇んでいる。
この国には教会が多いが、この町には何故かこの寂れた小さな教会しかない。
それが絵描きには不思議である。
さりとて元々信仰とは無縁である彼のこと、その理由を誰かに訊ねたこともなければ、特に興味がある訳でもない。
だからいつも漠然と、不思議だな、と思っているに過ぎないのだが――。
こうしてその教会の入り口の前にあるちょっとした広場のベンチに腰掛けて、朝と昼と午後と晩の四回、毎日鐘の音を響かせる鐘楼の高みを眺めながらも、そうして漠然と不思議だと思うだけである。
過度に装飾された教会の建物を見ても、人物画にしかほとんど興味のない絵描きにとっては、さして心を動かされるものでもない。
絵描き、として、様々なことを学んでいた昔には人工的な造形に興味を持った時もあったかも知れないが、それも昔のことで記憶もあやふやである。
もともとはそんなことも含めてあらゆる絵画や美術を学ぶためにこの町に来たことは、どうにか記憶の中にあったとは云え、ただの似顔絵描きとして「大道芸人の広場」で商売を始めてからはそんなことも忘れがちである。
だから、なのか、たまにこうして教会の建物をぼんやりと眺めて、昔を思い出して見ようと思うのかもしれない。
絵描きはそんなことを考えながら、そこにそうして座っている。
「こんにちは、絵描きさん」
そんな彼に声をかけて来たのは、牧師である。
この教会の牧師。
これも不思議なことだけれど、何故かこの教会には神父がいない。
何か行事があるときには、何処か別の教会から神父が一時的にやって来る。
その理由にも絵描きは興味がなかったが、どうやらこの牧師が神父がいない間は教会を護っているのだろうことだけは、知識としてわかっている。
ここで牧師が絵描きに声をかけて来るのは、だから、ごく自然なことでしかない。
「こんにちは、牧師さん」
絵描きは言葉少なに挨拶だけをする。
彼は牧師が牧師であることは知っていたが、こうして言葉を交わすのは初めてである。
そう云えば、自分が絵描きであることを、何故この牧師は知っているのだろうか?
「こんなところで座っていては、寒くはないですか?」
牧師は笑顔で絵描きにそう云う。
彼の笑顔はまるで太陽のように陽気な笑顔である。
こんな笑顔を何処かで見たような気がして、それがマギカの笑顔に似ていることに思い至る。
絵描きも笑顔を返す。
「大丈夫です。この季節でも外を歩いているのは慣れていますし」
「確かに。大道芸人の方々はそう云う意味では逞しいですしね」
牧師は頷く。
「しかし」と、牧師。
「最近は冬場は何処かに旅立ってしまう大道芸人も多いでしょう?」
「まあ、そうですね」
「あなたはずっと町にいるのですか、絵描きさん?」
「行く宛もありませんから」
「なるほど。それでしたら――」
牧師は自分の護っている教会の尖塔、鐘楼があるそれを見上げる。
「一度、教会にもいらっしゃってはいかがですか?」
「教会へ?」
絵描きは牧師を見つめる。
それから、首を振ってやんわりとその勧めを拒絶する。
「残念ながらぼくは信仰心が皆無ですから」
「そうですか。しかし神は分け隔てをしませんよ? 例えあなたが異教徒であったとしても、神はあなたが悩めば救ってくれますし、あなたが助言を求めれば正しい助言をしてくれます」
「それに」と、牧師。
「もしもあなたが罪を犯せば、罰することも厭いません」
「え?」
「それが神です。……それはどんな宗教でも同じではないでしょうか? そう思いませんか、絵描きさん?」
牧師は相変わらず、笑顔である。
絵描きは真顔で彼のそんな笑顔を凝視する。
「確かに……、そうかも知れませんね」
「そうです」
牧師は絵描きの肩に手を置く。
「正直なところ、私も寂しいのですよ」
「寂しい?」
「ええ。ご存知の通り、宗教は今時、流行りませんからね。なかなかに日曜日の礼拝以外には人々が訪れることも稀ですし、もとよりこの教会はいわゆる観光ルートでもありませんから」
絵描きは首を傾げる。
「どう云う意味、ですか?」
「端的に云いますと、聖職者ではありますが、私も人の子。茶飲み友達が欲しい、と云うことなんですよ。どうですか、絵描きさん? 私を助けると思って、お付き合いいただけませんか? 実は敬虔な信者の方から美味しいインド産のお茶をいただきましたので、ぜひ午後の紅茶を楽しみたいのですが」
牧師は今度は人懐こい笑顔で絵描きにウインクをして見せる。
絵描きは、一瞬、彼が何を云っているかわからず、茫然とした顔を見せた後、牧師の意図を理解して吹き出す。
「牧師さん」と、絵描き。
「思った以上にフランクな方なのですね?」
「云ったでしょう? 私も人の子なのですよ、絵描きさん」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる