終着駅 もしくは 希望(スペランツァ)の物語(2021)

ろんど087

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第6話 天使と牧師 Un Angelo e Un Ecclesiastico

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 大道芸人が集まる通称「大道芸人の広場」から教会通りの石畳を少し歩いた突き当たりに、その教会は佇んでいる。

 この国には教会が多いが、この町には何故かこの寂れた小さな教会しかない。
 それが絵描きには不思議である。
 さりとて元々信仰とは無縁である彼のこと、その理由を誰かに訊ねたこともなければ、特に興味がある訳でもない。
 だからいつも漠然と、不思議だな、と思っているに過ぎないのだが――。
 こうしてその教会の入り口の前にあるちょっとした広場のベンチに腰掛けて、朝と昼と午後と晩の四回、毎日鐘の音を響かせる鐘楼の高みを眺めながらも、そうして漠然と不思議だと思うだけである。

 過度に装飾された教会の建物を見ても、人物画にしかほとんど興味のない絵描きにとっては、さして心を動かされるものでもない。
 絵描き、として、様々なことを学んでいた昔には人工的な造形に興味を持った時もあったかも知れないが、それも昔のことで記憶もあやふやである。
 もともとはそんなことも含めてあらゆる絵画や美術を学ぶためにこの町に来たことは、どうにか記憶の中にあったとは云え、ただの似顔絵描きとして「大道芸人の広場」で商売を始めてからはそんなことも忘れがちである。

 だから、なのか、たまにこうして教会の建物をぼんやりと眺めて、昔を思い出して見ようと思うのかもしれない。
 絵描きはそんなことを考えながら、そこにそうして座っている。



「こんにちは、絵描きさん」

 そんな彼に声をかけて来たのは、牧師である。
 この教会の牧師。
 これも不思議なことだけれど、何故かこの教会には神父がいない。
 何か行事があるときには、何処か別の教会から神父が一時的にやって来る。
 その理由にも絵描きは興味がなかったが、どうやらこの牧師が神父がいない間は教会を護っているのだろうことだけは、知識としてわかっている。
 ここで牧師が絵描きに声をかけて来るのは、だから、ごく自然なことでしかない。

「こんにちは、牧師さん」

 絵描きは言葉少なに挨拶だけをする。
 彼は牧師が牧師であることは知っていたが、こうして言葉を交わすのは初めてである。
 そう云えば、自分が絵描きであることを、何故この牧師は知っているのだろうか?

「こんなところで座っていては、寒くはないですか?」

 牧師は笑顔で絵描きにそう云う。
 彼の笑顔はまるで太陽のように陽気な笑顔である。
 こんな笑顔を何処かで見たような気がして、それがマギカの笑顔に似ていることに思い至る。
 絵描きも笑顔を返す。

「大丈夫です。この季節でも外を歩いているのは慣れていますし」
「確かに。大道芸人の方々はそう云う意味では逞しいですしね」

 牧師は頷く。

「しかし」と、牧師。
「最近は冬場は何処かに旅立ってしまう大道芸人も多いでしょう?」
「まあ、そうですね」
「あなたはずっと町にいるのですか、絵描きさん?」
「行く宛もありませんから」
「なるほど。それでしたら――」
 牧師は自分の護っている教会の尖塔、鐘楼があるそれを見上げる。

「一度、教会にもいらっしゃってはいかがですか?」
「教会へ?」

 絵描きは牧師を見つめる。
 それから、首を振ってやんわりとその勧めを拒絶する。

「残念ながらぼくは信仰心が皆無ですから」
「そうですか。しかし神は分け隔てをしませんよ? 例えあなたが異教徒であったとしても、神はあなたが悩めば救ってくれますし、あなたが助言を求めれば正しい助言をしてくれます」

「それに」と、牧師。
「もしもあなたが罪を犯せば、罰することも厭いません」

「え?」

「それが神です。……それはどんな宗教でも同じではないでしょうか? そう思いませんか、絵描きさん?」

 牧師は相変わらず、笑顔である。
 絵描きは真顔で彼のそんな笑顔を凝視する。

「確かに……、そうかも知れませんね」
「そうです」

 牧師は絵描きの肩に手を置く。
「正直なところ、私も寂しいのですよ」
「寂しい?」
「ええ。ご存知の通り、宗教は今時、流行りませんからね。なかなかに日曜日の礼拝以外には人々が訪れることも稀ですし、もとよりこの教会はいわゆる観光ルートでもありませんから」

 絵描きは首を傾げる。

「どう云う意味、ですか?」
「端的に云いますと、聖職者ではありますが、私も人の子。茶飲み友達が欲しい、と云うことなんですよ。どうですか、絵描きさん? 私を助けると思って、お付き合いいただけませんか? 実は敬虔な信者の方から美味しいインド産のお茶をいただきましたので、ぜひ午後の紅茶を楽しみたいのですが」

 牧師は今度は人懐こい笑顔で絵描きにウインクをして見せる。
 絵描きは、一瞬、彼が何を云っているかわからず、茫然とした顔を見せた後、牧師の意図を理解して吹き出す。

「牧師さん」と、絵描き。
「思った以上にフランクな方なのですね?」

「云ったでしょう? 私も人の子なのですよ、絵描きさん」
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