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第7話 聖夜 Notte Sacra
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しおりを挟む「ぼ、牧師さん……あなたは……」
絵描きはようやくそれだけの言葉を絞り出した。
牧師は相変わらず割れた頭のまま笑っている。
天使はあきらめたように壁際に蹲って座っている。
どう云うことなのだ?
絵描きは自問するが、もちろん答えはない。
牧師は、これが真実だ、と云った。
真実?
どう云う意味なのだ?
絵描きは混乱した表情で、目の前の牧師の凄惨な笑顔を見つめた。
見ている間にも彼の額からは血と脳漿がとめどなく溢れ出し、彼の顔を真っ赤に染めていた。
「驚かせてすまなかったね、絵描きさん」
牧師は云った。
「これはね、警官に撃たれた痕だよ。私が死んだ時の傷だ」
「死んだ、時?」
「そうだ。私がそこにいる天使をこの手で殺して、そのおかげで撃たれたんだよ。ぎりぎりだったけどね」
牧師は蹲っている天使を見つめる。
「ぎりぎり、アウト、と、云うことだ。警官の銃が私の頭をこんなにする前に、天使はこと切れていた。可哀想なことをしたものだと、今では思っているんだけれどもね」
嘘ばっかり、と、壁際にへたり込んでいる天使が、苦々しく呟いた。
「わからない。何を云っているのか……。死んだ時? 天使を殺した?」
「ああ、そうだよ。君もよく思い出してごらん」
「思い出す?」
「そうだ」
牧師は頷いた。
頷くと、大量の血が額の傷から流れ出し、床を汚した。
びちゃびちゃ、と、云う薄気味悪い音が耳についた。
「君にも見えていただろう? 踊り子の顔。フィドル弾きの顔。殺し屋の顔、道化師の顔。――彼らの顔をよく思い出してみることだ」
顔? 彼らの顔、だって?
云われて絵描きは記憶を手繰り寄せる。
彼らの顔?
フィドル弾きのふやけた青黒い顔。
ぽっかりと空いた眼窩から垂れ下がった眼球。
ぐずぐずに崩れた手足。
踊り子も同じような水死体で、ふたりの体にはロープが引っかかっていた。
「そうだ。彼らは水死した。心中したときに――」
牧師の声がした。
そうだ。確かにそんな姿だった。
殺し屋は痩せ細った体に点滴と呼吸器をつけていた。
それはいかにも末期を迎えた重病人の土気色の顔であった。
「そうだ。彼は病院で死んだ――」
そうだ。げっそりと骨と皮だけに痩せてしまった姿は、まるでミイラか何かのようだった。
道化師は眼球に木の枝が突き刺さり、手足の骨は砕けておかしな方向に曲がっていた。
後頭部がぱっくりと石榴のように割れて血と脳漿が流れ出していた。
今の牧師と同じように顔を血まみれにしながら、にっこりと笑っていた。
「そうだ。彼は楡の木から転落して死んだ――」
そうだ。記憶に残っている彼の姿は、無残に壊れたピエロの操り人形のような、そんな姿だった。
「そして自分を見てみるんだ、絵描きさん」
その牧師の言葉に、絵描きはのろのろと壁にかけてあった鏡に目をやる。
そこに映った自分を見る。
額がぱっくり割れて血が流れている。
自分の顔も流れ出る血で真っ赤に染まっていた。
「君も死んだのだよ。気の強い元彼女に殴られてね」
牧師が告げた。
ああ、そう云えばそうだ。
ぼくもあの時に――。
「そして、君の後ろの彼女だ」
絵描きは緊張した。
マギカ――。
先ほどまで愛し合っていたばかりの彼女。
まだ自分の体には彼女の肌の感触が、唇の感触が残っているが。
しかし――。
絵描きは慄えながら、怯えながらゆっくりと振り返る。
マギカがそこにいた。
彼女は天井から吊り下げられた縄で首を括っていた。
白目を剥き、赤い舌を唇から覗かせ、青黒い顔でそこに吊り下がっていた。
彼女の足許には三人の裸の男たちが、頭を割られて倒れていた。
ひとりの頭には血塗られた斧が突き立っていた。
「この部屋は彼女が暴行された現場だ。そして、そこに横たわっている三人は彼女に殺された。彼女は最後に首を括って自ら死んだのだ」
牧師はいつの間にか割れた注射器を持っていて、それをひらひらと振って見せる。
どうやらそれがマギカに使われたのだろう。
「そう云うことなんだ、絵描きさん」
そして牧師は絵描きの肩に手をやった。
絵描きは慄えながら俯いて、かすかに頷いて見せた。
そうだった。
ぼくは知っていたのだ。
彼らが生きていないことを。
彼らの姿を。
だが――。
絵描きは救いを求めるように牧師を見た。
牧師は首を振った。
「さて、絵描きさん。これが真実だ」と、牧師。
「君はこれを見てどうするのかね?」
絵描きは動けなかった。
そのまま頭を抱えてその場に蹲る。
そこへ天使が近寄って来て彼の頭を小さな体でぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫よ、絵描きさん」
彼女は優しく絵描きに囁くと、牧師の方へ向き直った。
「何故、絵描きさんに真実を知らせたの?」
憤りを抑えきれない口調で天使は牧師を糾弾する。
しかし牧師はそれまでと変わらない淡々とした口調で答えるだけだった。
「彼は元々知っていたし、いずれそれに気づかなければならなかった。それはわかっているだろう、天使? ただおまえがもたもたしているから、代わりに私が知らせてやったに過ぎない」
「悪趣味ね。知らせ方もあったでしょうに……」
天使は彼から目を逸らすと、彼女の腕の中で慄えている絵描きの髪をそっと撫でた。
牧師は肩を竦める。
「真実はひとつだ。知らせ方も何もないさ」
牧師のその言葉に天使はため息をついた。
「これ以上、あなたと話をしても無駄なようね、牧師さん。あとは私がやります。あなたは出て行ってください」
「いやいや、おまえばかりを働かす訳にもいかないし――」
「いいから、出て行って!」
天使が声を荒げた。
牧師はもう一度肩を竦めると笑いながら、おお、怖い、怖い、と、呟きながら踵を返して、その半地下の部屋を出て行った。
では、あとはよろしく、天使さん、と、ひと言云い残して。
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