舞いし者の覚書

第九話

　その日の昼過すぎ。
　ようやく出航しゅっこうの準備じゅんびをし終えた。

「さあ、ここでの仕事は終しまいだ。みんな、ちょっと一休みだ」
　清恒きよつねが額ひたいの汗あせを拭ぬぐった。ちょうどその時、浜辺はまべで調理をしていた水夫すいふの一人が皿に山盛やまもりの天ぷらをのせて来た。

「寝太郎ねたろうさーん、もらった山菜さんさい、揚あがりましたよ！」

「おお！　ありがとうな！ ……って、あっつ！」

　清恒きよつねは、みるからに美味おいしそうな天ぷらを思わず手掴てづかみしてしまった。

　火傷やけどをしつつも、揚あげたてのタラの芽めの天ぷらをほおばる。

「うっま！」
　サクサクと軽い歯ごたえの衣ころも。クセも苦みもないタラの芽めが、噛かむたびにほんのりと甘あまみを口の中に広げていく。

「それにしても、すごい数の山菜さんさいがあるんだな」
「本当ですね」

　清恒きよつねが、木箱に収おさまりきらない山菜さんさいを見て呟つぶやき、天ぷらをもらいに来た舞人まいひともその量りょうに驚おどろいた。

「ここにあるだけで、ワラビ、コゴミ、タラの芽め、コシアブラ、トトキ、ゼンマイ、ハリギリ、タケノコ、ミツバ、ミズブキ、葉ワサビ、ノビル、セリ、サンショウ、アマドコロ、ウルイ、ギョウジャニンニク、ツクシ、ウド、アケビのつる……佐渡さどは金や銀だけでなく山の幸も豊富ほうふですね」

「お前の知識ちしきも豊富ほうふだな……」

「知識ちしきだけじゃないですよ、寝太郎ねたろうさん。舞人まいひと殿どのはいろんな道具をお持ちですよ」
　天ぷらを調理していた水夫すいふが興奮こうふん気味ぎみに割わり込こむ。

「塩しおに醤油しょうゆに、この天ぷらを揚あげた油。小麦粉こむぎこに卵たまごに――この他にも舞まいを舞まうための小道具などもその箱にしまっているんですよね！」

「食材しょくざい衣類いるい一緒いっしょくたか！」

「炭坑たんこうが埋うもれて、助けてくれた時は、妙みょうな光が箱から出てたな」
「マコト！」

　箱のことで話が盛もり上がっていると、天ぷらの美味おいしそうな匂においに誘さそわれたのか、マコトも加くわわった。

「光が地面の中へ消えたあと、百足むかでがうじゃうじゃ出た時はさすがに鳥肌とりはだが止まらなかった……」
　言われてみればそうだったと、舞人まいひと除のぞく全員に再ふたたび鳥肌とりはだが立つ。

　清恒きよつねも両腕りょううでをさすりながら、箱を怪訝けげんそうに見る。
「……その箱、何か……こう、別べつの次元にでも繋つながってるんじゃねーか？」
「さあ、でも便利べんりな箱ですよ。中身は見せられませんが」

　にこやかに応こたえる舞人まいひとに、一同沈黙ちんもくする。

「そ……そうだ！　マコト、山菜さんさいありがとうな。天ぷらがぶちうまいぞ！　ほれ！」
　言って、マコトの眼前がんぜんに山盛やまもりの天ぷらを差さし出した。
「そう言ってくれるとこちらも採とってきた甲斐かいがある。塩漬しおづけにすると長持ちもして美味うまいから船旅の足しにしてくれ」
「そうさせてもらう！」

「それから、お前に預あずけておきたいものがある」
　そういって、包つつみを清恒きよつねに手渡てわたす。

　広げてみると、中身をは小判こばんが数枚すうまい。

「おま、これ……」
「あれだけの量りょうの草鞋わらじだ。不足分をこれで補おぎなってくれ」

「これは受けと――」
「受け取ってもらうぞ」
　清恒きよつねの言葉をマコトが遮さえぎった。

「これは村の衆しゅうの総意そういだ。
　それと……誘さそってくれてありがとうな。確たしかに、俺おれはここの生まれで流刑者るけいしゃじゃない。いつかこの島から出れるだろう。
　あんたの村に行ったとき、出迎えてくれると……その、ありがたい」

　マコトは相好そうごうを崩くずした。
　出会った当初とうしょは、笑わらい慣なれていない死神の不気味ぶきみな笑えみであったが、今は晴れやかな、そして年齢ねんれいよ幼おさなく見える青年が見せる心からの笑顔えがおだった。
　それを見れば、誰だれもが一緒いっしょにほほ笑えんでしまうであろう。清恒きよつねも我われ知らず口の端を緩ゆるませていた。
「――ああ、わかった」

「さあ、出航しゅっこうするなら急いだほうがいい。村の皆みなが足止めしてくれているが、奉行ぶぎょうたちがここを嗅かぎつけている。捕つかまったらただじゃすまないぞ」
「すまないな」

　おうーい、と水夫すいふたちを集めて清恒きよつねたちは急ぎ帆ほをあげて再ふたたび来た波と空の中へと船出した。


　■　■　■


　清恒きよつねが船出した後、玄信げんしんはというと、清恒きよつねのことが気が気でなくて魂たましいが抜ぬけたように呆ほうけていた。

「清恒きよつねぇー……元気にしとるやろうか？」
　畑仕事もままならず、ひと鍬くわ鋤すいては天を仰あおぐばかりだ。

「玄信げんしんどの、大丈夫だいじょうぶかのう……」
「玄信げんしんどのもじゃが、このまんまやとわしらもオダブツじゃて」

　乾かわいてひび入った畑を、虚うつろな目で眺ながめる村の男たち。

「寝太郎ねたろうさんが船で出て行ってからもう二ヶ月くらい経たつなあ」
「今頃いまごろ何をしてしてるんやろうなー？」
「生きとるんかな？」

「生きてるっ！　死んでないっ！」

　玄信げんしんが遠くから叫さけんだ。
「ひぇ……聞こえとったんか」
「地獄耳じごくみみじゃの～……」


　そこへ、村人の一人が大慌あわてで駆かけてきた。

「おうーい、寝太郎ねたろうの船が帰ってきたぞーう！」

「ホントか!?」
「無事ぶじに帰ってきたか！」
「ああ、埴生はぶの港に」
「玄信げんしんどのには知らせたんか？」
「ああ、今、知らせ――」

「清恒きよつねぇぇええええ！」

　知らせを聞く前に玄信げんしんは叫さけびながら誰だれよりも速く港へと走っていった。

　港には、荷降におろしをする水夫すいふたち。その中に混まじって玄信げんしんは清恒きよつねを捜さがした。
「清恒きよつねぇ、清恒きよつねぇえ！」

「親父！」
「清恒きよつねっ！」
「ただいま」
「よく帰った！　無事ぶじか、怪我けがはないか？」

　玄信げんしんは清恒きよつねの顔に腕うでに、頭のてっぺんから爪先つまさきに至いたるまでなでまわして確認かくにんした。

「うひゃっ!?　ひはははっ！　なんだ親父、くすぐってぇってば！」

「おお、すまんすまん。しかしよく無事ぶじで！」
「舞人まいひと殿どののおかげじゃ」

　傍そばに控ひかえていた舞人まいひとは、ペコリと頭をさげた。

「舞人まいひと殿どの、感謝かんしゃいたします。倅せがれとともによくぞ御無事ごぶじで」

「玄信げんしん殿どの、清恒きよつね殿どの、私わたしは少々《しょうしょう》野暮用やぼようがありますのでここで失礼しつれいいたします」
「ああ。でも、ちゃんとお礼がしたいから用が終おわったら戻もどって来てくれな！　本当にありがとうな」
「舞人まいひと殿どの、ささやかではありますが、宴うたげをしますので」
「ありがたいことです」
　にこりと笑わらって、舞人まいひとは一人姿すがたを消した。

　舞人まいひとが出かけてから数時間。
　船に積つんでいたものを次々と荷下ろしする。
「親父、見てん！　草鞋わらじがこんなに！」
　言って、清恒きよつねは泥どろだらけになった草鞋わらじの山を指す。

「な……なんじゃこりゃああ！」
　出航しゅっこう前には新品だった草鞋わらじが、泥どろだらけのボロに変かわり果《は》てたのをみて、玄信げんしんは素すっ頓狂とんきょうな声を出した。

「あの草鞋わらじがたった二ヶ月かそこらでこげん変かわり果はてちょうってか!?」

「違ちがうって。これは新しいのと交換こうかんしてもろて――まあえぇわ」
　清恒きよつねは水夫すいふたちに桶をありったけ用意させた。
「な、何するつもりじゃ？」

　集まった人々は興味きょうみ津々しんしんでその様子を眺ながめる。

　水夫すいふたちも意味がわからず困惑こんわくしながら桶おけを手にするが、そのなかで幾松いくまつと健作けんさくだけは生き生きとしていた。

「何をするんかさっぱりわからん」
「ええけぇ、みんな早よ準備じゅんびしいや！」
「なんやぁ？　幾松いくまつのじいさんと健作けんさくは、やけに元気じゃのう」

　村はもう干ひ上がりにあがっている。
　清恒きよつねは袖そでを捲まくって意気込いきごんだ。
「さあて、草鞋わらじをほぐすぞ」