蒼の勇者と赤ランドセルの魔女

喜咲冬子

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第二章 ドラドの陰謀

3.臼山の魔女

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 動揺のあまり、ミンネは言葉を失う。



 商人のフィユは損得の計算が速い。勝ち目のない勝負などしない人だ。

 だが、これは圧倒的に不利な取引でしかない。



「こちらが、命までかけて蒼の国を救おうとしているのです。結果がどのようなものになろうと、我が村の領土はどなたにもお譲りいたしません」

「いや、すでに我らはエンジュのせいで多大な迷惑をこうむっている。どちらに転んでも、それなりのことはしてもらう――」



 フィユは目をスッと細め、ダーナムの言葉に自分の言葉をかぶせた。



「私が、夫の骨を壺に収めたことをお忘れなく。石の矢じりは灰になりませぬ」



 ダーナムは、フィユとミンネを交互に見て「くそ」と舌打ちした。



「十日は長い。南の山まで四日かかるのだぞ。山で二日。それ以上は待てん」

「五日。正しい儀式が必要です」

「……三日だ。これ以上食い下がれば、我が兵が村を襲うぞ」

「わかりました。――では、三日半で」



 フィユは、口元だけでにっこりと微笑んだ。



「……わかった。三日半だな。太陽が戻らねば、楠の森はもらうぞ」

「そのお話は改めて。ミンネが火竜の祭壇から降りたのち、話し合いの場を設けましょう」



 二人の間の空気が張りつめる。



「明日の朝、トトリを発つ。逃げるなよ?」



 フィユが一歩も引かぬとわかったからか、ダーナムは捨て科白をはき、広間を出いった。北部の長たちも続く。



「義姉上、なんということを……」



 ミンネは、フィユと向き合った。しかしフィユは、ひとさし指を唇にあて、しー、と静かにするよう仕草で示した。



 治療を受けるオラーテは、額に汗がびっしりと浮き、苦しそうに胸を上下させている。呪薬師は「しばらく、このままお休みいただきます」と言った。



 ひとまず、命はとりとめたようだが、安心はできない。間をおかず、ドラド兵とトトリ兵が、そろって広間に入ってきた。



「ミンネ様。明朝までお部屋で過ごされよと、ドラドの長からの命令です」



 逃げぬように、監視をつける気らしい。



 フィユはミンネに目配せをして「私も参ります。儀式の作法を伝えねば」と言って影のように寄り添った。兵はフィユを止めなかった。



 振り返ってオラーテを見る。



 ――どうかご無事で。



 胸の中だけで声にして、ミンネは広間をあとにした。







 部屋に戻ると、ミンネは「最悪だ」とこぼし、寝台の上にどすんと座った。



 なにもかもが最悪に過ぎる。



「義姉上。いったいどうしてあのようなことを……いや、それよりも、腹に子がいたとは知らなかった。人質になどなっている場合ではないぞ。逃げてくれ」

「嘘よ」



 ミンネはぎょっとして顔を上げた。「え? 嘘……どこが、どう嘘なのだ?」フィユは机の前にある椅子に、しゃんと背筋をのばして座っている。



「お腹に子供がいるっていうのが、嘘。人質としての価値を偽造したの」



 涼しい顔でそう言うと「最低限の時間は稼げたわ」とフィユは微笑んだ。口は三日月の形になっているが、目は笑っていない。夫を殺された彼女が心の底から怒っていることを、ミンネは悟る。そのスミレ色の瞳は、獲物を狙うタカを思わせた。



 ぽかん、と口を開けていたミンネは「たしかに、連中の足だけは止められたが……」と言いながら半分安心し、半分は落胆した。



「その通りよ。私たちは、油断しきったところをオオカミたちに狙われた。ここまでずっと連中の意志通りに進んできたけれど、いつまでもそうはさせない。臼山に行くまでに四日。山に入って三日半。その間に南部の村に連絡を取る。彼らを説得して、ドラドの専横を止めましょう」



 南の山が身近にある南部の方が、北部に比べて火竜を神聖視する傾向が強い。イシュテムの末裔を軽んじるドラドのやり方に、賛同する者はいないだろう。いかにドラドが強くとも、南部七族を相手にできるほどの兵力はない。



 だが「無理だ」と首を横に振るしかなかった。関所はドラド兵によって封鎖されている。



「どうやって南部に連絡を取る? 商道を避ければ、山も谷も自力で越えねばならない。それもドラドの領土を横切っての話だ。無謀すぎる」

「もう、パチュイはトトリを発ったわ」

「パチュイが? ……そうか、パチュイが……」



 足も速く、身も軽い。力もある。パチュイならば、やり遂げてくれるかもしれない。かすかな希望が、見えた気がする。



「南部への連絡は、なんとかする。あなたは臼山で魔女に会って」



 また、魔女だ。



 ミンネはぐっと眉を寄せた。オラーテだけでなく、フィユまで魔女の話をしだすとは。



「まさか、とは思うが、その魔女というのは、千年の昔、女神と火竜との縁をつないだ、魔女のことではないだろうな」

「えぇ、そうその魔女よ。臼山で魔女に会って、女神と竜の絆を結んだ証――宝玉をもらって。火竜と話をするのよ」



 バカな、とミンネは言わなかった。その代わり「伝説だ」と言った。



 いくらミンネがフィユより物を知らないといっても、その程度の分別はある。



「魔女は、トーブテの葉の紋章を身につけているわ」

「義姉上。よしてくれ。こんな時に」



 ――女神イシュテムは、臼山の魔女から宝玉を授かり、荒ぶる炎竜と言葉を交わすことで、絆を結んだ。以来、炎竜は火竜となり、蒼の国の守り神となった――



 そんな伝説を、この非常事態に聞いている余裕はない。しかしフィユは続けた。



「真っ赤な火竜の皮の袋を背負った、少女の姿をしているそうよ。――モラータの巫女たちが、今年の冬の終わりに報せをよこしたの。臼山で、度々魔女を見かけるって。だから、春を待って、エンジュは臼山を訪ねた」



 モラータの巫女は、伝説の中の存在ではない。ミンネも会ったことがある。火竜に仕える娘たちだ。南部の村々から集められ、日に二度、臼山の祭壇で火竜に祈りを捧げている。



「兄上が? 待ってくれ、それは――」

「この春の話よ。モラータの巫女たちに話を直接聞いてきたの」



 エンジュは、毎年、春になると島中を回っている。十歳の頃からミンネは同行を許されていたが、今年に限っては村に留まるようにさとされた。



 オラーテが体調を崩していたからだ。



 ミンネは、この時になって、やっとフィユの言葉をやっと真剣にとらえはじめた。



 魔女が、臼山にいる。



 ドクドクと心臓が大きな音をたてる。苦しいくらいだ。真っ暗闇の中に、一筋の光が見えたように思える。



「だから父上も、臼山で魔女に会え、と言ったのだな。宝玉を授かれ、と」

「魔女は臼山にいるのよ、ミンネ。エンジュがいかに蒼き血を持っていても男の身では山には入れない。宝玉を手に入れるためには、あなたが必要だった。でも……オラーテ様の体調を考えて、涼しくなる秋まで待つことにしたの」



 フィユは目を伏せた。ミンネも、わずかひと月あまりの間に起きためまぐるしい変化に思いを巡らせ、深く息を吐く。



 もしその時に、魔女に会うことができていれば。火竜と会話をする力を取り戻せていれば。意味のないことながら、悔いの残る話である。



「もう他に道はないわ。魔女に会い、宝玉を手に入れて。――魔女はモラータの巫女たちが水場にしている、三日月の湖の近くに現れる。トーブテの紋章が刻まれた、真っ赤な火竜の皮の袋が目印よ。子供の姿をしていて、髪と瞳は真っ黒なの」

「三日月の湖。トーブテブテの紋章。火竜の皮。子供。真っ黒な髪と目」



 ミンネが確認しながら繰り返すと、フィユは大きくうなずいた。



「そう。絶対に、あなたなら会えるわ」

「会えなければ――」

「逃げなさい」



 そう言って、フィユはミンネの手を両手で包んだ。



「逃げるものか。義姉上を身代わりにはできない」

「あなたの代わりに、私が祭壇に立つわ。炎竜の怒りが解けなければ、きっと戦になる。あなたは村に必要な存在よ。弓も引けない私と、弓の名手のあなた。どちらが戦に必要か、考えるまでもないでしょう?」



 わかる。それは理解できる。

 戦力として、ミンネの方が役に立つことは間違いないだろう。だが、できない。目に涙が浮かび、ミンネは顔をくしゃりと歪めた。



「無理だ。できない」



 涙がぽろぽろこぼれた。



「あなたは長になるのよ。時に心を氷の刃のように鋭くしなくてはいけないの」



 ミンネはくしゃくしゃの顔のまま、涙を袖でぬぐう。



「義姉上。私にできるだろうか?」

「ミンネ。あなたを信じてる。南部への連絡は、きっとパチュイがやりとげるわ」



 フィユは、ミンネの涙をぬぐった。

 優しい手だ。このぬくもりを、失いたくない。



 その日の夜は、二人で同じ寝台に入った。ひとり用の寝台は狭いが、くっついた背中は温かく、心地よかった。



 夜明けに、ミンネは狩りの時に着る黒装束で館を出た。



 外には輿が用意されていた。

 長の一族が使う布は、たいていそれぞれの村にまつわる神話の描かれた刺繍がほどこされているが、この輿の幌には特徴がない。



 ミンネの存在を隠したまま、運ぶ気らしい。



 見送りに、村中の人たちが集まっている。



 ミンネは、人々の顔を見回す。暗い空の下、誰しもの顔に不安が浮かんでいた。



 長は病で、長の息子は死んだ。今、最後の蒼き血を持つ者は、村を離れようとしている。こんな時、自分にできることはなんだろうか。



 父なら、兄なら、どうしただろうか。母ならば? 



 不思議と、悩む間もなく身体が動いた。

 輿ではなく、空いていた馬にひらりと跨る。



「皆、少しの間村を留守にする。我が声が竜に届けば、必ずや暗雲は晴れるだろう。信じて待っていてくれ。――トトリ村に、女神イシュテムのご加護を!」



 てのひらを顔の高さに上げ、ミンネは目をふた呼吸の間だけ閉じた。



 ぽぅっと光の玉が浮かぶ、



 そしてミンネは、光の玉にフッと息を吹きかけた。玉はいくつもの粒となり、羽化した蝶が羽ばたくようにきらめきながら辺りを舞う。



 女神の血を引く者が行う、言祝ぎの儀式だ。

 大きな狩りの時、父を送りだす母がしていたのを覚えている。



 途端に、トトリの兵や、見守っていた民が、ワッと声をあげた。



「姫様! どうぞご無事で!」

「お帰りを、お待ちしております!」



 怯えのために暗く曇っていた人々の目に、希望が見える。



 希望を、ミンネの中に見ているのだ。



 エンジュの不幸な事件から、自分がうつむき続けていたことを後悔する。

 こんな時だからこそ、前に立つ自分は、気高く、強くあらねばならなかった。



 この時、ミンネははじめて自分の血の持つ意味を、正しく理解したように思えた。



 絶対に、生きて、この村に、戻らねばならない。

 トトリ村は、蒼き血を持つものが治める村なのだ。



「必ず、生きて帰る!」



 ぐるり、と輪を描くように馬を回らせてから、ミンネは南に向かって駆けだした。



 あとを慌てて輿が追い、その滑稽さに笑い声があがる。さらにドラドの兵も追いかける。まるで派手な行進だ。



 それを見送る人々の表情は、もう悲しみに沈んではいなかった。



 

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