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第二章 ドラドの陰謀
6.魔女の扉
しおりを挟む「これは、どのような効用がある丸薬か」
「残念だけど、ただのアメ。大通りで売ってるヤツ。美容効果もないし、コラーゲン配合とかでもないよ」
どうやら、これは魔女の集う街で手に入るもののようだ。
手を差し出すと、ころり、とてのひらの上になにかが転がり出でてきた。
小指の先ほどの大きさの、円柱状のものだ。
赤く美しい、宝玉だろうか。赤いトーブテの葉が描かれている。
「獣の心臓を用いたのか? もしや、人の――」
「違うってば! ただのアメ。イチゴ味」
「いただこう」
人ならざる者との関係に、試練がつきものだ。
なにが入っているのか見当もつかないが、動物の肝の一種だと思えば耐えられる。
「一応言っておくけど、それ舐めてね? 噛まないで」
――甘い。
口いっぱいに、甘さが広がる。強烈な果物の酸味と芳香に、ミンネは自分の頬を思わず押えた。
「美味しい?」
リノに聞かれて、ミンネは、うんうん、とうなずいた。
「そ。よかった。疲れた時は、これが一番。……で、その宝玉の件はお力になれそうにないので、ごめんなさい。じゃ」
「待ってくれ」
ミンネは、立ち上がったリノの腕をつかんだ。とたんに「痛!」と声があがる。
「ちょ、なんなの? ゴリラなの?」
「いや、名はミンネだ。すまない。子供相手に力の加減が足りなかった」
「そうじゃなくて……あぁ、もう、ほんとに時間ないの。塾が始まっちゃう。私は魔女じゃないし、その宝玉のことも知らない」
信じられない。信じたくない。
臼山の魔女に会いさえすれば、すべてが解決する――はずだった。
それなのに、魔女は、魔女ではない、といい、宝玉のことも知らないという。
これでは、蒼の国を救えない。
「魔女よ。あなたしか、頼れるものがないのだ。頼む。我々を助けてくれ」
「本当にごめん。力になれないの。説明が難しいけど、私、今、夢見てるだけだから」
目も開いている。
言葉も発している。
眠っているようにはまったく見えない。
ミンネは首を傾げて「呪術の最中ということか?」とたずねた。
「じゃなくて。私は、この国の人間じゃなくて、二十一世紀の日本に住んでる人間なわけ。そっちに帰らなきゃいけないの」
「ジュクがあるからだろう? 次はいつ来る? それまでここで待っている」
「あー……えぇと、説明が難しいんだけど、私は寝てる間だけ、ここに来ちゃってる感じなの。ややこしいことに、目を覚ましたら、ここにいたことを忘れてる。ここに来るとまた思い出すけど。だから、次の約束はできないの」
「あなたの国は遠いのか? 北か? 南か?」
ミンネの問いに、リノは「わからない」としか答えなかった。
「明日はいるかも。塾休みだし。でも約束できない。明後日は終業式で、午後から夏期講習はじまっちゃうし……とにかく、今日は塾だから戻んなきゃ。この辺に扉っぽいもの見なかった? 経験上、そこ通らないと目覚めないんだよね。で、いつまでもここにいると塾に遅刻ししちゃうわけ。今日も急ぐし、金曜以降はもっと時間がないの。夏期講習は十一万七千円。絶対休めない」
リノはとても早口でしゃべる。ところどころ聞き取れないが、おおよその意味はわかるし、多少耳も慣れた。
「しかし、場所もわからないのに、どうやって帰るつもりだ?」
「扉から来たのはたしかなんだけど、その扉の場所がわかんない。いつも、だいたい近くにはあるんだけど、今日は全然扉が見つからなくて……」
「どのような扉だ。よければ手伝う」
「ありがと。こういう形が彫ってあるの」
先を歩くリノは、後ろにいるミンネに手で形を作ってみせた。
「トーブテか」
「ハート」
「人の心臓だったな」
「違います! やめてよ、黒魔術みたいに言うの」
「黒魔術だと? それは一体……」
「変なとこだけ食いつかないで! とにかく、ハートが彫ってある扉を探してるの!」
トーブテが刻まれた扉。あぁ、あれか、とミンネはすぐに気づいた。しげみで見つけた、扉のことだろう。
「その扉ならば、知っている。すぐそこにあった。その、岩のかげだ」
「え? マジで!?」
リノはミンネの示した方向に、一目散に走り出した。
「あ、あれだ! やった! ありがとう!」
あの、ミンネが開けようとしてもびくともしなかった扉に、リノが手をかける。驚いたことに、あっさりと扉は持ち上がった。
「待ってくれ。魔女よ。宝玉は――」
「ほんとに無理! ごめん! お元気で!」
扉の中に、ミンネは身体をすべらせる。もう一度ミンネは「待ってくれ!」と叫んで駆け寄ったが、一瞬のうちにリノの姿は消えていた。
「魔女! 魔女! ここを開けてくれ!」
ミンネは急いで扉に手をかける。
だが、扉はびくともしない。
幻でも見ていたような気がして、トーブテのしげみを見渡し、三日月湖の見える岩の上にも上がった。
臼山の光景は変わらない。
空も変わらず雲におおわれている。
しかし、たしかにこの目でミンネは魔女を見た。
姿を見、会話もし、魔女もミンネを認識したはずだ。それなのに、問題はなにひとつ解決していない。
失敗したのか? また機会があるのか?
この身体に流れる青い血ゆえに、宝玉を授かることは自体は簡単だと思っていた。
魔女に会え。宝玉を授かれ。ミンネをこの場に導いた人たちも、そう思っていたはずだ。
(どうすればいい?)
ミンネは必死に考えた。岩の上にしゃがみこみ、頭を抱える。
再び魔女が現れるのを待つべきか。
それとも、早々にあきらめて別の道を探るべきか。
判断を迫られている。
この場で、ひとりで、ミンネは答えを出さねばならない。
オラーテならば、どう判断しただろう。エンジュならば?
もう臼山で過ごす二度目の夜だ。
残された夜は明日の一夜だけ。
気持ちだけは焦るが、答えが出せない。
どうすることもできず、ミンネは一晩を明かした。
翌朝、ミンネは湖のほとりで食事をし、魔女を待つために、またトーブテのしげみに向かった。
また魔女に会えるだろうか。
助けを求めるように、南の山の火口を見る。
その時、目の端になにかが映り、ミンネはすぐに三日月湖のほとりに目をやった。
――人がいる。
ついさきほどまでミンネがいた湖のほとりに、こちらをじっと見ている人がいた。
髪は、燃え立つ夕日のように赤い。
着物は真っ白だ。
モラーテの巫女であれば、萌黄の服を着ている。
魔女であれば、髪の色も目の色も、闇の色をしているはずだ。
そのどれでもない。
赤い髪の人は、こちらを見つめたまま、立っている。
敵意は感じられない。ミンネは上ったばかりの坂を駆け下りた。
近づくと、その目が鮮やかな緑色をしていることがわかった。
背の高い青年だ。
いや、娘だろうか。長い髪は結われることなく背に流れ、秀麗な顔からは、性別がわからない。
喉ぼとけがあるので、恐らく青年だろう、とミンネは判断した。
臼山に存在し得る件を、なにひとつ満たしていない。
「――――」
青年の口が、ゆっくりと動く。だが、声は聞こえなかった。
「私は、ミンネ。トトリ村から来た、青き血の女神イシュテムの娘だ。ここには魔女を尋ねに来た。山を荒らすつもりはない」
「――――」
また青年の口は動いた。
だが、やはり声は聞こえない。
表情は寂しげで、なにかを言いたそうにしている。
青年は、手をミンネの方に伸ばした。
てのひらを上に向け、開く。
距離は遠かったが、ミンネにはそれがなにかをすぐに理解した。
エンジュの灰から出てきたものと同じ、あの矢じりだ。
「私も、同じものを持っている。この矢じりは、兄の……トトリ村のエンジュの灰から出てきたものだ」
ミンネは、矢じりを懐から出して見せた。
黙ってこちらを見ている青年の緑の目は、いつしか深い青に変わっていた。
人では、ない。
ごくりと喉がなった。虹色の瞳。
それは火竜の持つ、唯一無二の瞳である。
この青年は、火竜の血を引く者なのか。
それとも竜そのものか。
「あなたは、竜なのか?」
ミンネは勇気を出して問うてみた。
しかし、青年は答えない。
青年の声がミンネに届かないのだから、ミンネの声も、きっと届いていないのだろう。
ごぉ、と遠くで音がした。
南の山の方向だ。
ミンネは目を細め、山の火口から煙がいっそう強く噴き出しているのを見た。空はますます暗い。
汗がひとすじ、頬からあごをつたう。
昨日よりも、気温は高くなっている。――時間がない。
再び視線を戻した時には、もう青年の姿はなかった。
ミンネには、竜の声は聞こえない。
しかし、魔女とはかろうじて会話ができた。
伝説は、真実を伝えていた。
やはり蒼の血を持つ者と火竜との間に、魔女の力は必要なのだ。
「もう一度、魔女に会わねば……」
魔女の訪れをここで待つべきか。
いや、待てない。
こうしているうちにも、炎竜の怒りは蒼の国を蝕んでいくだろう。
ドラドの男たちは、トトリに迫っているかもしれない。
いずれ北は凍え、南は煮える。蒼の国は、人の住めぬ土地になるだろう。
「魔女。悪いが、待てぬ」
ミンネは、坂を駆け上がった。
トーブテの中を走り、岩に駆け寄る。石刀を扉にかけ、力をこめた。
「……ッ!」
だが、扉は重く、びくともしない。
勢いをつけた分、ミンネの身体はひっくり返った。
負けてたまるか、とすぐに飛び起き、背の矢筒から矢を引き抜き、扉にかける。
だが、矢はしなってすぐに折れてしまった。
ミンネは立ち上がり、周りを見渡す。この程度のことであきらめるわけにはいかない。
木にからまるツタを見つけ、手に取る。
石刀で断ち、三本まとめた矢をきつくしばった。そして、扉のふちに尖端を潜りこませる。
「女神イシュテム。私に力を貸してくれ。この島を守りたい! 村を守りたい! 家族を守りたい!」
そばにあった石をつかい、てこの原理で矢羽を押し下げる。
手ごたえがあった。ぎ、と鈍い音が立つ。
わずかに扉が開いた――途端に、ぶわっと風がわき、跳ね上がるように扉が大きく開いた。
ミンネは思わず腕で顔をかばう。
扉の向こうは光が満ちている。
まるで月の光がそこに閉じ込められているようだ。
中の様子は、まったく見えない。
どこに繋がっているのか、想像もつかなかった。
だが、扉の向こうにあるのは、この島ではない。島はいま、昼でも暗いままなのだから。
今、ミンネにとって大事なことは、この向こうに、魔女がいる、ということだけだ。
鬼がでようとヘビが出ようと、退くことはできない。
ミンネは恐れることなく、ひらりと身体を躍らせる。
その姿は光に呑まれ――すぐに見えなくなった。
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