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第五章 勇者ミンネ

3.声

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 ミンネはビクッと身体をすくませた。



(なんだ、今のは)



 ダーナムも、ミンネを見上げて気味の悪いものを見たような顔をする。



 今の声は、たしかにミンネの口から出た言葉だった。

 だが――ミンネの声ではない。



 男の声だった。



 それも、少年の声ではない。大人の男の声である。



『オオカミの息子。よくも我が前に姿を現せたものだな』



 また、その声はミンネの口から出ている。

 しかし、ミンネ自身は口を動かしていない。



 意志とは無関係に出てきている。



 わずかにミンネが身体を引いたすきをついて、ダーナムは縄で縛られたまま後ずさる。



「バケモノめ……!」



 ダーナムの顔に、はじめて恐れが見える。



「あなたなのか、火竜よ……!」



 火口に向かって、ミンネは問うた。



 ゴゴゴゴゴ……

 地面が揺らぐ。



「なんだ?」



 南の山が震えている。



 どぉっと音がして、火柱が――いや、炎竜が空に向かって飛び立った。



 麓から、遠く悲鳴が聞こえる。その声の大きさと数に、ドラド兵が多く麓に迫っていることがわかる。



 ごぉ、ごぉ、と雷のように空が鳴る。

 赤黒い腹がうねり、空でぐるりと身体を八の字に動かしたあと、顔が祭壇の方を向いた。



 虹色の瞳が、ミンネの紺碧の瞳を見つめる。



「火竜よ! 怒れる――いや、嘆きに沈む炎竜よ! 女神イシュテムの娘が、ここにきた!あなたの声を聞かせてくれ!」



 もう、ミンネは竜の心を読み誤ることはなかった。

 深い嘆きが、竜の心を苦しめている。



『下がっていろ。イシュテムの娘。お前の手は、血で染まるべきではない』



 ミンネの口から、また言葉がこぼれた。

 火竜と言葉を交わすということが、まさか、蒼き血を持つ者の身体から発する言葉であったとは。



「逃げろ! 火竜。ドラドの兵が迫っている!」

『我が鱗は鋼をも弾く! 人の子などになにができるか!』



 ダーナムも、近くにいるパチュイも、長たちも。唖然としてミンネの身体から発せられる二種類の声と会話に、驚いている。



 モラーテの巫女たちはその場にひれ伏し、南部の長たちも、膝を折っていた。



 ごぉ、と炎竜が火を吐く。



 ミンネたちとトトリ兵のいる一帯が、炎の壁に囲まれた。壁は正しい円を描いている。



『逃げるのは、そなただ。イシュテムの娘』



 突然――空をおおうほど迫っていた炎竜の姿が、ふっと消えた。



「あ」



 代わりにいたのは、一人の青年である。

 炎の円の端に立っている。燃えるような赤い髪と碧の瞳。白い着物。臼山で会ったあの青年だ。



『赤い炎は、天にのぼる炎だ。イシュテムの息子エンジュは、勇者であった。それゆえ、私が弔った』



 青年の言葉もまた、ミンネの口から発せられている。



「やはり、そうだったのか。あぁ……今ならばわかる。あなたの心が、伝わってくる」



 胸が苦しい。

 炎竜は悲しんでいる。

 長く見守ってきた人の子が、己に弓を引いたことを嘆いている。



 ミンネの心に、さざ波のように悲しみが伝わってきた。

 そうして、同時に激しい憎悪も。



『赤き炎で焼かれた者の魂は天へ上り、青き炎で焼かれた者の魂は――永遠の血の底でさまようであろう。――礼を言うぞ、イシュテムの娘。そなたのおかげで、私に弓引くもののみを、過たず焼き払うことができる』



 青年の手が、スッと動いた。

 ダーナムをいましめていた縄が、ボッと音を立てて焼き切れる。



 とたんに、ダーナムは駆け出した。

 炎の壁は一瞬ゆるみ、彼の逃走を助けた。



「矢を放て! 皆殺しだ! この場より上にあるものは、すべて殺せ!」



 ダーナムの叫ぶ声が聞こえる。炎の壁は、また厚いものに変わった。



 飛んできた矢は、炎の壁にはばまれ、一瞬で燃え尽きた。



『逃げろ。土竜どりゅうが送る』



 ミンネの口から、また青年の声が聞こえた。



「土竜?」

『そなたらが、私の子と呼ぶ者たちだ』



 突然、地がもこもことわくように盛り上がり、クマ三頭分の大きさの火竜の子――いや、土竜が群れをなして現れた。



『乗るがいい。そなたたちを安全な場所まで運ぶだろう』



 我先に、と北部の長たちが土竜の背にしがみつく。



 たてがみをつかめば、馬のように乗ることができるようだ。次々と南部の長たちも、モラーテの巫女たちも手近な土竜の背に乗っていく。



「あなたはどうするのだ?」

『行け。振り向かず、走り抜け。我が滅するは、神に弓引くもののみだ』



 ヒュッと音がして、カッと岩が音を立てる。ドラド兵の矢だ。



『行け!』



 ミンネは迷った。

 このまま竜を置いていっていいのだろうか、と。



 目と目が、ひたりとあう。

 虹色の瞳は静かで、まるで湖面のようだった。



 うん、とミンネはうなずくと、くるりと身体の向きを変えた。



「ミンネ! 来い!」



 パチュイが腕で、ミンネの身体を引き上げる。ミンネはパチュイの胴にしがみつく。ぐわっと土竜の身体が動きだす。



 炎の壁が一瞬ゆるみ、途端に矢が次々とふってくる。



 間一髪、駆け出した土竜は矢の雨を避けることができた。



 ごぉっと激しい音がして、あたりが明るくなる。きっと、炎竜がもとの姿に戻ったのだ。



 そうして、視界は青くそまった。



(花火のようだ)



 ミンネは、祭壇のほうを振り向こうとした。その時パチュイが、

「振り向くな!!」

 と叫んだ。



 いや、パチュイではなく、自分の喉から出た火竜の声だったかもしれない。



 見るな。

 振り向くな。

 走りぬけ。



 もう、人の子が関わる段階ではない。7



 ミンネは目をぎゅっとつぶった。

 青い炎は、まだまぶたの裏に焼きついていた。   

 



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