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その54:珊瑚海は燃えているか? 10
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「あれ? なにしてるんだ俺は……」
古溝飛曹長はぼんやりした頭で現状を認識しようとする。
けだるい眠気が全身を襲っていた。
顔の上をヌルヌルとした物が流れているのが分かった。
飛行メガネをはずした。
手にべっとりと血が付いていた。
「なんだこりゃ?」
右手を上げようとしたが全く感覚がなかった。
血まみれの右肩が見えた。
いつの間にか、マフラーで止血されているのが分かった。
自分がいつこのようなことをしたのか記憶になかった。
そもそも、なぜ、自分はこんなに血まみれになっているのか?
その意味が分からなかった。
吸い込まれそうな蒼穹が広がっている。
全体的にぼやけた視界の中、その蒼さだけが体に染み込んでくるようだった。
このまま、眠ってしまえば、気持ちいいだろうと思った。
ガンガンと衝撃が走った。
古溝飛曹長は、ゆっくりと頭を回す。見覚えのある機体が間近に迫り、主翼で主翼を叩いていた。
(零戦じゃないか? なにやってんだ?)
その零戦の操縦席の男は盛んに前方を指さしていた。
なんだ?
なにを言っているんだ?
ぼやける視界の中、古溝飛曹長は前方を見つめる。ぐらぐらと揺れる視界の中、下方にマッチ箱のような物が見えた。
青いセロファン紙をくしゃくしゃにして伸ばしたようなところに、小さな四角い物が、白い尾を引いていた。
ぼんやりした頭が、その視覚情報を理解するまで時間がかかった。
「母艦…… あれ? 俺は生きているのか?」
死と生の揺らぎの中で、揺蕩っていた古溝飛曹長は、この瞬間「生」を意識した。
そして、それに合わせるように、激痛が襲ってきた。
(グラマンは? どこだ! 奴らは?)
彼はドロドロとした血で汚れた眼球で周囲を見やる。
操縦席のアクリルガラスはあちらこちらが砕かれていた。貧乏長屋の窓より酷い。
彼の記憶はところどころ消し飛んでいた。
3機で200機以上の敵編隊に突入。2番機である佐久間二飛曹の機体が炎に包まれるのを見た。
後の記憶はグチャグチャだった。
向かってくるグラマンに、真正面から突撃(ヘッドオン)して機銃をぶっ放しまくったことを薄らと覚えている。
(佐久間、猪俣…… 10機は叩き墜してやったぞ)
古溝飛曹長は血まみれの顔で笑った。
すっと隣を飛んでいた零戦が離れ、前に出た。
着艦のアプローチに入っていた。
空母は、赤城だった。
「死んでたまるか、クソ野郎が――」
古溝飛曹長はつぶやくように言った。
先ほどまで、自分の脇を飛んでいた機体が、見事な着艦を見せていた。
彼も続いて、着艦のアプローチに入った。
右手は動かないが、なんとかなる。
彼はボロボロとなった零戦をゆっくりと降下させていった。
◇◇◇◇◇◇
「あんなボロボロでも帰還してきたのか―― 凄いな」
源田中佐が感嘆の声を上げた。
部下の評価に対しては、かなり甘いところがある男であったが、その零戦の着艦は見事なものだった。
廃棄するしかないと思われるまで、ボロボロになった機体で、見事に着艦を決めていた。
そして、その搭乗員は、甲板作業員に引きずり出されるように、操縦席を出た。
そのまま、担架に乗せられ、艦内に消えて行った。
源田中佐は迷いがあった。
100機を超える上空警戒の零戦は、バラバラと母艦に戻ってきていた。
第二次攻撃隊を送り出すまで、収容はできなかったのだ。
今、戻ってきた機体から、順次収容を始めている。
しかしだ――
機数が多い。
零戦隊の損害が少なかったのは良い事であったが、それを収容するための時間がかかっていた。
母艦の収容方法は、大きく2種類ある。
1機着艦するたびに、エレベータで収容し、飛行甲板をクリアにする方法だ。単機収容という方法でえらく時間がかかる。
前部エレベータで収納する際に、バリケードを立て、着艦と格納庫への収納を同時並行で行うものだ。これは、「連続収容」といわれる方法だ。
更に、この方法には、ある程度前部に機体を集めて、収納するという「緊急収容」という方法があった。
現在、「連続収容」対応していたが、バラバラに帰還してくるため、どうしても収容に時間がかかっていた。
「航空参謀――」
草鹿参謀長が、口を開いた。
「なんでしょうか」
「この状況、危険だ。敵の二次攻撃に対し、あまりに無防備だ」
そんなことは言われなくとも分かっているという顔で源田航空参謀は、草鹿参謀長を見つめた。
鷹を思わせる鋭い目だった。
この状況で取りうる方法は、いくつかある。
一旦、赤城と飛龍の収容を中止。ここまで収容した零戦の発進を優先させるという方法だ。
ただ、それを行ったとして、上空に展開できる機体は4~5機だ。
無いよりましではあるが、実際に戦う方はたまったものではない。
源田の脳裏に、ボロボロになって帰還してきた先ほどのパイロットの姿がよぎる。
「収容を優先しましょう」
源田中佐はきっぱりと言い放った。航空の専門家であるという彼の意見は重かった。
第一航空艦隊が「源田艦隊」と揶揄されるほどに、彼の言い分はノーチェックで通過していた。
「悠長すぎる! ここは収容を停止。各艦、収容済の零戦の補給を優先し、発艦を急ぐべきだ」
「莫迦な! 上空には燃料がギリギリの機体もあるのですよ!」
「着水させ、搭乗員だけ収容させればいいだろう」
「危険すぎる。そんなこと出来るわけがない」
着水して、脱出と言うのは簡単だ。しかし、それは非常に危険を伴う行為なのだ。
戦闘で疲労した搭乗員にそんな酷な命令を出す気にはならなかった。
「このままでは、艦隊全体が危ない」
「艦隊を守った、彼らをそんな目にあわせられません」
お互いに譲ることがなかった。源田中佐の意見が通らないということは初めてといってもよかった。
草鹿参謀長も、経験の中で航空戦の怖さを認識し、上空援護の戦闘機の必要性を認識しているのだろう。
源田中佐にとって、草鹿参謀長の提案は考慮の余地のないものではなかった。
それは十分にあり得る話であった。それだけに反論が難しかった。
自分が理ではなく情に流されているのではないかとも思った。
しかしだ――
それはあまりに酷な命令に思えた。
たった今まで生死を賭け、戦ってきた部下に対し、危険の多い着水など命じられなかった。
源田中佐は拳を握りしめただ黙っていた。
なにか、方法があるのか……
「我々にはまだ戦闘機があるだろう――」
南雲長官だった。
その言葉の意味するところを、源田中佐の回転の早い頭脳は瞬時に把握していた。
「そうです! 長官、我々にはまだ戦闘機があります!」
南雲司令官がニヤリと笑った。
それは歴戦の古武士の笑みだった。
◇◇◇◇◇◇
敵艦への雷撃を三回成功させた者はいない。
これは、海軍の艦攻搭乗員の中に伝わる伝説ようなものだった。
要するに、それだけ雷撃という攻撃が危険極まりないものであるということだ。
一撃で船の水線下をえぐり、致命傷を与える攻撃である。
その一方で、攻撃機側には、敵の攻撃を回避する自由度が極めて少なかった。
出来ることは、プロペラが飛沫を巻き上げるほどの超低空を飛び、機体を滑らせることくらいだった。
このような、超高等技術をもってしても、その生還率は極めて低い。
雷撃とはそのようなものだった。
石川少尉は操縦桿を握りしめ。歯を食いしばる。
凄まじい数の火箭が迫ってくる。まるで炎のシャワーの中に突っ込むようなものだった。
視界の隅がパッと明るくなった。
僚機が火を噴いたのだと感じた。見て確認する余裕などなかった。
プロペラが海面をかじりそうな高度。
細かくラダーを操作して、機体を滑らせていく。それで、照準をずらすことができているのか、それも分からない。
そもそも、アメリカの対空砲火は狙わずに、空間にありったけの弾をまき散らしているだけじゃないかと思った。
まさしく、金持ちの国の戦い方だ。
待ち構えていたグラマンの追撃は、援護の零戦がなんとか食いとめているようだった。
ここまで低空で、しかも味方の対空砲の密度が高い中には、さすがにグラマンも突っ込んでこない。
ただ、それが全くありがたく思えないくらいの、火力密度だった。空が焦げてしまうのではないかと思うくらいだ。
「ヨーイ! テッーー!!」
射点に達した彼の九七式艦上攻撃機から、ふわりと魚雷が切り離された。
海面に叩きつけられ、安定板が飛散する。それは飛散することで、魚雷が深くもぐり過ぎないように働くものだ。
42ノットの雷速で海中を進む九一式航空魚雷。
深度は4.5メートルに調定してある。空母などの大型艦であれば6メートルというのが教本の指導であったが、実戦では深くもぐりすぎることもあった。
現実的なラインとして4.5メートルの深度が使用されることが多かった。
スルスルと白い航跡が伸びていく。
石川少尉は機体を抑え込み、艦尾に抜けるように、機体を操作する。
「命中! レキシントン級に魚雷め――」
偵察員の言葉はそこで途切れた。
石川少尉の機体は、高角砲のダイレクトヒットにより、一瞬でバラバラとなった。
彼の連続雷撃成功記録は2回で終わった――
◇◇◇◇◇◇
「無茶苦茶だな――」
清水少尉の言葉は、栄12型エンジンの音にかき消される。
まったくもって無茶苦茶としか言いようがない状況。しかし、その状況がどこか愉快で仕方ない自分がいた。
自分も大概な人間だと思った。
飛龍の飛行甲板は、修羅場のようになっていた。
後部では零戦が着艦を行い。前部エレベータの前から、発艦を行う零戦が並んでいるのだ。
収容前の零戦は中央エレベータに集められ、バリケードが張られている。
それでも、着艦してくる零戦が、バリケードを突き抜け突っ込んでくる。
そのたびに、零戦のスクラップが出来あがってくる。
幸いにして、搭乗員で大きなけがをした者はいないが、全く持って無茶苦茶な状態だった。
そもそも、正規空母の中でも、飛行甲板のそれほど長くない飛龍でこの様な運用が想定されているわけが無かった。
こんな莫迦な、人の命を屁とも思っていないことを思いつくのは、あの男しかいなかった。
清水少尉は、布袋のような顔をした提督を思い浮かべた。
人殺し多聞丸――
「チョーク払え」
清水少尉はゴーグルをかけた。スルスルと零戦が進む。とんでもない短い距離だが、翼はすぐに風を捉え機体に揚力を発生させる。
まったく、頭のネジがぶっ飛んでいる。
零戦を操作しながら、彼は思う。
ただ、そんな指揮官が一人二人いなければ、この戦争はどうにもならないような気がしている。
希望を得るための戦いは正しく、時には狂気すら神聖なものである――
なんの言葉だか、忘れたが、なぜかその言葉が思い出された。
妙におかしくなって、たった一人の操縦席の中で、笑い出した。
◇◇◇◇◇◇
「加来艦長、これこそ戦の光景だな」
「はい…… そうですね」
ぶっとい体の提督が太い声で言った。布袋さんのような穏やかな顔をしているように見えて、その奥の瞳は冷め切っていた。
この様な男に、意見を求められ、反論などできるはずもなかった。上官でなかったとしてもだ。
彼が艦長を務める航空母艦「飛龍」の飛行甲板は凄まじいことになっていた。
全ては、この隣で吼える提督の命令だった。
収容と、発進を同時に行えという、無茶苦茶な命令を、これまた真面目に実行した結果だった。
この混乱の中でも、零戦が飛び立っているのは、現場の人間の能力の高さを証明する物だった。
(しかし、あまりに無茶苦茶すぎる……)
加来艦長は、巨体の提督を横目で見た。
凄まじく元気だった。
「どんどん飛ばせ! 零戦を飛ばせ! 壊れたのはレッコー(投棄)しろ! 構わん! どんどん飛龍に下ろして飛ばせ」
生き生きと、声を上げる山口多聞少将。
人殺しと呼ばれた提督が獰猛な笑みを浮かべていた。
古溝飛曹長はぼんやりした頭で現状を認識しようとする。
けだるい眠気が全身を襲っていた。
顔の上をヌルヌルとした物が流れているのが分かった。
飛行メガネをはずした。
手にべっとりと血が付いていた。
「なんだこりゃ?」
右手を上げようとしたが全く感覚がなかった。
血まみれの右肩が見えた。
いつの間にか、マフラーで止血されているのが分かった。
自分がいつこのようなことをしたのか記憶になかった。
そもそも、なぜ、自分はこんなに血まみれになっているのか?
その意味が分からなかった。
吸い込まれそうな蒼穹が広がっている。
全体的にぼやけた視界の中、その蒼さだけが体に染み込んでくるようだった。
このまま、眠ってしまえば、気持ちいいだろうと思った。
ガンガンと衝撃が走った。
古溝飛曹長は、ゆっくりと頭を回す。見覚えのある機体が間近に迫り、主翼で主翼を叩いていた。
(零戦じゃないか? なにやってんだ?)
その零戦の操縦席の男は盛んに前方を指さしていた。
なんだ?
なにを言っているんだ?
ぼやける視界の中、古溝飛曹長は前方を見つめる。ぐらぐらと揺れる視界の中、下方にマッチ箱のような物が見えた。
青いセロファン紙をくしゃくしゃにして伸ばしたようなところに、小さな四角い物が、白い尾を引いていた。
ぼんやりした頭が、その視覚情報を理解するまで時間がかかった。
「母艦…… あれ? 俺は生きているのか?」
死と生の揺らぎの中で、揺蕩っていた古溝飛曹長は、この瞬間「生」を意識した。
そして、それに合わせるように、激痛が襲ってきた。
(グラマンは? どこだ! 奴らは?)
彼はドロドロとした血で汚れた眼球で周囲を見やる。
操縦席のアクリルガラスはあちらこちらが砕かれていた。貧乏長屋の窓より酷い。
彼の記憶はところどころ消し飛んでいた。
3機で200機以上の敵編隊に突入。2番機である佐久間二飛曹の機体が炎に包まれるのを見た。
後の記憶はグチャグチャだった。
向かってくるグラマンに、真正面から突撃(ヘッドオン)して機銃をぶっ放しまくったことを薄らと覚えている。
(佐久間、猪俣…… 10機は叩き墜してやったぞ)
古溝飛曹長は血まみれの顔で笑った。
すっと隣を飛んでいた零戦が離れ、前に出た。
着艦のアプローチに入っていた。
空母は、赤城だった。
「死んでたまるか、クソ野郎が――」
古溝飛曹長はつぶやくように言った。
先ほどまで、自分の脇を飛んでいた機体が、見事な着艦を見せていた。
彼も続いて、着艦のアプローチに入った。
右手は動かないが、なんとかなる。
彼はボロボロとなった零戦をゆっくりと降下させていった。
◇◇◇◇◇◇
「あんなボロボロでも帰還してきたのか―― 凄いな」
源田中佐が感嘆の声を上げた。
部下の評価に対しては、かなり甘いところがある男であったが、その零戦の着艦は見事なものだった。
廃棄するしかないと思われるまで、ボロボロになった機体で、見事に着艦を決めていた。
そして、その搭乗員は、甲板作業員に引きずり出されるように、操縦席を出た。
そのまま、担架に乗せられ、艦内に消えて行った。
源田中佐は迷いがあった。
100機を超える上空警戒の零戦は、バラバラと母艦に戻ってきていた。
第二次攻撃隊を送り出すまで、収容はできなかったのだ。
今、戻ってきた機体から、順次収容を始めている。
しかしだ――
機数が多い。
零戦隊の損害が少なかったのは良い事であったが、それを収容するための時間がかかっていた。
母艦の収容方法は、大きく2種類ある。
1機着艦するたびに、エレベータで収容し、飛行甲板をクリアにする方法だ。単機収容という方法でえらく時間がかかる。
前部エレベータで収納する際に、バリケードを立て、着艦と格納庫への収納を同時並行で行うものだ。これは、「連続収容」といわれる方法だ。
更に、この方法には、ある程度前部に機体を集めて、収納するという「緊急収容」という方法があった。
現在、「連続収容」対応していたが、バラバラに帰還してくるため、どうしても収容に時間がかかっていた。
「航空参謀――」
草鹿参謀長が、口を開いた。
「なんでしょうか」
「この状況、危険だ。敵の二次攻撃に対し、あまりに無防備だ」
そんなことは言われなくとも分かっているという顔で源田航空参謀は、草鹿参謀長を見つめた。
鷹を思わせる鋭い目だった。
この状況で取りうる方法は、いくつかある。
一旦、赤城と飛龍の収容を中止。ここまで収容した零戦の発進を優先させるという方法だ。
ただ、それを行ったとして、上空に展開できる機体は4~5機だ。
無いよりましではあるが、実際に戦う方はたまったものではない。
源田の脳裏に、ボロボロになって帰還してきた先ほどのパイロットの姿がよぎる。
「収容を優先しましょう」
源田中佐はきっぱりと言い放った。航空の専門家であるという彼の意見は重かった。
第一航空艦隊が「源田艦隊」と揶揄されるほどに、彼の言い分はノーチェックで通過していた。
「悠長すぎる! ここは収容を停止。各艦、収容済の零戦の補給を優先し、発艦を急ぐべきだ」
「莫迦な! 上空には燃料がギリギリの機体もあるのですよ!」
「着水させ、搭乗員だけ収容させればいいだろう」
「危険すぎる。そんなこと出来るわけがない」
着水して、脱出と言うのは簡単だ。しかし、それは非常に危険を伴う行為なのだ。
戦闘で疲労した搭乗員にそんな酷な命令を出す気にはならなかった。
「このままでは、艦隊全体が危ない」
「艦隊を守った、彼らをそんな目にあわせられません」
お互いに譲ることがなかった。源田中佐の意見が通らないということは初めてといってもよかった。
草鹿参謀長も、経験の中で航空戦の怖さを認識し、上空援護の戦闘機の必要性を認識しているのだろう。
源田中佐にとって、草鹿参謀長の提案は考慮の余地のないものではなかった。
それは十分にあり得る話であった。それだけに反論が難しかった。
自分が理ではなく情に流されているのではないかとも思った。
しかしだ――
それはあまりに酷な命令に思えた。
たった今まで生死を賭け、戦ってきた部下に対し、危険の多い着水など命じられなかった。
源田中佐は拳を握りしめただ黙っていた。
なにか、方法があるのか……
「我々にはまだ戦闘機があるだろう――」
南雲長官だった。
その言葉の意味するところを、源田中佐の回転の早い頭脳は瞬時に把握していた。
「そうです! 長官、我々にはまだ戦闘機があります!」
南雲司令官がニヤリと笑った。
それは歴戦の古武士の笑みだった。
◇◇◇◇◇◇
敵艦への雷撃を三回成功させた者はいない。
これは、海軍の艦攻搭乗員の中に伝わる伝説ようなものだった。
要するに、それだけ雷撃という攻撃が危険極まりないものであるということだ。
一撃で船の水線下をえぐり、致命傷を与える攻撃である。
その一方で、攻撃機側には、敵の攻撃を回避する自由度が極めて少なかった。
出来ることは、プロペラが飛沫を巻き上げるほどの超低空を飛び、機体を滑らせることくらいだった。
このような、超高等技術をもってしても、その生還率は極めて低い。
雷撃とはそのようなものだった。
石川少尉は操縦桿を握りしめ。歯を食いしばる。
凄まじい数の火箭が迫ってくる。まるで炎のシャワーの中に突っ込むようなものだった。
視界の隅がパッと明るくなった。
僚機が火を噴いたのだと感じた。見て確認する余裕などなかった。
プロペラが海面をかじりそうな高度。
細かくラダーを操作して、機体を滑らせていく。それで、照準をずらすことができているのか、それも分からない。
そもそも、アメリカの対空砲火は狙わずに、空間にありったけの弾をまき散らしているだけじゃないかと思った。
まさしく、金持ちの国の戦い方だ。
待ち構えていたグラマンの追撃は、援護の零戦がなんとか食いとめているようだった。
ここまで低空で、しかも味方の対空砲の密度が高い中には、さすがにグラマンも突っ込んでこない。
ただ、それが全くありがたく思えないくらいの、火力密度だった。空が焦げてしまうのではないかと思うくらいだ。
「ヨーイ! テッーー!!」
射点に達した彼の九七式艦上攻撃機から、ふわりと魚雷が切り離された。
海面に叩きつけられ、安定板が飛散する。それは飛散することで、魚雷が深くもぐり過ぎないように働くものだ。
42ノットの雷速で海中を進む九一式航空魚雷。
深度は4.5メートルに調定してある。空母などの大型艦であれば6メートルというのが教本の指導であったが、実戦では深くもぐりすぎることもあった。
現実的なラインとして4.5メートルの深度が使用されることが多かった。
スルスルと白い航跡が伸びていく。
石川少尉は機体を抑え込み、艦尾に抜けるように、機体を操作する。
「命中! レキシントン級に魚雷め――」
偵察員の言葉はそこで途切れた。
石川少尉の機体は、高角砲のダイレクトヒットにより、一瞬でバラバラとなった。
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◇◇◇◇◇◇
「無茶苦茶だな――」
清水少尉の言葉は、栄12型エンジンの音にかき消される。
まったくもって無茶苦茶としか言いようがない状況。しかし、その状況がどこか愉快で仕方ない自分がいた。
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後部では零戦が着艦を行い。前部エレベータの前から、発艦を行う零戦が並んでいるのだ。
収容前の零戦は中央エレベータに集められ、バリケードが張られている。
それでも、着艦してくる零戦が、バリケードを突き抜け突っ込んでくる。
そのたびに、零戦のスクラップが出来あがってくる。
幸いにして、搭乗員で大きなけがをした者はいないが、全く持って無茶苦茶な状態だった。
そもそも、正規空母の中でも、飛行甲板のそれほど長くない飛龍でこの様な運用が想定されているわけが無かった。
こんな莫迦な、人の命を屁とも思っていないことを思いつくのは、あの男しかいなかった。
清水少尉は、布袋のような顔をした提督を思い浮かべた。
人殺し多聞丸――
「チョーク払え」
清水少尉はゴーグルをかけた。スルスルと零戦が進む。とんでもない短い距離だが、翼はすぐに風を捉え機体に揚力を発生させる。
まったく、頭のネジがぶっ飛んでいる。
零戦を操作しながら、彼は思う。
ただ、そんな指揮官が一人二人いなければ、この戦争はどうにもならないような気がしている。
希望を得るための戦いは正しく、時には狂気すら神聖なものである――
なんの言葉だか、忘れたが、なぜかその言葉が思い出された。
妙におかしくなって、たった一人の操縦席の中で、笑い出した。
◇◇◇◇◇◇
「加来艦長、これこそ戦の光景だな」
「はい…… そうですね」
ぶっとい体の提督が太い声で言った。布袋さんのような穏やかな顔をしているように見えて、その奥の瞳は冷め切っていた。
この様な男に、意見を求められ、反論などできるはずもなかった。上官でなかったとしてもだ。
彼が艦長を務める航空母艦「飛龍」の飛行甲板は凄まじいことになっていた。
全ては、この隣で吼える提督の命令だった。
収容と、発進を同時に行えという、無茶苦茶な命令を、これまた真面目に実行した結果だった。
この混乱の中でも、零戦が飛び立っているのは、現場の人間の能力の高さを証明する物だった。
(しかし、あまりに無茶苦茶すぎる……)
加来艦長は、巨体の提督を横目で見た。
凄まじく元気だった。
「どんどん飛ばせ! 零戦を飛ばせ! 壊れたのはレッコー(投棄)しろ! 構わん! どんどん飛龍に下ろして飛ばせ」
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