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22話:暗殺技法
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俺の住む王国は、ユラシルド大陸の西端で同根の文化圏エリアにある。
そこには、大小の王国や自治都市がひしめき合っている。
で、そんな場所を共通の文化圏としてまとめているというか、基盤になっているというか……
それが教会だ。
権威はあるし、国だって教会に睨まれそうなことは基本やらない。
教会には「聖典」もあって、そこには「戒律」も書かれてあるが、基本的には世俗法と被るのが多い。
盗むな、殺すな、騙すなとか、そんな感じだ。
一日に聖地の方を向いて10回お祈りしろとか、偶像崇拝するなとか、そういう宗教らしい宗教的な戒律は無い。
ただ、明文化されていない部分で、「異端の行動」を禁じている。
これが、すげぇ曖昧。明確な基準が公開されていないのに、いきなりバッサリやらることがあるらしい。
例えば「空を飛ぶ」という行為なんかは、どーなのかよく分からん。
「天は神の棲まうとこなれば」という一節があるが、それをもって「飛ぶ行為が異端」なのか分からない。
明確な基準が公開されていないのに、罰はいきなり与える。
この根拠は「神の考えを人間が推し量るのはできない」ということらしい。でも、実際に裁くのは人だ。
紙の製造は大丈夫だった。
ツユクサ先生がうなく立ち回って、教会もずっぽり利権に絡んでいる。
世俗的なところはなんだかなぁと思わないでもない。でも、ちょっと安心もしている。
で、印刷だ―― 正確には「活版印刷」ってやつ。
活字を作って、それを組み合わせて印刷するシステムだ。
今、ツユクサ先生と俺が、この世界で「カガク」呼ばれる禁呪書 ―なぜか、日本語で書かれた科学技術の解説本だ― で再現しているのが「活版印刷」なんだけどね。
「教会の偉い人が死んじゃったみたいですよね」
窓の方を見ながら俺は言った。
禁呪学科の研究室の窓から見える空は相変わらず曇っている。
雲が光を反射するせいか、じっと見ていると目がいたくなる。俺は視線をツユクサ先生に向けた。
俺の言葉が、全く耳に入っている様子がない。必死に何かを書いている。
「ツユクサ先生」
彼女は、今気付いたかのように顔を上げた。
その動きに合わせて、ふわりと亜麻色の髪が揺れる。
「あ…… なに、ライ?」
転生前の世界の空の色のような碧い瞳が正面を向いた。
「教会の偉い人、死んじゃいましたよね」
「そうね」
繰り返した俺の言葉に相槌だけを打った。
すぐに、代わりの人間がやって来て、こっちには大きな問題はないのだろうけど、先生は無関心すぎた。どうなんだろう?
で、彼女はまた下をむいて書き物を再開。
「なにやってんですか?」
「もう! 紙が安くなったのはいいけど、いろんなことで提出する書類が増えたのよ! もう、面倒くさい!」
「そうですか……」
「『そうですか』じゃないわ」
キッと俺を睨んだりする。しかも、子どもみたいにほほを膨らませているし。
つーか、その件に関しては、俺は悪くないのに。先生はそれで准教授になったんですよね。
まあ、書類仕事でイライラしているのは分かるけどさぁ。
「あ、ごめんなさい。ちょっとイライラしてたから」
俺がなんともいえない困惑した顔をしたせいだろうか。
ツユクサ先生の顔から険(けん)がすっと消えた。ふくらんでいたほほがすぼまる。
俺の困惑した表情を見たせいなのか、ツユクサ先生はすまなさそうに謝った。
「面倒くさい話しが色々でてきているのよ――」
彼女は、肩肘をついて「ふぅ」と息を吐いた。
「活版印刷は、実用化しても魔法大学ないに情報をとどめること。で、使用するのも魔法大学だけとすること―― その他、色々……」
「なんですかそれ?」
「さあね、滅茶苦茶よ」
頬杖をついて、彼女は言葉を投げ出すように言った
「まあ、そうですね……」
禁呪「カガク」の研究をやっているのは俺と先生だけだ。
しかし、このところ、学内で共同研究の申し出が増えている。
それを、ツユクサ先生は断っているし、学長もそれを支持しているようだ。
そんな状況の中――
いくら俺でも流れてくる噂で、大体のところは知っていた。
紙の量産の成功で、大学には大きなお金が流れ込んでくる仕組みができあがった。
で、ツユクサ先生はそれで出世。ぺーぺーの講師から准教授だ。
そりゃ、嫉妬もあるだろし、利権に絡ませろって動きもでてくるだろう。
「魔法工学部と魔法物理学部が共同研究しているわ」
「なにをです」
「活版印刷物でも複製できないプロテクト魔法言語――」
「まあ、そうなるんですかね」
この世界の魔法は、魔導書を読み上げ、その書に記載された魔法言語を実行形式として、自分の体の中に取り込む(セットアップ)するというものだ。
この容量が少ない俺みたいな者は大きな魔法は使えない。
で、俺の次兄にあたるリンドウ兄ちゃんのような、強力な魔法使いはいくつもの魔法を、常駐させておくこともできる。
「魔人・リンドウ」の二つ名をもつ、この王国というか大陸でも屈指の魔法使いだ。
で、その辺りの人間の魔法をセットアップする能力の多寡(たか)を「容量がある」とか「ない」というわけだ。
ちなみに、俺も先生も残念な部類に入る。異世界なのに。魔法をセットアップする容量が少ない。
先生などほとんどないらしい。
更にだ――
魔導書を読んで、魔法の実行形式を読み上げても、正規購入の魔導書で無い限り、魔法は起動しない。
これは、購入者と開発者が契約をするという形になっているからだ。
「本がいっぱい出れば、儲かると思うんですけどね。単価が安くても――」
魔導書は高い。確かにいっぱい刷れば単価は下がる。
それでも、数でカバーして、今まで以上に利益を上げることはできるはずだ。
「複製が簡単にできるようになると、ダメって話だし―― それは、十分に分かる話だけど――」
テーブルの上に上半身をくたっと寝かせるツユクサ先生。イモムシみたいに。
「なんか、上手い方法はないんですかね」
「だから、それを考えて、提案しようとしてるんだけどねぇ~」
寝そべったまま、鳥の羽ペンで紙の上にグリグリと黒丸を書いていく先生。
俺もちょっと考えてみたが、手軽な方法は思い浮かばない。
「印刷した本に、プロテクト魔法を手書きで、いれるとか――」
「それ、もう言った。できないみたいね……」
こっちは魔法技術のことに関して良く分からない。
専門家が出来ないといわれれば、そうですかというしかないのだ。
「無断複製本がでまわると、やっぱまずいですよね~」
「そうね」
「そうですか」
「写本と、正規版と判別して、きちんと流通させることができればねぇ……」
「できないんですか」
「これから、魔法工学部と魔法理学部で研究するって」
無断複製の写本が氾濫すれば、魔法を開発している「魔法工学部」とか、その基礎理論を構築する「魔法物理学部」とが大ダメージだ。
この2つは、魔法大学の花形学部でもある。
潰れる予定だった「禁呪学科」がなに余計なことしてんだ? ってなことを思っているのかもしれない。
「いい方法ないですよね~」
「ないわねぇ~」
「でも、魔導書でない書物ならいいんじゃないですか?」
そうだよな。大体世の中には書物にすることはたくさんある。
魔導書だけが本じゃない。
「それもねぇ…… 言った……」
「言ったんですか?」
「そうね。魔法大学が生みだしたものであるのなら、まず『魔導書』を刷るのが本筋だといってるのよ」
「はぁ?」
意味不明だ。
要するに、今自分たちの魔導書をすると、不正コピーが横行する。
でも、魔法大学が作ったものなのだから、まずは「魔導書」を印刷しろと?
「どうすればいいんですか?」
思わずきいてしまう俺。
「だから、頭ひねってるのよ」
ツユクサ先生はすこしふくれながら言った。
俺に対してというより、この理不尽な状況に対してふくれているのだ。
「新しいプロテクト魔法が完成するまで、活版印刷は日の目をみないと」
「端的にいってそうね」
俺はふと思った。
よく分からないが、あれか?
コンピュータソフトのユーザー認証みたいなもんを魔導書の認証につかえないか?
こう、番号を乱数で作って、こっちでマッチングさせて――
専門じゃないので、よくわからんが。
そういった、ネットワーク上の認証みたいなのを魔法で実現できればいいのか?
応用できないのか?
科学の中にそういった「情報通信技術」の本はあったか?
今まで見たことないな。
「ああ!! もうやる気なくなった! 気分転換! いきましょう!」
「行くって?」
「市場よ! もう、あまい物が食べたいのよ」
ツユクサ先生は、席をたって出て行く。俺もノコノコと後をついていくのだ。
行く先は分かっている。常設市場の屋台だ。
多分、ザラメをまぶしまくった揚げパンの屋台だ……
◇◇◇◇◇◇
「先生、そんなに急いで食べると、のどに詰まりますよ」
魔法大学からそれほど離れていない中心市街。
そこの常設市場。立ち並ぶ屋台。焼けた肉の匂いがおいしそうだが、その匂いを発生させている屋台はスルーだ。
コメカミが痛くなるような、あまいにおい。
あまい物が並んでいる屋台のエリアだ。
ツユクサ先生は一直線に揚げパンを作っている屋台に入った。
で、即座に揚げパンを注文して、もう3個目をパクついている。
「おいしいでしょ?」
先生はこれぞ、幸せという顔で、揚げパンをパクつく。
あまい。無駄にあまい。1個食べただけで、胸やけしそうだ。
しかし、ここであんまり食べないと「貴族のおぼちゃんの口には合わないのね」という風に言われてしまうかもしれない。
だから、俺は付き合っている。まあ、2個食べると、甘さに馴れるというか、麻痺してくることも分かっている。
先生は紅茶を手に取って口に運んだ。
「しかし、なんかいい方法ないかなぁ~」
飲み終わった先生の口からは、ため息のような言葉が漏れてくる。
「方法というかヒントがあれば…… 先生。あの~」
禁呪の書「カガク」あの中に、情報通信、個人認証システムに関する記載もあるかもしれない。
その構造を魔法で再現できないのか……
研究室で考えていたことを先生にちょっと言おうかと思った。
トン――
かすかだった。
なにかが、なにかを叩く音。軽くだ。そんな感じの音が聞こえた気がした。
「先生――」
ツユクサ先生は紅茶をもって、黙っていた。なんか、様子が――
彼女の指からゆっくりと紅茶のカップが離れた。まるでスローモーションのようにそれが落ちていく。
地面に落ち、カップの割れる音が響く。
「先生!!」
ぐらりと先生は体をそらすようにして、後ろに倒れていく。
なにが起きた!
俺は目の前に起きていることを咀嚼できずに、ただ眼前の光景を網膜に映し出しているだけだった。
要するに呆然としていたのだ。
亜麻色の髪が前方に流れていく。ゆっくりと後に倒れる先生の顔の方に――
ドンッと、先生の体が後ろに倒れた。その身体が地に触れた。
なんだ? のどにパンを詰まらせた? 違う、そんなわけがない。そんな倒れ方じゃない。
「ツユクサ先生ぇぇ!!」
俺は先生を抱きかかえようとした。しかし、あれか。こういったとき、なんだ?
あれだよ、体を無理に動かすとかダメじゃないかとか、あった? あったよな。多分。そうなると、どうなんだ?
「治癒魔法! 治癒魔法使える人は!」
俺は声を上げていた。屋台のオヤジは真っ青な顔をしている。人が「なんだ? なんだ?」と集まってくる。
しかし、治癒魔法使えそうな人間はこない。世の中理不尽!! くそ!! 呪うぞ!
「先生! 先生! 先生!」
その時の俺は夢中だった。胸に手をあてた。柔らかいけど、そんなこと感じている余裕は無かった。
先生の胸に耳を当てた。ごーーっという雑音しか聞こえない。
動いてない―― 鼓動がない。心臓が動いてないんだ!
「うぉぉぉぉ!!」
俺はさけんでいた。電気。俺は電気を流せる。考えている余裕もなかった。
電気ショックだ! たしかそれで、心臓を――
俺は先生の胸に手を当て、一気に電気を流し込んだ。
ビクンと先生の体が跳ねた。細く小柄な体。もう一度だ!
全力だった。今まで低周波治療器程度の電気しかながれないと思っていた。
だけど、今だけでいい。強い電気を!
もう一度、全力でだ。体の細胞が直列つなぎになって、一気に電気を流し込むような感覚。
手から「バチン」という音が響いた。
再び、先生の体が跳ねた。
夢中だった。俺はこの世界に生まれて初めて――
いや、違う。前世のときから数えても初めてだ。
必死になった。本当に必死だった。
「かッ」
先生が小さく息をもらした気がした。
「ツユクサ先生!」
俺は胸に耳を当てた。
トットットットットッ――
それは、弱かった。辛うじて聞こえる物だった。
でもそれで十分だった。心臓は動いている。
「あ…… ライ……」
先生の口が小さく動いて、俺の名を呼んだ。
「先生…… いったい」
「なんか、急に目の前が……」
まだ先生は起き上がることはできなかった。でも、意識ははっきりしているようだった。
全身の力はドッと抜けていくような感じがした。
「どうしましたか?」
声がした。頭の上だ。俺は見あげた。
知っている顔だった。見覚えのある顔だった。
闇を切り取ってまとったかのような黒い服。
陽のあたることを徹底して避けたような真っ白い肌。
「アナタは、教会の……」
「ガランサスです」
その男は静かに言った。以前、教会から魔法大学にやってきた男だった。
そこには、大小の王国や自治都市がひしめき合っている。
で、そんな場所を共通の文化圏としてまとめているというか、基盤になっているというか……
それが教会だ。
権威はあるし、国だって教会に睨まれそうなことは基本やらない。
教会には「聖典」もあって、そこには「戒律」も書かれてあるが、基本的には世俗法と被るのが多い。
盗むな、殺すな、騙すなとか、そんな感じだ。
一日に聖地の方を向いて10回お祈りしろとか、偶像崇拝するなとか、そういう宗教らしい宗教的な戒律は無い。
ただ、明文化されていない部分で、「異端の行動」を禁じている。
これが、すげぇ曖昧。明確な基準が公開されていないのに、いきなりバッサリやらることがあるらしい。
例えば「空を飛ぶ」という行為なんかは、どーなのかよく分からん。
「天は神の棲まうとこなれば」という一節があるが、それをもって「飛ぶ行為が異端」なのか分からない。
明確な基準が公開されていないのに、罰はいきなり与える。
この根拠は「神の考えを人間が推し量るのはできない」ということらしい。でも、実際に裁くのは人だ。
紙の製造は大丈夫だった。
ツユクサ先生がうなく立ち回って、教会もずっぽり利権に絡んでいる。
世俗的なところはなんだかなぁと思わないでもない。でも、ちょっと安心もしている。
で、印刷だ―― 正確には「活版印刷」ってやつ。
活字を作って、それを組み合わせて印刷するシステムだ。
今、ツユクサ先生と俺が、この世界で「カガク」呼ばれる禁呪書 ―なぜか、日本語で書かれた科学技術の解説本だ― で再現しているのが「活版印刷」なんだけどね。
「教会の偉い人が死んじゃったみたいですよね」
窓の方を見ながら俺は言った。
禁呪学科の研究室の窓から見える空は相変わらず曇っている。
雲が光を反射するせいか、じっと見ていると目がいたくなる。俺は視線をツユクサ先生に向けた。
俺の言葉が、全く耳に入っている様子がない。必死に何かを書いている。
「ツユクサ先生」
彼女は、今気付いたかのように顔を上げた。
その動きに合わせて、ふわりと亜麻色の髪が揺れる。
「あ…… なに、ライ?」
転生前の世界の空の色のような碧い瞳が正面を向いた。
「教会の偉い人、死んじゃいましたよね」
「そうね」
繰り返した俺の言葉に相槌だけを打った。
すぐに、代わりの人間がやって来て、こっちには大きな問題はないのだろうけど、先生は無関心すぎた。どうなんだろう?
で、彼女はまた下をむいて書き物を再開。
「なにやってんですか?」
「もう! 紙が安くなったのはいいけど、いろんなことで提出する書類が増えたのよ! もう、面倒くさい!」
「そうですか……」
「『そうですか』じゃないわ」
キッと俺を睨んだりする。しかも、子どもみたいにほほを膨らませているし。
つーか、その件に関しては、俺は悪くないのに。先生はそれで准教授になったんですよね。
まあ、書類仕事でイライラしているのは分かるけどさぁ。
「あ、ごめんなさい。ちょっとイライラしてたから」
俺がなんともいえない困惑した顔をしたせいだろうか。
ツユクサ先生の顔から険(けん)がすっと消えた。ふくらんでいたほほがすぼまる。
俺の困惑した表情を見たせいなのか、ツユクサ先生はすまなさそうに謝った。
「面倒くさい話しが色々でてきているのよ――」
彼女は、肩肘をついて「ふぅ」と息を吐いた。
「活版印刷は、実用化しても魔法大学ないに情報をとどめること。で、使用するのも魔法大学だけとすること―― その他、色々……」
「なんですかそれ?」
「さあね、滅茶苦茶よ」
頬杖をついて、彼女は言葉を投げ出すように言った
「まあ、そうですね……」
禁呪「カガク」の研究をやっているのは俺と先生だけだ。
しかし、このところ、学内で共同研究の申し出が増えている。
それを、ツユクサ先生は断っているし、学長もそれを支持しているようだ。
そんな状況の中――
いくら俺でも流れてくる噂で、大体のところは知っていた。
紙の量産の成功で、大学には大きなお金が流れ込んでくる仕組みができあがった。
で、ツユクサ先生はそれで出世。ぺーぺーの講師から准教授だ。
そりゃ、嫉妬もあるだろし、利権に絡ませろって動きもでてくるだろう。
「魔法工学部と魔法物理学部が共同研究しているわ」
「なにをです」
「活版印刷物でも複製できないプロテクト魔法言語――」
「まあ、そうなるんですかね」
この世界の魔法は、魔導書を読み上げ、その書に記載された魔法言語を実行形式として、自分の体の中に取り込む(セットアップ)するというものだ。
この容量が少ない俺みたいな者は大きな魔法は使えない。
で、俺の次兄にあたるリンドウ兄ちゃんのような、強力な魔法使いはいくつもの魔法を、常駐させておくこともできる。
「魔人・リンドウ」の二つ名をもつ、この王国というか大陸でも屈指の魔法使いだ。
で、その辺りの人間の魔法をセットアップする能力の多寡(たか)を「容量がある」とか「ない」というわけだ。
ちなみに、俺も先生も残念な部類に入る。異世界なのに。魔法をセットアップする容量が少ない。
先生などほとんどないらしい。
更にだ――
魔導書を読んで、魔法の実行形式を読み上げても、正規購入の魔導書で無い限り、魔法は起動しない。
これは、購入者と開発者が契約をするという形になっているからだ。
「本がいっぱい出れば、儲かると思うんですけどね。単価が安くても――」
魔導書は高い。確かにいっぱい刷れば単価は下がる。
それでも、数でカバーして、今まで以上に利益を上げることはできるはずだ。
「複製が簡単にできるようになると、ダメって話だし―― それは、十分に分かる話だけど――」
テーブルの上に上半身をくたっと寝かせるツユクサ先生。イモムシみたいに。
「なんか、上手い方法はないんですかね」
「だから、それを考えて、提案しようとしてるんだけどねぇ~」
寝そべったまま、鳥の羽ペンで紙の上にグリグリと黒丸を書いていく先生。
俺もちょっと考えてみたが、手軽な方法は思い浮かばない。
「印刷した本に、プロテクト魔法を手書きで、いれるとか――」
「それ、もう言った。できないみたいね……」
こっちは魔法技術のことに関して良く分からない。
専門家が出来ないといわれれば、そうですかというしかないのだ。
「無断複製本がでまわると、やっぱまずいですよね~」
「そうね」
「そうですか」
「写本と、正規版と判別して、きちんと流通させることができればねぇ……」
「できないんですか」
「これから、魔法工学部と魔法理学部で研究するって」
無断複製の写本が氾濫すれば、魔法を開発している「魔法工学部」とか、その基礎理論を構築する「魔法物理学部」とが大ダメージだ。
この2つは、魔法大学の花形学部でもある。
潰れる予定だった「禁呪学科」がなに余計なことしてんだ? ってなことを思っているのかもしれない。
「いい方法ないですよね~」
「ないわねぇ~」
「でも、魔導書でない書物ならいいんじゃないですか?」
そうだよな。大体世の中には書物にすることはたくさんある。
魔導書だけが本じゃない。
「それもねぇ…… 言った……」
「言ったんですか?」
「そうね。魔法大学が生みだしたものであるのなら、まず『魔導書』を刷るのが本筋だといってるのよ」
「はぁ?」
意味不明だ。
要するに、今自分たちの魔導書をすると、不正コピーが横行する。
でも、魔法大学が作ったものなのだから、まずは「魔導書」を印刷しろと?
「どうすればいいんですか?」
思わずきいてしまう俺。
「だから、頭ひねってるのよ」
ツユクサ先生はすこしふくれながら言った。
俺に対してというより、この理不尽な状況に対してふくれているのだ。
「新しいプロテクト魔法が完成するまで、活版印刷は日の目をみないと」
「端的にいってそうね」
俺はふと思った。
よく分からないが、あれか?
コンピュータソフトのユーザー認証みたいなもんを魔導書の認証につかえないか?
こう、番号を乱数で作って、こっちでマッチングさせて――
専門じゃないので、よくわからんが。
そういった、ネットワーク上の認証みたいなのを魔法で実現できればいいのか?
応用できないのか?
科学の中にそういった「情報通信技術」の本はあったか?
今まで見たことないな。
「ああ!! もうやる気なくなった! 気分転換! いきましょう!」
「行くって?」
「市場よ! もう、あまい物が食べたいのよ」
ツユクサ先生は、席をたって出て行く。俺もノコノコと後をついていくのだ。
行く先は分かっている。常設市場の屋台だ。
多分、ザラメをまぶしまくった揚げパンの屋台だ……
◇◇◇◇◇◇
「先生、そんなに急いで食べると、のどに詰まりますよ」
魔法大学からそれほど離れていない中心市街。
そこの常設市場。立ち並ぶ屋台。焼けた肉の匂いがおいしそうだが、その匂いを発生させている屋台はスルーだ。
コメカミが痛くなるような、あまいにおい。
あまい物が並んでいる屋台のエリアだ。
ツユクサ先生は一直線に揚げパンを作っている屋台に入った。
で、即座に揚げパンを注文して、もう3個目をパクついている。
「おいしいでしょ?」
先生はこれぞ、幸せという顔で、揚げパンをパクつく。
あまい。無駄にあまい。1個食べただけで、胸やけしそうだ。
しかし、ここであんまり食べないと「貴族のおぼちゃんの口には合わないのね」という風に言われてしまうかもしれない。
だから、俺は付き合っている。まあ、2個食べると、甘さに馴れるというか、麻痺してくることも分かっている。
先生は紅茶を手に取って口に運んだ。
「しかし、なんかいい方法ないかなぁ~」
飲み終わった先生の口からは、ため息のような言葉が漏れてくる。
「方法というかヒントがあれば…… 先生。あの~」
禁呪の書「カガク」あの中に、情報通信、個人認証システムに関する記載もあるかもしれない。
その構造を魔法で再現できないのか……
研究室で考えていたことを先生にちょっと言おうかと思った。
トン――
かすかだった。
なにかが、なにかを叩く音。軽くだ。そんな感じの音が聞こえた気がした。
「先生――」
ツユクサ先生は紅茶をもって、黙っていた。なんか、様子が――
彼女の指からゆっくりと紅茶のカップが離れた。まるでスローモーションのようにそれが落ちていく。
地面に落ち、カップの割れる音が響く。
「先生!!」
ぐらりと先生は体をそらすようにして、後ろに倒れていく。
なにが起きた!
俺は目の前に起きていることを咀嚼できずに、ただ眼前の光景を網膜に映し出しているだけだった。
要するに呆然としていたのだ。
亜麻色の髪が前方に流れていく。ゆっくりと後に倒れる先生の顔の方に――
ドンッと、先生の体が後ろに倒れた。その身体が地に触れた。
なんだ? のどにパンを詰まらせた? 違う、そんなわけがない。そんな倒れ方じゃない。
「ツユクサ先生ぇぇ!!」
俺は先生を抱きかかえようとした。しかし、あれか。こういったとき、なんだ?
あれだよ、体を無理に動かすとかダメじゃないかとか、あった? あったよな。多分。そうなると、どうなんだ?
「治癒魔法! 治癒魔法使える人は!」
俺は声を上げていた。屋台のオヤジは真っ青な顔をしている。人が「なんだ? なんだ?」と集まってくる。
しかし、治癒魔法使えそうな人間はこない。世の中理不尽!! くそ!! 呪うぞ!
「先生! 先生! 先生!」
その時の俺は夢中だった。胸に手をあてた。柔らかいけど、そんなこと感じている余裕は無かった。
先生の胸に耳を当てた。ごーーっという雑音しか聞こえない。
動いてない―― 鼓動がない。心臓が動いてないんだ!
「うぉぉぉぉ!!」
俺はさけんでいた。電気。俺は電気を流せる。考えている余裕もなかった。
電気ショックだ! たしかそれで、心臓を――
俺は先生の胸に手を当て、一気に電気を流し込んだ。
ビクンと先生の体が跳ねた。細く小柄な体。もう一度だ!
全力だった。今まで低周波治療器程度の電気しかながれないと思っていた。
だけど、今だけでいい。強い電気を!
もう一度、全力でだ。体の細胞が直列つなぎになって、一気に電気を流し込むような感覚。
手から「バチン」という音が響いた。
再び、先生の体が跳ねた。
夢中だった。俺はこの世界に生まれて初めて――
いや、違う。前世のときから数えても初めてだ。
必死になった。本当に必死だった。
「かッ」
先生が小さく息をもらした気がした。
「ツユクサ先生!」
俺は胸に耳を当てた。
トットットットットッ――
それは、弱かった。辛うじて聞こえる物だった。
でもそれで十分だった。心臓は動いている。
「あ…… ライ……」
先生の口が小さく動いて、俺の名を呼んだ。
「先生…… いったい」
「なんか、急に目の前が……」
まだ先生は起き上がることはできなかった。でも、意識ははっきりしているようだった。
全身の力はドッと抜けていくような感じがした。
「どうしましたか?」
声がした。頭の上だ。俺は見あげた。
知っている顔だった。見覚えのある顔だった。
闇を切り取ってまとったかのような黒い服。
陽のあたることを徹底して避けたような真っ白い肌。
「アナタは、教会の……」
「ガランサスです」
その男は静かに言った。以前、教会から魔法大学にやってきた男だった。
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・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
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──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
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「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
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十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
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これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
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