王立魔法大学の禁呪学科 禁断の魔導書「カガク」はなぜか日本語だった

中七七三

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23話:先生をひとりにはできない

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「おやおや、大丈夫ですか? ツユクサ教授」

 黒い服の男は言った。ガランサスという名の男。
 印象は黒。「黒づくめの教会の男」という印象しかなかった。
 心配という感情をその顔に浮かべているように見える。見えることは見える。
 でも、なんだ? どこか虚ろな感じというか、つくり物めいた感じがする。
 
「ちょっと目の前が真っ暗になって……」

「先生、急に立ち上がらない方がいいです」

 ふらふらと立ち上がろうとする先生を俺は制した。

「大丈夫」

 大丈夫なわけがない。心臓が止まっていたんだ。奇跡だ。
 俺のもっている電気を流す力がなければ、先生は…… 
 今まで、低周波治療器程度と思っていた能力だが、AEDというか、救急蘇生装置のような使い方もできたんだ。俺もさっき知った。
 いや、もう一度やれと言われても出来るかどうか分からない。必死だったし。

「ただの貧血よ」

 そういうツユクサ先生に『心臓が止まってました』とは言えない。
 つーか、そんなこと気軽に言えるもんじゃない。

 彼女は笑みを浮かべ俺を見た。

「ありがとう、ライ」
 
 彼女の口からその言葉がこぼれた。そして、俺の制止にも関わらず、まだ立とうとする。
 明らかに顔色が悪い。
 元々白い肌だけど、血の気が無くなって見覚えのある上質紙のような色になっている。

「先生、ダメだって! しばらくはじっとしてた方が――」

「彼の言う通りです。急に動くのはよくありません」

 ガランサスは身を折りたたむ様にしゃがみこんだ。そして、目線を先生の高さに合わせた。

「どこかぶつけてませんか?」

 聖職者が救いの言葉を紡ぐような口調だ。彼は聖職者だからそれは間違ってないか。
 でも、なんだろう。この、微妙なささくれのような違和感――
 
「こぶできてる……」

 ツユクサ先生は、亜麻色の後ろ髪に指を絡ませる。
 後頭部打ったの? そこをぶつけたのか。
 
「先生、頭はまずいですよ。大学に戻りましょう。診てもらって、それに、治癒魔法をかけてもらった方がいい」

「大げさね。小さなこぶだわ。子どものころは、こんなのたくさん作ってたし」

 顔色は少し回復してきた気がする。でも、頭は危ない。おっかない。
 しかも心停止だ。心臓止まっていたんだよ?
 絶対に不味いって。
 大学に戻れば、治癒魔法の使い手がいる。保険医のようなものだ。学生や教官は診てもらうことができる。
 きちんと体を調べてもらった方がいい。 

「こぶですか……」

 ガランサスだった。教会の黒づくめの男は、すっと長い手を伸ばした。
 俺ですら触った記憶のない、亜麻色の髪に手を振れた。ふわりとした柔らかそうな髪に指が沈み込む。 
 唐突な行動に一瞬あっけにとられた俺。なにをする気なんだ。俺の先生にてめぇ!

「おい! オマエなにを――」

 思わず怒鳴るような声がでた。ガランサスはガン無視で平然としていた。俺なんかいないかの様子。

「あッ」
「先生!」

 先生が短く声を上げた。ガランサスは口元に笑みを浮かべ、ゆっくりとその手を先生の頭から離した。

「治しました。大したことはないと思います」

「無詠唱、治癒魔法…… 初めてみたわ」

「いえいえ、そう自慢できるものではないです。他愛のない技術すぎません」

 ガランサスはこともなげに言った。
 そして、ゆっくりと立ち上がる。膝についた土ぼこりを払った。
 周囲に目をやる。

 俺たちの周りには、野次馬が集まっていた。

「見世物ではないのですが――」

 何とも言えない異質な声音。どのような感情もこもっていないようでいて、それでいて人の心の根源的な奥底まで響くような声。
 何だ? 恐怖感? 嫌悪感? 違う。
 ただ「得体がしれない」という感じだ。それが俺の実感に一番近かった。

 とにかく、その声で集まっていた野次馬が散っていく。彼らは、市場の雑多な動きや音の中に溶けこむようにいなくなっていく。
 生じた空間に、ツユクサ先生と俺。そして教会の黒づくめの男が残った。

「先生、大丈夫ですか?」
「平気、なんともないわ」
 
 そう言うと先生は再び立ち上がろうとした。ふらついている。
 なんとも無いわけはない。問題はこぶじゃない。

「念のため、他の場所も診ましょうか? なにかあるといけません。アナタは王国にとって貴重な人材です」

 ガランサスは先生のブルーの大きな瞳を覗きこむ。真正面からだ。近づきすぎだ。

「いいえ、大丈夫です。本当に。ああ、ありがとうございます。治療していただいて」

 先生は丁寧にお辞儀した。俺も小さな声で礼を言った。お辞儀もする。

「教会の施設が近くにあります。専門の治癒魔法使いもおります。ここからなら、大学より大分近い」

 それは、教会の施設で診てもらえということだ。どうなんだ?
 迷う。確かに、一刻も早く先生を診てもらいたい。
 しかし、なんだ―― この黒づくめのガランサスという男だ。
 俺の思いこみかもしれない。でも、この男の言うとおりにしてはいけない気がした。理由は無い。根拠もない。
 ただ、単にこの男がいけ好かないというだけかもしれない。でも――

「大学に戻ります。大学にも治癒魔法使いはいますので」

「先生――」

「ライ、ちょっと肩を貸して」

 ツユクサ先生は、そういうと、両手を俺の肩にのせる。細い指が「握る」というには、か細すぎる力で肩に触れる。
 脚を震わせながら、先生は立ち上がろうとした。

「危ない!」

 先生がよろけた。
 とっさに手を出す。腰に手が当った。細い腰。ギリギリおしりじゃない。だからセーフか?
 いや、よく考えたら俺はさっき先生の「おっぱい」を触っている。いや、あれは人助けだ。緊急救命活動だし。
 そもそも、感触を味わう暇も余裕もなかったし、だからどんな感触だか覚えてないし。
 もったいない―― アホウか、そんなこと考えるな俺。
 
 俺は先生の腰に手をまわしながら、思考を回転させる。
 恐るべき速度で現状を追認する言いわけを生み出す俺の脳。
 でも、仕方ない。

 トン――

 先生の亜麻色の頭が、俺の胸に当たる。
 いい匂い。先生の匂い。あまい物ばかり食べているからか? どこか甘みのあるような――

 先生の体って、柔らかいんだな――

「ちょっと、支えてて、ライ」
「大丈夫ですか、先生」

「よう、俺の店のイスで休んでいったらどうだ。道端に寝転ぶわけにいかねーだろ」

 揚げパンの屋台の店主だった。椅子を並べながら、俺たちに言った。
 好意に甘える。俺は先生を並べたイスに寝かせた。
 しばらくは動かさない方がいい。

「では、私が少し診ましょうか? 心得はあります」

 ガランサスが言った。
 さっきの無詠唱治癒魔法。
 メモリに魔法を常駐させなきゃ無詠唱魔法はできない。
 この男が並ではない魔力のメモリを持っているのは確かなんだろう。

「いえ…… すいません。大学で…… 大学で診てもらいます。ちょっと今、色々あるんで、まずいんです」

 俺には先生の言っていることの意味が分かった。立場だ。
 異例の出世をした先生の大学での立場。それは、普通の組織でも同じだ。要するに風当たりが強いんだ。
 魔法大学にも学生、教官相手の治癒魔法使いがいる。
 さっきの緊急事態とか、こぶを治すくらいはいい。でも、体の検査のようなことを、外部にまかせるのはまずい。

 メンツとか、縄張りとか、そう言っためんどくさい色々なしがらみ。
 この世界でもそういった物はある。人が生きている限り、それはあるんだ。

 ガランサスは、ちょっとの間、無言で先生を見つめていた。
 そして、不意に口を開いた。

「そうですか。まあ、色々難しいですね。お互いに」

「そういうことです…… お互いに」

「人の命より、メンツや縄張りですか。愚かなことですが、それも人という物の業でしょう」

 そう言うとガランサスは、形式的な祈りの形を手で作った。
 そして、くるりと踵を返した。

「本当に、ありがとうございます」

 黒づくめの背中に向け、先生は言った。

 その黒づくめの背中――
 理由は分からない。でも、俺にはそれは得体のしれない闇の塊のように見えていた。

 そして、思った。
 先生が倒れる直前。そのときに俺に聞こえたあの音――
 あれは、一体なんだったのかと。

        ◇◇◇◇◇◇

「ライ、もう歩けるけど」

「ダメですよ。大学の治癒魔法の人も言っていたじゃないですか、安静にした方がいいって」

「そうだけど…… ちょっと……」

 俺は先生をおんぶしていた。胸が背中に当たる。大きくはない(言ったら殴られそうだが)が、柔らかい。
 ある意味ラブコメ展開なのだが、気分はイマイチだ。

 すれ違う人の3人に1人は振り返るような感じだ。目立つ。確かにね。
 でも、まあ「具合が悪いんだろうな」と思ってはくれるだろう。恥ずかしくは無い。

「もう、家はそこだし……」

「じゃあ、ちょっとだけ我慢してくださいよ」

「もう……」

 ツユクサ先生は、そう言いながら、トンと俺の肩に頭を当てた。 
 もう、結構回復しているのは分かる。でも、安心できない。

 屋台のイスでしばらく休んで、俺は先生をおぶって大学に戻った。
 そして、今は先生の家に向かっているところだった。
 
 王立魔法大学の治癒魔法使いは「とくに異常はないが、しばらく安静にして様子を見た方がいい」と言った。
 ありきたりというか、無難な判断だろう。とにかく、異常はないということがほぼはっきりしたのは大きい。

 何かが起きているんだ――
 先生の周囲で。
 
 先生の体温を背中に感じながら、俺は思った。なんかおかしい。
 先生は健康だ。すくなくとも、俺の知っている範囲では持病なんか持っていない。
 本人も持病は無いと言っている。嘘ではないだろう。多分だけど。
 そして、異常がないと専門家である治癒魔法使いが言った。

 じゃあ、さっきののは何だ?
 
 誰かに狙われている?
 そんな、アホウともいえるような妄想というか、思いが浮かぶ。あるのか、そんなこと。
 俺の妄想ならいい。でも、先生が倒れる前に俺は確かに変な音を聞いた。
 あれはなんだったのか。
 考えても、答えがでない。答えがでないので、思考が不安を増幅させる。
 今の俺は、そんな感じになっていた。

 先生の家についた。
 結構、街の中心に近い。
 それはかなり大きな建物だ。壁面が石造りの立派な建物。目線で階数を数えた。
 7階建てだ。でかい。マンションレベル。この世界には結構、こういった集合住宅がある。

「その上、7階よ」
「7階ですか…… 最上階?」
「そうよ」

 上の階ほど、家賃は安い。エレベータがないし。
 魔法大学の准教授ともなれば、給料は安くない。
 もっと低い階に住めるだろうに……

「歩こうか?」
「いえ、行きますよ」

 風が吹いた。外の見える階段に風が吹き込んだ。

「ここは、空が近い―― だから好き」

 ポツリと先生が言った。

「空が?」

 どんよりと曇った空を俺は見た。この世界はほとんど晴れない。
 あまりさわやかな空とは思えない。俺には、記憶があるからかもしれない。青い空のある世界の。

 ゼイゼイゼイ――
 ヒィヒィヒィ――

 4階あかりからきつくなってきた。先生が重いわけではない。
 むしろ軽い。小柄だし細いし、かわいいし――
 あ、最後は関係ないな。重さとは。
 ああ、背中に汗かいてないかな。先生に汗が――

「大丈夫?」
「いや、全然平気ぃスぅぅ~」

 なんか、言葉使いまで違ってきたけど。
 とにかく、俺は先生を家の前まで送った。

「ありがとう。もう降ろしてくれるわよね。まさか、中まで――」
「はい。降ろします」

 俺は先生を降ろす。先生はトンと立った。
 とくに、ふらつく感じはなかった。

「じゃあ、先生。本当に安静にしておいてください」

 心配の種はあった。先生の倒れた理由。それがもし、俺の考えている妄想の様な最悪のことが原因だったら。
 俺はその考えを否定しようとする。
 そもそも、そうであったとして、俺に何ができる?
『心配なので、俺が先生の家に泊まります!』なんて言えるか?
 人格疑われる。終わる。
 
 俺が、心をへし折りにくる長い階段を降ることを決意した瞬間だった。

「中に入らない。お茶くらいは出すわ」
「え?」
「急いでいるなら、止めないけど」
「いえいえいえいえ! お茶飲みます! ぜひ、飲ましてください」
 
 俺は言った。もはやそれは脊髄反射だった。

        ◇◇◇◇◇◇

「おいしいでしょ、結構いい紅茶だから」

「そうですね。研究室に有るのと同じですね」

「そうね。そう言えば……」

 先生は自分でいれた紅茶をゆっくりと口にもっていく。
 お茶うけに、菓子もあった。
 これも、なんだ? 黒砂糖の塊?
 あまい。強烈にあまい。甘さが、脳天に突き抜ける。

 ツユクサ先生は、それをポイポイ口に放り込み、紅茶を飲んでいた。

「先生―― あのですね……」
「なに?」
「この部屋なんですけど……」
「結構、広いでしょ。そういえば、アナタが初めてのお客さんね」
「光栄です」

 確かに広いし、初めてのお客ということで光栄です。
 しかしですね…‥ 
 お客を招くというならですね、部屋をもう少し片付けた方が思うのですよ。俺としては――

 そこは、オブラートに包めば「雑然」としていた。
 端的に言えば「魔窟」ですか? 
 高そうな本もあれば、空ビンとか色々な物が散らばっている。足の踏み場がない。 
 研究室も片付いていないけど、ここは更に酷い。

「忙しくて、あんまり片付いてないけど」
「まあ、そうですね」

 いえいえ先生、この状態を「あんまり片付いてない」で済ますのは無理ですから。
 俺は口に出さずに思うに止める。

「先生って、食事はどうしているんですか?」
「外、外で買って食べてるわ」
「家では作らない?」
「面倒だわ。それに家事奴隷は高いし、私ひとりじゃ、扱いしきれないし」

 この世界では奴隷が当たり前だ。
 家事奴隷もいるが、家に入れる奴隷は高い。普通の生産労働させる奴隷よりもずっと高い。
 それは、教育された安全な奴隷で無ければ、家庭内に入れるのは危ないからだ。

 それにしてもだ。
 俺は先生をジッと見た。
 歳は上なのか?
 もしかしたら、俺と変わらないか、下の可能性すらある先生。
 亜麻色の髪に、ブルーの瞳。この世界に特有の隙のない、尖った硬質の美貌ではない。
 もっと、柔らかい、どこか元いた世界の「美少女」のイメージがかぶる存在。
 そんなツユクサ先生だ。

 ひとりにしておいていいのか?
 この先生を――
 でも、俺がここに泊まる?
 ツユクサ先生が『私をひとりにしないで、泊まっていって』なんて言うか?

 確信する。絶対に言わない。
 そんな展開は絶対にない。あり得ん。しかし、心配。純粋に心配だ。
 心臓が止まっていたんだ。しかも、その原因については不明――
 俺のいないとこで、もし先生に――

「どうしたの? さっきから黙って」

 先生が俺の顔を覗き込むようにして言った。やっぱり駄目だ。
 先生をひとりにはできない。
 そもそも、この部屋なに?
 ひとりきりにさせて、安静になれる部屋じゃないし。
 身の回りをみてくれる人もいない。

「あああ!! もう、先生!」

 俺は自分でも信じられないような声を出していた。大きな声。

 バン!
 テーブルを叩いて立ち上がっていた。
 決意した。決心した。清水の舞台からフリーフォール。

「な、なによ、いきなり」
 
 大きな瞳をさらに丸くして、ツユクサ先生は俺を見た。

「俺の家に来てください! 先生をひとりに出来ませんよ」

 俺ははっきりとそう言ったのだった。

 で、先生の表情が変わった――
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