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13.三八式歩兵銃
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一九三九年、上海の朝。
租界の裏手に射撃場があった。戦塵の残滓の中で静かに佇む射撃場だった。
朝日が埃の舞う大気を金色に染め上げる。
まるで、戦火に汚れた街を一瞬だけ浄化するかのようだった。
三〇〇メートル先に、ボロボロがお世辞になる程度の木製の的が並ぶ。殺伐と。
中心は血のように赤く塗られ、風に震える。
「三〇〇メートルか。遠いな、百瀬」
片桐が、タバコの煙と共に揶揄するように呟く。声音だけは。
その鋭い視線は、戦場を切り裂く抜き身の刃を思わせた。
広東の死闘を経てもスーツは優雅さを失わない。隙の無い装いだった。
百瀬彩花が、回収された三八式歩兵銃を携え、颯爽と立つ。
漆黒のブラウスとスカートが、朝風に軽やかに揺れる。黒髪も風の中に舞う。
彼女の美貌は、朝日の光すら敗北を認めてしまいそうだ。
透き通る肌、切れ長の瞳は、異次元の精霊が宿ったようだ。
山田が、書類を抱えて汗だくで呟く。
「片桐さん、三〇〇メートルって結構有りますね」
片桐が鼻で笑い、煙を吐き出す。
「一応、教本で示させる射撃距離ではあるが、簡単に当たるもんじゃない。この距離での射撃の中心はすでに軽機関銃の時代だ」
「じゃあ、遠いってことですか?」ちょっと嬉しそうに山田は言った。
「遠ければこそ、腕が試される。」
「百瀬が当てれば、軍閥の戯言は終わるからな」
片桐がどす黒い笑みを浮かべる。
「片桐様が望むなら、私は星さえ射落とせます」
百瀬が、陽光より眩い笑みを浮かべる。
彼女の視線は、熱く片桐に絡みつく。
山田が、慌てて声を張り上げる。
「何!? またですか、百瀬さん! この発情猫が!」
「なんだと、山田! 的より先にぶち抜いてやろうか!」
百瀬が素早く槓桿を操作する。金属音が響く。銃弾が装填される。
山田はへたり込みそうになるが、辛うじて耐える。
生まれたての偶蹄類のような脚になりながら。
「百瀬、それは的じゃない」
片桐の冷めた言葉で、銃口を下げる百瀬。
百瀬が、涼やかな目で山田を一瞥する。
「山田様、静かにしてください」
「私の銃は、的以外を見ません」
「いや、今、こっちを狙ったよね! 絶対狙ったよね
不良品といわれた三八式歩兵銃の入った木箱があった。すでにそこから百瀬は銃を手にしている。
片桐も一丁を手に取り、銃身を冷たく撫でる。
輸出品ということで、菊の紋章は削られていた。
「三八式歩兵銃、明治三八年採用の傑作小銃だ。手練れの兵ならば有効射程は四〇〇メートルを超えるといわれる。名銃三十年式歩兵銃の正統後継、ボルトアクションライフルの極致だ。六.五ミリ口径は反動も少なく、マズルフラッシュも少ない。おまけに携行弾数も増えるという優れものだ」
片桐は銃を構える。
「だが、こいつは確かに問題がある」
「槓桿は錆びつき、銃身は汚れきっている。整備不良だ。軍閥が外すのも無理はないだろうな」
片桐が一瞬の動作で槓桿を引く。押し込み更に引く。素早い動きで三発の弾丸を発射した。
「うわぁ~、すごい。片桐さん」
「素敵です。片桐様」
「二発も外した。三発目で調整して当てたが、銃の状態が悪すぎるな」
吐き捨てるように言った。
確かに片桐の放った弾丸は三発目でど真ん中に命中した。
が、一発目は人型の的のかなり下、二発目はそのやや上に当たっていた。
普通ならそれでも技量甲と評価される射撃レベルだ。
「整備不良の上、元々の状態も良くないようだ」
「私には関係ありません。片桐様」
彼女の声は、風鈴のように清らかで、鋼のように強い。
三八式歩兵銃は外貨獲得の主力製品として中国戦線では軍閥に輸出された。
中古といえば聞こえがいいが、大抵は使い古しの老朽品である。
おまけに返品された銃は整備不良が顕著だった。
槓桿は動きがスムーズとはいえない。銃身の汚れが、命中精度を下げる。
クレームは、整備不良と技量不足の両方に起因するだろうと片桐は推測する。
「軍閥の兵は、狙う術を知らねえ。整備もいい加減だ」
片桐は冷たく言い放ち、言葉を続ける。
「だが、この銃も根本的に良品とは言いがたい。不良品と言ってしまえばそうかもしれんな」
「しかしだ――」
片桐は百瀬を真正面から見つめた。
射抜くような視線だった。
「百瀬、お前が当てれば、奴らの技量不足を突きつけられる」
「それってどういうことです?」山田は訊いた。
「女でも当てられるのに、なぜお前らが外すのか? とね。銃の問題じゃなく腕の問題だと突っぱねることができる」
彼の口元に、狡猾な商売人の笑みを浮かべる。
百瀬が、目を輝かせる。
「片桐様の策、見事です! 私が証明します。この銃でも、私は当てます」
「上等だ。やってみせろ」
百瀬は静かに三八式歩兵銃を構えた、
「ほう……」
片桐が感嘆を含んだ声を上げた。
それはまさしく「闇夜に霜の降る如く」を体現したものだった。
租界の裏手に射撃場があった。戦塵の残滓の中で静かに佇む射撃場だった。
朝日が埃の舞う大気を金色に染め上げる。
まるで、戦火に汚れた街を一瞬だけ浄化するかのようだった。
三〇〇メートル先に、ボロボロがお世辞になる程度の木製の的が並ぶ。殺伐と。
中心は血のように赤く塗られ、風に震える。
「三〇〇メートルか。遠いな、百瀬」
片桐が、タバコの煙と共に揶揄するように呟く。声音だけは。
その鋭い視線は、戦場を切り裂く抜き身の刃を思わせた。
広東の死闘を経てもスーツは優雅さを失わない。隙の無い装いだった。
百瀬彩花が、回収された三八式歩兵銃を携え、颯爽と立つ。
漆黒のブラウスとスカートが、朝風に軽やかに揺れる。黒髪も風の中に舞う。
彼女の美貌は、朝日の光すら敗北を認めてしまいそうだ。
透き通る肌、切れ長の瞳は、異次元の精霊が宿ったようだ。
山田が、書類を抱えて汗だくで呟く。
「片桐さん、三〇〇メートルって結構有りますね」
片桐が鼻で笑い、煙を吐き出す。
「一応、教本で示させる射撃距離ではあるが、簡単に当たるもんじゃない。この距離での射撃の中心はすでに軽機関銃の時代だ」
「じゃあ、遠いってことですか?」ちょっと嬉しそうに山田は言った。
「遠ければこそ、腕が試される。」
「百瀬が当てれば、軍閥の戯言は終わるからな」
片桐がどす黒い笑みを浮かべる。
「片桐様が望むなら、私は星さえ射落とせます」
百瀬が、陽光より眩い笑みを浮かべる。
彼女の視線は、熱く片桐に絡みつく。
山田が、慌てて声を張り上げる。
「何!? またですか、百瀬さん! この発情猫が!」
「なんだと、山田! 的より先にぶち抜いてやろうか!」
百瀬が素早く槓桿を操作する。金属音が響く。銃弾が装填される。
山田はへたり込みそうになるが、辛うじて耐える。
生まれたての偶蹄類のような脚になりながら。
「百瀬、それは的じゃない」
片桐の冷めた言葉で、銃口を下げる百瀬。
百瀬が、涼やかな目で山田を一瞥する。
「山田様、静かにしてください」
「私の銃は、的以外を見ません」
「いや、今、こっちを狙ったよね! 絶対狙ったよね
不良品といわれた三八式歩兵銃の入った木箱があった。すでにそこから百瀬は銃を手にしている。
片桐も一丁を手に取り、銃身を冷たく撫でる。
輸出品ということで、菊の紋章は削られていた。
「三八式歩兵銃、明治三八年採用の傑作小銃だ。手練れの兵ならば有効射程は四〇〇メートルを超えるといわれる。名銃三十年式歩兵銃の正統後継、ボルトアクションライフルの極致だ。六.五ミリ口径は反動も少なく、マズルフラッシュも少ない。おまけに携行弾数も増えるという優れものだ」
片桐は銃を構える。
「だが、こいつは確かに問題がある」
「槓桿は錆びつき、銃身は汚れきっている。整備不良だ。軍閥が外すのも無理はないだろうな」
片桐が一瞬の動作で槓桿を引く。押し込み更に引く。素早い動きで三発の弾丸を発射した。
「うわぁ~、すごい。片桐さん」
「素敵です。片桐様」
「二発も外した。三発目で調整して当てたが、銃の状態が悪すぎるな」
吐き捨てるように言った。
確かに片桐の放った弾丸は三発目でど真ん中に命中した。
が、一発目は人型の的のかなり下、二発目はそのやや上に当たっていた。
普通ならそれでも技量甲と評価される射撃レベルだ。
「整備不良の上、元々の状態も良くないようだ」
「私には関係ありません。片桐様」
彼女の声は、風鈴のように清らかで、鋼のように強い。
三八式歩兵銃は外貨獲得の主力製品として中国戦線では軍閥に輸出された。
中古といえば聞こえがいいが、大抵は使い古しの老朽品である。
おまけに返品された銃は整備不良が顕著だった。
槓桿は動きがスムーズとはいえない。銃身の汚れが、命中精度を下げる。
クレームは、整備不良と技量不足の両方に起因するだろうと片桐は推測する。
「軍閥の兵は、狙う術を知らねえ。整備もいい加減だ」
片桐は冷たく言い放ち、言葉を続ける。
「だが、この銃も根本的に良品とは言いがたい。不良品と言ってしまえばそうかもしれんな」
「しかしだ――」
片桐は百瀬を真正面から見つめた。
射抜くような視線だった。
「百瀬、お前が当てれば、奴らの技量不足を突きつけられる」
「それってどういうことです?」山田は訊いた。
「女でも当てられるのに、なぜお前らが外すのか? とね。銃の問題じゃなく腕の問題だと突っぱねることができる」
彼の口元に、狡猾な商売人の笑みを浮かべる。
百瀬が、目を輝かせる。
「片桐様の策、見事です! 私が証明します。この銃でも、私は当てます」
「上等だ。やってみせろ」
百瀬は静かに三八式歩兵銃を構えた、
「ほう……」
片桐が感嘆を含んだ声を上げた。
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