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七、美濃の強力娘、今をときめく女房となるの語

(五)

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 「単刀直入に言うよ。菫野。僕の妃、東宮妃になってくれないか?」

 「――――は?」

 真剣に聴いてたはずなのに、思いっきり間抜けな声が出た。
 安積さまの妃に? 東宮妃に? わたしが? なるの?

 「はあああっ!?」

 次に大きな声が出た。

 「驚くのも無理はないよね」

 「おお、驚きますよ、そんなの!」

 わたしが東宮妃にって。正気なの?
 
 「それとも、まさか、まだわたしの強力を利用しよう――とか?」

 東宮妃が強力でないといけない理由なんて、ちっともこれっぽっちも思いつかないけど。もしそういうことなら、何がなんでも辞退させてもらいますけどっ!?

 「そんなんじゃないよ。……信用されてないんだなあ、僕は」

 ハアッと、深く息を吐き出された安積さま。疑ったわたしが悪いような気がしてきたけど。

 (ちょっと待って! 悪いのは安積さまでしょ!)
 
 桜花さまをお守りするために、わたしの強力を利用した前科があるんだもん! 疑うわたしは悪くない!

 「僕はね、今までずっと、桜花の幸せさえ守れたら、後はどうなってもいいって思ってたんだ。桜花の幸せさえ見届けたら、自分がどうなってもいいってね」

 ――わたくしね、菫野には、兄さまを俗世につなぎとめる〝もやい〟になってほしいって思ってるの。

 宇治の帰り道、桜花さまがおっしゃっていたこと。
 安積さまは、自身の幸せを求めようとなさらない。桜花さまのためだけに生きておられた。桜花さまの未来のために、出家すら厭わない覚悟をお持ちだった。もしかしたらだけど、ご自身の生死すら、桜花のためならって、どうなろうと気にしてなかったのかもしれない。

 ――桜花には、幸せになって欲しいんだ。

 そのために、わたしの強力も利用した。

 「でも今は、少し欲張りになってる。ちょっとだけ自分のために生きてもいいって思い始めてるんだ」

 それは、安積さまにとって、大きな変化じゃないのかな。誰かのために生きるんじゃなくて、自分のために生きる。
 当たり前だけど、とっても欲張り。

 「僕はこの先、父の跡をついで帝になるだろう。帝となれば、桜花だけじゃなく、国の民草も守らなきゃいけなくなる。それが治天の君、帝というものだからね。だけど、僕は弱い。桜花一人、守ることができなかった。そして、守り方を間違える。桜花に叱られたよ。そんなつもりで菫野を呼び寄せたのかって。きみを泣かせてしまったことも、ものすごく怒られた。反省してる」

 「安積さま……」

 あの桜花さまが、兄を叱るだなんて。うれしいけど、想像がつかない。
 でも、さっきの命婦さまを諫めたあたり、意外と桜花さまってお強いのかもしれない。怒らせたら怖い人。

 「僕は弱い。そして間違える。そういう人間だ。だから、そんな弱い僕が帝となっても揺るがなく立ち続けるために、きみに支えてほしいんだ。支えるだけじゃない、僕が間違った時は、ぶん殴ってでも止めてほしい」

 「えっと、その。わたしがぶん殴ったら、宮さま、どうにかなっちゃいますよ?」

 吹っ飛ぶ程度ですめばいいけど。
 
 「ハハッ。大丈夫。ぶん殴られないように、間違えないように務めるから」

 「はあ……」

 なんか、それでいいのかなあって気になる。

 「でも、百歩……じゃない、千歩か万歩ぐらい譲ったとして。わたしが妃になるのは無理ですよ」

 受領の娘がなれるとしたら、せいぜい更衣か尚侍。それも、身分差ありすぎて、つま先立ちでプルプルしながら伸ばした腕で、どうにか手が届くぐらいの地位。

 「ああ、そこは大丈夫。権大納言がきみの養父となってくれるから」

 「はあっ!? ゴンダイナゴン……さま?」

 どっから降って湧いて出た、その人。

 「中将の兄だよ。あの先の左大臣の長男。彼には、娘はいるけど、入内するには幼すぎてね。きみの養女の話を持ちかけたら、喜んで了承してくれたよ」

 「はあ……」

 おそらくだけど、権大納言にしてみれば、父親がとんでもない陰謀を企ててたわ、自分には入内させる娘がいないわで、悩みどころだったんだろう。
 そこに、安積さまから「養女どう?」の話が来た。
 弟、中将さまが姉宮を妻にもらっても、右大臣家には桜花さまがご降嫁なされる。
 右と左。
 どちらも、姫宮のご降嫁先となったことで、権力の均衡は崩れない。いや、左大臣家のが流罪になった父親がいる分、不利。
 もしここで、安積さまのもとに右大臣家から妃が入内して、御子をお産み参らせたら。左大臣家の落ち目待ったなし。
 なら、安積さまの申し出に従って、わたしを養女にして入内させたら。なんたって、その養女は、安積さまが溺愛(? デキアイ?)してる娘だし? 養女にして損はない。

 「でも、わたしと左大臣家では格が違いすぎませんか?」

 わたしはあくまで、一介の受領の娘。左大臣家の娘になるには、ちょっと……。

 「大丈夫だよ。きみの家と左大臣家は同じ〝藤原北家〟の流れ。問題ないよ」

 いや、待て、ちょっと。
 苗字が同じだからって。そりゃあ、祖父の祖父の祖父のそのまた祖父ぐらいなら、兄弟だったかもしれませんけど? だからって親戚みたいな扱いしてたら、この都じゅうにいる全ての藤原さんが、ご親戚、お仲間、大差ないってなっちゃいますけど?
 そのうち、「北家だろうが、南家だろうがみな同じ藤原だ! 関係ない!」って言い出しそう。

 「それで? 菫野自身はどう思ってるの?」

 「はえっ!?」

 「僕に嫁ぐこと。身分や家柄に問題はなくなったし。後はきみの心次第なんだけど?」

 「えっと、えっと、あの……、その……」

 都に上ったら、素敵な恋がしたい。
 
 そう思ってた。
 内裏で働く女房として、美しい絵巻物のような世界で、ときめく物語のような恋をくり広げるたい。
 「ちょっとぐらい、そういうことないかなぁ」「誰か付け文の一つや二つぐらい贈ってくれないかしら」ぐらいは思ってた。せっかく内裏に出仕するんだからって、それぐらい期待はしてた。
 そこに現れた、安積さま。
 桜花さまによく似た面差しで、凛とした、「いかにも貴公子!」って感じのかっこよさで。お文のお手蹟も黒々と男らしいのに、とても優雅で。
 ここに光源氏なんかが来ても、「失礼しましたー」って帰っていっちゃいそうなぐらい、安積さまはカッコよくて。平中だってお呼びじゃないわよ。
 お声も低すぎず高すぎす、「菫野」なんて名前を呼ばれちゃおうもんなら、そのままコロリと恋に落ちてしまいそうで。
 「菫野。可憐な名前だね」
 「まあ、およしになって、宮さま」
 「〝宮〟だなんてよそよそしい呼びかけはナシだ。僕の名を、〝安積〟と呼んでくれないか」
 「あ、安積……さま」
 なんて展開を期待したこともあったわよ。ええ、ちょっぴりだけどありましたわよ。
 だけど、それはあくまで妄想であって、願望であって。いざそれが叶うとなると、その……。

 「あの、本気でわたしを妃にって、思っていらっしゃるのですか?」

 疑いたくなる。
 だって、光源氏が末摘花を「是非!」とは言わないでしょ? そういう方は、やんごとなくってとんでもなく美人な姫君と恋するものでしょ?

 「きみ以外いないと思ってるけど?」

 「強力ですよ?」

 「でも優しい」

 「歌も楽も下手くそですよ?」

 「教えがいがあるね」

 「顔も十人並みですし」

 「かわいいと思うけど?」

 …………。ダメだ。
 安積さま、とっても残念な嗜好をしていらっしゃる。お顔は良いのに。

 「菫野。どうか、どうか僕を夫に選んでくれないか」

 そしてどこまでも真摯だ。

 「菫野」

 ついっとわたしの手を取る安積さま。真剣な視線がわたしを捕らえて……。

 「――菫野、助けてくれ!」

 庭先からかかった声。

 「孤太!」

 ピョーンと空から降ってきたのは孤太。
 降りてきたはいいけど、後ろをふり返り、焦りまくっている。

 「待て、狐! 我と話をせよ!」

 ついで降ってきたのは、あの陰陽師。なんか、いろいろ降ってくるなこの庭。

 「ヤだよ! ってか、もう喋ることなんて残ってねえよ!」

 「主になくても我にはある。お主は野狐であろう? 式にせぬ代わりに、その性が他の狐とどう違うのか教えよ――。宮、御前、失礼つかまつった。続けられよ」

 あのお堂で会った陰陽師。
 わたしを捕まえたのは、あくまで孤太を呼び寄せるためで、安積さまをどうにかしようって気はなかったんだって。だから、安積さまがわたしを助けに来たのを見て、「こりゃマズいな」ってことで中将さまのもとに式神を飛ばした。だから、特にお咎めもなく、こうして自由に(?)、孤太を追い回してる。
 趣味はあやかしついて調べること。そしてあわよくば、あやかしを自分の式神にして使役することという陰陽師。
 そんな陰陽師が、孤太をひっ捕まえて、何事もなかったように、ズルズルと庭の茂みを越えていこうとするけど。

 「ま、待って! 待って、待って、待って! 孤太を連れて行かないで! 一言ぐらい、飼い主に許可取ってよ!」

 「誰が飼い主だ!」

 引きずられながら孤太が叫ぶ。

 「すみません、宮さま、失礼いたします!」

 スルリと、安積さまから自分の手を抜き取り、一礼してから庭に駆け出る。
 陰陽師に好き放題されそうな孤太を守るため、飼い主であるわたしも立ち会わなくっちゃ。

 「なんだよ。顔赤けえぞ?」

 引きずられる孤太が問う。

 「うるさいわね。暑いからよ」

 秋は近いけどまだ夏だから。暑いから。だからわたしの顔は赤いの。火照ってるの。
 そういうことにしておいて。
 いつかは、ちゃんとお返事して、答えを出さなきゃいけないんだろうけど。今は。
 今はまだ、もう少しだけ、恋にときめいてるだけのわたしでいさせてください。

          *

 「兄さま」

 「逃げられてしまったよ。あの狐のせいでね」

 一人残された簀子の縁に妹と、妹の許嫁となった男が現れる。
 おそらく、御簾内から事の顛末を見ていたのだろう。フラれた僕を慰めに来たのか、それとも――

 「兄さま、これぐらいで諦めてはいけませんわよ」

 叱咤激励しに来たらしい。

 「わたくし、なんとしても菫野には姉さまになって欲しいんですの」

 「うん。僕だって、なんとしても妻になって欲しいよ」

 右大臣と左大臣の力の均衡を取るため。
 桜花を右大臣家に、僕に左大臣家の養女を。乱れた政を正すためと、建前を父に述べて、無理やり了承を得た。
 桜花は、真成と結婚するために。僕は菫野と結婚するために。
 「否」と言えないように、周りから攻めて、理詰めで追い詰めて、桜花は婚約にこぎつけたけれど、僕の方はこうしてアッサリ逃げられた。

 (あの狐がいる限り、難しいかな)

 助けに行った時も、僕ではなく、あの狐の方に抱きついてた。狐の名は呼ぶのに、僕の名を呼んでくれたことはない。

 (まったく脈がないわけじゃないと思うんだけど)

 見つめれば顔を赤くしてくれるし。囁やけば、アタフタし始めるし。
 意識されてないわけじゃない。ただ、狐のほうに重きが置かれてるだけで。

 「まあ、これからゆっくり口説いていくとするよ」

 急いで思いを成し遂げなくてもいい。恋が成ってしまっては味わえない、このジレジレとした、もどかしい時を楽しむとしよう――今は。
 慣れてしまったら見られなくなるだろう、彼女の慌てふためき真っ赤になる姿。気を失わせるのは本意じゃないけど、ああいう姿が見られるのは、きっと今だけだから。
 訪れた平穏。生きると決めた自分には、彼女がその気になるのを待つだけの時間がある。

 「でも、どうにも我慢できなくなったら、かっ攫ってしまおうかな」

 誰にも彼女を渡さない。渡す気もない。狐にも。
 野に咲く菫は、僕のものだ。摘み取っていいのは僕だけだ。
 今はああして逃してあげるけど、その時が来たら、一歩たりとも逃がす気はない。

 「怖い兄さまですこと」

 妹が笑う。

 「おや、今ごろ気づいたのかい?」

 僕は、とっても狭量で、我儘で、強欲なんだ。

*     *     *     *

 今は昔。美濃国受領の娘、「強力姫」といふ姫ありけり。
 心極めて優しく、幼きころ、助けし狐に岩砕く強力を授けらるる。
 見目よく、ここはわろしと見ゆるとこなく端正なるが、身の力極めて強かりける。
 美濃の川にて大岩砕きしこと。琵琶を爪弾き、怨霊を呼び寄せたること。宇治にて、牛車を狩り、空駆け姫宮助けしこと。御仏の加護を持ちて春宮守りしこと。常、檜扇、指をもつて押し砕くこと。事績、笑ひに事欠かぬ姫なり。
 然るにその姫、後にすぐれてときめき給ひて、春宮の后になりてぞありけるとなむ語り伝へたるとや。
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みんなの感想(1件)

チタン式
2023.12.16 チタン式

美濃という地名に親近感が沸きました。

若松だんご
2023.12.16 若松だんご

感想、ありがとうございます!
美濃~。美濃、いい所ですよ~。現在の岐阜県ですね~。
栗きんとんとか、五平餅とか、高山ラーメンが絶品です~。……って、五平餅と高山ラーメンは美濃ではなく、飛騨でした。(同じ岐阜県だけど)
お読みいただき、ありがとうございました。

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