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巻の十七 公主の結婚。

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 「公主さまの嫁ぎ先が決まったって」

 「ああ。玉蓉ぎょくようは、遼州太守のもとへ嫁がせる」

 「急すぎはしませんか? せっかく兄妹仲良くなれる機会でしたのに」

 「仕方ない。廷議で決まったことだ。それに、あれも十七。いつ嫁いでもおかしくない年頃だ」

 「それはそうですけど……」

 市井の娘だって、十七にもなれば普通に嫁ぐ。
 公主ともなれば、その高貴な血筋ゆえに、政略結婚とかで十二、三で嫁ぐのが普通。下手をすれば、二つで嫁いだとかいう事例もある。十七まで後宮にとどめ置かれてたほうのが珍しい。
 わたしだって、十八で後宮に入ってるんだから、一つ違いの公主さまの結婚を早いとか言うつもりはない。十七で結婚した友だちだっている。
 ただ、わたしと違って、公主さまの結婚は、純粋な政治的駆け引き。わたしみたいに借金帳消しの代わり、皇帝をオトす挑戦に失敗したら後宮を出るとかじゃない。かりそめの妃として、役目を終えたら後宮を出られる……みたいな保証があるわけじゃない。
 嫁いだら一生、よほどのことがない限り、そこで生きていくしかない。

 「遼州の太守は、私たちの遠縁にあたる男でね。彼ならきっと玉蓉ぎょくようを大事にしてくれると思うよ」

 大事にしてくれる――。
 その言葉に、少しだけ引っかかる。

 (愛してくれる……じゃないのね)

 政略結婚なんだから、そこに「愛」が生まれるかどうかはあやしいところだ。
 形だけの夫婦、子孫を残すためだけの結婚ということもある。どうかすると、それすらもあやしくなることもある。
 香鈴こうりんと読んでた本には、嫁ぎ先で溺愛される公主さまっていうのもあったけど、それはあくまで物語のなかだけの話。現実は、そこまで甘くないことが多い。

 「そんな顔しないで、琉花りゅうかちゃん」

 陛下にそっと抱き寄せられ、彼の胸にコツンとわたしの頭がぶつかった。

 「ゴメンね。こんな話、聞かせるべきじゃなかったかな」

 フルフルと陛下の腕の中で首をふる。
 謝って欲しいわけじゃない。
 ただ、どうにもやるせない気分になっているだけ。

 (公主さまが、お幸せになればいい)

 それこそ香鈴こうりんと読んでいた物語のように。
 嫁ぎ先で溺愛されればいい。誰もがうらやむような相思相愛の関係になればいい。

*     *     *     *

 「そう、遼州太守に――」

 翌朝一番に飛び込むように訪れたわたしの話を、公主さまは静かに聞いてくださった。

 「大丈夫じゃ、琉花りゅうか。いずれこうなることは、覚悟していたからの」

 「公主さま……」

 「そんな顔するでない。遼州太守、高 莉成りせいならば、わたくしにとっても遠縁にあたる男。歳も三つ違いで悪くない。ウワサで聞くに、勤勉で書を好む知的な男だそうだ。愛人もおらぬ本の虫。その知力をもって遼州を繁栄と安定に導くやり手だそうじゃぞ」

 そう……なんだろうか。
 父さまの手伝いをしていた時、遼州の悪いウワサは聞かなかった。父さまが騙された水路開発詐欺も、もとはと言えば、豊かな遼州からの荷物が近年増えていることが原因だった。あそこからの荷物は川を使って運ばれてくる。それをちょっと水路を開発して、都のなかにまで運び込まないかって話だったもの。
 豊かな領地。真面目で浮ついたところのない、歳の近い太守。
 願ってもない良縁なのかもしれない。陛下も、公主さまを大切に思っていらっしゃるからこそ、決定した縁談なのかもしれない。

 けど。
 素直に喜べない。

 (わたしの根性がひん曲がってるのかしら)

 他人の好条件の結婚を祝福できないなんて。
 ここに来る前は、友人の婚約話をひやかし混じりで喜んでいたのに。

 「めでたいことなのじゃから、もっと笑ってくれぬか、琉花りゅうか

 わたしのことを気にして笑いかけてくれる公主さま。
 けれど。
 その紙のように白くなった頬、張り詰めた糸を思わせる空気。
 言葉ほど楽観視してないことが伝わってきて、わたしはどうしても素直に喜ぶことができなかった。

 「ねえ、琉花」

 どれぐらいの時間が過ぎただろう。
 目の前のお茶がぬるく冷たくなった頃、公主さまが次の言葉をくり出した。

 「わたくしと一緒に、街へ出てくれないか」

 「……へ?」

 街? 出る? 公主さまと?

 「一度でいいから、街を見てみたいのじゃ。異母兄上あにうえが治めておる街がどんなものなのか知りたいのじゃ」

 「公主さま……」

 「遼州に行けば、二度とここには戻れぬであろう? 最後の思い出に、琉花、そなたと街を歩いてみたいのじゃ」

 そ、そう言われると。
 そのキレイな眼差しでキラキラとこっちを見られると……、その……。

 「で、でも、街に出るには、陛下のご許可をいただかないと……」

 多分、そう簡単に頷いてはくれないだろうけど。

 「大丈夫じゃ。コッソリ抜け出す方法がある」
 
 「ぬ、抜け出すっ……!?」

 思わず大きな声を上げたら、公主さまにシッと唇に指をあてられてしまった。

 「黒曜宮こくようきゅうの北西にの、ポッカリと穴の開いた土塀がある。そこを抜ければ、月長宮げっちょうきゅう、皇太后の暮らす宮。しかし今は、月長宮げっちょうきゅうに皇太后も誰もおらぬ。無人ゆえ、そのまま抜けて内廷に出て、官女のふりをして顕寧門けんねいもんから外に出ればよい」

 「く、詳しいですね……」

 そんな簡単に経路が思いつくなんて。

 「わたくしは、長年ここに暮らしておるからの。それに、この方法で宮を抜け、男と逢瀬を重ねておる官女も多い」

 「おっ、男と……っ!?」

 「宿下がりだけでは足りぬ時にの。皇帝のお手つきになった官女や、後宮に召し上げられた宮女では許されぬことであろうが。まあ、異母兄上あにうえはお主にゾッコンで、他の誰にも手を出されぬからの。意中の相手がおる者は、みな、ここを通って逢瀬を重ねておるわ」

 な、なんと。
 後宮のとんでもない裏事情を聞いてしまった。
 普通、官女であっても、万が一皇帝に見染められることはある。
 ただの下働き、料理番だった官女が時の皇帝に見染められ、妃に迎え入れられた……なんて香鈴が喜びそうな事例が過去にある。
 お手つきだけなら、それこそ好色な皇帝の代に、数えきれないぐらいの官女が手をつけられ、妊娠結果待ちの宮である灰簾宮かいれんきゅうが満員御礼となり、官女宮女が雑魚寝になってしまったという逸話もある。もちろんその場合、子を孕んだ妃嬪の暮らす宮も満員御礼。

 (わたしが寵妃になったことで、そんな効果もあったんだ)

 陛下の寵愛目当ての宮女は、わたしの存在を皇帝の愛を堰き止める防波堤みたいに思ってるかもしれないけど、別にそんなことに期待してない官女にしてみれば、自分の恋愛の障害になりそうな陛下の好色から守ってくれる城壁代わりに思われてるのかもしれない。

 「頼む。わずかな時間でいい。一度だけ、琉花りゅうかと一緒に街で遊んでみたいのじゃ。帰ったら公主として、ちゃんと嫁ぐと約束するから」

 結婚前の最後の思い出に。
 親しくなったわたしと、わずかな時間でいいからハメを外したい。

 「――わかりました。少しでいいなら」

 「ありがとう、琉花。大好き」

 う。
 そのキラキラした笑顔。
 眩しすぎて、愛おしすぎて、なんでも言うことを聞いてしまいそうになるわ。
 香鈴こうりんじゃないけど、わたし〈百合〉の気があるのかもしれない。
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