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巻の十九 奏帝国の市場から。
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「なあ、琉花、あれはなんだ? なにをしてるんだ?」
公主さまの好奇心にあふれすぎた質問はとどまるところを知らない。
「あれ!! あれ、食べてみたい!! なんという食べ物なんだ?」
大道芸に見入ったかと思えば、今度は熱々の饅頭に興味を示す。
「大丈夫だ。金ならある」
軽く懐を叩いてみせる、公主さま。……いえ、そんなことは気にしてませんよ。別に。
わたしが心配してるのは、こんなことして出かけてよかったのかってことと、公主さまの姿。
いくら出かけるために変装が必要だからって、髪をバッサリ切っちゃわなくってもよかったんじゃないかな~。この後、どうするんだろ。
そして絶対、叱られるよね、わたし。
後宮に帰るのが、ちょっと怖い。
「琉花」
「公しゅ……ムグッ」
「うまいぞ」
いきなり口に押しつけられた饅頭。
いや、饅頭が美味いかどうかなんてどうでもいいですけど。
仕方なく、そのまま饅頭を手に取り口にする。すると、公主さまも、満足そうに自分のぶんの饅頭を頬張り始めた。
「ここでは『玉賢』と呼べ、琉花」
よほど美味しかったのだろう。饅頭を食べ終えて、名残惜しそうに指まで舐める公主さま。
ちょっと華奢な気はするけど、その姿は街のどこにでもいる少年。
一緒に並んで饅頭を食べたわたしも、どこにでもいる少女。
これが公主さまと、ウワサの寵妃だなんて、誰も思わないよね。
公主さまなんて、わざわざ「玉賢」なんて名前まで作っちゃったし。
…………もしかして、いや、もしかしなくても、以前からこういうことをするの、企んでたんじゃない?
あり得る。おおいにあり得る。
だって。
用意されてた服とか、脱走経路とか。
思いつきで始めたにしては準備がよすぎる。
「なあ、琉花、あれはなんだ?」
悩むわたしとは逆に、この場を楽しむ公主さま。
「ああ、あれは灯籠ですよ」
「灯籠?」
「ええ。ああ、そういえばもうすぐお祭りでしたね」
後宮に入ってうっかり忘れてた。
心なしか街も活気づいてる。祭りにあわせて、買い出しに繰り出した人が多いんだろう。さっき見た大道芸人も、祭りの宣伝の一環だったんだろう。祭りの日はもっとすごいことやるから、見に来てね~って言ってたっけ。
「天帝のもとに、灯籠を飛ばすんですよ。いっつも庚申の夜に三尸に悪口ばっか伝えられてますからね。たまには違うこと、お願い事とか天帝への感謝とかを書いて飛ばして、読んでいただこうって祭りなんです」
三尸は、誰の身体にもいる小さな虫。庚申の夜に抜け出して、「アイツ、こんな悪いことをやってるんですぜ、ゲヒヒ……」みたいなことを天帝さまに伝えに飛んでいく(らしい)。それによって、人の寿命を天帝に決められるんだから、ホント、たまったもんじゃない。
そんな一方的な小っちゃな虫のチクリなんて無視して、こっちをちゃんと見てくださいよぉって意味で、灯籠を飛ばす。
「祭りの夜、灯籠に火をともして願いとともに空へ飛ばすんです。途中で燃え尽きたらそれは叶わない願い。もしくは邪な願い。ちゃんと天帝のもとへ届いたら、その願いは聞き届けられ叶う。そう言われてるんです」
――恋人と幸せになれますように。
――家族で平和に暮らせますように。
――子が健康に育ちますように。
――今年も恵み豊かな年となりますように。
さまざまな願いがこめられた灯籠が、いくつも夜空に向かって飛んでいくさまは、ちょっぴり幻想的で美しい。
「よかったら一つ、飛ばしてみませんか?」
遼州での幸せを願って。伴侶となられる方と、幸せに添い遂げられるようにと願いをこめて。
「……いいよ。別に願うことなんてないから」
………………?
願いは己の手で叶える。誰の手も借りはしない……とかそういう意味なのかな。
超現実主義、みたいな。
「それより、琉花のほうが願いごと、あるんじゃない?」
「へ?」
「異母兄上に、もっと愛されたいとか、早く子が欲しいとか、ね」
「え? えええっ!? ええっ!?」
ボンッと頭から火を吹きそうなぐらい、一気に血が昇る。
「フフッ。かわいいよね、琉花。異母兄上じゃないけど、僕も琉花のこと、放っておけないかな」
え? や? それは、その、どういう意味……ナンデスカ?
「僕が男なら、このまま攫っていきたい。それぐらい可愛くてたまらないってことだよ」
なんて言いながら顎をクイッと持ち上げられると、その……目の前いっぱいが、公主さまになっちゃうわけで……。
(なにっ!? なぜにトキメいちゃうわけっ!?)
わたし、香鈴の言うような〈百合〉を咲かせる気はないんだけどっ!?
(そうよ、これは陛下ソックリなお顔で迫られてるから、混乱してるだけなのよっ!! 落ち着いたら、きっと「なんだ、そんなことだったんだ」って程度のドキドキなのよ……って!! それじゃあわたし、陛下のことをそういうふうに思ってるってことになるんじゃあ……!!)
頭、混乱。
落ち着けわたし。
「大丈夫? 琉花」
「え? アハハハハ、だっ、大丈夫ですっ!!」
全然、大丈夫じゃないけど。顔も赤いままだし、心拍バクバクいっちゃってるけど。
「そう? じゃあ、もっとあっちの方へ行ってみようか」
「え? ダメですよっ!! そんな皇宮から離れちゃあっ……!!」
わたしの話なんてまったく聴き入れる気のない公主さま。グイグイとわたしの手を取って、うれしそうに走り出す。
街が珍しいのか、遊びたくて仕方ないのか。
公主さまが向かうのは、都の外れ、水路の広がる場所だった。
さすがに「遊んでみたい」と言われても、ここまで皇宮から離れちゃうと、さすがに……。
「どうした? 琉花」
「あの、公主さま……」
「玉賢」
「玉賢さま。これ以上は離れないほうがいいと思います」
皇宮を離れ、喧噪からも離れ。
いつの間にか、わたしたちは運河の近く、人の少ない寂れたところまでやってきていた。
この先にあるのは、荷上げ場と街の外へとつながる城門だけ。
「というか、帰りましょうよ。みんな心配しますよ」
朝早くに抜け出したわたしたち。気づけば太陽は天高く上がっている。
菫青宮はもちろんだけど、公主さまの黒曜宮でも騒ぎになってるんじゃないかな。香鈴には、一応、公主さまのところに行くと伝えてあるけど、まさかそのまま外に出てるとは思ってないだろうし。今頃ものすごく心配してるだろうし。
それに――。
クラリと、一瞬目の前が暗くなる。あ、これ、ちょっとマズい。
「ねえ、琉花。このまま僕と一緒に宮城の外に出てしまおうか」
は?
「僕と一緒に旅をしようって言ってるんだよ。きみと二人、どこか遠い、誰も僕たちのことを知らない場所まで」
「え、ちょっと、なにをおっしゃってるんですかっ!!」
思わず身を引こうとしたんだけど、公主さま、力、強い。引っ張られたままの腕は、彼女の手のなかでピクリとも動かなかった。
それなりに力を入れて引っ張りかえしてるのに、全然敵わない。まるで、本当に男の人に引っ張られてるみたい――。
「は、放してくださいっ!!」
怖くなって、がむしゃらに腕を動かす。
全身から血の気が引いていく。
知ってるはずの人が、突然、見知らぬ誰かと入れ替わったような感覚。
それも見知らぬ、恐ろしい誰か。
背に陽の光を受け、暗く、影になった公主さまの顔。
「ダメだよ、暴れないで」
その笑顔は、わたしの知ってる笑顔じゃない、別の誰かの笑顔。グイッと引っ張られ、抱きとめられた腕は、わたしの知らない誰かの腕。
「一緒に行こう? 僕なら、琉花だけだ。異母兄上のように後宮に他の女を侍らせたりなんてしない」
なんの話をしてるの?
これはあくまでフリであって、公主さまは女の方で。
(あ――)
「琉花っ!?」
驚く公主さま。
その腕のなかで、グラリと世界が回った。
公主さまの好奇心にあふれすぎた質問はとどまるところを知らない。
「あれ!! あれ、食べてみたい!! なんという食べ物なんだ?」
大道芸に見入ったかと思えば、今度は熱々の饅頭に興味を示す。
「大丈夫だ。金ならある」
軽く懐を叩いてみせる、公主さま。……いえ、そんなことは気にしてませんよ。別に。
わたしが心配してるのは、こんなことして出かけてよかったのかってことと、公主さまの姿。
いくら出かけるために変装が必要だからって、髪をバッサリ切っちゃわなくってもよかったんじゃないかな~。この後、どうするんだろ。
そして絶対、叱られるよね、わたし。
後宮に帰るのが、ちょっと怖い。
「琉花」
「公しゅ……ムグッ」
「うまいぞ」
いきなり口に押しつけられた饅頭。
いや、饅頭が美味いかどうかなんてどうでもいいですけど。
仕方なく、そのまま饅頭を手に取り口にする。すると、公主さまも、満足そうに自分のぶんの饅頭を頬張り始めた。
「ここでは『玉賢』と呼べ、琉花」
よほど美味しかったのだろう。饅頭を食べ終えて、名残惜しそうに指まで舐める公主さま。
ちょっと華奢な気はするけど、その姿は街のどこにでもいる少年。
一緒に並んで饅頭を食べたわたしも、どこにでもいる少女。
これが公主さまと、ウワサの寵妃だなんて、誰も思わないよね。
公主さまなんて、わざわざ「玉賢」なんて名前まで作っちゃったし。
…………もしかして、いや、もしかしなくても、以前からこういうことをするの、企んでたんじゃない?
あり得る。おおいにあり得る。
だって。
用意されてた服とか、脱走経路とか。
思いつきで始めたにしては準備がよすぎる。
「なあ、琉花、あれはなんだ?」
悩むわたしとは逆に、この場を楽しむ公主さま。
「ああ、あれは灯籠ですよ」
「灯籠?」
「ええ。ああ、そういえばもうすぐお祭りでしたね」
後宮に入ってうっかり忘れてた。
心なしか街も活気づいてる。祭りにあわせて、買い出しに繰り出した人が多いんだろう。さっき見た大道芸人も、祭りの宣伝の一環だったんだろう。祭りの日はもっとすごいことやるから、見に来てね~って言ってたっけ。
「天帝のもとに、灯籠を飛ばすんですよ。いっつも庚申の夜に三尸に悪口ばっか伝えられてますからね。たまには違うこと、お願い事とか天帝への感謝とかを書いて飛ばして、読んでいただこうって祭りなんです」
三尸は、誰の身体にもいる小さな虫。庚申の夜に抜け出して、「アイツ、こんな悪いことをやってるんですぜ、ゲヒヒ……」みたいなことを天帝さまに伝えに飛んでいく(らしい)。それによって、人の寿命を天帝に決められるんだから、ホント、たまったもんじゃない。
そんな一方的な小っちゃな虫のチクリなんて無視して、こっちをちゃんと見てくださいよぉって意味で、灯籠を飛ばす。
「祭りの夜、灯籠に火をともして願いとともに空へ飛ばすんです。途中で燃え尽きたらそれは叶わない願い。もしくは邪な願い。ちゃんと天帝のもとへ届いたら、その願いは聞き届けられ叶う。そう言われてるんです」
――恋人と幸せになれますように。
――家族で平和に暮らせますように。
――子が健康に育ちますように。
――今年も恵み豊かな年となりますように。
さまざまな願いがこめられた灯籠が、いくつも夜空に向かって飛んでいくさまは、ちょっぴり幻想的で美しい。
「よかったら一つ、飛ばしてみませんか?」
遼州での幸せを願って。伴侶となられる方と、幸せに添い遂げられるようにと願いをこめて。
「……いいよ。別に願うことなんてないから」
………………?
願いは己の手で叶える。誰の手も借りはしない……とかそういう意味なのかな。
超現実主義、みたいな。
「それより、琉花のほうが願いごと、あるんじゃない?」
「へ?」
「異母兄上に、もっと愛されたいとか、早く子が欲しいとか、ね」
「え? えええっ!? ええっ!?」
ボンッと頭から火を吹きそうなぐらい、一気に血が昇る。
「フフッ。かわいいよね、琉花。異母兄上じゃないけど、僕も琉花のこと、放っておけないかな」
え? や? それは、その、どういう意味……ナンデスカ?
「僕が男なら、このまま攫っていきたい。それぐらい可愛くてたまらないってことだよ」
なんて言いながら顎をクイッと持ち上げられると、その……目の前いっぱいが、公主さまになっちゃうわけで……。
(なにっ!? なぜにトキメいちゃうわけっ!?)
わたし、香鈴の言うような〈百合〉を咲かせる気はないんだけどっ!?
(そうよ、これは陛下ソックリなお顔で迫られてるから、混乱してるだけなのよっ!! 落ち着いたら、きっと「なんだ、そんなことだったんだ」って程度のドキドキなのよ……って!! それじゃあわたし、陛下のことをそういうふうに思ってるってことになるんじゃあ……!!)
頭、混乱。
落ち着けわたし。
「大丈夫? 琉花」
「え? アハハハハ、だっ、大丈夫ですっ!!」
全然、大丈夫じゃないけど。顔も赤いままだし、心拍バクバクいっちゃってるけど。
「そう? じゃあ、もっとあっちの方へ行ってみようか」
「え? ダメですよっ!! そんな皇宮から離れちゃあっ……!!」
わたしの話なんてまったく聴き入れる気のない公主さま。グイグイとわたしの手を取って、うれしそうに走り出す。
街が珍しいのか、遊びたくて仕方ないのか。
公主さまが向かうのは、都の外れ、水路の広がる場所だった。
さすがに「遊んでみたい」と言われても、ここまで皇宮から離れちゃうと、さすがに……。
「どうした? 琉花」
「あの、公主さま……」
「玉賢」
「玉賢さま。これ以上は離れないほうがいいと思います」
皇宮を離れ、喧噪からも離れ。
いつの間にか、わたしたちは運河の近く、人の少ない寂れたところまでやってきていた。
この先にあるのは、荷上げ場と街の外へとつながる城門だけ。
「というか、帰りましょうよ。みんな心配しますよ」
朝早くに抜け出したわたしたち。気づけば太陽は天高く上がっている。
菫青宮はもちろんだけど、公主さまの黒曜宮でも騒ぎになってるんじゃないかな。香鈴には、一応、公主さまのところに行くと伝えてあるけど、まさかそのまま外に出てるとは思ってないだろうし。今頃ものすごく心配してるだろうし。
それに――。
クラリと、一瞬目の前が暗くなる。あ、これ、ちょっとマズい。
「ねえ、琉花。このまま僕と一緒に宮城の外に出てしまおうか」
は?
「僕と一緒に旅をしようって言ってるんだよ。きみと二人、どこか遠い、誰も僕たちのことを知らない場所まで」
「え、ちょっと、なにをおっしゃってるんですかっ!!」
思わず身を引こうとしたんだけど、公主さま、力、強い。引っ張られたままの腕は、彼女の手のなかでピクリとも動かなかった。
それなりに力を入れて引っ張りかえしてるのに、全然敵わない。まるで、本当に男の人に引っ張られてるみたい――。
「は、放してくださいっ!!」
怖くなって、がむしゃらに腕を動かす。
全身から血の気が引いていく。
知ってるはずの人が、突然、見知らぬ誰かと入れ替わったような感覚。
それも見知らぬ、恐ろしい誰か。
背に陽の光を受け、暗く、影になった公主さまの顔。
「ダメだよ、暴れないで」
その笑顔は、わたしの知ってる笑顔じゃない、別の誰かの笑顔。グイッと引っ張られ、抱きとめられた腕は、わたしの知らない誰かの腕。
「一緒に行こう? 僕なら、琉花だけだ。異母兄上のように後宮に他の女を侍らせたりなんてしない」
なんの話をしてるの?
これはあくまでフリであって、公主さまは女の方で。
(あ――)
「琉花っ!?」
驚く公主さま。
その腕のなかで、グラリと世界が回った。
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