WEAK SELF.

若松だんご

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或る書曰く

三、百重なす心 思へど(三)

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 「まったく、何をやっていらっしゃるのですか」

 真足またりにゴシゴシと濡れた髪を拭いてもらいながら、漏れた彼のため息を受け止める。

 「朝に、あんな素晴らしい誓いをなさったかと思えば、こんな……」

 こんなずぶ濡れになって。

 「それを言われると辛いなあ」

 被せられた布の下、苦笑するしかなくなる。
 久しぶりの遠出。意味ある遠出だとわかっていたが、だからこそ、少しの間を見つけ、遊んでいたかった。

 ――決起の地、吉野にて、異腹兄弟従兄弟、相争うことなく共に扶け合うことを誓う。

 蟹獲りという忍壁の提案に乗ったのは、どうにも塞いでしまいそうな気分を晴らしたかったから。
 高市、草壁、自分、忍壁。淡海の祖父の子、川島、志貴。
 皇子六人が父の前に集い、誓い合う。
 
 ――この誓を破ることあらば、身命滅び、子孫も絶えるであろう。

 先に誓ったのは草壁。ついで自分。高市、忍壁、川島、志貴。志貴は、川島に助けてもらいながら、どうにか誓うことができた。

 ――朕の男子等、異なる腹にて生まる。然れども、一母同産の如く慈まん。

 父が胸襟を開き、順にその腕に皇子たちを抱きしめる。
 続いて皇后が抱きしめ、同じことを誓う。
 あの戦の時、伊勢国迹太川とおがわのほとり以来の父の抱擁。そして、初めて味わう叔母の抱擁。
 甥である川島や志貴まで力強く抱きしめ、涙を流す父帝。立ち会った廷臣たちの中にも、真足のように胸を熱くさせ、目をうるませている者もいた。
 
 これでもう、先の戦のような悲しい出来事は起こらない。肉親同士、叔父甥、従兄弟、異母兄弟。誰もが諍うことなく扶け合う未来となる。――本当に?

 彼らも父も、誰もが忘れている。
 かつて、祖父淡海帝が誓ったという「槻の木の下の誓約」。乙巳の変を経て、槻の木の下に集った祖父、父、中臣鎌足、難波帝、蘇我倉山田石川麻呂、阿倍内麻呂。「帝道は一つ、臣下は二心持たず」と扶け合うことを誓いあった彼ら。だが数年後、生き残ったのは祖父と父、そして中臣鎌足だけだったということを。
 
 「――皇子さま?」

 「ああ、ごめん。ちゃんと聴いてる」

 冷え切っていた手を、目の前にある火櫃にかざす。じんわりと伝わってくる温もりに、少しだけ体がほぐれる。

 「よろしければ薬湯を用意させますが」

 黙った理由を調子が悪いと勘違いしたらしい。

 「大丈夫だって。川にひっくり返ったぐらいで、風邪ひいたりしないよ。着替えもしたし火櫃もある。これで充分だよ」

 「ならばよいのですが……」

 「心配性だなあ」

 「そりゃあ心配もしますよ。なんたって、この後、宴に出席なさるお体なのですから」

 「うーん。それ、欠席しちゃだめかな。川に落ちて具合悪いですって」

 祝宴は苦手。だから。

 「やはり、おかげん悪いのですかっ!?」

 「あー、違う、違う。休みたいから適当に理由をつけただけだよ。体は平気。問題ないよ」

 慌てた真足を制する。この生真面目め。嘘とか方便は通用しないらしい。

 「もう、心配させないでくださいよぉ」

 「ごめん、ごめん」

 笑って謝ると、ホッと肩の力を抜いた真足。

 「今夜の宴はなんとしても出席するようにとのお達しですからね。皇子さまもその覚悟でお臨みください」

 言いながら、真足が髪を櫛で梳き整えてくれる。

 「うわ、なんだろ。『なんとしても』って……なんか怖いな」

 「大丈夫ですよ。どうせ、盟約を、結束を強めるため、酒を酌み交わし、神に誓うんでしょう」

 「ふぅん」

 グイグイと髪を引っ張る真足。言葉が途切れ途切れになったのは、髪を結わえる紐を咥えていたから。話し終えると同時に、いつも通り、皇子らしい髷が後ろに結い上がる。戦のときには、まだ志貴と同じ美豆良髪みずらがみだったのに、今ではその頭上には墨色の幞頭ぼくとう
 その仕上がりを軽く鏡で確認し、真足の用意した左伊多津万色さいたづまいろの袍を羽織り、帯を巻く。

 「酒は無理に召し上がることはありません。誓いの時だけ、少し口をつけたらいいんです」

 励ますように肩を軽く叩いてくれた真足。舎人が皇子の肩を叩くなど、とんでもなく不敬な行為だけど、その気安い励ましは、これから宴に参加しなくてはいけない自分にとって、とても心強く感じられた。

 「お酒、ちょっと飲んでみたいなって思ってるんだけど。ダメかな?」

 「ダメですよ。まだ皇子さまはお若いのですから。お酒はもう少し大人になられてからお味見ください。酔われて醜態を晒すことになったら、恥をかくのは皇子さまご本人ですよ」

 気安いかと思えば、融通のきかない硬さもある真足。

 「わかったよ」

 笑い、自分の室を後にする。
 さあ、向かうは宴席。父と叔母が坐ます場所。

*     *     *     *

 「あンのぉ~、大津めぇ~~!!」

 異母姉あね阿閉が、持っている簪をへし折りそうなほど手に力を込める。

 「いくらなんでも山辺を間違えるだなんてっ!!」

 ミシミシ唸る簪。

 「……ねえ、志貴。話しちゃったの?」

 隣に座る異母弟おとうとにコッソリ尋ねる。

 「うん。阿閉の異母姉上あねうえに、山辺の異母姉上あねうえのこと訊かれたから。元気がないようだけど、どうしてって」

 ごめんなさい。
 志貴がショボンと頭を下げた。
 この子は川島の異母兄あにに捕まっていたから、聞いてないと思っていたのに。

 「いいえ。ごめんなさいね。悪いのはわたくしだわ」

 その頭をそっと撫でてやる。
 志貴とともに、雛鳥を巣に戻そうとして格闘していた時のこと。彼を肩車していたわたくしを、大津さまは女嬬かなにかと勘違いしていらした。主に命じられて肩車をした女嬬。だから「あんな主を持つと大変だね」と同情してくださった。
 すぐにその誤解はとけたし、皇女としてキチンとご挨拶できたのだけれど。

 ――女嬬。

 そう思われたことに、心は沈んだ。
 わたくし、そう思われるほど地味なのかしら。
 これでも一応、皇女として精一杯着飾ってきたつもりなのだけれど。
 
 「それぐらいにしておきなさい、阿閉」

 御名部の異母姉ねえさまが諫める。

 「せっかくの簪が真っ二つになってしまうわよ。今日のためにあつらえたものなのでしょう、それは」

 「そうですけど……」

 阿閉の異母姉ねえさまがようやく力を緩める。簪、折れなくてよかった。

 「でも、私、許せないんです!! 山辺を、女嬬と誤解するだなんて!!」
 
 力は緩んだけれど、怒りは緩んでいないらしい。その紅を掃いた美しい唇はへし折れたままだ。

 「いいわ。こうなったら最高に山辺を着飾らせて、大津を後悔させてやる!!」

 「せめて"さま”をつけなさい、阿閉」

 かつては一緒に遊んだ間柄でも今は違う。大津さまは帝の皇子。対してわたくしたちは、先帝の、戦で敗れた大友の異母兄上あにうえの弟妹。同じ皇女皇子でも身分に差がある。御名部の異母姉ねえさまは、昔のままの阿閉の異母姉ねえさまの気安い態度を案じていらっしゃる。

 「私の妹をバカにするようなやつに、"さま”なんていりません!!」

 「阿閉……」

 何を言ってもきかない妹に、異母姉あねが嘆息をもらす。

 「そうだ。あれを持ってきてちょうだい」
 
 阿閉の異母姉あねが、思いついたように、控えていた采女に命じた。
 一旦退出した采女たち。彼女たちが両手に捧げて持ってきたのは、絹で作られた新しい衣装。
 鮮やかな紅色べにいろに染めた背子の襟は金糸で縁取られ、内衣、腰裳は薄く桃花色。腰に巻く帯も襟と同じ金糸で若草の生地に花の模様を描く。下は色鮮やかな三色の裳。カゲロウの羽のような薄い蒸栗色の肩巾。

 「これにするか、もう一個、青い方かどっちを着るか悩んでたんだけど……。せっかくだし」

 「え? きゃあっ、あの、あのっ、きゃああっ……!!」

 異母姉あねに顎で命じられ、近づいてきた采女たちによって、まとっていた衣を次々に剥ぎ取られた。代わりに持ってきた衣装を着せられていく。隣に腰掛けていた志貴は、強引な妹を止めることを諦めた御名部の異母姉あねによって目隠しされた。

 「あとは、これを持ったら……よし!!」

 あっちから引っ張られ、こっちから引っ張られ。すべてを着替え終えると、押し付けるように団扇を渡された。漆塗りの黒枠、薄く透き通るような萌黄色の団扇。

 「似合うじゃない、山辺」

 その仕上がりに、満足そうな阿閉の異母姉あね

 「そ、そうでしょうか」

 「うん。やはり私の妹ね。蘇我の血を引く者は、美人が多いのよ」

 そうなのかしら。自分ではわからない。御名部の異母姉ねえさまと阿閉の異母姉ねえさまが、共にお美しいのは知っているけど。

 「異母姉上あねうえ、キレイ……」

 隣で志貴が感嘆の声をあげる。
 なら、少しは美しいのかしら。姉弟を信じてもいいのかしら。

 「その衣装はアナタにあげるわ。似合ってるし」

 「よろしいのですか、異母姉ねえさま」

 「いいわよ。どっちにしようか迷って持ってきたものだし。その衣装で、大津をギャフンと言わせてやるのよ!!」

 ギャフン……って。

 「後は、その髪型ね。簪もつけてあげるわ。紅も差してあげる」
 
 ウキウキと嬉しそうな異母姉あね。再び近づく采女たち。
 異母姉ねえさま。大津さまの前に、わたくしが「ギャフン」と言いそうです!!
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