機姫想杼織相愛 ~機織り姫は、想いを杼に、相愛を織る~

若松だんご

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巻の二十四、即位の儀と皇帝の宣言(皇帝の暴走とも言う)

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 「お綺麗ですわ、里珠リジュさま」

 わたしの足元にしゃがみ込み、パンパンッと軽く裳裾を叩いて伸ばしながら、鈴芳リンファンが言った。

 「そうですな。これなら、陛下も惚れ直しましょうぞ」

 そばに立つ皎月ジャオユェさんが、ウンウンとうれしそうに頷いて、鈴芳リンファンの感想に同意する。

 (惚れ直すって。綺麗って)

 本当かなって疑ってしまう。それ、全部お世辞じゃない?
 そりゃあ、鈴芳リンファンは頑張って整えてくれたし、用意されてた衣装も、とても豪華で素敵な物。織ったのは織染署の人たちって聞いて、「うわ。さすが皇宮で働く玄人は違うわ」とか「いつか、弟子入りしたい!」とか思ったけど。それぐらい素晴らしい染めと織りと仕立てと刺繍だけど。

 「でも、もう少しお顔を明るくしたほうが良いですね」

 立ち上がった鈴芳リンファンが言う。

 「お顔の色、優れませんね」

 「ちょっと、ね。緊張してるのよ」

 おそらく。
 最近、食欲もないし。お腹が重いっていうか、食べ物を受け付けないっていうか。

 (即位の儀が近かったからだわ。緊張してるのね、これでも)

 如飛ルーフェイの即位の儀。
 彼の陰陽の乙女であるわたしの出席は必須。
 だから、今もこうして新しく装ってるし、今日までどうにも食欲がわかなかった。
 だって、わたしただの街の機織り女よ? それがどれだけ相性いい気を持ってるって言っても、皇帝となった彼の隣に立つんだよ? 緊張しないわけないじゃない。
 それに……。

 (玻璃妃はりひもそろうのよね、今日)

 陰陽の乙女瑠璃妃るりひと、皇后玻璃妃はりひ
 瑠璃妃るりひは、皇帝と交わることで皇帝の陰陽を整える。玻璃妃はりひは、皇帝と交わることで子を成し、次代の皇帝を産む。
 だから。
 彼の皇帝即位の儀。
 ここで、二人の女性が、彼の左右に立つ。彼の治世が盤石で、その先の世も続くことをみなに知らしめるため。

 (玻璃妃はりひ、どんな人かしら)

 皇室、もしくは高位貴族の姫から選ばれるという玻璃妃はりひ
 わたしと仲良くできなくても、彼とは仲睦まじく、彼を幸せにしてくれる人がいい。
 彼が、わたしを忘れて寵愛するようになるぐらい、美しく気立ての良い方が……。

 「――失礼します、里珠リジュさま。そのように唇を噛まれては、紅をさすことができませんわ」

 「あ、ゴメン」

 今のわたしの体は、わたしだけのものじゃない。鈴芳リンファンに言われるまま、軽く口を開くと、そこに彼女の指で紅をさされた。――少しマズい、紅。

 「では、参りましょうか、瑠璃妃るりひさま」

 鈴芳リンファンから団扇を渡され、それで、少しだけ顔を隠す。
 今日は紗を被せてもらえない。皇帝の隣に立つ、わたしの存在のお披露目でもあるから。
代わりに顔を少し隠すのに使うのは、この団扇。
 薄い紗の領巾。吉祥文様の刺繍された金黄色の上衣。金黄色。――わたしが二番目の妃であることを表す色。彼と同じ明黄色は、皇后にだけ許された色だから。

 「では、瑠璃妃るりひさま。ここより先は、お一人でお進みください」

 皎月ジャオユェさんが、天井から掛けられた重い帷帳いちょうを開く。

 (うわ……)

 まるで、光の洪水。
 それまで燭台の明かりなしではいられない、暗い所にいたせいか、めくられた先の世界、光に溢れた世界に、思わず目を眇める。
 
 (そこに、彼がいる)

 一瞬、怯みそうになったけど、この帷帳いちょうの先には、彼がいる。わたしを待っている。きっとすでに、傍らに玻璃妃はりひが寄り添ってるんだろうけど。
 でも。

 「行くわ」

 グッと息を呑み、唇を噛み締めそうになって――止めて。震えそうになる足に力をこめる。
 彼に出会った時。彼を好きだと自覚した時。彼に抱かれた時。
 彼と、芽生えた感情に流されてきたけど、ここからは違う。
 この先は、わたしがわたしの意志に従って進む。
 彼がわたし以外の女性を抱いても。わたし以外の女性に子を産ませても。
 わたしは、彼のそばにいたい。

*     *     *     *

 「――来たか、里珠リジュ

 わたしが帷帳いちょうの先に出たことで、耳がどうにかなりそうな歓声が含元殿に響き渡る。
 割れんばかりの歓声――って言うけど。

 (これ、建物、壊れちゃったりしないかな?)

 人の声で建物が崩れたなんて話、聞いたことないけど、でも、この地鳴りのようなすごい声。先例なくても、後世に「以前、こんなことあってさ~」って語られる、人の声で建物が崩れた実例になるような事故、起きなきゃいいんだけど。
 そんななか、一段と豪華な冕冠べんかんを被り、百官の前に立つ如飛ルーフェイ
 差し込む光の効果もあってか、いつもより、威厳ある存在に見える――って。

 (あれ?)

 化粧を施されてるのを忘れて、目をこすりたくなる。

 (見間違い? ううん。そんなことない)

 皇帝らしく明黄めいこう色の袞衣こんえをまとった如飛ルーフェイ。とても華やかで、今の彼によく似合ってるんだけど。

 (これって、わたしの織った衣装?)

 機のお礼にと織って、仕立てたけど、結局渡せずにいたもの。
 
 (間違いない。刺繍のやり直した所がある)

 ボーっとして二つ頭の龍をこさえちゃった部分。それと、途中で放りだしたせいで、裾の山海は、全部刺繍しきれていない。

 (櫃に仕舞っておいたのに)

 どうして? どうして彼が着てるの?
 鈴芳リンファン皎月ジャオユェさんが、勝手に渡したんだろうか?

 「どうした、里珠リジュ

 「いえ……」

 歩みを止めてしまったわたしに、彼が手を差し出してくる。

 (それに。玻璃妃はりひはどこ?)

 舞台のような明るい壇上には、わたしと如飛ルーフェイしかいない。
 玻璃妃はりひは? 皇后はどこにいるの? 後から出てくるの?

 「みなに、申し伝えることがある!」

 彼の手を取るかどうか。迷ったまま止まってると、グイッと手を掴まれ、抱き寄せられた。

 「余、奏帝国第四十一代皇帝は、この乙女のみを妃とし、皇后とすると宣言する!」

 え? ええっ!?

 ウォオオオオッ!
 含元殿が震えた。それこそ、地震みたいに激しく。

 「――どうだ。驚いたか、里珠リジュ

 イタズラ成功!
 ぶら下がる玉、りゅうの向こう、如飛ルーフェイが、子どもみたいな笑みを見せた。
 けど。
 
 (ちょっと待って!)

 頭が混乱する。
 わたしが、皇后っ!?
 じゃあ、玻璃妃はりひはっ!?
 
 「――お待ち下さい、陛下」

 壇上に登ってきた人物。わたしと同じ金黄色の衣をまとった、彼の叔父。嘉浩ジャーハォさまだ。

 「陰陽の乙女を皇后になさるとは。御子は、お世継ぎはどうなさるのです」

 朗々と響く叔父の声。その言葉に、歓声が、どよめきに変わる。
 陰陽の乙女は、どれだけ交わろうとも子を成せない。どれだけ陰陽を交わらせ、治世を扶けたとしても、子を産めない女を皇后に据えてよいのか。

 「――フッ」

 ジャラッとりゅうを鳴らし、如飛ルーフェイが笑う。

 「世継ぎなど、望んでおりませんよ、叔父上」

 ――え?

 「どうしても皇太子が必要だと仰るなら。……そうですね、叔父上を皇太子に指名いたします」

 ――は?

 「陛下はこの老骨に、ムチ打つおつもりですかな」

 「ええ。彼女を幸せにするため、必要となれば」

 驚くわたしを置いて、なぜか、二人でニッと笑う合う。

 「叔父上が申したのですよ。里珠リジュを、ただ一人の女性を決めたのなら、彼女をとことん愛し尽くせと。彼女が死の間際に『幸せな人生だった』と、過去に満足して逝けるようにと」

 そういえば、この叔父がそんなこと言ってたって、鈴芳リンファンが興奮気味に教えてくれてたっけ。

 「ですから、彼女を皇后にすると決めたのです。里珠リジュ以外の女性など要らない。俺はただ一人の相手だけを妻にすると」

 「如飛ルーフェイ……」

 「陛下」と呼ばなきゃいけないのかもしれない。でも、今は……、今はその愛しい名を呼びたい。

 「叔父上。先に言っておきますが、この先、誰か妃を寄こしても無駄ですよ。俺は里珠リジュ以外の所に足を向ける気もありませんし、子が生まれなくても里珠リジュ以外を寵愛する気もありません。寵愛を辞めることがあるとするなら……。そうですね。里珠リジュ本人が嫌がって逃げ出す時ですね。ああ、でも、嫌われても愛し続ける自信はあります」

 そ、それって、自信があるって自慢していいことなんだろうか?

 「それは、里珠リジュ姫が、陰陽の乙女だからか?」

 叔父の質問に、聴いてるだけのわたしの喉が、知らずゴクリと鳴った。

 「違いますよ」

 緊張したのに。如飛ルーフェイの返答はとてもあっけらかんとしていた。笑ってるし。

 「俺は、里珠リジュ里珠リジュだから愛しいと思っているのです。思ったことをそのままにぶつかってくる気性。機織りが好きで好きで、機に夢中になれば、皇帝である俺のことなんて見向きもしない」

 そ、それって、褒めてる? けなしてる?

 「そうかと思えば、俺の窮地に駆けつけ、大切な機織りを犠牲にしてでも、俺を助けようとしてくれる。俺は里珠リジュのそういうところに惚れてるんです」

 そういうことだ。
 甘く、優しい視線がわたしに降り注ぐ。

 (どうしよう……)

 わたし、今、どうしようもなく彼に抱きつきたい。抱きついて、口づけを交わして。「わたしも大好き」って伝えたい。
 彼に。如飛ルーフェイにどうしようもなく惚れ直しちゃったんだけど、どうしたらいい?

 「――そうですか」

 静かに。静かに叔父が目を閉じる。如飛ルーフェイの返答に満足してるのか。口元には、かすかに笑みが浮かぶ。

 「では、瑠璃妃るりひ、……いえ、皇后里珠リジュさま。甥を、アナタを熱愛する陛下を、お任せしてもよろしいか?」

 「え?」

 「陛下は、この通りワガママなお方ですのでな。思ったことは必ず貫き通す性分なのですよ」

 彼の叔父が話し続ける間、知らないうちに近づいてきた女官たち。

 「え? ちょっ、きゃあっ!」

 近づいてきたと思った途端、如飛ルーフェイから引き離され、団扇も領巾も何もかも剥ぎ取られる。

 「里珠リジュっ!」

 何が起きているのか。何をされるのか。
 如飛ルーフェイも聞かされてなかったんだろう。驚き、一歩踏み出した彼を、叔父が笑い、肩を掴んで引き止めてるのが見えた。けど。

 (なにっ!? なになになにっ!?)

 数人の女官に取り囲まれ、あっちからこっちから、色々引っ剥がされ、違う何かを被される。――って。

 (え? これって……)

 驚くわたしを置いて、現れた時と同じように、潮が引くようにスススっとさがっていった女官たち。

 「里珠リジュっ!」

 そうなってからようやく如飛ルーフェイがわたしに近づいてくる。でも。

 (これって、どういうこと?)

 自分の着せられたものと、如飛ルーフェイを交互に見る。
 それまでの衣と違う。
 龍や霊芝雲、雲海などの吉祥文様の刺繍された衣。

 (――如飛ルーフェイと同じ、色?)

 明黄色の衣って。それって……。

 「皇帝陛下。並びに皇后陛下。これより先、我ら臣下一同、お二人に忠誠をお誓いいたします」

 驚くわたしと如飛ルーフェイの前で、彼の叔父が膝をつく。あわせて、含元殿の文武百官たちも。

 「お二人が、国の父となり母となり、子である我ら民を護り、導きくださること。お二人の治世が長久であること。太平であること。深く、深く祈念いたします」

 「うむ」

 わたしを抱き寄せ、如飛ルーフェイが頷く。
 荘厳な皇帝の即位の儀。臣下の誓い。言祝ぎ。
 だけど。だけど、だけど、だけどっ!

 (わたしが皇后って、ナニッ!?)

 勝手に「うむ」って頷いてんじゃないわよっ!
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