猫ネコ☆ドロップ!

若松だんご

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1.我輩は猫になりました――である

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 ブッ、ブミャアァアァアァッ――!

 潰れた猫の断末魔が、マンションの廊下に響き渡る。
 猫? この廊下に猫がいる?
 違う。
 叫んだのは、あたし自身。
 どこかで猫が鳴いたわけでもなければ、自分でふざけて猫マネしたのでもない。
 驚き、叫んだ声が猫の声だった。
 それだけのこと。……こと、なんだけど。

 ナニコレ、ナニコレ、ナニコレェッ!
 ブミャ、ブミャ、ブミャミャアァッ!

 心の叫びに合わせて通路に響く猫の声。
 
 (もしかして、もしかしなくても、あたし、猫になっちゃってるぅっ!?)

 何度もなんども顔をペタペタ触る。手のひら? 肉球? に触れる、うぶ毛というにはモフモフすぎるそれ。
 そそり立つような共用廊下の手すり壁。見上げる高さにある玄関扉のドアノブ。とっても近いグレーの床。もともと、身長153センチと、やや小柄だけど、だからってドアノブは見上げる高さについていない。ちゃんと手でつかめる高さにある。なのに。
 どれだけ背伸びして手を伸ばしても、手はノブにかすりもしない。それどころか、伸ばした手にはモフっと灰色の毛が生えていて。驚き、引っ込めたら、今度は、手に顔から生えた長い毛、ヒゲみたいなのにぶつかって。ヒゲ? え? ウソ? と身じろぎしたら、おしりのあたりに、タシタシと動く尻尾っぽい感触に気づいて。
 視線を動かし、見える範囲で体を確認。
 手。足袋履いてるっていうのかな、先のほうだけ白い。腕のあたり(?)は薄いグレー。
 お腹。お腹は白い。でも、脇(?)を見るとここも薄いグレーっぽくなってる。
 尻尾。見たくもないけど、ギリギリ見えたのはやはりグレー。というか、なんであたしに尻尾なんて生えてるのよ。
 手を動かして感じた限り、耳もどうやら顔の横ではなくて、頭の上にあるみたいだし。肩を超えるぐらいまで伸ばした髪はどこにもなくて。あるのは全身のモフモフ毛まみれ。
 今のあたし、多分おそらく信じたくないけど、灰色✕白の猫。

 (どどど、どうしようっ!?)

 確認して確信していくたびに、心を占める「どうしよう」の割合が増えていく。

 (あたし、猫になっちゃった!?)

 そんなのは、マンガかアニメだけにしてほしい。「もしかして、わたしたち、入れ替わってる?」と同じで、「あたし、猫になっちゃった?」なんて、リアルにあったら困るんだってば!
 猫になって、何をどうせよと?
 「入れ替わってる?」なら隕石回避とか、相手の運命を改変とかあるけどさ、「猫になっちゃった」ら何をしたらいいわけ?
 猫の体じゃ大学にも行けないし、友達にも会えない。相談だってできない。できたとしても、相談された友達だって、ニャーニャー騒ぐ猫を前に、「困惑!」しかないだろうけど。
 スマホもないから誰かにSOSも発信できない。スマホ。もしあったとしても、この肉球じゃメールも送れないし、そもそも開くことすらできない。
 ドアにも届かないし、鍵もみつからないし。
 何をどうするったって、部屋に入ることすできない。あたし、自分の部屋を前にして、突然(猫)ホームレス。

 (このままだとあたし、街をさまよって、危険な目に遭って。そこを野良のボス猫に助けられてロマンス――とか?)

 いやいや。それはない。いくらなんでもそれはない。
 そのボス猫がダンディでカッコよくても、それはない。異種族恋愛にも限界ってもんがあるのよ。いくらカレシナシ歴=年齢であっても、猫を相手に恋はしない。(多分)

 (というか、この状況、どうするのよ)

 アホなこと考えて、現実から逃避したがってる頭を引き戻す。
 考えるべきは、ボス猫との異種族恋愛じゃなくて、現実的にこれからをどうするかってこと。

 (あああ~。なんであたし、ガマンできなかったんだろう……)

 床にしゃがみこみ、大後悔。
 猫になった原因は、なんとなくだけどわかってる。

 ――ポケットに入ってた、半透明の水色ドロップ。

 いつからポケットに入ってたのか知らない。マンションに帰ってきて、鍵を取り出そうとして、その存在に気づいた。
 キレイな包み紙に入ってたドロップ。
 ちょうど喉も乾いてたし、なんだか、すっごく美味しそうに思えて、鍵を取り出すより先に、つい口に放り込んじゃった。
 ちょっと大きめのそのドロップは、期待を裏切らず、すっごく甘くて美味しくて。「誰かにもらったのかな~。誰だっけ~」なんて思いながらウマウマ舐めてたのよ。
 そしたら。そしたらさ。
 なんか「あたし、しゃがんでるの?」ってぐらい、視界がドンドン低くなっていって。見下ろしてたはずのドアノブが、いつの間にか見上げる位置になっちゃって。

 (あたしのバカ!)

 せめてドアを開けてから舐めなさいよ! というか、知らないものを無警戒に舐めるなんてどうかしてるわ!
 5分前のあたしを目の前に召喚して、お説教食らわしてやりたい。
 これじゃあ、部屋にも入れないから、街をさまよってボス猫恋愛コースじゃない!
 部屋に入れていれば、猫化したって、元に戻るまでジッと籠もってればよかったのに! ――って。これ、元に戻れるの?
 不安が襲う。
 戦う魔法少女とかなら、「みんな、いくわよ!」とかなんとかで変身して、敵を倒したら元に戻ったりしてたけど。「変身!」の戦隊ヒーローだって、自分の意志で戦隊ヒーロー⇔生身の自分を行き来してたけど。
 あたしの場合、元に戻れるの……かな? 戻れなかったら、やっぱりボス猫恋愛コース? 『ある日突然猫になったけど、街のボス猫に溺愛されたので、路地裏でもたくましく生きていけそうです』みたいな展開になっちゃうわけ?

 「――なんだ? 猫?」

 「ブミャ!」

 オタオタするあたしの後ろからかかった声。その声に、全身の毛がブワッと逆立つ。

 しっ、志乃さまっ!
 ブミャミャミャッ!

 「どうした、お前。こんなところで」

 ん? 軽く首をかしげた志乃さま。
 あたしに近づいてきた彼が、あたしと視線を合わせようと目の前にしゃがんでくださる。

 「この部屋の飼い猫?」

 その手が伸びてきて、モフッとあたしの頭を撫で始める。
 ああ。あたし、今だけ猫になれてよかったと思う。猫なことをいいことに、少し大胆にその手に顔をスリスリ。

 「閉め出されたのか?」

 あたしとドアを交互に眺めた志乃さま。
 軽く息を吐いて立ち上がると、あたしの部屋のインターホンを鳴らす。
 あたしをこの部屋のペットだと思われたらしい。そして、飼い主に閉め出され困ってる猫認定された。

 ピンポーン。ピンポーン。

 無機質な音だけが、ドアの向こうで響く。

 「留守……みたいだな」

 いえ。
 この部屋の主はここにいます。
 猫になっちゃってるけど、ここにいます。
 
 「仕方ない……」

 へ?
 何が仕方ないの?

 訊くこともできないでいると、志乃さまが、カバンから取り出した紙に、サラサラと何かを書いて、玄関ポストに投函した。

 「これでヨシ。行くぞ」

 行くぞって、何が?
 ニュッと伸びてきた腕。志乃さまが、ヨイッとあたしを抱き上げる。

 ニギャッ!

 「こら、暴れるな。飼い主が帰ってくるまで、預かるだけだから」

 そんなこと仰られても、志乃さまに抱かれて、冷静でなんていられません――って、預かる? 預かるって、ナニ?

 「メモ、入れといたから。飼い主が帰ってきたら、引き取りに来るだろ。夜は冷えるし。それまでは、俺の部屋にいろ」

 うえぇえぇっ!?
 さっきのメモっぽいのって、「猫預かってます。後で引き取りに来てね」ってヤツだったの? あたし、「ボス猫との恋愛コース」じゃなくて、「憧れ志乃さまに保護されるルート」に入っちゃったの?

 驚くあたしを抱っこして、お隣、自分の部屋に入っていく志乃さま。

 (お、お世話になりま~す)

 小さな声で「ミャッ」と鳴いておいた。
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