猫ネコ☆ドロップ!

若松だんご

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2.となりの志乃さま

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 佐保宮さほみや志乃しのくん。通称、志乃さま。
 あたしの部屋のお隣さん。
 同じ大学の、学部違いの上級生。工学部の二年生。
 ちょっと女性っぽい印象の名前だけど、長身イケメンの立派な男性。身長は、推定多分で180センチ以上。顔はもちろんなんだけど、ちょっとクセのありそうな髪と、キリッとした立ち姿が、その……、その……。

 シノさま、ソックリなのよ!!!!

 あたしの憧れ、あたしの推し。
 乙女ゲーム『何度でもキミと恋する約束を』、略して「ナンキミ」のキャラ、シノ・グランディールのソックリさん。
 目の色はさすがに違うけど、それ以外の部分、顔とか、髪型とか、背丈とか、声とか。その上、名前まで一緒ときたら、もう、もうっ!
 今年の春、上京してご近所挨拶でお会いして。そのあまりのソックリぶりに、あたし、挨拶なんてすっぽ抜けて、卒倒するかと思った。
 だって。だってよ?
 あのシノさまが、二次元を飛び出して、こうして三次元で立っていらしてるのよ? 立つだけじゃない。動いて、「ご丁寧に、ありがとうございます」とか仰って、あたしの持っていった「つまらないものですが、ご挨拶菓子折り」を受け取ってくださったのよ? それもちょっとはにかんだような笑顔で。
 ゲームのキャラと現実の人は別物。
 わかっていても、鼻血を吹きそうな興奮は収まらないわよ。
 そんなシノさま――もとい、佐保宮志乃くんだから、お隣になって半年近く経つけど、引っ越し以来、未だ挨拶すらロクに交わしたことなかったし、学校でバッタリってのもなかった。
 お名前だって、「佐保宮さん」でも「志乃さん」でもなく、(あたしの中では)二次元と同じ「志乃さま」呼び。「お名前+さん」なんて恐れ多い。多すぎる。
 当然ながら、「よかったら一緒に学校までどう?」なんてイベントもナシ。たまたまお隣で暮らさせていただけで幸せですぅレベル。時折、廊下の影からそのお姿を拝見するだけで、「神様ありがとう」だった。一緒にマンションのエレベーターに乗り合わせる? そんなおこがましいこと、絶対致しません。だって、正気でいられる自信ないから。志乃さまがエレベーターをお使いなるなら、あたしは階段で登りますとも。ゼイゼイヒイヒイ言ったって、ご一緒空間なんて致しません。
 そんなあたしが、今――。

 (しっ、志乃さまのお部屋にぃぃっ!)

 恐れ多すぎアメアラレ。
 それも、志乃さま自らに抱かれての入室。

 「おい、こら、暴れるなって」

 暴れたいわけじゃないです! でも気を失いそうだから、ちょっぴり距離を置かせてください!
 ピョンと腕から下りて、猫視点で部屋を眺める。

 (これが、志乃さまのお部屋……)

 キッチン。リビングまで続く木目調フローリング。白っぽい壁紙。入って右手にお風呂とトイレ。洗濯機。リビング突き当りにはベランダに出るための掃き出し窓。
 あたしと同じワンルームなのに、なぜか広々落ち着いた空間に思える。あたしと同じようにベッドとかテーブルとか、家具も似たような配置にあるのに。イケメンって、インテリアのセンスも段違いにカッコいいんだなあ。というか。

 (志乃さまの匂い……)

 フスフス。
 部屋中に満ちた、志乃さまの匂い。少し鼻を動かすだけで、胸いっぱいに匂いが広がる。猫特権? 人だったときより、匂いに敏感になってるみたい。男臭いってのじゃなくて、男らしい匂い。香水とかとはちょっと違う。う~ん、的確な言葉が出てこないけど、とにかく悪くない、むしろちょっとトキメク心地良い匂い。
 フスフスフスフス、フスフスフスフ……。

 「こら、お前、何やってんだ」

 再び、ヒョイッと抱き上げ。
 しまった。つい、警察犬かなんかみたいに床の匂い、嗅いじゃってた。変態チック。

 「とりあえず、預かるとしても……、お前、お腹空いてるのか?」

 匂いを嗅ぎまくるほどだし。
 いや、お腹は空いてるっていうのか、いないのか。自分でもわかりません。
 だって。

 (志乃さまのお部屋に入れていただけただけで、胸いっぱいでお腹までわかんないって)

 幸せいっぱい腹いっぱい。
 憧れ志乃さまに、こんなふうに抱き上げられたりされたら、もう、もうっ……!

 「わかった。腹減ってんだな」

 クタッとなりかけたあたしを見て、志乃さまが判断する。
 えーっと。お腹空いての「クタッ」じゃないんですけど。
 ミャアともニャアとも言い出すことができなくて。キッチンをゴソゴソ探し始めた志乃さまの背中を見つめる。
 ああ、志乃さま。こんな得体のしれない猫にまで。なんてお優しいの。ウットリ。

 「――これなら食べられるか?」

 キッチンの引き出しから出てきたのは、煮干し。それも、袋に入ったままじゃなくて、ちゃんと瓶に移し替えられたもの。それを数匹、皿に載せて、食べやすいように床に置いてくれた。

 (煮干しかあ……)

 食べたことないけど、猫ならこれが平均なのかな。
 出されたからには、その親切を無にしないためにも、おそるおそる、パクッと一口――。

 苦っ!
 ブミャッ!

 なにこれ、メチャ苦いんですけどっ!?
 シシャモとかメザシみたいなもんかと思ったけど、これはっ! 魚の味より苦味が口に刺さる!

 「スマン。苦かったか?」

 ウゲと眉を寄せただろうあたしの前に、膝をついた志乃さま。

 「待ってろ」

 言うなり、煮干しの頭とワタを取ってくださった。ああ。志乃さまのその長くキレイな指で手ずから……。
 というか、普通に煮干しがキッチンにある家ってすごいな。あたし、一応料理はするけど、煮干しから出汁をとってない。顆粒だし一択。

 「ほら、これでいいだろ」

 再び皿に盛られた煮干し。

 (い、いただきます……)

 「旨いか?」

 (はい、ちっとも!)

 頭とワタをとってもらった煮干しは、硬いけどちょっとまだ苦いけど、それでも、食べられないほどじゃなかった。というか、ここまでしてもらって「食べない」という選択は存在しない! 美味しくなくても、残さず食べる!

 黙々と煮干しを食べるあたしを見て、ちょっと気を緩めたのか、ストンと床に腰を下ろした志乃さま。煮干しを完食すると、よくできましたとばかりに、あたしの頭を何度か撫でてくださった。って。

 (なんのご褒美~~っ!)

 頭ヨシヨシなんて。猫じゃなきゃ味わえない大特権。
 あたし、推し(三次元バージョン)に、頭撫でられてるんだよ! 今!
 神様、ありがとう! あたしを猫にしてくれて!
 ゲンキンだけど、そう思う。今のあたし、猫でよかった。
 だって、撫でられついでに、こっちからも頭スリスリできるし。なんなら大胆に、体までスリスリ。
 猫じゃなきゃ、こんなことできないっての。
 猫になっちゃって驚いたけど。人生、どこにラッキーがあるかわかんないってもんよ。
 あたしを見つめる、志乃さまの優しい眼差し。人間だったら、「回れ右!」「失礼しました!」で脱兎のごとく逃げ出すけど、今は猫だから、大胆に受け止めちゃう。微笑む志乃さま。なんて麗しい。が、ん、ぷ、く♡

 って。アレ?
 不意にあたしの体を持ち上げた志乃さまの手。膝の上に抱っこされるのかと思ったけど。
 両脇を持ち上げられ、デローンと吊り下がった体。そのお腹というか、脚の間をシッカリバッチリ見られて――。

 「お前、メスか」

 ……………………。
 ………………。
 …………。
 ……。

 ギニャア゛ア゛ア゛ァッ! 

 声の限り叫ぶ。
 あ、あたしっ、もう、お嫁に行けない!!!!
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