念其霜中能作花 -念(おも)え 其れ霜中に能(よ)く花を作すを-

若松だんご

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念其霜中能作花 -念(おも)え 其れ霜中に能(よ)く花を作すを-

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 「今まで、すまなかった」

 突然のその言葉に軽く目を瞠る。
 寒々しいまでに凍てついた室。雪降る冬の寒さだけではない冷たい室、皇后の部屋を訪れた一人の男。赤い生地に金の糸で龍を刺繍した豪奢な袍をまとい、耳にかかった鬢まで乱れることなく整えられた男。――皇帝。

 「今まで、お前のこと憎んだり、冷たくあしらっていたが――その、間違いであったこと許して欲しい」

 何を今更。

 動くことを忘れていた頬がピクリと震えた。

 これは何? なにかの罠? なにか魂胆が隠されてるの?

 驚くと同時に、穿った目で見てしまう自分に嫌気がさす。どうして、素直に受け取れないの。どうして「お気になさらず」みたいなこと、言えないの?

 「お前の妹からすべて聴いた」

 そう。あの子、かなりのお喋りだったのね。
 別に話されて困ることでもないけれど、話して誤解をといてもらうつもりもなかった。

 お飾り妻――。
 権力を笠に皇后となった女――。
 帝に愛されず、憎まれる女――。

 それだけならいい。

 別の皇后候補を殺害した女――。
 陛下の愛する人を殺してまで皇后に上り詰めた女――。
 陛下に愛されないのは当然の報い――。
 実の妹君にまでその悋気を見せる狭量な女――。

 それが私だった。
 皇后となって九年。ずっと私についてきた言葉の数々。最後の「妹にまで」というのは、最近加わったものだけれど、別にそんなの一つや二つ増えたところで気にもならない。

 稀代の悪女。
 嫉妬、悋気、強欲、冷酷な性格に新たに「狭量」が加わっただけ。
 だから。

 「陛下。面をお上げください。治天の君たるもの、何があっても頭を垂れてはなりませぬ」

 こんなふうにしか話すことができない。
 謝られても、「よろしいの、お気になさらないで」ぐらい言えばいいのに。言ってニッコリ微笑めば、すべてがなかったことになるのに。この顔は、笑うことすら忘れている。笑い方を知らない。

 いいえ。

 なかったことにはならないわね。なってはいけないのよ。
 
 「ご用件はそれだけですか? でしたら、わたくしはもう休ませていただきとうございますので、これで失礼いたします」

 一礼を残し、ゆっくりと立ち上がる。
 何年ぶりかの夫との会話。だけど、私はこれ以上話すつもりはない。
 結婚して初めての訪い。何事かと思いお会いしたが、まさかこんなことだったとは。

 「待て!!」

 立ち去ろうとした私の腕を夫が掴む。

 「悪かったと思っている!! お前の妹から聞いて、すべて間違いであったと!!」

 驚きふりむけば、九年ぶりに間近で見た夫の顔。
 その目は真剣。熱く見つめる瞳に映るは、同じく九年経っても強張ったままの私の顔。
 ああ、九年の間に、なんて男らしく立派にお成りなのかしら。それに対して、どうして私は、変わらないのかしら。こんなことになっても顔色一つ、眉一つ動かない顔。

 「お前が、彼女を殺してないことは知っている」

 え?

 「彼女が毒殺されたことは間違いない。だが、毒を盛った主がお前でないこと、妹から聴いた」

 ああ、あの子。

 「すまない。ずっとお前を犯人だと疑っていた。お前が皇后の位欲しさに彼女に毒を盛ったと誤解していた」

 「陛下……」

 「余は彼女を愛していた。愛していたから、殺したお前を憎むことしかできなかった。いや、違うな。お前を憎むことで、死なせてしまった責から逃げていたんだ」

 陛下のお声が低く沈んでいく。秀麗な眉は寄せられ、苦しそうに言葉が絞り出される。

 「お前が妹をこの都から追い出そうとしていると聞いて、妹にすら悋気を見せる強欲で冷酷で狭量な女だと……、そう思っていた。そこまでして皇后の位にしがみつきたいのかと」

 「間違ってはおりません。わたくしは妹を都から追い出しましたし、妹に皇后の位を譲る気もなかった。そういう女です。かつては、陛下のご寵姫も――」
 「違う!! 彼女の件にお前は関わっていない!!」

 言葉が遮られた。

 「余もずっとそう思っていた。だが、お前の妹が、出立直前に教えてくれたのだ。『姉は、陛下を愛しておりますが、だからとて、誰かを殺すほど残酷な性分ではありません』と」

 ああ、なんてお喋りなのあの子。
 私のこと、勝手にペラペラ話すだなんて。次にあったら釘を差しておかなくては。

 「自分を都から放逐するのは、狭量だからではなく、自分に伴侶としたい相手、想う相手がいるからだと、そう言っていた。父親の目を盗んで、逃げる手筈を整えてくれたのは、姉であるお前だったと」

 そう。
 私は妹を王都から逃した。
 九年。私が皇后に選ばれて九年。
 わずか十三歳だった私も今は二十二歳。
 普通なら子供が二、三人いてもおかしくない年頃。なのに、一度も陛下のお渡りはないまま。夫婦仲は冷え切って、それどころか陛下から憎まれて、この先何十年経っても子は望めない。
 宰相である父はしびれを切らし、妹を皇后に立后し、姉は石女  うまずめとして廃后とすることを考えだした。姉がだめなら妹を。妹なら、陛下お気に召すかもしれない。
 姉が皇后でなければいけない理由はない。家の女の誰かが時期皇帝を産みさえすればいい。
 妹には好いた相手がいた。相手は若い出世有望な官僚。だが、手駒を汚されたくなかった父、宰相の権力で地方へ飛ばされた。
 だから、私は父に知られぬように動き、妹が彼を追っていけるように手配した。相手にも通達し、二人で任地へ逃げるよう伝えた。逃げてしまえば父も諦める。もしくは、私が子を産むと父を説得する。
 姉の悋気に触れ、放逐されたかわいそうな妹。輿入れ直前となっていた妹の出奔を世間はそう誤解する。
 そう思っていた。そう思っていたのに。

 あの子、陛下に話しちゃったのね。

 どこでどう陛下と妹が会ったのかは知らない。けれど、妹は私に関することをすべて陛下に伝えていった。

 私が九年前の事件に関わっていないことまで。

 「だからなんだと言うのです? 九年前、たしかにわたくしは事件に関与しておりません。ですが、手を下してないから無罪、ではありませんしょう? 結果として、わたくしは皇后の位をいただきました。それは、わたくしの望んだことですから、わたくしも同罪です。陛下が愛した女性は、毒を盛られ、殺された。陛下がわたくしを憎み、嫌うことに間違いはございません」

 憎まれるだけの皇后。愛されることのない妻。
 それでいい。それがいい。
 だから、私を知ったとしても、お願い、このまま以前と変わらず捨て置いて。

 取られたままの腕を引っ張りかえす。腕はアッサリ取り戻せた。
 ほらね。
 陛下は罪悪感から謝罪してるだけで、それ以上に思ってはいらっしゃらないのよ。

 「では、失礼いたします。おやすみなさいませ」

 早く、早く離れなくては。
 そして陛下には早く室から出ていってもらわねば。

 「待て!!」

 閨に入った私を追いかけてきた陛下。そのまま後ろからグッと抱きしめられる。

 「へ、陛下っ!?」

 声に動揺が走る。

 「お離しください!! このような場、誰かに見られたりしたら――」
 「構わぬ!! 夫婦なのだからな!!」

 そういえば夫婦だったわねと、余所事のように思う。

 「お前は九年前のあの事件に関与していないと言ったな。だが、余が憎むのは間違いでないと。それはいったいどういう意味だ」

 ああ、それを知りたかったのね。
 だから追いかけて私を捕まえた。今、体に回された腕は、そういう理由。
 夜の冷えた体に伝わる熱も、首筋に触れる吐息もすべて、彼女の死の真相を知りたいゆえのこと。

 一瞬乱された呼吸と鼓動を整える。これは、ただの尋問。

 「わたくしは、彼女に毒を盛ってはおりません。ただ、毒を盛られるかもしれないという予感はしておりました。私を立后したい父によって、いずれ亡き者にされるであろうことを直覚しておりました」

 九年前。
 私と同い年、十三歳だった彼女。
 彼女とは、皇后候補としてともに後宮に上がった仲。
 濡れた黒曜石のような瞳。艶やかで長い豊かな髪。白磁を思わせるキメの細やかな肌。触れれば折れそうなほど細い腰つき。鈴を転がしたような笑い声。迦陵頻伽のような歌声。歌舞音曲に長け、天女のような物腰。未来の皇帝に愛されるにふさわしい素養ある子だった。
 まだ十三歳だけど、きっとこの先、陛下に愛され続ければ匂うように花開く、そんな可能性を秘めていた。
 実際、そうなりかけていた。
 当時皇太子であった陛下は、二人の候補のうち、彼女を愛し始めていた。宰相の娘だからと候補に上がった私ではなく、彼女を。

 羨ましいと思った。
 憎らしいとも思った。
 陛下を慕っていたのは彼女だけじゃない。私も同じ。初めて後宮に上がった時から、ずっと。だから。だから、あの日――。

 「わたくしは、あの子が殺されるかもしれないと思いながらも、何もいたしませんでした。何もしなかったことで、殺されてしまったのです」

 何か行動を起こせば救えたかもしれない。父を止められたかもしれない。
 けど、何もしなかった。

 「わたくしは、彼女がいなくなることを望んでおりました。彼女さえいなければ。彼女さえいなければ、陛下にご寵愛いただけるかもしれないと、浅ましい願いを抱いておりました」

 まさか父がそこまですることない。そう楽観視したかったという部分もある。
 けれど、心のどこかで「このまま彼女がいなくなればいい」と思っていたのは事実。彼女がいなくなれば、次に愛されるのは自分だと、そう思っていた。

 「彼女が羨ましかったのです。陛下に寵愛される彼女が。そして、わたくしにはないものすべてを持っていた彼女が」

 容姿、寵愛、幸せ。自分にはないものすべてを持っていた彼女が憎かった。彼女と比べられるたび、心が削られていく気がした。心が黒く濁っていく気がした。消えて欲しいと願っていた。彼女がいなくなれば、私は幸せになれると思っていた。
 だから。
 だから、彼女の死は私の罪。
 彼女を愛していた陛下になじられ、憎まれるのは当然の結果。

 「ですから、これ以上、陛下がお気にやむことはごさいません」

 妹を逃したことで、父がまた別の手を打ってくるかもしれないけれど、私はこの地位を離さない。
 たとえ、どれだけ愛する人から侮蔑の眼差しを受けようと。
 稀代の悪女と罵られようと。
 妹には、好いた人と添い遂げる幸せを与えたかった。冷たい後宮で、一人寂しい閨を囲う日々を送らせたくなかった。
 彼女に「消えてなくなれ」と願ってまでして手に入れた地位。形だけは愛する夫の妻。
 手放したくなかった。手放したくなかったけれど。
 
 「――陛下」

 そっと腕を押しのけ歩き出す。
 震えそうになる声を、嗚咽の漏れそうな唇を噛んで、寝台脇にあった引き出しを開ける。
 中に入っていたものを取り出すと、陛下に差し出した。

 「……それは」

 「簪です」

 銀の細い差し込み柄が二本伸びた簪。皇后の身分にふさわしく、いくつもの宝石が散りばめられている、高価な簪。

 「いや、そういうことを訊ねているのでは――」
 「手元には、これしかございませんので。ご容赦ください。閨に刀は持ち込めませんので」

 「どういう意味だ?」

 陛下の声が低くなる。

 「わたくしの罪はすべてお話しいたしました。ですから、どうかご裁可願いたく存じます」

 受け取らない陛下に押し付けるように、その手のひらに簪を持たせる。

 「陛下のご寵姫殺しとして、どうか罰をお与えください」

 お飾りの妻であることは、私への罰。愛されないのは罪への報い。
 愛されなくても妻でいたかった。
 けれど。

 「もう疲れたのです。何もかも……」

 愛されないこと。冷たくあしらわれること。
 あわれな皇后と蔑まれること。
 あの時、毒を飲んだのが私だったら、陛下はその死を悼んでくださったのだろうか。彼女を愛しながら、少しは心の片隅で思い出したりしてくださったのだろうか。
 
 無理ね。

 私は最初っから嫌われていたから。政治を牛耳る宰相の娘として嫌われていたから。
 彼女が死んだことで、そこに「彼女を殺してまで権力を手に入れたがった強欲な女」というのが加わっただけ。こうして真実をお話ししたところで、嫌いが好きになることはない。

 だから。

 「せめてもの情けとして。どうか、お願いいたします」

 目を閉じ、ツイッと首を差し出すように喉を反らす。
 簪では頼りないかもしれないけれど、私一人を殺すにはちょうどいいでしょう。一度で無理なら二度、三度刺せば事足りる。
 愛されないことは知っている。憎まれてるのも知っている。
 だけど、せめて私の命を絶つ。それだけは、愛した人の手で行って欲しい。
 大事な妹が幸せになる未来を見た。もう、それだけで私には充分すぎた生だった。

 「――一つ、訊いておきたいことがある」

 「はい」

 「九年前、後宮で余を助けたのは誰か」

 「え?」

 「お前の妹が問えと言ったのだ。九年前、お前たちが後宮に上がった直後、余が毒を盛られたあの事件。あの事件に関しても尋ねよと」

 あの子、そんなことまで。

 「余は、あの時助けてくれたのは彼女だと思っていた。実際彼女は余が目を覚ました時、看病したかいがあった、天に祈りが通じたと涙しておったからな」

 九年前の出来事。
 それは私と彼女が皇后候補として後宮に上がってすぐに起きたこと。
 皇太子であった彼が后を娶る。それは彼が次期皇帝となることが決定したということ。皇后の生家が後ろ盾となり、彼の地位は揺るぎなきものになる。
 それを阻止したい者がいた。認めたくないが同じ皇族のなかに。
 奴らは后候補二人を弑するより、皇太子一人を殺すほうが手っ取り早いと思ったらしい。皇太子が死ねば、后候補の生家は自分の後ろ盾に再利用できる。
 
 「あの時のこと。あの時、余を助けたのはお前ではなかったのか?」

 「そ、それは……」

 「答えよ」

 驚き開いた目の前には、陛下の鋭い視線。逃げることも嘘を重ねることも許されない、熱い眼差し。

 「解毒を行ったのはわたくしです。わたくしには、医術の心得がございましたので」

 正確には、「父が日頃毒を使うので、その対処方法を知っていた」なのだけど。
 父は政敵を追い落とすのに、よく毒を使っていた。自分が解毒を知っていたのは、万が一その毒を飲んでしまったときに生き延びるため。それほど私の周りには毒が溢れていた。

 「ではなぜ、看病にあたっていなかったのだ。余が目を覚ました時、お前はそばにいなかっただろう」

 「はい。解毒の際、陛下の吐瀉物で汚れたお召し物を焼いておりましたので。駆けつけるのが遅くなりました」

 「――焼く? 洗い流すことはできないのか?」

 「毒の付着したものはすべて焼いて片付けます。洗えば流した水に毒が混じってしまいますので。雑色にやらせて万が一毒に当たってもいけませんので、わたくし自ら焼きました」

 毒の扱いは長けている。
 それに皇太子が毒を盛られたなど、あまり知られていい案件ではない。
 だから、吐瀉物で汚れた陛下のお召し物と自分のものを燃やして処理した。

 「陛下のご容態が安定いたしましたので、ちょうど室を訪れた彼女に後のことをお願いしたのです。毒の処理を一刻も早く済ませたかったので」

 私が遅れて参じたのはそれが理由。陛下は遅れ、着替えて現れた私を憎々しげに見ていらしたけれど。

 「そう……だったのか」

 「はい」

 あの事件の後、首謀者だった皇族は不審な死を遂げた。
 皇太子の報復を恐れての自害、はたまた邪魔をするなと父に殺されたのか。それにより、即位は確実なものとなり、父の野望のもと、彼女は殺された。

 「これでよろしいでしょうか。わたくしの知っていることはすべてお話しいたしました」

 妹が伝えたことですべてを話すことになったけれど。でも、私はもう楽になりたい。

 「陛下が処断なさってくださらないのであれば――」

 自分の髪に挿したままだった簪を引き抜くと、喉元に突きつける。
 最期ぐらい、好きな方の手にかかって終わりたいと思ったけれど。それが許されないのならこうするしかないわね。

 「――待て。俺がやる」

 そう。
 最期ぐらい願いを叶えていただけるのね。愛されない后であっても、せめて最期ぐらい。
 手にした簪を床に捨てる。彼の手にかかって死ねるのなら、それはとても幸福なことではなくって?

 「お願いいたします」

 解けた髪のまま、再び閉じた瞼。
 静かな室に衣擦れの音が響く。彼が、私を殺めようと近づいている証拠。

 「香栄……」

 ああ、何年ぶりかしら。彼に名を呼ばれるのは。
 いつかは名を呼ばれたいと思っていた。愛を込めて名を慈しんで欲しかった。
 あの時、陛下が目を覚ます時にそばにいられたら。そうしたらもっと名を呼んでいただける可能性があったのかしら。
 だってあの事件の後、陛下は彼女を深く愛するようになられたのだもの。「自分が生きているのは彼女の祈りが通じたからだ」なんておっしゃるようになったんだもの。
 だから。だから。だから。

 考えても仕方ない。
 もういい。すべてを終わりにするのだから。

 「恵風さま」

 最期にアナタの名を呼ばせて。

 彼の腕が私をグッと抱き寄せる。簪を突き立てるために。
 震えそうになる唇を噛みしめ、喉を差し出す。
 彼は今、どんな顔をしているのだろう。

 「香栄……」

 風が起こる。簪を持つ手が振り下ろされたと感じたが――。

 「え? ンッ……」

 口からこぼれたのは血ではなく、喘ぐような自分の声。
 喉に刺さるはずだった簪は、乱れた髪に挿された。

 「死にたいなどと申すな。死ぬことは許さん」

 何度も角度をかえて、私の声を塞ぐ彼の唇。回された腕には、これでもかとばかりに力がこもる。
 
 「へ、陛下……」

 「あの時の、助けてくれたのがお前だと知っていたら……!!」

 それは何? 助けたのが私だと知っていたら、私を愛してくださったとでも言うの? 彼女を捨てて、私を見てくださったとでも言うの?

 「ですが、わたくしの父は彼女を殺しました!! わたくしは彼女を見殺しにし……ッ、ンッ、ンンッ!!」

 「違う!! お前は彼女を殺していない!! 殺したのはお前の父親だ!!」

 「同じことです!! わたくしは彼女がいなくなればいいと思いました!! 彼女と比べみじめな自分が嫌で、彼女さえいなければいいと願っ……ンンッ!!」

 抵抗するたび、口づけられ、言葉を塞がれる。苦しい。腕の力と口づけで、息ができない。

 「違う。違うのだ香栄」

 名を呼びさらに深く口づける陛下。

 「誰かに消えて欲しい。そう願うだけで死に値するだけの罪があると言うのなら、余も大罪人だ」

 「へ、陛下――」

 「あの時、生死の境を彷徨った時、余も犯人を憎んだ。ここまで余を苦しめる者すべて消えてなくなればいい。助けてくれと」

 荒々しさが少しだけ落ち着いた陛下。その腕の力がかすかに緩む。

 「従兄弟を、叔父をそうやって憎んだ。彼らが死んでホッとした。二度と命を狙われることはないと安心したのだ。彼らは不審死で終わっているが、これも余の罪だと言うのか? お前と同じように願ってしまった余の罪だと?」

 「そ、それは……。でも、わたくしの父は彼女に毒を盛りました」

 「ああ、そうだな。それは許されざる罪だ。断罪に値する。だが、その罪を償うべきはそなたの父であって、そなた自身ではない」

 「陛下……」

 「それに、余のなかにも腑に落ちない事があったのだ」

 腑に落ちない? なにが?

 「あの時、三日三晩生死の境を彷徨っていた余の看病をしていたと言う割に、彼女は身ぎれいにしていた。ハッキリとした意識はなかったが、毒を大量に吐いた気がするのに――だ」
 
 あ。

 「ずっとそばにいたという彼女はいつもと変わらず美しく、代わりにお前は着替え、遅れて現れた」

 「そ、それは、毒で汚れましたので」

 「あの時は、余を放って置いて自分はゆっくりくつろいでいたのかと思ったが……違ったんだな」

 「はい」

 彼女がいつもと変わらずキレイだったのは、一度も看病に訪れなかったから。彼女は「毒など恐ろしい」と言って、それまで自分の室から出てこなかった。私が遅れて到着したのは、毒の処理をして着替えていたから。眠らず看病にあたっていたから、あの時は頭も重くてボンヤリしてて、まともな受け答えができなかった。

 「すまない。俺はもう少しで命の恩人を失うところだった」

 「陛下……」

 「俺はずっと命の恩人が誰なのか、本当に大切にすべき人は誰なのか、見誤っていたらしい」

 そんな風におっしゃらないで。
 厳しく自分を責めるその顔が見ていられなくて、そっと手を伸ばし頬に触れる。精悍な頬がピクリと震えた。

 「あれから九年。九年もの間、ずっと傷つけてきた。そんな俺でも許してくれるか?」

 「許すなど……。一度もお恨み申したことはありませんのに」

 どれだけ苦しくっても、憎んだりすることはなかった。愛しいと思う気持ちを捨て去ることもできなかった。初めて会った時からずっと、想う心はずっと胸の奥にくすぶり続けている。
 
 「ずっとお慕いしております。何度も諦めようと思いましたが、でき、ませんで……した」

 笑顔を作ろうとしたのに、溢れたのは涙と嗚咽。

 「香栄……」

 再び重なる唇。先程より、深く長く、愛をこめて重ねる。
 殺された彼女への罪の意識はある。でも、私はこれが欲しかった。ずっとずっとこうなりたかった。
 息すらできないほど強く抱きしめられ、陶然と身を委ねる。
 ずっと捨て置かれたこと、その苦しさも悲しみも何もかもどうでもいい些末なことに感じる。

 「香栄」

 どれほど口づけを交わしていたのだろう。少し離れた陛下の身に、肌が寒さを感じた。

 「このままお前を愛したい。だが――」

 「はい。わかっております」

 陛下がお許しくださっても、罪は罪。何事もなかったように暮らすことはできない。
 父の罪を白日のもとに晒し、処罰を受けなければならない。場合によっては、皇后の身分を剥脱されることもある。そんな女が陛下との営みを持つことは許されない。

 「なにか、誤解しておらぬか?」

 え?

 「このままできぬと言ったのは、このまま交わり子を成すと、宰相の思うままになるからできぬと言ったまでだ。お前を皇后から降ろすつもりはない」

 「でも――」

 「罪を犯した者へはしかるべき罰を与える。それが道理だからな。しかし、罪なき者、一族だというだけで罰を与えたりしない。俺はそこまで狭量ではない」

 つまり、父は処断されるけれど、私や妹、事件に関与していない一族の者は罰せられないということ?

 「俺はもう二度と大切な人を失いたくない。俺の后はお前だけだ、香栄」

 「陛下……」

 「今はまだ宰相をどうにかするだけの権力を俺は持っていない。だが、このまま宰相の思いどおりになってやるつもりもない。国政も何もかも取り戻し、ヤツには処罰を下す。だから。だからそれまでは愛することを待っていてくれるか」

 「……はい」

 「こら、泣くな。そうやって泣かれると、どうにも抱きたくなる」

 それは無理な相談です、陛下。
 うれしさに胸が苦しくなって、勝手に涙が溢れてきます。
 この九年間、一度も動かしたことのなかった心が涙となって溢れてしまうんです。

 「香栄……」

 「恵風さま……」

 どちらからともなく唇を重ね、吐息を絡め合う。

 冬の窓の外。雪に埋もれた紅梅が、赤い花弁を甘く揺らした。
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