ハニトラしかけてこいと敵国に贈られましたが、よく考えればクソブラックな故国より、寵愛してくれる彼のがいいので、寝返らせていただきます。

若松だんご

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巻の二十三、寝返ったら溺愛って、マジですか?

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 ――え? ちょっと待って。皇帝陛下って死んだんじゃなかったのかっ!?
 ――生きてる! 生きてるってばよ!
 ――いやそれよりも。菫青妃キンセイヒって、御子を孕んでたんじゃねえのか?
 ――お腹、ペッタンコだぞ!
 ――っつーか、敵は、皎錦国コウキンコクはどうなったんだよ! は!? 戦にもならず、撤退したぁ!?

 〝なにが、いったい、どうなってんだあぁぁぁぁっ!〟

 うがあっ!
 宮城に入場してきたわたしたちを見て、都の民が頭を抱える。

 (まあ、そうなる、そうなるよね)

 速攻で「ただいまぁ」と、都に戻ってきた皇帝陛下。いっしょに乗り合わせた軒車けんしゃのなか、これでもかと、民衆に向かって手を振る皇帝と違って、わたしは腕を組み、ウンウンと頷く。
 
 ――菫青妃キンセイヒ。余の子を孕め。

 あの一言から始まった、一連の出来事。
 わたしを溺愛するフリをして、油断させてたのは、慈恩ジオンだけじゃなかった。アイツへの内通者。それもまた、「皇帝が女に溺れている」と思い込んだ。だって、ご寵姫は懐妊したし? メッロメロじゃん、あの皇帝。
 
 そこに追撃するように報じられた、「皇帝崩御」。
 反乱軍に負け、皇帝が死んだ。まだ十五歳の少年皇帝に跡継ぎはいない。いや、いてもまだ生まれていない腹の中。
 だったら、ちょっと皎錦コウキンからちょっとつついて、女を殺してもらおう。「皇帝弑逆」の罪を被せてもいい。なんなら、「腹の子は別の男との間の子、不義の子だ」でもいい。
 慈恩ジオン朱煌国シュコウコクを乗っ取らせる気があったのがどうか。そこは知らないけど、わたしが戦に出ることを「しめしめ、ウヒヒ」と思ったのは間違いない。 
 だけどね。

 (それが大ゴサーンなんだな)

 まず一つ。
 皇帝は亡くなっていない。
 洸州の反乱。
 確かに反乱ではあったけど、皇帝が軍を率いていかなくちゃいけないほど、長期戦になるほどの、手強い反乱じゃなかった。
 
 ――アッサリ制圧したのではつまらんな。

 なんていう「ナニイッテンだ、テメエ」な考えで、長期戦のフリして、自分が死んだことにした皇帝。
 近侍の明順メイジュンに後のことを頼むと、自分は一人、先に都に帰ってきていた。
 御子を孕んだ菫青妃キンセイヒに仕える女官のフリをして。

 そして二つ目。
 帰ってきたウルトラマ……もとい、皇帝は、皎錦国コウキンコクとも連絡を取った。というか、皎錦国コウキンコクにとある噂を流した。

 ――宰相、チョウ慈恩ジオンが、朱煌国シュコウコクを己の手中に収めようとしている。

 もし、私欲のためチョウ慈恩ジオンが、朱煌国シュコウコクを攻めようとしているのだとしたら?
 朱煌国シュコウコクを手に入れたら、次に獲物とするのはどこだ?
 そもそも、ハニトラを言い出したのはチョウ慈恩ジオンだ。ヤツは最初からそれを目的に、動いていたのではないか?
 猜疑心はあっという間にムクムク膨れ上がる。

 最後の三つ目。
 皇帝は自分が死んだという報に、誰がどう動くか、ずっと観察していた。

 厳将軍のように、わたしを怪しみながらも忠義を尽くす者。
 国の未来を憂う者。様子見、日和見する者。
 今がチャンスだ、裏切ってしまえってヤツ。

 見てただけじゃない。
 この少年皇帝は、自分が留守の間に、これまた近侍に兵を任せ、皎錦国コウキンコクに通じてた者、――自身の宰相を捕らえさせた。
 今、こうして宮城にノホホンと入れるのは、近侍が宰相を捕まえるという、頑張りがあったおかげなんだけど。

 チョウ慈恩ジオンの失墜。
 内通者、姜宰相の逮捕。
 敵国皎錦国コウキンコクとの和平。戦を未然に防いだ。
 そして。
 そして。
 〝ご寵姫懐妊は、嘘だったのかあっっ!〟

 電光石火。疾風迅雷。空前絶後。奇想天外。奇策妙計。石破天驚。
 形容する四字熟語に困るほど、とんでもなく、とんでもない出来事。
 都のネズミは、何をどこからチューチュー噂したらいいのか、わかんないぐらいの大混乱に陥った。

*     *     *     *

 「――入るぞ」

 夜。室の主の了承もなく勝手に入ってきた人物。皇帝。
 いつものような、金糸で龍が刺繍された紅色の袞衣こんえとか冕冠べんかんを被ってない、年相応の少年の装いをしてる。とってもラフ。
 おそらくだけど、都に戻るなりすべての事件の後始末に忙しくて、皇帝っぽい服に着替える余裕がなかったんだろう。
 表情も、いつものような生意気な雰囲気より、「疲れた~」って感じが滲み出てる。
 室に来た時間も、普段よりずっと遅い。
 待ってたわけじゃないけど、窓の外、まあるい月が中天を外れかけ、日付も変わった時刻であると告げている。

 「里珠リジュ、具合はどうだ?」

 「まあ、なんとか。大丈夫ですわ」

 わたしは。
 皎錦国コウキンコクとの和平を結び、都にとって返した朱煌軍シュコウグン
 疾きこと風のごとく?
 スピード超過で捕まるんじゃないってぐらいの勢いで帰ってきたから、その……ねえ。
 皇帝といっしょに乗った軒車けんしゃ
 スプリングもなければ、タイヤもない。道だってアスファルトで舗装されてない。そんな乗り物で、都まで高速で帰ってきたら……。

 (誰でも車酔いするに決まってるじゃん!)

 軒車けんしゃに乗り慣れてるってわけでもないし。
 おかげで、わたしもだけど、特に尚佳ショウカの疲弊が激しかった。途中から、少し遅れてもいいから、馬に乗り換える? って提案したんだけど。真っ青な、今にも吐きそうな顔しながら「嫌です」って断られちゃって。その結果、彼女はこんな時間になっても回復できてない。あの子の部屋でぶっ倒れてる。
 尚佳ショウカと違って、わたしがこうして座ってられるのは、前世の「遊園地乗り物耐性」があるからだと思う。絶叫系とか、結構好きだったし。

 「すまんな。急いで帰る必要があったから、無理をさせてしまった」

 話しながら、皇帝がわたしの隣、牀の空いていた部分に並んで腰掛ける。
 
 「いえ。構いませんが……」

 っつーか。なんでこんな距離ナシで座ってくんの? いつもなら、もう少し離れたところに座るじゃん。

 「里珠リジュ

 いや、だから、なんで名前呼び?

 「その……、なにか欲しいものなど、ないか?」

 ふへ?
 なにその質問。
 ってか、なんで顔を逸らす?

 「欲しいものですか。そうですね。できれば、朱煌国シュコウコクの戸籍をいただきとうございます」

 「戸籍?」

 「ええ。戸籍ですわ」

 これは、ずっと前から考えてたこと。

 「皎錦国コウキンコクの企みも潰えたことですし。わたくし、女儒とともにここを辞したいと思っておりますの。そしてできれば、この国の片隅で暮らさせていただきとう存じます」

 尚佳ショウカと二人で。
 幼い頃から桃園で、寵姫となるための教育しか受けてこなかったけど。しっかり者の尚佳ショウカと二人でなら、なんとか生きてけるでしょ。なんたって、このわたしには、鳥をも歌うのをはばかるような声と、前世の(あんまり役にたたないかもしれない)知識もあるわけだし。二人分の生活費ぐらい、なんとかなるっしょ。

 「――戸籍は授けよう。だが……」

 だが?

 「ここを去ることだけは許さん」

 「――は? なんで? って、ちょっ!」

 「俺は、まだちゃんとお前の歌を聴いてない」

 「はあぁあっ!?」

 なにその理由。
 
 「悲しみには優しい調べを~ぉ♪ 企む悪には怒りの調べを~ぉ♪ 奏でる調べで世界を守る~ぅ♪ クインテット! こうきょ~ぉせんたぁい交響戦隊 ムジークファイブ♪ だったか。ふむ。久しぶりに歌ってみたが、意外に覚えてるものだな」

 へ? は?

 「へ、陛下?」

 なんでその曲を知ってるの?
 前世で覚えてた曲。『交響戦隊ムジークファイブ』のオープニング。
 それを知ってるってことは、その、えっと、ええっ!?

 「お前も歌え。クインテット! の部分は頼んだぞ」

 「いや、クインテット! じゃないですよ。アンタ、もしかして、もしかして……」

 ワナワナと震える指でさす。
 すると、指の先の顔が、クッソ生意気な笑顔になった。

 「ようやく気づいたか」

 「気づいたか――じゃないでしょっ! アンタも転生者だったのっ!? ようやくもなにも、そんなそぶり一切見せなかったじゃん!」

 「西施、妲己、褒姒、貂蝉」

 「は?」

 興奮したわたしに、冷静に陛下が話す。

 「古代中国の傾国の美女の名だ。ああ。この話をしたとき、お前、全くわかってないって顔してたな」

 えっと。そうだっけ?
 って。

 「あーっ! 思い出した! チョーセンって、『三国志』に出てくる人だ!」

 たしか、呂布とトーなんとかってオッサンの仲を悪くさせたハニトラの人! お兄ちゃんのやってたゲームに出てた、メッチャ美人!

 「貂蝉は知っていたのか」

 「はい」

 今の今まで忘れてたけど。

 「お前が皎錦国コウキンコクから贈られてきたとき、西施と同じだと直感した。敵国に贈られた美女に、王が酔いしれ、国が乱れる」

 えっと。
 その通りです。
 わたしの命じられた作戦は、まさしくその通り。

 「衣装や宝石だったか。そこから豪華な料理。贅を尽くした料理をとるのにふさわしい宮殿を建てろ、宮殿に似合う庭園を作れ。そうして呉の国を疲弊させたところで、トドメに忠臣伍子胥ごししょが怖い。そのせいで伍子胥ごししょが死に、呉の国も滅びる」

 うわあ。なにやっちゃってるの、西施さん!

 「敵国越の范蠡ハンレイが見出した美女で、范蠡ハンレイの恋人だったという説もあるな。呉を滅ぼしてから、二人で逃げていっしょになったとか」

 「そ、それって……」

 「似てるな。お前と慈恩ジオンの関係に」

 いや、似てるなんてどころじゃないでしょ!

 「だが西施は、呉が滅ぼされたとき、その美貌を恐れた者によって、革袋に詰められ、長江に沈められたとも――おい。大丈夫か?」

 「ぜんっぜん大丈夫じゃないです!」

 わたし、革袋でブクブクされたくないです!
 でも、もしわたしがあのまま慈恩ジオンの計画を遂行してたら、そういう未来の可能性だってあったはず。
 だって、会見のとき、慈恩ジオン、言ってたじゃん。
 「朱煌国シュコウコク皇帝弑逆の罪で捕らえる」って。
 あれは、用済みになったわたしを殺すってことだよね? そのためのイチャモンだよね?
 結果は、アイツの破滅だったけど、万が一作戦を成功させてたら……。

 「大丈夫だ、里珠リジュ。お前は死なない。死なせない」

 カタカタと震え始めたわたしの肩を、皇帝が抱き寄せる。

 「お前は西施とは違う。お前は、贅沢な飯だとか宮殿は求めなかったからな」

 抱き寄せられた肩。そこにある手の温もりが心地良い。

 「それにしても、いつも思うのだが。贅沢な飯や宮殿ぐらいで、そう簡単に国庫は傾くものか?」

 「――――は?」

 作った声じゃなく、本音の地声が出た。

 「フランスのマリー・アントワネットもそうだが。女性がちょっと贅沢したぐらいで、傾くような国庫であれば、それはもとから脆弱な、破綻した国家財政だ。その女性のせいではない」

 まあ、それは。
 たしか、〝赤字王妃〟なんて不名誉な二つ名つきのマリー・アントワネット。メッチャ高価な首飾りとかなんだとか。でも、そんなもんで傾く国家財政って。前世でわたしが、同じ首飾りを買ってきちゃったー、テヘ♡なら、お家の財政破綻は間違いなしだけど。
 そもそも王妃とかご寵姫なんてもんは、着飾ってなんぼのものじゃん。それを支えきれないんだから、ヴェルサイユなんてたいしたことございませんわ。貧乏ですのね。

 「まあ、とにかく。とにかくだ。お前は西施とは違う。お前はここで暮らせ。いいな」

 なにが「とにかく」なのかわかんないけど、パッと手を離された肩が寂しい。肩がとってもスカスカする。

 「あの……。ここで暮らして、本当によろしいのですか?」

 「いいに決まってる」

 「この菫青宮キンセイキュウで?」

 「菫青宮キンセイキュウで」

 「でも、それですと、他のご寵姫を配することができませんわよ?」

 後宮の入り口である菫青宮キンセイキュウからわたしを動かさないと。今までの寵愛は、慈恩ジオンたち一派を騙すためのものでしょ? そして、わたしをそばに置くのは、何かあった時にわたしを使うためと秘密漏洩防止のため。だとしたら、先々のことを考えて、わたしを引っ越しさせたほうがいいんじゃない?

 「ふむ。それもそうだな……」

 わたしの言葉に、真剣そうに顎に手を当て思案を始めた皇帝。

 「ならば、里珠リジュ。ソナタに菫青宮キンセイキュウよりの退去を命じる」

 ほらね。
 よぉく考えたら、わたしをこのままってのはおかしいのよ。

 「明日より先、思清宮シセイキュウの隣、天藍宮テンランキュウへ居を移せ」

 「て、天藍宮テンランキュウぅぅっ!? そそ、それって……!」

 「皇后の暮らす宮――だな」

 ニッコリ。

 「天藍宮テンランキュウなら、余の思清宮シセイキュウから近い。後宮に足を運ぶより楽だ」

 「楽だ――じゃないぃぃぃっ!」

 ナニ言っちゃってんの、この皇帝!
 わっ、わたしを天藍宮テンランキュウって! 後宮の入口、菫青宮キンセイキュウをフン詰まらせるよりタチ悪い! 菫青宮キンセイキュウの主は寵姫の一人だけど、天藍宮テンランキュウの主ってなったら、それって、ここっ、皇后ってことでしょっ!? 皇后っていったら、寵姫みたいに、簡単に首をすげ替えたりできないのよっ!?

 「アンタ、本気で言ってるの?」

 「本気だぞ。余は、とても情に厚い性格でな。一度寵愛した女子おなごを棄てることはできぬのだ」

 言って、サラッとまたわたしの髪をすくった皇帝。

 「御子が流れたからとて、問題ない。案ずるな。また宿せばよいのだ。寵愛は変わらぬぞ?」

 「いや、変わらないもなにも、わたしのお腹はまっさらサラサラですけどっ!?」

 「そうか。惜しいな」

 惜しいな、じゃねええええっ!

 「ソナタが孕まねば、この国に世継ぎは生まれぬ。この国は滅びるであろうな」

 いやいや。別のところでポコっと産ませてきてくださいよ。

 「噤鳥美人キンチョウビジンの名に恥じぬ傾国っぷりだな、里珠リジュ

 チュッと髪に落とされたキス。
 
 「まずは、余の名を呼べ。コウ志英シエイ。ソナタの夫となる男の名だ」

 驚くわたしを見つめる黒い瞳。
 そのいたずらっぽい瞳と、髪から伝わった熱に、ビクッと体が震えちゃったこと。戸惑い、驚きながらも「悪くない」って思っちゃったこと。

 (絶対バレてるな)

 年下少年皇帝。
 そのずるいほどの甘い魅力に、籠絡され、溺れちゃうのはわたしのほうだと、強く痛感した。
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