いつかともに巡る先まで。

若松だんご

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第一話 巡った環の先、猫の脚。

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 吾輩は猫である。
 名前はまだない。当たり前だ。飼い猫ではないのだから。
 どこで生まれたか、頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてたかどうかもわからない。生まれた頃のことを克明に覚えていたら、脳はすぐに容量オーバーになってしまう。
 吾輩は、ここで始めて人間というものを見たわけではない。吾輩は、「人間」というものをよく知っていた。
 なぜならば。

 吾輩は、猫である以前、人間だったからだ。

 「生まれ変わり」というのだろう。
 吾輩は、猫として生きる前は、「人間」であった。生まれた頃のことは覚えていないが、生まれる前のことはよく覚えている。
 人間としての名を、「東京一朗」という。
 「トウキョウイチロウ」ではない。「アズマ・キョウイチロウ」と読む。なぜ親は「京一朗」と名付けたのか。「京一」では「東京一」になってしまうことを危惧して「朗」をつけたのだろうが、それなら「恭一朗」でも「京輔」でもよかったのに。長男、初子だったからというのであれば、いっそ潔く「一郎」で構わなかったのに。下手にいじくったせいで、おかしな名になったと、親に不満を抱いて育った。
 長じ、高校を卒業すると同時に、社会に出て働いた。折しも世の中、高度経済成長期。あの頃はよかったなどと懐古する気は毛頭ないが、やはり振り返ってみれば、自分の青春時代、華やかに、賑やかに、楽しく輝いていたような気はする。
 就職先は、大手の電気機器メーカー。そこで営業として働いた。名前をネタに笑われることもあったが、それでも東京で就職した。頻繁に日本全国へ転勤させられたこともない。東京と故郷、それと観光地らしい場所にいくつか行ったことがあるだけの生活。
 三十を迎える手前、家のためにもそろそろ身を固めろとせっつかれ、「この娘はどうだ」と親族が持ちかけてきた縁談が、トントン拍子でまとまった。あの頃は、恋愛の末に結婚する者もいただろうが、自分たちと同じように、見合いを経て結婚するのが普通だった。
 上京してきた嫁、節子との結婚生活は、近代的な香りのする最新式の団地で始まった。
東京郊外の新興住宅団地。六畳の台所、同じく六畳の洋室。四畳半の和室には一間半の押入れ。トイレと風呂は各世帯に付いている。隣の棟が一望できるベランダ。画一的な間取り。だが、憧れの生活。
 自分は一家の主として働き、七つ年下の妻は、銃後を守るかのように家のこと、子供のことを一手に担ってくれた。結婚の翌年には長女が、その三年後には長男が生まれ、家事に子育てに忙しい妻の負担を軽減してやろうと、最新の家電を次々に買い求めた。テレビ、洗濯機、冷蔵庫。保温ジャーとポットは、節子の負担を軽減し、いつでも温かい飯とお茶を味わうことのできる、画期的なアイテムだった。他にも、洋室にはカーペットを敷き、ソファや、サイドボードを、台所には食器棚とダイニングテーブルを並べた。和室に座布団、ちゃぶ台、茶箪笥、水屋などという古臭いものではない。これまでの時代とは違う、洋風なものを取り揃えた。子どもへの情操教育と、インテリアとしての価値を考え、家具調ステレオを購入したが、子どもに延々とたい焼きの歌を流され続けた日には、落胆よりも苦笑しかなかった。
 モノに取り囲まれ、あこがれを詰め込み、その支払のために働き続ける生活だったが、子どもたちにも習い事をさせ、最終的に大学まで出してやることができた。
 子どもたちが独立し、それぞれ結婚する頃には団地も古くなり、また自分の親が亡くなったことで生家が空き家となったことも重なって、定年後は故郷の家をリフォームして、夫婦二人で移り住んだ。Uターン移住である。
 生まれ故郷は、地方とはいえ県政の中核を担う「市」であり、電車も車も交通の便は良い。病院も買い物も徒歩圏内に存在する。それでいて川や海、田んぼなど自然もあふれている。いわゆる「程よく田舎、程よく都会」。
 都会で暮らす子どもや孫と離れることを寂しがるかと思ったが、節子が異論を唱えることはなかった。
 終の棲家。懐かしい故郷。
 ここは節子にとっても生まれ故郷。
 若い頃は華やかな場所での暮らしに満足していても、やはり年老いてくると故郷が懐かしくなってくる。仕事も辞め、子どもも独立したタイミングでのUターンは、最適なタイミングだった。
 何年ここで暮らせるかわからなかったが、少しでも長く暮らしたいと思っていたのだが――。

 退職して二十一年。
 
 孫に子が生まれるのを見届け、吾輩は天寿を全うした。享年八十一。胃がんだった。
 もう少し長く生きたかったという思いもあるが、六十代で亡くなった両親を考えたら、ここまで生きたら大満足だという気持ちもある。親とは違い、金婚式を子どもや孫にまで祝ってもらえた。
 我が人生、「満足」という部類に入るのではないか。大往生と言うやつだ。
 そう思っていたから、この「転生」とやらに驚いている。
 昨今はそういう「転生」というのが物語で人気なのだと孫が言っていたが、まさかそれを自分が体験することになるとは。自分は、仏教徒らしく極楽に生まれ直して、亡き両親に再会するものだと思っていたのに。
 何の因果か、猫になんぞに転生してしまった。
 それもニャーニャー泣いてたかどうかわからない、子猫の自分が生まれ落ちたのは、なんと、自分が終の棲家と決めた家のすぐそばだった。
 六道輪廻というけれど、まさかこんな手近なところで輪っかがグルンと廻っていたとは。
 人間のあとは畜生。
 人間の前はなんであったか、頓と覚えておらぬのに。なぜ今回だけは人間であったことを、東京一朗であったことを克明に覚えているのか。猫の脳など、たいした容量ないだろうに、それでも覚えているのはなぜか。

 そんなことを考えながら、ふらりと家へと足を向ける。
 腹が減っては戦はできぬ。腹が減っては思考もできぬ。
 このままでは飢えて、も一度、グルンと廻る羽目になる。
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