いつかともに巡る先まで。

若松だんご

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第二話 答え合わせは間違い探し。

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 「おや、アンタ。また来たんか?」

 節子が言った。
 猫として生まれた以上、過去は忘れて猫として生きねばならぬことは知っている。過去は過去。前世は前世。いつまでも過去にすがっていてはいけない。
 だが、記憶として過去が残っている以上、その過去の近くで生まれた以上、気にならないわけがない。それが人情、いや、「猫情」というものだろう。残してきた家族、妻。気にならないと言えば嘘になる。
 
 それに、吾輩は今、猛烈に腹が減っている。
 節子、吾輩に何か食わせろ。

 なんて切実な事情を抱えて、ピョンッと縁側に飛び上がる。以前なら縁側に「腰掛ける」だったんだが。今の小さな体では「飛び上がる」しかない。身軽なので、そこまで苦にならないのが救い。

 「しゃーない猫やねえ」

 縁側の先、少し開けた「庭」。そこで洗濯物を干し終えた節子が戻ってくる。

 「ちょっと待っとり」

 開け放たれたままの縁側から空の籠を抱え、ヨイショッとかけ声つきで上がっていった節子。ガラス戸の枠をつかみ、かけ声をつけないと上がれないほどの段差。生前、少しでも楽に上り下りできるように沓脱石代わりのブロックを積んだが、それでも老いた節子の負担は解消されていないようだった。
 脱ぎ散らされたサンダルは一足。節子の、よれて足の形に馴染んだピンクのサンダル。
 庭に干された洗濯物。
 物干し台は、かつて吾輩がホームセンターで買ってきて据えたもの。
 かけた竿は四本。
 今日はシーツだ、明日はなんだと、マメに洗濯したがる節子に合わせて用意した。
 「まるで、チベットの旗のようだな」
 いつだったか、洗濯物をそう例えたことがある。
 澄んだ青空に翻る、色とりどりの洗濯物。洗剤のコマーシャルのように、白い服だけではないそれは、チベットの山岳で掲げられる祈りの旗のようだった。
 だが今、翻る洗濯物は少なく、むき出しの竿が風に晒される。昨日節子が着たであろう服、使ったであろうタオル。それがわずかに風に揺れる。
 
 「ほら。これでもお食べ」

 節子が持ってきたのは、煮干しとおかかとご飯の混ぜ合わせ。若干煮干し多めの飯、猫まんま。ご丁寧に、味噌汁の汁までかけてある。朝飯の残りものだろう。
 塩分多すぎだろ、とか、野菜はないのか野菜は、とは言わない。冷や飯であることも、吾輩にはありがたい。なんせ「猫舌」だから。フーフー冷ますことのできない身で熱々の味噌汁はちと辛い。

 「ニャア」

 食べ終えると一声上げる。いや。「一声鳴く」
 猫語であっても、馳走になった礼は述べたい。前世では、そのあたりの礼儀を厳しくしつけられた。

 「美味しかったか? ならよかった」

 隣に並び、縁側に腰掛けた節子が言った。
 彼女のしぼんでシワに埋もれかけた節の目立つ手が吾輩を撫でる。
 
 「あたしもね、食べてもらうと助かるんよ」

 頭から背中。何度も撫でる手のひらは意外と大きい。

 「煮干しなんか、もう使わへんからねえ」

 なに?
 その言葉に、目を細めて撫でるに任せてた体をピクリと揺らす。
 煮干しを使わない?
 京一朗と暮らしていた時は、毎日使っていたはずだが?
 さっきの味噌汁だって、煮干しで出汁を取ってるんじゃないのか?

 「旦那はねえ、煮干しで取らない出汁は出汁じゃない、インスタントなんて偽物だって怒る人やったけどさ。あたしは面倒だし、味なんてどうでもええから、どっちでも良かったんだよねえ」

 ニャ、ニャンだと?

 「なんか通ぶってる人でねえ。あの料理はカツオを、こっちは昆布だって。まあ、うるさいったらありゃしない。自分は一度も台所に立たへん、出汁一つ取り方を知らへんくせにさあ」

 そ、それは……。
 男子厨房に入らずな生まれなのだから仕方ないだろう。

 「面白いから、一度だけインスタント使ってやったらさ、いつも通り完食するんやもん。旨い、旨いって」

 ケラケラと声を上げた節子。
 い、いつの間に、そんなことされたんだ?
 騙されたことへの怒りより、騙されても気づかなかった自分の情けなさに衝撃を受けた。
 猫舌の前に、アホ舌だ。
 撫でられなくても、落ち込んで頭が下がる。

 「粋がって、通ぶってみてたんやろうねえ。見栄っ張りな人やったよ、あの人は」

 そ、そんなことはない――ぞ。多分。
 
 「さて」

 吾輩が完食したこと、吾輩を撫でることに満足したのだろう。空になった皿を持って、大儀そうに節子が立ち上がった。
 薄暗くひんやりした空気の部屋の中に、その丸まりかかった背中がゆっくりと溶け込んでいく。

 (――――?)

 落ち込みつつ見送っていた吾輩。
 懐かしい我が家。その部屋。調度品。
 違和感があった。

 「あ、コラ。勝手に入るんやないよ」

 吾輩に気づいた節子がふり返り咎める。だが、意に介さず、そのまま歩き回る。

 京一朗が使っていた座椅子――ない。
 京一朗が買ってきた土産のこけし――ない。
 京一朗が長押にかけていた上着――ない。
 京一朗が愛用していた、アラレの空き缶に入ったタバコと灰皿のセットも――ない。
 京一朗の写真すら――ない。一枚も。仏壇にだって置いてない。
 京一朗の親の代からあった、珠のれんも、賞状も、木彫りの熊も、なにもかも。
 かろうじて、親の遺影と、仏壇の位牌は残っていたが、それ以外の京一朗がここにいた形跡がどこにも――ない。

 ここは本当に、吾輩の、前世の京一朗が暮らしていた家なのか? 間違って、他の似た家に迷い込んだのではないのか?
 それほどに、京一朗の形跡が残っていなかった。いや、土壁に残った四角いなにかの痕。紫煙によって刻まれた額縁の痕が、そこにかつて写真が飾られていたことを示している。写真。――銀婚式の記念に、子供や幼い孫たちと一緒に撮った家族の記念写真。それすら、今のこの家には飾られていない。

 なぜだ?

 疑問が吾輩の小さな体の中で渦巻く。
 良く考えるならば、地震対策。高い所に何かを掲げておくのは、地震の時に危険だ。だから外した。
 だが、京一朗の両親の遺影はそのままかけられている。だから、その説は考えにくい。地震対策であるならば、家族写真より古くから掛けられているそちらのほうが取り外し優先事項だろう。吊るす紐だって傷んでいるだろうから。
 それに、地震対策であるならば、座椅子、タバコの缶などの生活用品撤去の理由にならない。邪魔だから片付けた? 必要ないから処分した? それとも――。

 ギクリとして、仏壇を見やる。

 漆と金縁で彩られた古めかしい仏壇。三幅一対の六字名号と上人像の前には仏花とご飯が供えられている。両親の遺影といい仏壇といい、ご先祖は大事にされているようだ。京一朗の位牌もそこに並んでいる。そのことに、多少ながらホッと胸を撫で下ろす。
 だが、それ以外の痕跡。東京一朗がここで生きていたという痕跡がどこにも見当たらない。何一つ残されていない。
 ――いや。

 「ホラホラ、どいておくれよ」

 ガサガサと白い半透明のゴミ袋を持って現れた節子。袋に何を詰め込む気なのか。先に気づいた吾輩は、それの上にピョンと飛び乗ると、猫らしく身を丸めてうずくまる。

 「なんや、お前。それ、気に入ったんか?」

 呆れたような声で、節子が問うた。だが、吾輩は聞く耳持たず、知らんぷり。
 無言の抵抗。せめてこれだけは。これだけは棄てられてなるものか。軽く爪を立て、そこに居座る。

 「……しゃーないねえ」

 観念した節子が、広げたゴミ袋を無造作にたたみ、台所に戻しにいった。

 ――勝った!!

 とは言わない。だが「守れた!!」という達成感はある。
 長く尻を起き続けたことで、真ん中が落ちくぼんだ座布団。手垢と汗染みで黒ずんだ布地。――京一朗が愛用していた、縁側用座布団。唯一の京一朗生存記録のような存在。
 それを、棄てられる前に死守できた。
 
 これも、捨てる気だったのか。

 達成感とともに、絶望も襲ってくる。

 節子が、これを……。

 京一朗が死んでどれだけの月日が経ったというのだ。吾輩が生まれ変わってくるまで、ほんの僅かな時間じゃないか。それで、次々と遺品を、ゆかりの品を捨てようなどと。

 胸に渦巻く感情をなんと表したらいいのかわからない。わからないまま、そのかつて自分の尻が刻んだ窪みに身を沈め目を閉じる。
 京一朗の残した匂いを嗅ぎながら。――意外と、ジジくさかったのだな。吾輩は。
 座布団からは、眠るには少々厳しい匂いがした。
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