いつかともに巡る先まで。

若松だんご

文字の大きさ
8 / 8

第八話 同行二人。

しおりを挟む
 「じゃあね、おばあちゃん。ホントに無理しちゃだめだよ」

 門扉の手前、スーツケースと共に立つ真奈美が言った。
 ここを訪れた時と似たような格好。だが、その手には一つ、レジ袋に入ったタッパーが加わる。ここに来て、節子と真奈美が漬けた梅干しの詰まったタッパー。
 あれから、節子は京都に出かけることなく、ここで大人しく真奈美と梅干しを作った。梅雨の晴れ間を利用して天日干しされた梅干しは、去年と同じように紫蘇にまみれ、赤くしわがれ、吾輩の唾を誘う。猫の身では食せないことが口惜しい。

 「わかっとる。わかっとるから、早う行き。電車に乗り遅れるで」

 見送る節子。
 梅が漬かるまでの間、真奈美と我輩で無理せぬよう監視していたおかげが、その頬にはかすかに赤みが戻ってきている。声にもハリ出て、倒れるようなことはなさそうだ。

 「いい? 今度旅行に行くときは、私も連れて行くこと」

 「はいはい」

 「一人でなんか行っちゃダメだかんね? 行きたい所があるなら、私かお父さんたちにちゃんと相談して。一緒に行ってあげるから」

 「はいはい」

 「あ、あと、あの座布団は捨てたらダメだよ? ミドリのお気に入りだからね? 忠猫ミドリのためにも、残してあげてね」

 「わかっとる、わかっとる」
 
 「……ねえ、ミドリ。アンタ、おばあちゃんが無理しないよう、ちゃんと見張っててよ?」

 節子の相槌が信用ならなかったのか。真奈美が吾輩に膝を曲げて頼みこんだ。

 ――大丈夫だ。ちゃんと吾輩が見張っておいてやる。

 言葉の代わりに、孫を見上げる。
 真奈美が同棲相手とケンカをしたのは事実だが、ここに飛び込んできたのは、別の理由があったからだと言っていた。

 ――おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんが変だって、連絡があったんだよ。

 気忙しくどこかへ出かける節子。夫というしがらみが無くなって、自由を満喫し、妻がはっちゃけるのはよくある話だが、あれはどこか少し様子がおかしいと、息子夫婦に伝えた者がいた。節子が出かける前に必ず連絡を取っていた男、斎藤だ。
 斎藤は、節子の若いそういうのではなく、スーパーに居を構える旅行代理店の社員だった。
 何度も頻繁に旅行に行きたがる節子の相談にのっていたものの、その回数の多さ、頻度の高さを気にかけていたらしい。旅行の申し込みの時、万が一のため、高齢者の方には誰か連絡のつく相手の名が欲しいとか言い繕って、息子夫婦の連絡先を聞き出し、そうして真奈美らに節子の現状を伝えてくれていた。
 その話を聞いた時、吾輩は、心の底から斎藤なる男に謝罪の念を持った。京一朗が生きていたら、あの店の店員は良いやつだ、旅行を頼むならあそこにするといいと、喧伝して回るのに。猫の身では致し方ない。
 そして、訪れてくれた真奈美にも。
 真奈美がいてくれなかったら、吾輩一人では、倒れた節子を前にオロオロするしかなかった。こうして節子が元気になったのも、真奈美のおかげだと思っている。

 「ほら、早う行かんと。遼介くんとも仲良うな」

 「うん」

 「もう、ケンカなんかするんやないで? ちゃんと話しおうて解決するんやで?」

 「わかってる」

 真奈美が笑う。

 「私、遼介と、おばあちゃんとおじいちゃんみたいな素敵な夫婦になりたいから。頑張ってみる」

 いや、吾輩たちは、そんな憧れられるような素敵な夫婦では……。
 京一朗は、夫として、とてもじゃないが褒められた男ではなかったぞ?
 そんな京一朗を真似た男が夫になったら、真奈美が苦労することになる。だから、真似なんぞしようとするな。

 「じゃあね」

 真奈美が笑って歩き出す。何度もふり返りながら歩いていく姿を、節子と並んで見送る。

 「さて、と」

 節子が言った。

 「せっかくのええ天気やし、シーツでも洗うかね。真奈美の使とった布団も干さなならんし」

 腰に手を当て、グイッと背を伸ばす節子。
 そのまま玄関からではなく、庭先、開け放たれた縁側から家に入っていく。
 節子の足の形に馴染んだピンクのサンダルが、ブロックで作った沓脱石の上に脱ぎ散らかされる。
 それを眺め、吾輩もいつもの定位置に腰を落ち着ける。
 ジジくささがわずかに抜け、代わりに節子が“ミドリ”と言った毛がまとわりつく座布団。
 かつて京一朗のだったもの。今は吾輩、ミドリのもの。京一朗が残した座布団のヘコみは、ミドリの体に程よくフィットする。

 「これでヨシ」

 洗濯機が止まり、洗い上がったシーツを節子が干した。初夏の抜けるような青空に、白いシーツが翻る。

 「遊びに来てくれるのはうれしいけど、さすがに疲れるわ」

 気にかけてわざわざ来てくれることに孫の成長を感じるが、こうやって世話を焼いてやらねばならぬところがあることに、まだまだ子供だなとも思い笑みがこぼれる。

 「やれやれ。あー、しんど」

 縁側に腰掛け、大仰に息を吐いた節子。

 「これからどうするかねえ」

 誰に問うでもなく節子がごちる。

 「旅行は……真奈美に止められてしもうたしねえ」

 当たり前だ。倒れるまで無理して旅行をするなど、吾輩でも止めるわ。あんなふうに無理しても行こうとするなら、今度は吾輩が引っ掻いてでも止めてやる。

 「仕方ないから、橘でも浸けてお酒でも作るかねえ」

 梅酒ではなく橘酒。
 庭に橘を植えたのは、その果実を使って酒を作るためだと、節子は言っていた。オレンジ色の橘の実は、酸っぱすぎて生食には向かないが、果実酒にすると程よく旨い。
 だが、まだ庭先の橘は実をつけていない。
 ようやく長雨が終わり、その白い花を咲かせ始めたばかり。白い花弁の中から、ニョキッと黄色い花芯が姿を現す。

 「――五月まつ 花橘の 香を嗅げば 昔の人の 袖の香ぞする。『古今和歌集』だよ」

 ん?と首を傾げた吾輩に、節子が語った。

 「旦那は、あの人はきっと知らへんかったやろうけどなあ。橘の実は不老不死の仙薬やとも言うんやで。時じく香く木の実。四季を通じて香る素晴らしい木の実。この実を食べると不老長寿になれるって言われてるから、橘を植えたんやけどなあ」

 実は酸っぱいから果実酒を作った。不老は無理でも、少しでも長く、共に生きられるようにと願って植えた。

 「それなのに、あの人は、『一緒はイヤや~』って先にさっさと逝ってしもうて。ホント、薄情な男さね」

 そ、そんなことはない。そんなことはないぞ。
 薄情じゃないから、猫になってまで、こうしてここにいるんだぞ。
 慌てた吾輩の背に、節子の手が下りてくる。

 「フフッ、あんな薄情者のことは置いといて。今はゆっくりこの世を楽しもうかねえ」

 しわがれ、節くれだった手が、吾輩のミドリ髪、ミドリ毛を撫でる。

 「あっちこっちいろんな所に行って。美味しいもんを食べて。ゆっくりのんびりして。あの人が知らんようなことをいっぱい覚えて。それからあの世で会うことにするよ」

 そうだ。それがいい。のんびり腹いっぱい、たらふく味わって、それからゆっくりこっちへ来い。
 人生五十年ではないが、節子の寿命はまだまだあるだろう? 女は男よりも何年も寿命が長いと聞く。あと五年か十年か。はたまた二十年か、三十年か。
 その寿命が尽きるまで、吾輩はこうしてお前のそばにいてやる。なあに、猫の寿命もお前の余命とよく似た時間だろう。次に巡るは、共連れになれるよう、ずっとそばにいてやる。猫で足りなくなったら、もう一回ネズミにでも巡って帳尻を合わせ、最期までそばにいてやる。
 せいぜいその寿命が尽きるまで、ゆっくりゆっくり牛歩で参れ。そしたら、あの世でお前の話をいっぱいいっぱい聴いてやる。
 お前はタップリ橘酒でも飲んで長生きしろ。話の種をたくさん作ってこい。それまで吾輩は、こうしてそばでお前のやること見届けてやるからの。

 初夏の日ざしを浴び、庭にたちこめる橘の香り。
 撫でられる心地よさ。
 吾輩は、一言だけ「ニャー」と鳴いた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

泣きたいくらい幸せよ アインリヒside

仏白目
恋愛
泣きたいくらい幸せよ アインリヒside 婚約者の妹、彼女に初めて会った日は季節外れの雪の降る寒い日だった  国と国の繋がりを作る為に、前王の私の父が結んだ婚約、その父が2年前に崩御して今では私が国王になっている その婚約者が、私に会いに我が国にやってくる  *作者ご都合主義の世界観でのフィクションです

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

妻が通う邸の中に

月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、 結婚初日から気づいていた。 夫は優しい。 礼儀正しく、決して冷たくはない。 けれど──どこか遠い。 夜会で向けられる微笑みの奥には、 亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。 社交界は囁く。 「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」 「後妻は所詮、影の夫人よ」 その言葉に胸が痛む。 けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。 ──これは政略婚。 愛を求めてはいけない、と。 そんなある日、彼女はカルロスの書斎で “あり得ない手紙”を見つけてしまう。 『愛しいカルロスへ。  私は必ずあなたのもとへ戻るわ。          エリザベラ』 ……前妻は、本当に死んだのだろうか? 噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。 揺れ動く心のまま、シャルロットは “ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。 しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、 カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。 「影なんて、最初からいない。  見ていたのは……ずっと君だけだった」 消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫── すべての謎が解けたとき、 影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。 切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。 愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる

処理中です...