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第七話 時じく香く木の実。
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「過労やね」
白衣に黒カバン。撫でつけた薄い髪に分厚い黒縁メガネ。見知った顔である、近所の医者が、診察を終えて言った。
「なんや猫が大騒ぎして飛び込んできたと思ったら。東さん、倒れたんやな」
「すみません、急にお呼び立てして」
座敷に敷かれた布団の上。横たわったままの節子が謝った。
「ええよ。えらいビックリしたけど。忠義者の猫やな。倒れた主人のために駆けつけるって、そういうのは犬の役目やと思とったわ。忠犬ならぬ忠猫なんて、ホント、珍しい」
カラカラと笑う医者。
近所の病院に駆け込んだ吾輩。そのまま医者の白衣に飛びつき、引きずってでも連れて行き、倒れた節子の診療に当たらせようと必死に食いつき、袖にぶら下がった。
家に戻ったのは、「医者を引きずって」ではなく、「医者に引っつかまれて」だったけれど。それでも、当初の目的は果たせた。
「まあ、旦那さんが亡くなっていろいろ疲れてるやろうし。無理をしたらあかん」
医者が節子を諭す。
「それでなくてもこの季節や。気候の変化で体調を崩しやすいから、気ぃつけなあかんで。せっかく孫さんが来とるんやから、無理せずに頼らな」
「はい」
神妙な顔で、医者の言うことを聞く節子。しかし。
「先生、明後日から京都に行こう思てるんですけど、これじゃ無理かいね」
「京都ぉ?」
聞いた医者の声がひっくり返った。
「おばあちゃん、まだ京都に行くつもりだったの?」
真奈美も驚く。
当たり前だ。こんな倒れるまでになっているのに、それでも京都に行こうとするのだから。驚きを通り越して呆れるしかない。
「あかんに決まっとるやろ、東さん。無理したら元も子もないで」
医者も止めに入る。
「なあ、少し訊くけど、なんでそんな京都に行きたがるんや?」
が、こちらは少し冷静に戻って、声のトーンを落とし、居住まいを正した。聴聞は、医者の仕事の一環でもある。
「旦那さんの供養かなんかか? 旦那さんを偲んで京都に参りに行きたいんか?」
京都といえば寺社仏閣。日本で一番社寺の集まる場所だろう。
そこになんとしても行きたいと言うのは、そういうことなのか。亡くなった京一朗を弔うために、阿弥陀様にでも参りに行くのか。
「いえ、違います。お寺なんかに興味はありません」
じゃあなんで?
「あの人は、ぶっきらぼうでいばりんぼでしたが、ええ人でした。だから、そんなことせえへんでも、ちゃんと極楽往生してます」
すまん、節子。極楽往生どころか、ここでお前の告白を聞いている。
「じゃあ、なんで? なんでそんなに出かけたがるんや?」
「早うに死んだあの人に代わって、この世のすべてを見ておこうと思ったんです。あの人が好きやったものを全部見て、覚えて。いっぱい味わってそれからお迎えが来たらええなって。あの人が見たがとった、坂本龍馬縁の地。それをあたしが見て覚えて。そしたら、あっちに行った時、あの人にこんなんやったよって話してあげられるやないですか」
高知に鹿児島、長崎、そして京都。もしかしたら、この先は東京、広島と続いてたのかもしれない。
それらすべて、坂本龍馬につながる縁の地。
なぜ、そこまで頻繁に、なぜ好きでもない地に出かけていたのか。疑問に対する答えが、パズルのピースのようにパチパチとハマっていく。
節子は、いつかあの世で再会するであろう吾輩のために、方方へ出かけていたのだ。先に死んでしまった吾輩に、それらの地のことを語って聞かせるために。
そう……、だったのか。
「それにねえ、先生。あの人もおらへんこの家で、自分のために何かする気にはならんのよ。梅干しだってなんだって、『旨い』とすら言ってくれへんでもちゃんと食べてくれるあの人がおらへんかったら、作り甲斐ってもんがあらへんのよ」
京一朗は、「旨い」という評価も、「ありがとう」という感謝も言わない男だった。味もわからないくせに、通ぶって、出汁にこだわるような文句だけは一丁前。そういう男だった。
「ねえ、おばあちゃん。そんなにおじいちゃんのこと大事に思ってたのなら、どうして、おじいちゃんのものを捨てたりしたの?」
そうだ。
そこまで京一朗のことを偲んでくれていたのなら何故。
その答えが聞きたくて、身を乗り出す。
「遺品なんか見てたら思い出してしもて、悲しくなるやないの」
深い息とともに、節子が吐き出すように言った。
「じいちゃんの使こてた灰皿のガンガンとか、座布団とか。見たら、もう使こてもらえへんのやなって、悲しなる。写真なんて、撮った時のことを思い出して胸が苦しくなる」
吾輩が、台所に立つ節子の姿を思い浮かべるように。たくさんの洗濯物が翻る庭を思い浮かべるように。在りし日の記憶に今を重ね、辛くなるのだろう。
吾輩が思い浮かべる節子の記憶は、時折今でも節子によって再現されるが、節子が思い浮かべる京一朗の姿は、二度と再現されることはない。
「それにな、思い出の品を遺しておいたところで、あたしまで死んだらただのゴミや。死んだら、この体もこの世に置いてかなあかんのやで。せやったら、アンタらに迷惑かけんように、ちゃんと片付けておいたほうがええやろ? 体はどうにもならんけど、物はどうにでもできるからなあ。生前整理や」
フフフッと節子が笑った。
「それでも、無理はしたらあかん。アンタがそんな生き急ぐようなことしてたら、あの世で京一朗が怒るで。早う来すぎやって」
黙って話を聞いていた医者が、吾輩の気持ちを代弁するように言った。
あの世で吾輩に話すことを詰め込む節子。
その気持ちはうれしいが、だからって、無理をされてうれしいわけがない。
お前は、もっとゆっくりと、のんびりたっぷりこの世を見てこい。
吾輩は、坂本龍馬だけじゃなく、真田幸村も、伊達政宗も、西郷隆盛も、土方歳三も大好きや。吾輩のことを思うなら、彼らの縁の地もいっぱいいっぱい辿ってこい。
この世の思い出をいっぱいいっぱい覚えて、味わって。それからゆっくりあの世へ来い。
ついでに。真奈美と遼介とかいう男の間に生まれるかもしれん曾孫も見てこい。ソイツが真奈美を泣かせるようなことがあったら、吾輩に代わって一発殴ってこい。
白衣に黒カバン。撫でつけた薄い髪に分厚い黒縁メガネ。見知った顔である、近所の医者が、診察を終えて言った。
「なんや猫が大騒ぎして飛び込んできたと思ったら。東さん、倒れたんやな」
「すみません、急にお呼び立てして」
座敷に敷かれた布団の上。横たわったままの節子が謝った。
「ええよ。えらいビックリしたけど。忠義者の猫やな。倒れた主人のために駆けつけるって、そういうのは犬の役目やと思とったわ。忠犬ならぬ忠猫なんて、ホント、珍しい」
カラカラと笑う医者。
近所の病院に駆け込んだ吾輩。そのまま医者の白衣に飛びつき、引きずってでも連れて行き、倒れた節子の診療に当たらせようと必死に食いつき、袖にぶら下がった。
家に戻ったのは、「医者を引きずって」ではなく、「医者に引っつかまれて」だったけれど。それでも、当初の目的は果たせた。
「まあ、旦那さんが亡くなっていろいろ疲れてるやろうし。無理をしたらあかん」
医者が節子を諭す。
「それでなくてもこの季節や。気候の変化で体調を崩しやすいから、気ぃつけなあかんで。せっかく孫さんが来とるんやから、無理せずに頼らな」
「はい」
神妙な顔で、医者の言うことを聞く節子。しかし。
「先生、明後日から京都に行こう思てるんですけど、これじゃ無理かいね」
「京都ぉ?」
聞いた医者の声がひっくり返った。
「おばあちゃん、まだ京都に行くつもりだったの?」
真奈美も驚く。
当たり前だ。こんな倒れるまでになっているのに、それでも京都に行こうとするのだから。驚きを通り越して呆れるしかない。
「あかんに決まっとるやろ、東さん。無理したら元も子もないで」
医者も止めに入る。
「なあ、少し訊くけど、なんでそんな京都に行きたがるんや?」
が、こちらは少し冷静に戻って、声のトーンを落とし、居住まいを正した。聴聞は、医者の仕事の一環でもある。
「旦那さんの供養かなんかか? 旦那さんを偲んで京都に参りに行きたいんか?」
京都といえば寺社仏閣。日本で一番社寺の集まる場所だろう。
そこになんとしても行きたいと言うのは、そういうことなのか。亡くなった京一朗を弔うために、阿弥陀様にでも参りに行くのか。
「いえ、違います。お寺なんかに興味はありません」
じゃあなんで?
「あの人は、ぶっきらぼうでいばりんぼでしたが、ええ人でした。だから、そんなことせえへんでも、ちゃんと極楽往生してます」
すまん、節子。極楽往生どころか、ここでお前の告白を聞いている。
「じゃあ、なんで? なんでそんなに出かけたがるんや?」
「早うに死んだあの人に代わって、この世のすべてを見ておこうと思ったんです。あの人が好きやったものを全部見て、覚えて。いっぱい味わってそれからお迎えが来たらええなって。あの人が見たがとった、坂本龍馬縁の地。それをあたしが見て覚えて。そしたら、あっちに行った時、あの人にこんなんやったよって話してあげられるやないですか」
高知に鹿児島、長崎、そして京都。もしかしたら、この先は東京、広島と続いてたのかもしれない。
それらすべて、坂本龍馬につながる縁の地。
なぜ、そこまで頻繁に、なぜ好きでもない地に出かけていたのか。疑問に対する答えが、パズルのピースのようにパチパチとハマっていく。
節子は、いつかあの世で再会するであろう吾輩のために、方方へ出かけていたのだ。先に死んでしまった吾輩に、それらの地のことを語って聞かせるために。
そう……、だったのか。
「それにねえ、先生。あの人もおらへんこの家で、自分のために何かする気にはならんのよ。梅干しだってなんだって、『旨い』とすら言ってくれへんでもちゃんと食べてくれるあの人がおらへんかったら、作り甲斐ってもんがあらへんのよ」
京一朗は、「旨い」という評価も、「ありがとう」という感謝も言わない男だった。味もわからないくせに、通ぶって、出汁にこだわるような文句だけは一丁前。そういう男だった。
「ねえ、おばあちゃん。そんなにおじいちゃんのこと大事に思ってたのなら、どうして、おじいちゃんのものを捨てたりしたの?」
そうだ。
そこまで京一朗のことを偲んでくれていたのなら何故。
その答えが聞きたくて、身を乗り出す。
「遺品なんか見てたら思い出してしもて、悲しくなるやないの」
深い息とともに、節子が吐き出すように言った。
「じいちゃんの使こてた灰皿のガンガンとか、座布団とか。見たら、もう使こてもらえへんのやなって、悲しなる。写真なんて、撮った時のことを思い出して胸が苦しくなる」
吾輩が、台所に立つ節子の姿を思い浮かべるように。たくさんの洗濯物が翻る庭を思い浮かべるように。在りし日の記憶に今を重ね、辛くなるのだろう。
吾輩が思い浮かべる節子の記憶は、時折今でも節子によって再現されるが、節子が思い浮かべる京一朗の姿は、二度と再現されることはない。
「それにな、思い出の品を遺しておいたところで、あたしまで死んだらただのゴミや。死んだら、この体もこの世に置いてかなあかんのやで。せやったら、アンタらに迷惑かけんように、ちゃんと片付けておいたほうがええやろ? 体はどうにもならんけど、物はどうにでもできるからなあ。生前整理や」
フフフッと節子が笑った。
「それでも、無理はしたらあかん。アンタがそんな生き急ぐようなことしてたら、あの世で京一朗が怒るで。早う来すぎやって」
黙って話を聞いていた医者が、吾輩の気持ちを代弁するように言った。
あの世で吾輩に話すことを詰め込む節子。
その気持ちはうれしいが、だからって、無理をされてうれしいわけがない。
お前は、もっとゆっくりと、のんびりたっぷりこの世を見てこい。
吾輩は、坂本龍馬だけじゃなく、真田幸村も、伊達政宗も、西郷隆盛も、土方歳三も大好きや。吾輩のことを思うなら、彼らの縁の地もいっぱいいっぱい辿ってこい。
この世の思い出をいっぱいいっぱい覚えて、味わって。それからゆっくりあの世へ来い。
ついでに。真奈美と遼介とかいう男の間に生まれるかもしれん曾孫も見てこい。ソイツが真奈美を泣かせるようなことがあったら、吾輩に代わって一発殴ってこい。
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