7 / 8
第七話 時じく香く木の実。
しおりを挟む
「過労やね」
白衣に黒カバン。撫でつけた薄い髪に分厚い黒縁メガネ。見知った顔である、近所の医者が、診察を終えて言った。
「なんや猫が大騒ぎして飛び込んできたと思ったら。東さん、倒れたんやな」
「すみません、急にお呼び立てして」
座敷に敷かれた布団の上。横たわったままの節子が謝った。
「ええよ。えらいビックリしたけど。忠義者の猫やな。倒れた主人のために駆けつけるって、そういうのは犬の役目やと思とったわ。忠犬ならぬ忠猫なんて、ホント、珍しい」
カラカラと笑う医者。
近所の病院に駆け込んだ吾輩。そのまま医者の白衣に飛びつき、引きずってでも連れて行き、倒れた節子の診療に当たらせようと必死に食いつき、袖にぶら下がった。
家に戻ったのは、「医者を引きずって」ではなく、「医者に引っつかまれて」だったけれど。それでも、当初の目的は果たせた。
「まあ、旦那さんが亡くなっていろいろ疲れてるやろうし。無理をしたらあかん」
医者が節子を諭す。
「それでなくてもこの季節や。気候の変化で体調を崩しやすいから、気ぃつけなあかんで。せっかく孫さんが来とるんやから、無理せずに頼らな」
「はい」
神妙な顔で、医者の言うことを聞く節子。しかし。
「先生、明後日から京都に行こう思てるんですけど、これじゃ無理かいね」
「京都ぉ?」
聞いた医者の声がひっくり返った。
「おばあちゃん、まだ京都に行くつもりだったの?」
真奈美も驚く。
当たり前だ。こんな倒れるまでになっているのに、それでも京都に行こうとするのだから。驚きを通り越して呆れるしかない。
「あかんに決まっとるやろ、東さん。無理したら元も子もないで」
医者も止めに入る。
「なあ、少し訊くけど、なんでそんな京都に行きたがるんや?」
が、こちらは少し冷静に戻って、声のトーンを落とし、居住まいを正した。聴聞は、医者の仕事の一環でもある。
「旦那さんの供養かなんかか? 旦那さんを偲んで京都に参りに行きたいんか?」
京都といえば寺社仏閣。日本で一番社寺の集まる場所だろう。
そこになんとしても行きたいと言うのは、そういうことなのか。亡くなった京一朗を弔うために、阿弥陀様にでも参りに行くのか。
「いえ、違います。お寺なんかに興味はありません」
じゃあなんで?
「あの人は、ぶっきらぼうでいばりんぼでしたが、ええ人でした。だから、そんなことせえへんでも、ちゃんと極楽往生してます」
すまん、節子。極楽往生どころか、ここでお前の告白を聞いている。
「じゃあ、なんで? なんでそんなに出かけたがるんや?」
「早うに死んだあの人に代わって、この世のすべてを見ておこうと思ったんです。あの人が好きやったものを全部見て、覚えて。いっぱい味わってそれからお迎えが来たらええなって。あの人が見たがとった、坂本龍馬縁の地。それをあたしが見て覚えて。そしたら、あっちに行った時、あの人にこんなんやったよって話してあげられるやないですか」
高知に鹿児島、長崎、そして京都。もしかしたら、この先は東京、広島と続いてたのかもしれない。
それらすべて、坂本龍馬につながる縁の地。
なぜ、そこまで頻繁に、なぜ好きでもない地に出かけていたのか。疑問に対する答えが、パズルのピースのようにパチパチとハマっていく。
節子は、いつかあの世で再会するであろう吾輩のために、方方へ出かけていたのだ。先に死んでしまった吾輩に、それらの地のことを語って聞かせるために。
そう……、だったのか。
「それにねえ、先生。あの人もおらへんこの家で、自分のために何かする気にはならんのよ。梅干しだってなんだって、『旨い』とすら言ってくれへんでもちゃんと食べてくれるあの人がおらへんかったら、作り甲斐ってもんがあらへんのよ」
京一朗は、「旨い」という評価も、「ありがとう」という感謝も言わない男だった。味もわからないくせに、通ぶって、出汁にこだわるような文句だけは一丁前。そういう男だった。
「ねえ、おばあちゃん。そんなにおじいちゃんのこと大事に思ってたのなら、どうして、おじいちゃんのものを捨てたりしたの?」
そうだ。
そこまで京一朗のことを偲んでくれていたのなら何故。
その答えが聞きたくて、身を乗り出す。
「遺品なんか見てたら思い出してしもて、悲しくなるやないの」
深い息とともに、節子が吐き出すように言った。
「じいちゃんの使こてた灰皿のガンガンとか、座布団とか。見たら、もう使こてもらえへんのやなって、悲しなる。写真なんて、撮った時のことを思い出して胸が苦しくなる」
吾輩が、台所に立つ節子の姿を思い浮かべるように。たくさんの洗濯物が翻る庭を思い浮かべるように。在りし日の記憶に今を重ね、辛くなるのだろう。
吾輩が思い浮かべる節子の記憶は、時折今でも節子によって再現されるが、節子が思い浮かべる京一朗の姿は、二度と再現されることはない。
「それにな、思い出の品を遺しておいたところで、あたしまで死んだらただのゴミや。死んだら、この体もこの世に置いてかなあかんのやで。せやったら、アンタらに迷惑かけんように、ちゃんと片付けておいたほうがええやろ? 体はどうにもならんけど、物はどうにでもできるからなあ。生前整理や」
フフフッと節子が笑った。
「それでも、無理はしたらあかん。アンタがそんな生き急ぐようなことしてたら、あの世で京一朗が怒るで。早う来すぎやって」
黙って話を聞いていた医者が、吾輩の気持ちを代弁するように言った。
あの世で吾輩に話すことを詰め込む節子。
その気持ちはうれしいが、だからって、無理をされてうれしいわけがない。
お前は、もっとゆっくりと、のんびりたっぷりこの世を見てこい。
吾輩は、坂本龍馬だけじゃなく、真田幸村も、伊達政宗も、西郷隆盛も、土方歳三も大好きや。吾輩のことを思うなら、彼らの縁の地もいっぱいいっぱい辿ってこい。
この世の思い出をいっぱいいっぱい覚えて、味わって。それからゆっくりあの世へ来い。
ついでに。真奈美と遼介とかいう男の間に生まれるかもしれん曾孫も見てこい。ソイツが真奈美を泣かせるようなことがあったら、吾輩に代わって一発殴ってこい。
白衣に黒カバン。撫でつけた薄い髪に分厚い黒縁メガネ。見知った顔である、近所の医者が、診察を終えて言った。
「なんや猫が大騒ぎして飛び込んできたと思ったら。東さん、倒れたんやな」
「すみません、急にお呼び立てして」
座敷に敷かれた布団の上。横たわったままの節子が謝った。
「ええよ。えらいビックリしたけど。忠義者の猫やな。倒れた主人のために駆けつけるって、そういうのは犬の役目やと思とったわ。忠犬ならぬ忠猫なんて、ホント、珍しい」
カラカラと笑う医者。
近所の病院に駆け込んだ吾輩。そのまま医者の白衣に飛びつき、引きずってでも連れて行き、倒れた節子の診療に当たらせようと必死に食いつき、袖にぶら下がった。
家に戻ったのは、「医者を引きずって」ではなく、「医者に引っつかまれて」だったけれど。それでも、当初の目的は果たせた。
「まあ、旦那さんが亡くなっていろいろ疲れてるやろうし。無理をしたらあかん」
医者が節子を諭す。
「それでなくてもこの季節や。気候の変化で体調を崩しやすいから、気ぃつけなあかんで。せっかく孫さんが来とるんやから、無理せずに頼らな」
「はい」
神妙な顔で、医者の言うことを聞く節子。しかし。
「先生、明後日から京都に行こう思てるんですけど、これじゃ無理かいね」
「京都ぉ?」
聞いた医者の声がひっくり返った。
「おばあちゃん、まだ京都に行くつもりだったの?」
真奈美も驚く。
当たり前だ。こんな倒れるまでになっているのに、それでも京都に行こうとするのだから。驚きを通り越して呆れるしかない。
「あかんに決まっとるやろ、東さん。無理したら元も子もないで」
医者も止めに入る。
「なあ、少し訊くけど、なんでそんな京都に行きたがるんや?」
が、こちらは少し冷静に戻って、声のトーンを落とし、居住まいを正した。聴聞は、医者の仕事の一環でもある。
「旦那さんの供養かなんかか? 旦那さんを偲んで京都に参りに行きたいんか?」
京都といえば寺社仏閣。日本で一番社寺の集まる場所だろう。
そこになんとしても行きたいと言うのは、そういうことなのか。亡くなった京一朗を弔うために、阿弥陀様にでも参りに行くのか。
「いえ、違います。お寺なんかに興味はありません」
じゃあなんで?
「あの人は、ぶっきらぼうでいばりんぼでしたが、ええ人でした。だから、そんなことせえへんでも、ちゃんと極楽往生してます」
すまん、節子。極楽往生どころか、ここでお前の告白を聞いている。
「じゃあ、なんで? なんでそんなに出かけたがるんや?」
「早うに死んだあの人に代わって、この世のすべてを見ておこうと思ったんです。あの人が好きやったものを全部見て、覚えて。いっぱい味わってそれからお迎えが来たらええなって。あの人が見たがとった、坂本龍馬縁の地。それをあたしが見て覚えて。そしたら、あっちに行った時、あの人にこんなんやったよって話してあげられるやないですか」
高知に鹿児島、長崎、そして京都。もしかしたら、この先は東京、広島と続いてたのかもしれない。
それらすべて、坂本龍馬につながる縁の地。
なぜ、そこまで頻繁に、なぜ好きでもない地に出かけていたのか。疑問に対する答えが、パズルのピースのようにパチパチとハマっていく。
節子は、いつかあの世で再会するであろう吾輩のために、方方へ出かけていたのだ。先に死んでしまった吾輩に、それらの地のことを語って聞かせるために。
そう……、だったのか。
「それにねえ、先生。あの人もおらへんこの家で、自分のために何かする気にはならんのよ。梅干しだってなんだって、『旨い』とすら言ってくれへんでもちゃんと食べてくれるあの人がおらへんかったら、作り甲斐ってもんがあらへんのよ」
京一朗は、「旨い」という評価も、「ありがとう」という感謝も言わない男だった。味もわからないくせに、通ぶって、出汁にこだわるような文句だけは一丁前。そういう男だった。
「ねえ、おばあちゃん。そんなにおじいちゃんのこと大事に思ってたのなら、どうして、おじいちゃんのものを捨てたりしたの?」
そうだ。
そこまで京一朗のことを偲んでくれていたのなら何故。
その答えが聞きたくて、身を乗り出す。
「遺品なんか見てたら思い出してしもて、悲しくなるやないの」
深い息とともに、節子が吐き出すように言った。
「じいちゃんの使こてた灰皿のガンガンとか、座布団とか。見たら、もう使こてもらえへんのやなって、悲しなる。写真なんて、撮った時のことを思い出して胸が苦しくなる」
吾輩が、台所に立つ節子の姿を思い浮かべるように。たくさんの洗濯物が翻る庭を思い浮かべるように。在りし日の記憶に今を重ね、辛くなるのだろう。
吾輩が思い浮かべる節子の記憶は、時折今でも節子によって再現されるが、節子が思い浮かべる京一朗の姿は、二度と再現されることはない。
「それにな、思い出の品を遺しておいたところで、あたしまで死んだらただのゴミや。死んだら、この体もこの世に置いてかなあかんのやで。せやったら、アンタらに迷惑かけんように、ちゃんと片付けておいたほうがええやろ? 体はどうにもならんけど、物はどうにでもできるからなあ。生前整理や」
フフフッと節子が笑った。
「それでも、無理はしたらあかん。アンタがそんな生き急ぐようなことしてたら、あの世で京一朗が怒るで。早う来すぎやって」
黙って話を聞いていた医者が、吾輩の気持ちを代弁するように言った。
あの世で吾輩に話すことを詰め込む節子。
その気持ちはうれしいが、だからって、無理をされてうれしいわけがない。
お前は、もっとゆっくりと、のんびりたっぷりこの世を見てこい。
吾輩は、坂本龍馬だけじゃなく、真田幸村も、伊達政宗も、西郷隆盛も、土方歳三も大好きや。吾輩のことを思うなら、彼らの縁の地もいっぱいいっぱい辿ってこい。
この世の思い出をいっぱいいっぱい覚えて、味わって。それからゆっくりあの世へ来い。
ついでに。真奈美と遼介とかいう男の間に生まれるかもしれん曾孫も見てこい。ソイツが真奈美を泣かせるようなことがあったら、吾輩に代わって一発殴ってこい。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる