35 / 71
騒ぎの中心にいるのは1
しおりを挟む
今日はカフェのバイト。
バーの喧騒とは違って、落ち着いた時間を過ごせる――そう思っていた。
「吉川くん!来てもらったばかりで悪いけど、厨房お願い!提供が全然追いついてないの!」
裏口から入ったせいで気づかなかったが、表に出た瞬間、店長の鋭い声に呼び止められる。視線をやれば、店内は満席。さらに外にはずらりと行列。そのほとんどが女性客だ。
……なんだ、この状況。
厨房に入れば、伝票はひっきりなしに流れ込んでくる。慣れた手つきでエスプレッソを落とし、ラテを仕上げていると、ホールのスタッフたちのひそひそ声が耳に届いた。
「ねえ、やっぱりそうだよね?今SNSで話題の“イケメン”……」
「うん。外に並んでる子たち、みんなそれ目当てだって」
……イケメン?
眉がわずかに動く。そしてすぐに思い当たった。俺の出勤時間に合わせるように、必ず現れるあの男。
人気がないわけじゃなかったが、満席になるほどではなかったカフェ。ここまでの変化の理由があるとすれば、グリーンが最近常連になっていること以外に心当たりはない。
確かに、顔がいいのは認める。目立つ顔立ちだし、SNSに写真の一枚や二枚流れても不思議じゃない。
だとすると、面倒ごとしか運んでこない奴だな…。
次々と押し寄せる伝票に、思わずため息がこぼれる。ミルクを温め、エスプレッソを落とし、次の注文へ。ただひたすら、手を止めず流れ作業に集中するしかなかった。
やがて、ホールから妙なざわめきが広がった。最初は小さなさざ波のようだったそれが、あっという間に店全体を呑み込み、スタッフの声すらかき消していく。
(……行列がさらに増えたのか?)
気になって顔を上げかけたが、伝票の山に意識を引き戻される。カップを並べ、コーヒーを注ぎ、ラテアートを描き――押し寄せる注文をひたすらさばいていく。ただ仕事を回すだけで精一杯で、周囲の騒ぎを気にしている余裕などなかった。
――どれほど時間が経っただろう。
ようやく伝票の山が落ち着きを見せ始めた、そのとき。
「吉川くん、ごめん。厨房はひと段落したから、今度はホールのフォローお願い!」
店長の声にうながされ、皿をトレーに乗せて客席へと足を踏み出す。ざわめきは収まらず、むしろ熱を帯びているようにさえ思えた。だがそれを深く考える間もなく、伝票を確かめながら客席へと向かう。
「お待たせしました――ホットコーヒーです」
そう言いながらコーヒーを置いた瞬間、ふと視線がぶつかった。
「……トオルさん」
穏やかに呼ばれた名に、思わず手が止まる。顔を上げれば――やはり、そこにいたのはグリーンだった。白いシャツの襟をきちんと正し、周囲に溶け込むように静かに座っている。
「お疲れさまです。……まさかトオルさんに運んでいただけるなんて、得をした気分ですね」
にこやかな調子。だがその声音は、俺にだけ絡みつくように甘い。
――よりによって、この席がこいつかよ。
「今日はずいぶん賑わっていますね」
「……おかげさまでな」
お前のせいだろ、と視線で訴える。すぐにグリーンがそれを察し、楽しげに目を細めた。
「それは……どうでしょう」
グリーンは柔らかな笑みを浮かべ、声を潜める。
「私はあくまで“きっかけ”にすぎないですよ。……でも、トオルさんがそのことに気づかないでいてくれるのは、私にとって都合がいいですけど」
その声音は柔らかく耳に落ちるのに、妙に肌へ絡みつくような熱を含んでいた。
穏やかな微笑を崩さぬまま、グリーンはカップを持ち上げる。
一口、静かにコーヒーを含んでからソーサーに戻し、まるで労わるような調子で言葉を重ねた。
「ただ……トオルさんの仕事の負担が増えるのは、本意ではありません。この一杯を飲んだら、今日は退店しますね」
さらりとした口調。だが、その眼差しだけは俺を逃さない。
次の瞬間、グリーンに腕を引かれ、強引に前屈みの姿勢にさせられる。顔がすぐ横に迫り、吐息が触れるほどの距離で――。
「たしか、終わりが17時でしたよね。――また、帰りに迎えに来ます」
耳元に落とされた声に、肩がわずかに強張る。
吐息がかかるほどの距離で告げられた言葉に、反射的に口をついた。
「……勝手にしろ」
腕を振り解き、即座に距離を取る。だが、驚きはもうない。シフトも行動も把握されすぎるのは、すでに日常。
どうせ何を言っても聞きやしないし、特に自分に大きな影響があるわけでもないので、好きにさせておけばいい。
グリーンの席から離れながら、思わずちらりと視線を向ける。その瞬間、俺と目が合ったグリーンは、ゆっくりとカップを持ち上げる。指先で縁をなぞりながら、視線を外さない。そして――口元に浮かんだのは、誰もが息を呑むほど柔らかく、甘い笑みだった。
その瞬間、店内の空気が一気に跳ね上がった。
「やだ……今、笑った……!」
「もし目が合ったら死ねる破壊力……!」
「え、ちょっと待って……そばにいるのは“噂の店員”じゃない!?」
「ほんとにいたんだ……!しかも今日拝めるなんて……!」
歓声めいた声が次々と弾け、ホールはライブ会場さながらの熱気に包まれていく。
その視線も熱狂も、他人事と思っている俺には全く届いていなかった。皿を運び、伝票を確かめ、ただ次のテーブルへ歩を進める。が。
「……吉川くん!」
不意に、店長が小走りで近づいてくる。焦りをにじませた顔で、声を潜めた。
「ごめん、やっぱりホールはいいから……厨房に戻ってもらえる?」
「……?分かりました」
小さく首を傾げながらも、気にした様子もなく頷くトオル。皿を下げ終えると、何事もなかったかのように再び厨房へ姿を消した。
――扉を閉め、ミルクピッチャーを手に取る。その時、外からかすかなざわめきが耳に届いた。
(……静かに働きてぇなぁ)
視線を手元へ戻し、蒸気の音に耳を澄ませる。ただ黙々と作業に集中していった。
次のバイト先を真剣に探そうか――そんな考えが、ふと頭をよぎっていた。
一方その頃、ホールには熱気を帯びたざわめきが渦巻き続けていた。店長は、その中心である二人を横目に見やり、小さくため息をこぼす。
「……吉川くん。仕事は完璧なのに、自分も騒ぎの元だって、全然気づいてないのかなぁ」
SNSでこの店が話題になったのは、わずか三日前。そして、その三日間の売り上げは――開店以来、最高記録を叩き出していた。
もちろん、その事実を本人は知る由もなかった。
バーの喧騒とは違って、落ち着いた時間を過ごせる――そう思っていた。
「吉川くん!来てもらったばかりで悪いけど、厨房お願い!提供が全然追いついてないの!」
裏口から入ったせいで気づかなかったが、表に出た瞬間、店長の鋭い声に呼び止められる。視線をやれば、店内は満席。さらに外にはずらりと行列。そのほとんどが女性客だ。
……なんだ、この状況。
厨房に入れば、伝票はひっきりなしに流れ込んでくる。慣れた手つきでエスプレッソを落とし、ラテを仕上げていると、ホールのスタッフたちのひそひそ声が耳に届いた。
「ねえ、やっぱりそうだよね?今SNSで話題の“イケメン”……」
「うん。外に並んでる子たち、みんなそれ目当てだって」
……イケメン?
眉がわずかに動く。そしてすぐに思い当たった。俺の出勤時間に合わせるように、必ず現れるあの男。
人気がないわけじゃなかったが、満席になるほどではなかったカフェ。ここまでの変化の理由があるとすれば、グリーンが最近常連になっていること以外に心当たりはない。
確かに、顔がいいのは認める。目立つ顔立ちだし、SNSに写真の一枚や二枚流れても不思議じゃない。
だとすると、面倒ごとしか運んでこない奴だな…。
次々と押し寄せる伝票に、思わずため息がこぼれる。ミルクを温め、エスプレッソを落とし、次の注文へ。ただひたすら、手を止めず流れ作業に集中するしかなかった。
やがて、ホールから妙なざわめきが広がった。最初は小さなさざ波のようだったそれが、あっという間に店全体を呑み込み、スタッフの声すらかき消していく。
(……行列がさらに増えたのか?)
気になって顔を上げかけたが、伝票の山に意識を引き戻される。カップを並べ、コーヒーを注ぎ、ラテアートを描き――押し寄せる注文をひたすらさばいていく。ただ仕事を回すだけで精一杯で、周囲の騒ぎを気にしている余裕などなかった。
――どれほど時間が経っただろう。
ようやく伝票の山が落ち着きを見せ始めた、そのとき。
「吉川くん、ごめん。厨房はひと段落したから、今度はホールのフォローお願い!」
店長の声にうながされ、皿をトレーに乗せて客席へと足を踏み出す。ざわめきは収まらず、むしろ熱を帯びているようにさえ思えた。だがそれを深く考える間もなく、伝票を確かめながら客席へと向かう。
「お待たせしました――ホットコーヒーです」
そう言いながらコーヒーを置いた瞬間、ふと視線がぶつかった。
「……トオルさん」
穏やかに呼ばれた名に、思わず手が止まる。顔を上げれば――やはり、そこにいたのはグリーンだった。白いシャツの襟をきちんと正し、周囲に溶け込むように静かに座っている。
「お疲れさまです。……まさかトオルさんに運んでいただけるなんて、得をした気分ですね」
にこやかな調子。だがその声音は、俺にだけ絡みつくように甘い。
――よりによって、この席がこいつかよ。
「今日はずいぶん賑わっていますね」
「……おかげさまでな」
お前のせいだろ、と視線で訴える。すぐにグリーンがそれを察し、楽しげに目を細めた。
「それは……どうでしょう」
グリーンは柔らかな笑みを浮かべ、声を潜める。
「私はあくまで“きっかけ”にすぎないですよ。……でも、トオルさんがそのことに気づかないでいてくれるのは、私にとって都合がいいですけど」
その声音は柔らかく耳に落ちるのに、妙に肌へ絡みつくような熱を含んでいた。
穏やかな微笑を崩さぬまま、グリーンはカップを持ち上げる。
一口、静かにコーヒーを含んでからソーサーに戻し、まるで労わるような調子で言葉を重ねた。
「ただ……トオルさんの仕事の負担が増えるのは、本意ではありません。この一杯を飲んだら、今日は退店しますね」
さらりとした口調。だが、その眼差しだけは俺を逃さない。
次の瞬間、グリーンに腕を引かれ、強引に前屈みの姿勢にさせられる。顔がすぐ横に迫り、吐息が触れるほどの距離で――。
「たしか、終わりが17時でしたよね。――また、帰りに迎えに来ます」
耳元に落とされた声に、肩がわずかに強張る。
吐息がかかるほどの距離で告げられた言葉に、反射的に口をついた。
「……勝手にしろ」
腕を振り解き、即座に距離を取る。だが、驚きはもうない。シフトも行動も把握されすぎるのは、すでに日常。
どうせ何を言っても聞きやしないし、特に自分に大きな影響があるわけでもないので、好きにさせておけばいい。
グリーンの席から離れながら、思わずちらりと視線を向ける。その瞬間、俺と目が合ったグリーンは、ゆっくりとカップを持ち上げる。指先で縁をなぞりながら、視線を外さない。そして――口元に浮かんだのは、誰もが息を呑むほど柔らかく、甘い笑みだった。
その瞬間、店内の空気が一気に跳ね上がった。
「やだ……今、笑った……!」
「もし目が合ったら死ねる破壊力……!」
「え、ちょっと待って……そばにいるのは“噂の店員”じゃない!?」
「ほんとにいたんだ……!しかも今日拝めるなんて……!」
歓声めいた声が次々と弾け、ホールはライブ会場さながらの熱気に包まれていく。
その視線も熱狂も、他人事と思っている俺には全く届いていなかった。皿を運び、伝票を確かめ、ただ次のテーブルへ歩を進める。が。
「……吉川くん!」
不意に、店長が小走りで近づいてくる。焦りをにじませた顔で、声を潜めた。
「ごめん、やっぱりホールはいいから……厨房に戻ってもらえる?」
「……?分かりました」
小さく首を傾げながらも、気にした様子もなく頷くトオル。皿を下げ終えると、何事もなかったかのように再び厨房へ姿を消した。
――扉を閉め、ミルクピッチャーを手に取る。その時、外からかすかなざわめきが耳に届いた。
(……静かに働きてぇなぁ)
視線を手元へ戻し、蒸気の音に耳を澄ませる。ただ黙々と作業に集中していった。
次のバイト先を真剣に探そうか――そんな考えが、ふと頭をよぎっていた。
一方その頃、ホールには熱気を帯びたざわめきが渦巻き続けていた。店長は、その中心である二人を横目に見やり、小さくため息をこぼす。
「……吉川くん。仕事は完璧なのに、自分も騒ぎの元だって、全然気づいてないのかなぁ」
SNSでこの店が話題になったのは、わずか三日前。そして、その三日間の売り上げは――開店以来、最高記録を叩き出していた。
もちろん、その事実を本人は知る由もなかった。
630
あなたにおすすめの小説
悪役会計様に転生した俺は、生徒会長に媚び売って生き残る
桜城 寧
BL
処刑された記憶とともに、BLゲームに登場する悪役会計に転生したことに気付く。処刑されないために、チャラ男としての仮面を被り、生徒会長に媚び売ったり、どうにか能力を駆使したりして生きてたら、色々な人に構われる話。
悪役令息に転生したのに、ヒーローもヒロインも不在で、拾って育てた執事が最強なんだが……なんで?!
はぴねこ
BL
前世の弟が好きだったゲームの世界に、悪役令息として転生してしまった俺。
本来なら、ヒロインをいじめ、ヒーローが活躍するための踏み台になる……
そんな役割のはずなのに、ヒーローともヒロインとも出会えない。
いじめる対象すら見つけられない新米悪役令息とか、ポンコツすぎないだろうか?
そんな俺に反して、子供の頃に拾って育てた執事は超優秀で、なぜか「悪役執事スキル」を着実に磨いている。
……いや、違う!
そうじゃない!!
悪役にならなきゃいけないのは俺なんだってば!!!
冤罪で追放された悪役令息、北の辺境で幸せを掴む~恐ろしいと噂の銀狼将軍に嫁いだら、極上の溺愛とモフモフなスローライフが始まりました~
水凪しおん
BL
「君は、俺の宝だ」
無実の罪を着せられ、婚約破棄の末に極寒の辺境へ追放された公爵令息ジュリアン。
彼を待ち受けていたのは、「北の食人狼」と恐れられる将軍グリーグとの政略結婚だった。
死を覚悟したジュリアンだったが、出会った将軍は、噂とは真逆の不器用で心優しいアルファで……?
前世の記憶を持つジュリアンは、現代知識と魔法でボロボロの要塞を快適リフォーム!
手作りスープで将軍の胃袋を掴み、特産品開発で街を救い、気づけば冷徹将軍から規格外の溺愛を受けることに。
一方、ジュリアンを捨てた王都では、破滅の足音が近づいていて――。
冤罪追放から始まる、銀狼将軍との幸せいっぱいな溺愛スローライフ、ここに開幕!
【オメガバース/ハッピーエンド/ざまぁあり/子育て/スパダリ】
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。
志子
BL
ノリと勢いで書いたBL転生中華ファンタジー。
美形×平凡。
乱文失礼します。誤字脱字あったらすみません。
崖から落ちて顔に大傷を負い高熱で三日三晩魘された俺は前世を思い出した。どうやら農村の子どもに転生したようだ。
転生小説のようにチート能力で無双したり、前世の知識を使ってバンバン改革を起こしたり……なんてことはない。
そんな平々凡々の俺は今、帝の花園と呼ばれる後宮で下っ端として働いてる。
え? 男の俺が後宮に? って思ったろ? 実はこの後宮、ちょーーと変わっていて…‥。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる