特派の狸

こま

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二十時

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皇国歴一九六〇年 晩夏

「なあ、落ち込むなよ」
「落ち込んでなんかない。あっちにいけ」
 真実は自室に一時引きこもった。
 彼女の打ち出した害獣作戦が案の定失敗したからだ。
 ビラは片っ端から剥がされ、声かけはすぐ見咎められ、謹慎明けからこういったことでは困ると叱られた。
 人事部や総務部にも人員募集の旨を伝えたが成果は無く、これも予想通りではあるが、ふさぎこんでいたのだ。
「あっちいけ」
「俺の部屋には入り浸るくせに」
「うるさい」
 終止こんな調子では、俺まで滅入るし、さらに管理人さんまでもが、
「真実、かわいそう」
 と、朝の掃除もそぞろに藍色のカーテンで締め切られた真実の部屋を眺めていた。
「偉そうに人をトラブル扱いしやがって」
 彼女は枕に顔を埋めながら器用にしゃべった。
「しばらく出てないからって、油断してんだ」
「何が出てないんだ?」
「なにって、ああ、お前は軍学校じゃないのか。そうだ、これ、一応機密なんだった」
 興味を引くと真実はすぐに気分を変える。次々と表情が移り、絶頂から絶望まで軽く行来をするが、今回もそうだった。
「まあいいか。どんな立場だろうと軍属だし、学校じゃあ最初に教えるんだから」
「最初に機密を教えるのか」
「だって何と戦うのか知らなきゃ始まらないだろ」
「それは……そうか。それで何と戦うんだ」
 ようやく布団から起き上がり、ふてぶてしくあぐらをかいた。片膝に片肘をついて上体を預ける。彼女は俺にものを教えるとき、やや情熱的な教師のような態度をとるのだ。指を立てて空間に線を引いたり文字を書いたりする。
「天使だよ」
 このときもその漢字を書いた。
「空が割れて、そこから出てくるのさ。理由は不明。人類を滅ぼすためとか、ただ星の現象として現れるだとか、説はたくさんあるがよくわかっていない。あいつらは町と人を壊す。だから私たちがいる」
 それを防ぐためにな。ひどく冷静で、無感情といってもいいほど、真実は冷たく言った。そうしなければならないような背景が彼女にはある気がした。
「その天使が、敵か」
「そうだ。そうなんだけど」
 狸に出番はくれないだろう。寂しそうに呟いて、また寝転んだ。あっちにいっててくれと言われ、俺はまた本部へと足を向けた。受付で図書館の場所を聞くと、芝村は一般の方も利用するから静かにねと言った。
「感化されてはいないだろうけど、一応ね」
 学ランはもはやそういうイメージとなっていた。
 グラウンドの片隅にある本部そのものより少し小さいくらいの、上三階地下二階の低層ビルが図書館だ。軍の施設にしては無骨さがなく、洒落た外観でカフェやイベントスペースもある。軍関係者が目立つくらいすでに一般に溶け込んでいた。
 一階は憩いの場として広く作られ飲食店が並び、演説でもするのか、ホールがいくつかあって、二階からが図書館だ。
 図鑑のコーナーにいくと出版社ごとにそれらは収納され、とりあえず一番分厚いものをとった。適当な椅子に座って目次をあさる。
「た、ぬ……ぬ……あった」
 すぐにそいつは見つかった。澄ました顔の写真、小難しい学名。そこにいるのは我が隣人、の隊章である。
「たしかに害獣だ」
 農作物を食い散らかす瞬間の写真まで添えられていて、鋭い牙で大根を食べる姿は、農家の人であれば悩みの種ではあろうけど、どことなく愛嬌があった。
「やあ」
 声をかけられ図鑑から顔を上げると、対面に座った軍服が優しく微笑んだ。
「あ、バスの……」
 本部行きのバスで会った紳士がいた。立ち上がって頭を下げると、彼は恐縮したように手をふって俺を座らせる。
 彼は小説を持っていた。俺でも知っているような有名作家のものだった。
「私もここへはよく来るんだ。蔵書はあまり多くないけど、静かだからね」
「俺は初めて来ました」
「それを読みに?」
 図鑑は狸のページのままで、彼は俺をどう見たのか、優しい目じりをこれでもかと下げた。
「狸だ。きみの田舎にはいたかい?」
「はい。近所に巣穴がありました」
「私も田舎の出身でね、北の方なんだけど、そりゃあたくさんいたよ。一匹でうろうろしているのを追いかけたら、突然倒れたんだ。本当に死んだふりをするんだって、驚いたなぁ」
 懐かしいよと紳士は図鑑を眺めながら、思い出の美しさに頷いた。
「きみも懐かしくて図鑑なんかを?」
「実は友人が狸になりまして」
 紳士は静かな図書館に品のいい笑いを小さく響かせた。手を口元にあてて、開いたままの小説を閉じた。
「化かされたのかい」
「どうでしょう。でも俺はこいつ、好きですよ。わるさもしますけど、どこかじゃ神さまとして信仰されているみたいですし、それに見た目が可愛いじゃないですか」
 彼は俺に同意し、雑談は続いた。二十歳で陸軍に入り、今は半分隠居をして、ここへは週に一度ほどしか来ていないという。
「部下が優秀で、困ることと言えばそれくらいだよ」
 そのため図書館で小説を読むことがおきまりになっていると、身ぶりを混ぜて話した。
「この作家は軍属だったこともあって、他にはないものがここにはあるんだ」
 俺は図鑑を戻し、帰る旨を伝えた。昼を過ぎる前に帰らないとハネさんの飯が冷めてしまう。最近は握り飯は一回り大きくなった。
「そういえば、きみの名前を知らないな。教えてくれないかい」
「朝日誠です」
 彼はやっぱりと言った。
「その姿は目立つ。早くこれが着られるといいね」
 深緑色のそれに俺はそれほど執着していない。だけど彼がそう言うと、彼の軍服が、しみ一つないそれが格好よく見えた。
「あの、お名前を」
 俺はさっきまでの彼同様、この紳士の名を知らない。
「ああ、言ってなかったか。それじゃ私たちはまったく名前も知らず挨拶をして、こうやって狸の話をしていたのか。不思議だね」
 彼は礼儀だといわんばかりに本を閉じ、椅子から立った。とても彼の年齢ほどの人が子どもにする対応ではなかった。
「柳生八郎です。よろしく」
 握手は固く力強い。大きな手だった。
「あ、あの。この前はありがとうございました。バスで起こしてくれたことと、案内してくれたこと、助かりました」
「いいんだよ。暇だったし」
 冗談っぽく笑った。柳生に「頑張れよ、朝日くん」と送り出され、図書館を出た。宿舎に帰り飯を食い終わっても、真実は部屋から出てこなかった。
 その晩、彼女は俺の部屋に来た。眼は輝き、また新たな作戦を思い付いたという。
「数日待っても入隊はゼロだったのは妨害があったからだ。だから今度は妨害を妨害する」
 突飛過ぎるその作戦の概要はこうだ。
「張り紙を剥がすやつは他にすることがない。だから仕事を作ってやるんだ」
「どうやって?」
「決まってる。毎日騒ぎを起こすのさ。便所をつまらせたり窓を割ったり」
 上手く言葉が出ない。
「あのさ、なんていうか、それくらいじゃ」
「わかっている。これくらいじゃやつらは慌てない。だから手伝ってくれ。本部中のガラスと便所をやる」
「それは俺たちも困るだろ。これから寒くなるし、便所だって使えないと大変だ」
「じゃあどうすんだよ!」
 もうこの作戦が破れかぶれの末だというのは気がついていたのだろう。あえて俺に聞かせたのも、手伝いが欲しかったのではなく、否定を望んだからではないか。
「もう疲れたぜ。こんなの」
 彼女は勝手に俺の布団に横になった。うつ伏せになり、いつもの不機嫌の時にやる姿勢で愚痴った。
「ご機嫌とりでもするか? 絶対やだね。尻尾なんかふるもんか。なあ誠よぅ、いい考えとかないのかよ」
「……大人しくしてれば、どっかに入れるんじゃないのか」
「馬鹿。ここまで蔑ろにされてんだ、それじゃあ意味ないんだよ。私は狸のままやってやる」
 その根性があれば窓も便所も磨くことだってできるだろうに。そうすれば少しは見直されるはずだ。
「こんなはずじゃあなかったんだけどよ」
「どこに入隊したかったんだ?」
「遊撃部隊」
「なにするんだ、そこ」
「色んなことをちょこちょこやる。何でも屋みたいなやつ」
 そこに姉貴がいる。義理だけど。うつ伏せのまま言った。
「仲がいいんだ。今は本部じゃなくて、土戸藩どとはんにいるけど、姉貴と同じところに入りたかったんだ」
「土戸か。俺は赤間から来たんだ」
「へえ。でもそこまでは行かないよ。藩の防衛が第一だから、あんまり他藩までは出ないんだ」
「その姉さんはどんな人なんだ」
「立派だよ。優しいし、お前と同い年だけど、もっと大人っぽい」
「さりげなく馬鹿にしただろ」
 真実はうつ伏せのまま笑った。どんなことでも彼女にはこうであって欲しかった。部屋にこもって悩むなんて、らしくない。
「また作戦を考えるのか」
「あったりまえだ。……あてがないわけじゃないけど」
「本当か! じゃあ早いとこ」
 ウゥーーーーーーーーーー
 夜空に長く尾を引くサイレンの絶叫。瞬間的に真実の顔つきが変わった。部屋を飛び出し、俺は無意識にそれを追いかけていた。
 本部は異様に慌ただしく、全員が殺気のような異臭を放ち、トラックは人と武器を積んで何台も町へと向かった。
『皇都北部、第八区画に天使出現! 戦闘部隊は急行してください! 繰り返します……!』
 芝村の声が緊急を伝えていた。真実は倉庫に直行し、軍服の上からベルトを締めて銃を挟んだ。細長い刀を左の腰に差して、そこで俺に目を向ける。
「来るか? いや、来いよ軍人」
 火をつけられたような熱さが胸から全身に広がった。ギプスはもうとれているし、他の怪我もほぼ治っている。それなのにこの痛みはなんだ。
「おう」
 彼女のまねをして装備を整えた。ずんと腰が沈むその重みが、冷たい重みが俺の火には燃料だった。
 真実は倉庫の小型トラックに乗り込む。使われていないのか荷台は空っぽだった。
「詰め込め! そこらじゅうのやつ全部だ!」
 黒光りする筒を抱え何往復かすると、エンジンが猛り、彼女は窓から顔をだす。
「乗れ」
 運転荒く現地へ急いだ。無線は現状報告で渋滞を起こしている。
『こちら狼、配置についた』
『鷹、いつでもいけます』
『熊も行ける。許可を』
 ここに狸も混ざるのか。それを想像すると、きっとこれは興奮のせいだろうが、ちょっと面白かった。
『攻撃開始』
 無線は鳴って、遠くで砲声が上がった。火柱が、悲鳴が、怒声が、オオという叫びの一塊になって、そこへ俺たちは突っ込んでいく。
 デジタル時計はぴったり二十時だった。
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