特派の狸

こま

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天使

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 皇国歴一九六〇年 晩夏

 砂煙が舞い、道路がひしゃげ、倒れた軍服どもは自らの血をすするようにでこぼこな地面へと顔をくっつけている。
 買い物をした雑貨屋は潰え、大きなものがぶつかった形跡がある。米屋は燃えていた。
 トラックの助手席から見える景色はそういうものばかりで、気は滅入り、しかし身体は熱く、息が乱れた。
「北部まであと十分」
 真実はハンドルを切りながら言った。無線からは被害と戦果が入れ替りながら流れ、彼女はその都度舌打ちをする。
「あそこから出てくるんだ。ほら、上」
 ビルの隙間からそれは見えた。空間がひび割れ、どこまでも黒い孔があった。二次元的な平べったさで絵画のようでもあった。
 そこから白っぽいなにかが落ちた。人のようだった。
『新手だ! 犬っころが』
 叫び声は途切れ、別な誰かが引き継いだ無線が十二匹だと報告した。
 トラックのフロントガラスからとうとう軍服が見えた。後詰めだ。怪我人が寝かされ仮の医療施設にもなっている。
「おい! お前ら所属は!」
 白衣の呼び止めを無視して、真実はアクセルを踏んだ。前線は五キロほど先であるらしい。
「いた!」
 叫ぶやいなや、シートに埋まるほどの急加速、暴走するトラックから前方の軍服は飛び退いた。
 どんどん大きくなる真実が見つけたそれは、真っ白な体毛を赤く汚した二足歩行する犬頭。
 狼男だ! 恐怖や驚愕よりも強い衝撃、真実はそいつを轢いた。エアバックに顔をぶつけ、転がるように車外へ這い出ると、狼男は大の字になっている。ぜえぜえと舌を出し、こちらを睨んでいる。
 軍服は呆然とし、運転席から出てきた少女を眺めていた。彼女はその白い生き物に何度も銃弾を撃ち込んだ。じわじわと広がる血の池に狼男は観念したのか、喉の奥で吠えた。
「誠、武器を降ろせ。持てるだけ持て」
 俺は人形のように指示に従った。それは軍服どもも同じで、武器と弾薬を補充し始めた。
「お、お前らは……」
 真実は無言で戦地の奥へと急いだ。それを追うと、彼女は俺から武器を引ったくった。片手で扱う銃だとは思うが、やけに口がでかい。撃ちきった銃を捨てベルトに挿した。
「使い方わかるか?」
 首を振る。声がでなかった。
「じゃあ使うな」
 それ。指差したのは腰に差した刀だ。
「鞘から抜いて……こんなこと説明しなくてもわかるよな」
 絞り出した肯定するための音に彼女は笑った。
「なんだよそれ。笑わすな」
「おい! 戻れ! 子どもが行くところじゃない!」
 軍服が言った。それにも真実は笑って応えた。
「うざ」
 彼女はその軍服に近寄る。
「な、なにを」
 無線を奪い「テストテスト。聞こえますかー」とふざけた。今も爆音が轟く。爆弾だろうか。そんな火器まで使っているのだ。天使とはそんなものまで使わせるのだ。
「誰だ! 所属は……」
「張り紙剥がしたくらいで私が大人しくなると思うなよ! 馬鹿どもめ! 狸が出るからよ、てめえらは引っ込んでろ!」
 そのまま無線の受話器を叩き壊した。持ち主の軍服はもうすぐパニックで死んでしまうかもしれない。
「お、おい」
「うるせえぞ。おい、誠」
 彼女の声はどこにいても綺麗に耳まで届く。こ首をかしげ指を立てて回した。挑発するような仕種だった。
「行くだろ?」
「……行くよ」
 走って走って、白い狼男に出会った。彼女は銃を、俺は刀を抜いた。
 これはなんだろう。田舎から出てきて、軍に入ったのはいいものの、所属は決まらないままこんなところに来てしまった。友人を得て、ケンカをして、復讐され怪我をして。
「行ったぞ!」
 真実は叫んだ。近づいて来る獣は殺意に満ちている。涎を振り撒く牙と、軍服の切れ端が残る爪。
 刀なんて使ったことはない。でもこの刃の部分でなぞれば斬れるのだろう。重量のある鉄の棒で、当たれば斬れるくらいに考えればいいか。
 ああ、指先が痺れる。狼男が近づいているじゃないか。このくらいの距離だったら斬れるのか。
 刀を振りかぶると視線がぶれ、回転し、地面に叩きつけられたのだとわかった。
 痛みはなく痺れるだけ。立ち上がると腹から血が出ていた。触ってみても痛みはない。じんわりと痺れた感覚が腹にある。
「誠!」
 真実は一匹を切り殺した。続々と現れる群れが彼女と俺の合流を阻んだ。いや、本命を彼女として、俺なんか相手にされていないのだ。
 その証拠にこっちには一匹しかいない。
「……へっ、折れてるよ」
 刀が根本からなくなっている。狼男は気だるそうにしたままだ。
「お前もあっちに行きたいのか」
 唸り、飛びかかってきた。振り上げられた爪、あれは俺の血か。
 力が抜けて後ずさりすると偶然にも爪は鼻先数センチを通り過ぎた。よろめく人狼、目は血走り尖ったら耳には穴が空いていた。弾丸が貫通したのだろうか。
「あっちに行っちゃ駄目だ」
 狼男の左爪は地面につきそうなほど、沈みこんでいる。肩越しにこっちを見るなよ、怖いぜ。
 思い出せ。俺はどうやって軍服を殴った。
 こうか?
 自然に身体は動いた。握りしめた拳を真っ直ぐに突き出すと、狼男の顔をはぐにゃりと歪み、頭の位置を支点に一回転した。
「こうだ。ああ、こうやったのか」
 身体の内外からくる鈍痛を伴う痺れは一種の快感のようだった。敵意から身を守れたことがその原因だろう。
 群れはまだ健在。三匹ほど血まみれで倒れているのは真実がやったのだ。これだけ実力があるのにも関わらず不当な扱いを受けているのは、やはり彼女のイタズラのせいに決まっている。
「なあ、もう窓に石投げるのやめろよ」
「はぁ? 場所を考えろ! そんなの今言うことか!」
 彼女は背を向けたまま叫んだ。だけどこいつらを退治できたら狸にも人が増えるかもしれない。そうなるといいし、俺も協力したい。
 狼男の一匹が俺を見た。口を開けたまま襲ってきた。
「思い出せ……思い出せ……」
 右手はうまく動かなかった。左はどうだ。
 勝手に動いた拳は虎ばさみのような口内に突き刺さった。ぬめぬめした感触、喉の奥から腕を抜くと、牙が食い込んでいる。ぐったりとした白い首を踏みつけると枯れ木を折ったような音がした。
「上の人たちにも迷惑をかけない方がいい。結構いい人もいるよ」
 受付の芝村や、斉藤と奥田や柳生。みんないい人たちだった。
「だから! 状況を……!」
「狸だけに任せるな! 行け! 天使はあれで最後だ!」
 背後からの銃声、指揮官の声、これでようやく解放されるのか。戦場ってのは大変だ。
 砲火は凄まじく、一瞬で狼男を消し飛ばした。体毛、肉、骨すら焼き焦がした。
 身を伏せ、這ってきた真実は砂まみれで、
「遅いんだよあいつら。ハッパかけたのにさ」
 いつもの彼女だ。元気で、不敵だ。
 その溌剌とした顔が青ざめた。
「おい、その腹……」
「ん、多分中身は平気だよ」
 触った時にわかっていた。三本の線が脇腹からその反対側まで横断しているのだ。肉をごっそりと削っているのだ。幸運といえば、即死ではなかったことくらいなのだ。
 真実は何か大声を出したのだろう。周囲の軍服が駆け寄ってきた。寝かされトラックに乗せられた。
「大袈裟だ。恥ずかしい」
 真実は泣いていた。軍服どもは学ランとシャツを裁断し、傷に何か処置を施している。体を起こそうとすると止められた。
「なんだよ。だから大袈裟だって。俺は平気だよ」
 真実は喚きすぎて女の軍服に宥められ、俺は化け物でも押さえるような怖々とした手つきでもってベルトで固定された。
 意識はずっとあった。本部へ戻りトラックからはタンカで降ろされた。自分で降りると言うと軍服はそれを無視した。
 空に出ている月はいつもと変わらず夜の象徴だったし、それで眠くなったので、
「すいません、ちょっと眠ります」
 と声をかけた。途端に騒がしくなったが俺はどこでも眠れる。これは誇れる特技なのだ。
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