特派の狸

こま

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負けっぱなし

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皇国歴一九六〇年 初秋

「よろしくお願いします!」
 十歳前後の連中が横一列になっている。全員が、だいたい二十名ほどだろうか、みんな軍服だった。男女比は半々で、顔つきは凛々しく、笠置の日頃が伺えた。挨拶の声も姿勢も美しく揃っている。
「朝日誠です。よろしくお願いします」
 笠置はもうすでにレンタル期間の延長を、自らのスケジュールに入れていたようで、
「こいつが前に言った現役の軍人だ。お前らの練習のために借りてきたんだ」
「じゃあすぐに返してくださいよ」
 不満の声はしまっておいたが、彼女は俺の心を読んだかのように舌打ちをした。
「……俺はなにをすればいいんですか」
「お前の好きなことだ。喧嘩だ。こいつらとの戦闘訓練だ」
「でも」
「自分が朝日よりも強いと思うやつ、手を挙げろ」
 笠置の一声でそこにいた少年少女は皆力一杯手を挙げた。その挙動も整然としていて、打ち合わせていたのではと疑いたくなる。
「あ、あはは」
 乾いた笑いしか出てこず、しかし笑っているのは俺だけだった。
「じゃあ始めようか」
 要は連続しての組手だった。しかしルールは降参宣言、又は気絶すればそこで交替など、その程度のものしかなく、ほとんど実戦といえた。
 初めは女の子だった。彼女は名乗ったが覚えていない。すぐに俺はみぞおちに一撃をくらって、気絶したのだ。介抱はなく、叩き起こされ、また次の相手。彼女たちが懸かかる側、俺は交代を許されなかった。
 二週ほどしただろうか。話によると俺は昏睡し、保健室へ運ばれたらしい。湿布の臭いで目が覚めた。
「起きたか」
「……笠置さん、これ、いつまで続くんですか」
 彼女の傷が歪んだ。笑んだえくぼにかかって、残酷なほどの怪我が、美しい曲線の歪みとなった。
「まだ続いているぞ、来い」
 今度からはベッドになど運ばない。宣告は低く響き、俺だけでなくあの子たちにとっても恐怖の始まりなのではないかと思った。
「あ、戻ってきた」
 軍人見習いという共通点があり、しかも歳上のくせにやたら弱い俺はもう舐められていた。
 鍛えるとかそれ以前に、戦い方を知らないのだと笠置に相談すると、
「それは明日」
 と、相手にされない。午後六時、訓練修了だと彼女は言って、
「朝日は残れ。時間がもったいないから追加で鍛える」
 この情熱はどこから来ているのだ。子どもたち、いや、先輩と呼んでも差し支えないだろう、先輩方はみんな夕食のため解散した。運動場に残ったのは鬼教官と哀れな怪我人。
「一歩も歩けませんけど、何をするんですか」
「すぐ終わる。いつまでも奴らのサンドバッグではつまらないだろう」
 彼女が教えてくれたのはひどく簡単なものだった。構えや戦術ですらない、もしかすると笠置独自のものかもしれない。
「相手の眼を見ろ」
 たったこれだけ。他には何もなかった。笠置を練習台にして、起立したままそうしていると、無性に体が戦慄していて、気がつくとあの熱さが身体中に満ちていた。
 ここは戦場。あれは天使。ボロボロの手足はそれにうまくリンクして、運動場には埃と火薬のつんとする臭いまであるようだった。
 パシッ。間抜けな破裂音は俺の拳が彼女がによって受け止められたもので、柔道の粋のような投げ技が俺の背を打った。仰向けに横たわると照明の眩しさはここが学校であることを教えてくれた。
「どうだ。相手を眼で制圧すれば、その後はもう自由だ」
「……眼を見るだけ?」
「ああ。それだけだ。まあ、こんな威力で殴ったら人は死ぬ。加減はしておけ」
 彼女は手をヒラヒラと振って、
「戦法だなんだというのはあいつらに教えてもらえ」
 伸びをして運動場を去った彼女の後ろ姿を見守って、俺は壁際まで這った。何かにしがみつかなければ立ち上がれなかった。
「……このまま寝てしまおう」
 胃はなにも受け付けないだろう。それよりも疲労を取り除かなくてはならない。視界は暗転し、床の冷たさを感じたのも一瞬で、すぐに深い眠りの底まで落ちた。

 翌日、自主練習をしようと運動場を訪れた子ども先輩の一人が俺を見つけた。どうやっても目を覚まさないのでそのまま放置された。
 もちろん笠置に報告が行ったが、彼女は無関心にそうかと言うだけだった。
 気がついたのは早朝の訓練五分前で、すでに水がなみなみと入ったバケツが用意されていた。
「どうせ使うから置いておけ」
 笠置は片付けてようとした先輩を制止し、そのまま訓練となった。 
 昨日と同じく列になり、その先頭の子は、これも多分昨日と同じ子だった。
「よろしくお願いします」
 声は重なり、笠置に言われたことを思い出す。
「目を見るだけ、目を見るだけ」
 相手の瞳、睫毛の長い薄茶色の大きな目だ。十分に子どもらしさを保ちながら、しかし闘志は俺に勝っている。湧き出るようなそれが波のように瞳の水槽で揺れ動き、その瞬間、俺はその波に飲まれた。深く突き刺さる相手の拳、またしてもみぞおちを打った。
 足が崩れ、片膝立ちになっても目だけは離すな。それしかできないのだから。
 すると頭に飛来するひらめきの雷が鼓動の速度を上げた。
 彼女の水槽の闘志、そのかさが減っているではないか。 苦しげに睨む俺に対して、これで終わりと考えているのだろうか。
 相手から視線を外してきた。背を向けられ、一歩、二歩、俺はその小さな肩を掴み強引に床へ押し伏せた。馬乗りになり、だがここからどうする。むき出しの後頭部へと攻撃をするのか。
 こんなことまでは習っていない。軍人の倫理や規則道徳は知らないが、俺の中のルールでは、そんなこと許されていない。
 ガツン。結局は耳のすぐ横、運動場の床へ拳を叩きつけた。木製の床へとわずかにめり込んで、その細かい破片が肌を裂き、引き抜くと血が垂れた。
「……笠置さん」
 物音一つしない静寂、俺は彼女の号令を待った。
「そこまで。次」
 並んでいた先輩たちは少し怯え、苛立っているようだった。弱いのだから負けろよ。なんとなくそういうルールから逸脱した年長を責めるような視線をぶつけられた。
 下敷きになっていた先輩は列の後ろにならび直し、また訓練の渦中に参加する。順々と、再びやられっぱなしの渦に溺れ、最初の勝利以外いいところもなく、昼食を挟んでの午後、笠置が新たな指示を出す。
「さ、思う存分痛めつけたし、ちょっと趣向変えよう」
 彼女は大変に人気のある教官らしく、どんな指示にも全員が従っていた。決して恐怖政治だけではなく、この傷の女は子どもに好かれるようだ。その証拠に訓練が終わるといつも取り囲まれ質問の砲火を受けているのだ。ただその内容は微笑ましくはなく、武器がどうとか戦地がどうとか、非常に専門的で、しかもいちいち細かく講釈するのだから、これでは人気がでないはずもない。
「こいつに格闘の術を教えてやってくれ」
 俺が言い出せないからこうしてくれたのだろうか。こんなところも人気のポイントなのだと思う。
 誰かが手を挙げた。長髪を軽く結った女の子だ。
「なんだめぐり、意見か」
 あまりに堂々としていた。強気な視線は笠置より俺に向けられ、はっきりと敵意があった。
「なぜ教官ご自身でお教えされないのですか」
 純粋な疑問ではなく、拒絶だった。そこまで嫌われるようなことをしていたか、そうであれば申し訳ないが、やはり傷つく。
「この訓練は朝日だけのものではない。お前たちの知識と経験がいかに身に付いているかを、お前たち自身が知るためのものでもある」
 整然と理屈を並べ、こう結んだ。
「いいか、こいつは曲がりなりにも天使の討伐者だ。学ぶこともあるだろう。わからないことは私に聞け。以上、訓練開始!」
 リーダーシップなどない俺は突っ立ったまま、あれこれと考えていた。人見知りの気が多少ないではないし、ましてや年下と会話することも少ないのだ、殴りあった仲とはいえ、彼らの名前も知らない。
「……朝日さん」
「え?」
「ぼうっとしないでください。ほら、みんなも集まって」
 さっきの敵意の子だ。巡だったか。彼女はみんなを適当に座らせ、
「格闘の術、と教官は仰いましたが」
 そこで一呼吸おいた。じろりと睨まれあぐらのまま背筋を伸ばした。
「……昨日から思っていましたが、朝日さんって何も知らないですよね。構えもしないで、自然体のままじゃ対応できませんよ」
 頷く先輩たち。それを皮切りに続々と意見が出始めた。パンチが遅いだとか重心がとか、ともかく素人丸出しなのだと。
「あんなにやって、今日も変化がなかったのはどうして」
「攻撃する意思はあるのか」
「そもそも経歴は本当なのか」
 悪口すら混じる中、一つ一つ解決していくと、残ったものは履歴の真偽だった。
「階級は……ああ、これだ」
 支給された軍服の胸に縫い付けられたものを指差す。
「これって、一等兵じゃないですか。なんで把握していないのですか」
 やたら強気な巡はことあるごとに噛みついてくる。先に進まないのには困ったが、それも俺の不甲斐なさと諦めた。
「さ、悪いところはあらかた出ました。では良いところ、なんですけど、ある人いる?」
 彼女の呼び掛けにも返事は少なく、いや、なく、運動場に端で本を読む笠置が小さく笑っているだけだった。
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