特派の狸

こま

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もう一匹

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皇国歴一九六〇年 晩秋

 落葉も落ちきったある朝、掃除を終え、翠湖寮の主ハネさんと飯を食った。ほぼ毎朝お茶漬けだ。特別派遣部隊、特派と略す部隊の隊長である榊真実はそうしたルーティンと化した朝の一幕に寝ぼけた顔でやって来る。
「早いなぁおい」
 この寮が特派の本部であるために、もはや軍の規律などどこにもなく、ここは治外法権のようなものだった。押し付けられた治外法権だった。
 真実は顔を洗ってお茶漬けをすする。ショートカットの黒髪に寝ぐせがついていた。
「あのね」
 ハネさんこと大鳥羽音おおとりはねはたった二人の全隊員が揃うと、マスクごしでもよく通る声で言った。
「増築したいから、手伝って」
「は? なんでまた急に」
 真実はむっとした。金の物資の工面に奔走するなかでくつろげる場所はここしかない。そこをいじくりまわすのは不本意らしい。
「人が増えたら、住む場所、ないから」
 この翠湖寮は、小さい。寮にしては圧倒的に小さいのだ。一階はハネさんの部屋と居間、風呂場と炊事場しかない。二階にいたっては会議室と本部と銘打った俺と真実の二部屋だけなのだ。
「……人が増えたら巣穴を動かすかもしれないしぜ」
「だったら、物置にする」
 どうやら意思は固いようで、ハネさんはもう増築を、部屋を用意することを決めていた。
「場所はここ。広さはこう」
 設計図まで用意していた。材料も裏に運んであるらしい。
「真実たちと同じ。人が足りない」
「そう言われると弱いけどさぁ」
「あった方がいいんじゃないか。見たかんじ本当に部屋が一つだけだし、これって、居間の壁を抜いてくっつけるんですよね」
「そう。そこに」
 彼女は指を指す。西側の壁だ。
「でもなぁ、うちらに頼むより業者の方がいいと思うけど」
「真実と同じ。お金がない」
「嫌な共通点だぁね。まあいいか、やるよ」
「三人じゃ少なすぎる。他にあては?」
「一応、呼んだ」
「じゃあやるか。裏庭だったっけ」
「俺は建築なんてしたことないけど」
「私も、ない」
「そんなのあるわけないだろ。助っ人はいつくるの」
「今」
 猛烈なエンジン音、それも複数。降り立つそいつらが彼であるということも屈強そうだということも、うるさく聞こえてくるがさつな笑い声が教えてくれた。
「邪魔するぜ、大鳥さん、ご無沙汰」
「うん。早速やって」
「おう、任せておけって。雑用にそいつら借りるぜ」
 あご髭の大男は有無を言わさず、げんのうとかんなの合唱の中に俺たちを放り込んだ。木屑などのごみを捨て、穴堀をして木材やセメントを運び、資材を取りに軍本部まで走らされた。着々と正方形の空間が延びていき、北側と西側にの二ヶ所に窓を嵌めこんだ。非常に簡易的だがすでに雨風はしのげる。日の入りが早いとはいえ、星が輝き始めるころには家具の運び入れも完了した。
「こんなもんでどうだ」
「及第点」
「そりゃいい。お前ら、撤収だ!」
 まさに嵐。へとへとになって居間に寝転がると昨日まで、いや、今朝まではなかった扉があるのだ。
 布団一組、机、本棚。クローゼットが付いていたのには驚かされた。
「なんで押し入れじゃないんだ。上と同じにしてくれよ。ひいきだ」
「こっちの方が簡単」
「こんなもん労力は一緒だろうが」
「いいんじゃないか。これで人が増えても大丈夫だし」
「誠よぅ、増えてもって、一人しかまかなえてないぜ」
「……あ」
「その都度、増やす。大丈夫」
 ハネさんの行動はまるで予言だった。寮の増築をしてから数日後、真実と俺は軍本部に呼び出された。火急だという。
「やつらが呼ばなくったって行くっつーの。金のこと、諦めてないし」
「ばれたかな」
「だとしたら笑ってやる。犯人にたどり着くのが遅すぎるってな」
 受付の芝村の慌てようはちょっと異常なほどだった。
「い、今ね! すっごいよ、どこの隊長もうじゃうじゃいてさ」
 真実は彼女のことを芝ちゃんと呼ぶ。昔なじみだそうだ。
「落ち着いてよ。どこにいけばいいの」
「あそこ、小さい会議室だけど、近くまでいけばわかるよ。朝日くんのときとそっくりだもん」
 真実と顔を見あわせ、その場に向かうと、確かに小会議室だが、むさ苦しい集団がドアからはみ出ている。その光景も異様だったし、それは彼らの表情も、なにか異様なものをみたような、誰もが困惑と、しかし興奮があった。水の湧き出るグラスでもあるのだろうか。
「呼ばれました特派ですけど、なにかあったんすか?」
 人波が引いて、割れた。狸だ、狸が来たという言葉の風にどの頭も揺れる。
 両側の人壁、その先には押し退けられたパイプ椅子と長机、ただ一組だけ残され、そこに座っているのはどれ程の人物か。
 ずいっと立ち塞がるのは第一前線部隊の、見知った斉藤だ。
「なんすか」
 挑発的なのが真実の悪癖、彼は深いため息のあとで、背後の人物を指で指した。
「なんでお前みたいなやつのところに。今度こそと思ったんだけどな」
 道をあけ「みんな仕事に戻ろうぜ」と声をかけた。奥田もいたが、彼は目だけで挨拶をして去った。一前の連中が撤収すると人の頭でできた海は干上がって、ちょこんと立場なく座っていた長髪の少女が起立した。
「お久しぶりです。榊軍曹、朝日一等兵。昨日、長和ながわ兵学校を卒業いたしましためぐり御座みくらです。特派派遣部隊に入隊希望です」
 背筋を伸ばし、部屋が震えるほどの声量で、巡は双眸を光らせる。ピンと張った糸が彼女を天井から支え、その緊張感がひしひしと伝わってきた。
「へえ、任務成功だ」
 真実は俺を肘でつついた。彼女らしい、引き込まれる笑顔でウインクをすると、巡の前に歩み寄る。
「榊だ。特派の隊長をしている。面接なんてあとでいい、書類にサインは?」
「終えてあります」
「よろしい。ようこそ狸へ! ついてこい、我らが巣穴へ案内しよう」
 これほど肩で風を切る者を見たことがない。勇ましさよりはどこかチンピラのような小物さもあったが、それでも彼女は内からくる自信を隠さない。通りすがりの軍服も、これがあの小娘か、と目を疑うような、歴戦の佐官のごとく颯爽としていた。
「あの方が隊長なんですね」
 巡も俺と同様の感想を抱いていたようで、第一印象は最高だった。
「行こう。俺たちの拠点はここじゃない」
 真実の姿はもうどこにもなく、芝村が言うには「出ていったよ。後ろに百人引き連れているみたいな感じだった」らしいので、よほど燃えているのだろう。責任と希望と、現状を打破したことの感激がギラギラと照っているのだ。
「ここが特派の本部、翠湖寮だ」
「……はぁ」
 真実は玄関先で仁王立ちしていた。軍服をなびかせ律儀にも俺たちを待っていたのだ。
「あの、本部なのに寮なんですか」
 内装を説明し終えると、巡はボロさに辟易していた。ハネさんも同席していたため、大っぴらには文句を言えないことが、その質問を呼んだのだ。
「お前、住むところはあるか?」
 真実はしたり顔でいる。どんな答えが返ってくるのかわかっているようだった。
「笠置さんが用意してくれたところがあります。ここです」
 彼女のメモは住所のみが書かれているだけで、それは見覚えのあるものだった。
「ああ、それはここだなぁ。ね、ハネさん」
「うん。笠置には、伝えておいたから」
 やはり。突然の増築も、巡の卒業も、ある程度仕組まれたものだったのだ。唖然とする巡は言葉を失ったが、それも一瞬で、
「こ、ここにですか。しかしそんな場所はなかったようでしたが」
 現在俺たちは会議室にいる。こたつを囲みながらの会議だが巡はすぐに馴れた。
「いいですね、落ち着きます」
 と、真実にはない順応性を発揮した。その彼女にはまだ教えていない場所がある。居間に移動し新築のドアを開いてみせた。殺風景な部屋に最低限の家具、今度こそ彼女は言葉を失った。
「ここがお前の部屋な」
「新品だから、やっぱり綺麗」
「物置だと思っていました……そうだ、皆さんはどこで寝泊まりを?」
 そこに差別を見いだそうとしても無駄だ。
「俺はさっきの会議室」
「私は本部。誠の隣だよ」
「管理人室」
「……あっちに大きな宿舎があったではないですか」
「色々と事情があってな。お前も隊員になったし教えようじゃないか、特派の激闘の歴史を」
 真実は一切隠すことなく打ち明けた。彼女の希望が通らず、ケンカし、そして復讐。天使との戦いと俺の入隊。語るには多くないが、事情が違うというのは間違いない。
「なにもかも軍規違反じゃないですか!」
「そうだけど? だから害獣の隊章なのさ」
 真実は自分の管理表を、悪い顔になっていることに気がついていないだろうが、歪んだ眉のそばで振った。
「かわいいだろ、狸」
「そんなことをいっているのではありません! だから笠置教官は何も教えてくれなかったんだ、ああ、私の管理表にも狸がいる……」
「いい部隊だぜ。小難しい規則もないし、ついでに仕事もない。出撃のサイレンに気を付ければ文句もない。私のところはそういうところさ」
「く、訓練は」
「すれば? でも今はやることがあるからそっちを優先してくれよ」
 天国から地獄。巡はまさにそれだった。あの元気な姿は影も形もなく、涙さえ浮かべた。
「他に隊員はいないんですよね」
「そう。うちら三人、ハネさんが面倒見てくれるから、まあ四人だな。大所帯になったぜまったく」
 真実は悲壮さもなくそう言った。真実しんじつの言葉だった。あれほど待ち望んだ新人だ、その感情の昂りはどれ程のものか想像もできない。
 疑問があらかた片付くと、巡はじっと真実を覗きこんだ。
「あの隊長はおいくつなんですか」
「十四だ。誠は十六」
「私の履歴書はご覧に?」
「おう。私よりも一つ上だったな。で、学校を出りゃあ少尉からでもおかしくないが、私が軍曹だろ? だからお前は伍長だ。誠の上官だ」
「そうか。よろしく」
「……敬語を……いや、うーん」
 こうして特派には新人が入り、一応の給金や物資の目処がついた。巡の評判は学生のころから高く、軍服どもも彼女が入るならと、若干ながら狸を見直しつつあった。ただそれは全体のほんの一握りではあるが。
「これ私の菷ですか? あ、ありがとうございます」
「巡は、下の名前、なんていうの」
 一週間もすると巡は翠湖寮にも馴染んだ。朝の掃除にも彼女が組み込まれている。
御座みくらですけど」
「いい名前」
「……どうも」
 窓から見下ろすのどかな日常、雪が降れば除雪に追われるのだろう。この生活が軌道に乗ってきたような気がした。
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