30 / 53
第二章
巻き込め
しおりを挟む
皇国歴 一九六一年 厳冬
振り回されるナイフ、ずん、と背後で音がした。
壁に突き立てられていたそれに驚くよりも、自分が後退していたことに腹が立つ。
西村はすぐさま凶器に頼るのをやめた。組み合いになり、体重で劣るとはいえ容易に馬乗りを許してしまった。彼には犬を思わせる理不尽な膂力があった。
「証拠は残さない方がいいのではないでしょうか」
顔面に降る拳を受け止めて息を整える。熱く痺れれば、傷が疼いてしまうから。
「なに、雪に埋めれば見つかりはしない」
「では、そうさせてもらいます」
彼の手首を挫いた。体をはね飛ばして体を入れ換える。
もう言葉はいらない。たった一発、それで西村は意識を失った。
彼の軍服の袖をちぎり、手足を縛る。余った布地で猿ぐつわをさせた。担ぎ、窓からそっと降りる。
埋めるのは、もう少し後でいい。
用心深く窓を閉めて、雪を掘った。
これは寒さ、そして冷たさだ、と頭では理解している。
手足を襲う針で刺したような痛み、もしかしたら凍傷になっているかもしれない。
そうであってもおかしくはない。雪中行軍どころではなく、雪の下、氷の上を這っているのだから。
「今、なにか音がしませんでした?」
巡御座は花札の相手、榊真実と大鳥羽音から目をそらし、吹雪く窓の外をうかがった。
「三光。こいこい」
大鳥の宣言に榊はあがれなさそうな自分の手札を伏せた。
「巡、なんの符丁だそれは」
「違いますよ、真実さんじゃあるまいし。ほら、何か聞こえるじゃないですか」
サマなんかしねえよ。榊は言うが、実際は札の数枚に目印がある。古い花札なので自然にできた傷だが、巡だけがそれを知らず、あてずっぽうが当たってしまったのだ。
「ん、壁からだな」
耳を澄ませると、どうやら壁から音がしている。外側から叩いているようだ。
「あのあたり」
大鳥が壁に触れた。そこは窓の真下、床との境目だ。
「狸じゃねえか? そうだとしたら、同志だ。中に入れてやろう」
不審者であるという発想はなかった。軍の敷地内だし、外はひどい吹雪で、とても人が出歩ける天気ではなかったから。
音は、まだしている。
「巡、開けてみろよ」
頷き、不用意すぎるほど勢いよく開けた。榊の同志という言葉に共感しただけでなく、彼女は一度も野性動物としての狸を見たことがなかったから、少しだけ出会いに期待していた。
「雪の下ですかね」
窓から身を乗り出し、手で雪を軽く掘った。
「え?」
黒っぽい布、生気のある何かがそこにはある。
「どうした?」
「いや、なんでしょう。事件の予感がします」
布はずっしりと重く持ち上げられない。手を貸してくれと頼むも二人にあっさりと断られたりして、引き上げるまで時間がかかった。十五分ほどしてようやくわかったが、これは気絶している朝日の背であった。
「なぜ呼び出されたかわかるか。それも昨日の今日で、だ」
佐野は苦い顔とは対照的に、榊には喜色がある。
「なぜでしょう」
「山羊から行方不明者が出た」
「ああ、それで基地が少々騒がしかったのですね」
榊に動揺はなく、むしろ心配そうにおずおずと訊いた。
「一体、どなたが」
「よく言うよ、まったく。きみか?」
「誘導尋問ですか? ならばこう答えるしかありません」
私はしていません。では誰が、と佐野は訊かない。
「なんでもやれとは言ったが、何を根拠に始末したんだ」
「さあ。私には見当も」
とぼけると、佐野は席を立ち、部屋に鍵をした。
「腹を割ろうか。信用してもらうしかないが、二人きりだ」
信用しますとも。そう言って榊は佐野が席に座るのを待ち、それから口を開いた。
「まあ私としては誰が聞いていようがかまいませんが、あなたの立場だけが心配なもので」
「嘘をつくな。で、朝日か」
「はい」
と、素直に頷いた。
「ですが指示したのは私です。邪魔されることには慣れていても、不快であることにかわりはありませんから」
「不快だから、か。ただそれだけで、彼を、西村を?」
「放っておいてもいいとは思いましたが、まあ、今後ああいうことをされないとも限りませんので。それに朝日の報告によると、先に襲ってきたのは西村のようですよ」
「彼が?」
「ええ。上から催促がくるだとか、事故に見せかけて殺そうとしたとか」
フェンリルをけしかけただとか。
佐野は絶句して、椅子の背にもたれた。
「常識で考えろ、榊。不可能だ」
天使は人間を区別しないというのは世界の共通認識である。けしかけた人間こそが殺戮の対象となり、天使を使って罠とすることは、佐野のいうように常識的ではない。
「仮説があります。推測と私見と、こうであれという願いで成り立つ、不出来なものですが」
「拝聴しよう」
「ではまず、西村のいう上とはどこか。これはそのまま軍の上官でしょうな」
「結論から言いたまえ」
「お楽しみですよ」
まともに伝える気はないのだろう、佐野は諦めて続きを目で促した。
「目立ってしまうと不都合があるのでしょうね、例えば、私や朝日に恨みを持つ何者かが、裏に控えているのであれば。逆探知をおそれている」
「それでは絞り込めないだろう?」
茶々を入れられるが、榊はむしろ火がついたように頬を染め仮説を説くことに熱中した。
「先程、中佐は常識とおっしゃいましたが、それは皇国の常識ですよ。もしかしたら海の向こうでは、天使と意思の疎通ができているかもしれない」
榊は自分で言っておきながら、その帝国の響きにぞっとした。
レベト帝国は皇国から遥か北方に位置する軍事国家である。東西にながくのびていて、北楽から船で数日もあればレベトの東端に接岸でき、海道を使い貿易なども行う友好国であるが、軍事においては先んずるため、榊はそこを怪しんだ。
「皇国軍の上層部が帝国を使い、足がつかないように我々を亡き者にしようとしたのでしょう。西村は帝国の使いっぱしり。これが結論」
「待て、そんな馬鹿なことがあるか」
佐野はもう真っ赤になって否定した。
「皇国だって直接きみたちを消すことなど容易なはずだ。一切の痕跡を残さずにな。それになぜ帝国を、天使を使う」
「フェンリルを自在に扱えることができれば、戦局は大きく変わる。帝国のノウハウを盗みたいのでしょう。帝国は天使を使役する方法を探り、試す。だが実験場所と対戦相手に困っていた」
利害の一致でしょう。榊は無意識に指で机をコツコツと叩いた。確証がもてないがゆえの、苛立ちがある。
「まったくこれは、自国でやるには、おぞましいですなぁ」
選ばれて光栄です。榊は結び、にっと微笑んだ。微笑むのだと、律したような笑みである。
「となると、狸がここに来たことは、誰かの意図したものになります。左遷ではない、フェンリルにぶつけようと、そういう意図です」
「その誰かに目星は……ついていれば、西村よりも先だろうな」
察しがいい佐野だからではなく、狸を、榊を少しでもしっていれば、そういう発想に容易にいきつく。
「我々はフェンリルを第一目標にしている。すると、帝国と手を組む存在を捜すことが難しくなります。中佐には、それをやってもらいたい」
「……」
佐野は返答に困った。狸を使い、帝国が天使を手懐ければ、そのノウハウが皇国にも入ってくるだろう。そうなれば国内の戦争は落ち着くかもしれない。天使と天使とで戦争をさせれば、くたびれた勝者を人の手で葬ればいいだけになるのだ。
狸には死んでもらう。戦争がなくなるのであれば、北楽ですらも惜しくはなかった。
「犯人探しは、きみたちのためだろう」
やっとそれだけを絞り出した。彼はたしかに狸に情がある。しかし、情よりも戦争終結の可能性を選んだ。
フェンリルを倒すよりも、狸が倒される方が、どう考えても現実的だった。
「もし利害の一致が真実あったとして、帝国が約束を守るかどうかはわかりません。約束の破棄すなわち、天使で満ちる廃虚の北楽が出来上がるだけです」
「すべてはきみの仮説だろう。いもしない犯人を探すことなどできない」
「おっしゃる通りです。では、すかすかの仮説に肉がつけば、よろしいですか」
「それができないから、私に頼んだのではないか」
「フェンリルの、まずは片腕一本、献上しましょう。狸が奴を殺せるとご覧にいれましょう。そうすれば、帝国の連中の度肝を抜くことができますし、あなたは動揺する上層部を相手に、八面六臂の活躍ができる。内通者を炙り出し、晴れて中央に凱旋だ」
随行するのは、無論、我々です。と、それが本心であるかのようで、佐野もそのように思った。
「無茶苦茶だ。話にならない。それに私の出世など瑣末なことだ」
「そうですか。では置いておきましょう」
興味のありそうなことを言っただけです。と、ジェスチャーをもって脇においた。榊の本音はそこにはなかった。
「佐野さん、西村を丁稚に使った連中を、その手掛かりでもいい、なんとかしてくれませんか」
それがわからなければ、フェンリルを倒しても、次の天使が現れるだけである。天使を使役する元を叩かなければならないのだと、榊は唾を飛ばして熱弁した。
根負け、というよりも、それは認めざるをえなかった。大きな犠牲を払っても、それ以上の大きな危機が訪れては、不利ないたちごっこをするだけの徒労に終わるのだ。
「何度も言うが、きみの仮説だ」
「肉付けを頼んでいるのです。上にかけあい、帝国とやり取りをしている者のリストでもいい、なにかひとつ、どうかお願いいたします」
「それは、国のためか」
そうであるのならば、熱烈な愛国者で、もちろんそうであっても佐野はかまわないのが、それは期待しているこたえではなかった。
「郷里を失うものを見たくない、これは愛国に繋がるかと」
榊の脳裏によぎるのは、赤間の男と、その故郷だった。
この期待を裏切る返答に気落ちした彼の雰囲気を察知したのではなく、ごく自然に、榊は続けた。
「あー、私怨も十分に。わけのわからない企みに巻き込まれるのはここらでやめて、私とあなたで、密かな企みを練って、巻き込んでやりましょう。私の仮説はもとよりそういう連中を、ちょっかいをかけてくる連中をぶちのめしたいがためのものですから」
こういうことを言わなければ、ずっとまともな軍人だろうと思わずにはいられなかった。
だが、彼のもつ狸への愛情は、そんなことでは揺らがなくなっていた。
「うまがあうのだろうか」
「え?」
「なんでもない。さ、もう戻りたまえ。これから忙しくなる」
榊は無言で辞した。しっしと去るよう命じる佐野の仕草に微笑んだ。
「佐野です。至急、お伝えしたいことが」
皇都にいる柳生へのホットラインがある。歳ははなれているが、二人は旧知の仲である。
「すぐそちらへ出向きます」
しばらくして佐野が基地を離れたとの風聞、榊の上機嫌は周囲に不気味さを与えるほどだった。
振り回されるナイフ、ずん、と背後で音がした。
壁に突き立てられていたそれに驚くよりも、自分が後退していたことに腹が立つ。
西村はすぐさま凶器に頼るのをやめた。組み合いになり、体重で劣るとはいえ容易に馬乗りを許してしまった。彼には犬を思わせる理不尽な膂力があった。
「証拠は残さない方がいいのではないでしょうか」
顔面に降る拳を受け止めて息を整える。熱く痺れれば、傷が疼いてしまうから。
「なに、雪に埋めれば見つかりはしない」
「では、そうさせてもらいます」
彼の手首を挫いた。体をはね飛ばして体を入れ換える。
もう言葉はいらない。たった一発、それで西村は意識を失った。
彼の軍服の袖をちぎり、手足を縛る。余った布地で猿ぐつわをさせた。担ぎ、窓からそっと降りる。
埋めるのは、もう少し後でいい。
用心深く窓を閉めて、雪を掘った。
これは寒さ、そして冷たさだ、と頭では理解している。
手足を襲う針で刺したような痛み、もしかしたら凍傷になっているかもしれない。
そうであってもおかしくはない。雪中行軍どころではなく、雪の下、氷の上を這っているのだから。
「今、なにか音がしませんでした?」
巡御座は花札の相手、榊真実と大鳥羽音から目をそらし、吹雪く窓の外をうかがった。
「三光。こいこい」
大鳥の宣言に榊はあがれなさそうな自分の手札を伏せた。
「巡、なんの符丁だそれは」
「違いますよ、真実さんじゃあるまいし。ほら、何か聞こえるじゃないですか」
サマなんかしねえよ。榊は言うが、実際は札の数枚に目印がある。古い花札なので自然にできた傷だが、巡だけがそれを知らず、あてずっぽうが当たってしまったのだ。
「ん、壁からだな」
耳を澄ませると、どうやら壁から音がしている。外側から叩いているようだ。
「あのあたり」
大鳥が壁に触れた。そこは窓の真下、床との境目だ。
「狸じゃねえか? そうだとしたら、同志だ。中に入れてやろう」
不審者であるという発想はなかった。軍の敷地内だし、外はひどい吹雪で、とても人が出歩ける天気ではなかったから。
音は、まだしている。
「巡、開けてみろよ」
頷き、不用意すぎるほど勢いよく開けた。榊の同志という言葉に共感しただけでなく、彼女は一度も野性動物としての狸を見たことがなかったから、少しだけ出会いに期待していた。
「雪の下ですかね」
窓から身を乗り出し、手で雪を軽く掘った。
「え?」
黒っぽい布、生気のある何かがそこにはある。
「どうした?」
「いや、なんでしょう。事件の予感がします」
布はずっしりと重く持ち上げられない。手を貸してくれと頼むも二人にあっさりと断られたりして、引き上げるまで時間がかかった。十五分ほどしてようやくわかったが、これは気絶している朝日の背であった。
「なぜ呼び出されたかわかるか。それも昨日の今日で、だ」
佐野は苦い顔とは対照的に、榊には喜色がある。
「なぜでしょう」
「山羊から行方不明者が出た」
「ああ、それで基地が少々騒がしかったのですね」
榊に動揺はなく、むしろ心配そうにおずおずと訊いた。
「一体、どなたが」
「よく言うよ、まったく。きみか?」
「誘導尋問ですか? ならばこう答えるしかありません」
私はしていません。では誰が、と佐野は訊かない。
「なんでもやれとは言ったが、何を根拠に始末したんだ」
「さあ。私には見当も」
とぼけると、佐野は席を立ち、部屋に鍵をした。
「腹を割ろうか。信用してもらうしかないが、二人きりだ」
信用しますとも。そう言って榊は佐野が席に座るのを待ち、それから口を開いた。
「まあ私としては誰が聞いていようがかまいませんが、あなたの立場だけが心配なもので」
「嘘をつくな。で、朝日か」
「はい」
と、素直に頷いた。
「ですが指示したのは私です。邪魔されることには慣れていても、不快であることにかわりはありませんから」
「不快だから、か。ただそれだけで、彼を、西村を?」
「放っておいてもいいとは思いましたが、まあ、今後ああいうことをされないとも限りませんので。それに朝日の報告によると、先に襲ってきたのは西村のようですよ」
「彼が?」
「ええ。上から催促がくるだとか、事故に見せかけて殺そうとしたとか」
フェンリルをけしかけただとか。
佐野は絶句して、椅子の背にもたれた。
「常識で考えろ、榊。不可能だ」
天使は人間を区別しないというのは世界の共通認識である。けしかけた人間こそが殺戮の対象となり、天使を使って罠とすることは、佐野のいうように常識的ではない。
「仮説があります。推測と私見と、こうであれという願いで成り立つ、不出来なものですが」
「拝聴しよう」
「ではまず、西村のいう上とはどこか。これはそのまま軍の上官でしょうな」
「結論から言いたまえ」
「お楽しみですよ」
まともに伝える気はないのだろう、佐野は諦めて続きを目で促した。
「目立ってしまうと不都合があるのでしょうね、例えば、私や朝日に恨みを持つ何者かが、裏に控えているのであれば。逆探知をおそれている」
「それでは絞り込めないだろう?」
茶々を入れられるが、榊はむしろ火がついたように頬を染め仮説を説くことに熱中した。
「先程、中佐は常識とおっしゃいましたが、それは皇国の常識ですよ。もしかしたら海の向こうでは、天使と意思の疎通ができているかもしれない」
榊は自分で言っておきながら、その帝国の響きにぞっとした。
レベト帝国は皇国から遥か北方に位置する軍事国家である。東西にながくのびていて、北楽から船で数日もあればレベトの東端に接岸でき、海道を使い貿易なども行う友好国であるが、軍事においては先んずるため、榊はそこを怪しんだ。
「皇国軍の上層部が帝国を使い、足がつかないように我々を亡き者にしようとしたのでしょう。西村は帝国の使いっぱしり。これが結論」
「待て、そんな馬鹿なことがあるか」
佐野はもう真っ赤になって否定した。
「皇国だって直接きみたちを消すことなど容易なはずだ。一切の痕跡を残さずにな。それになぜ帝国を、天使を使う」
「フェンリルを自在に扱えることができれば、戦局は大きく変わる。帝国のノウハウを盗みたいのでしょう。帝国は天使を使役する方法を探り、試す。だが実験場所と対戦相手に困っていた」
利害の一致でしょう。榊は無意識に指で机をコツコツと叩いた。確証がもてないがゆえの、苛立ちがある。
「まったくこれは、自国でやるには、おぞましいですなぁ」
選ばれて光栄です。榊は結び、にっと微笑んだ。微笑むのだと、律したような笑みである。
「となると、狸がここに来たことは、誰かの意図したものになります。左遷ではない、フェンリルにぶつけようと、そういう意図です」
「その誰かに目星は……ついていれば、西村よりも先だろうな」
察しがいい佐野だからではなく、狸を、榊を少しでもしっていれば、そういう発想に容易にいきつく。
「我々はフェンリルを第一目標にしている。すると、帝国と手を組む存在を捜すことが難しくなります。中佐には、それをやってもらいたい」
「……」
佐野は返答に困った。狸を使い、帝国が天使を手懐ければ、そのノウハウが皇国にも入ってくるだろう。そうなれば国内の戦争は落ち着くかもしれない。天使と天使とで戦争をさせれば、くたびれた勝者を人の手で葬ればいいだけになるのだ。
狸には死んでもらう。戦争がなくなるのであれば、北楽ですらも惜しくはなかった。
「犯人探しは、きみたちのためだろう」
やっとそれだけを絞り出した。彼はたしかに狸に情がある。しかし、情よりも戦争終結の可能性を選んだ。
フェンリルを倒すよりも、狸が倒される方が、どう考えても現実的だった。
「もし利害の一致が真実あったとして、帝国が約束を守るかどうかはわかりません。約束の破棄すなわち、天使で満ちる廃虚の北楽が出来上がるだけです」
「すべてはきみの仮説だろう。いもしない犯人を探すことなどできない」
「おっしゃる通りです。では、すかすかの仮説に肉がつけば、よろしいですか」
「それができないから、私に頼んだのではないか」
「フェンリルの、まずは片腕一本、献上しましょう。狸が奴を殺せるとご覧にいれましょう。そうすれば、帝国の連中の度肝を抜くことができますし、あなたは動揺する上層部を相手に、八面六臂の活躍ができる。内通者を炙り出し、晴れて中央に凱旋だ」
随行するのは、無論、我々です。と、それが本心であるかのようで、佐野もそのように思った。
「無茶苦茶だ。話にならない。それに私の出世など瑣末なことだ」
「そうですか。では置いておきましょう」
興味のありそうなことを言っただけです。と、ジェスチャーをもって脇においた。榊の本音はそこにはなかった。
「佐野さん、西村を丁稚に使った連中を、その手掛かりでもいい、なんとかしてくれませんか」
それがわからなければ、フェンリルを倒しても、次の天使が現れるだけである。天使を使役する元を叩かなければならないのだと、榊は唾を飛ばして熱弁した。
根負け、というよりも、それは認めざるをえなかった。大きな犠牲を払っても、それ以上の大きな危機が訪れては、不利ないたちごっこをするだけの徒労に終わるのだ。
「何度も言うが、きみの仮説だ」
「肉付けを頼んでいるのです。上にかけあい、帝国とやり取りをしている者のリストでもいい、なにかひとつ、どうかお願いいたします」
「それは、国のためか」
そうであるのならば、熱烈な愛国者で、もちろんそうであっても佐野はかまわないのが、それは期待しているこたえではなかった。
「郷里を失うものを見たくない、これは愛国に繋がるかと」
榊の脳裏によぎるのは、赤間の男と、その故郷だった。
この期待を裏切る返答に気落ちした彼の雰囲気を察知したのではなく、ごく自然に、榊は続けた。
「あー、私怨も十分に。わけのわからない企みに巻き込まれるのはここらでやめて、私とあなたで、密かな企みを練って、巻き込んでやりましょう。私の仮説はもとよりそういう連中を、ちょっかいをかけてくる連中をぶちのめしたいがためのものですから」
こういうことを言わなければ、ずっとまともな軍人だろうと思わずにはいられなかった。
だが、彼のもつ狸への愛情は、そんなことでは揺らがなくなっていた。
「うまがあうのだろうか」
「え?」
「なんでもない。さ、もう戻りたまえ。これから忙しくなる」
榊は無言で辞した。しっしと去るよう命じる佐野の仕草に微笑んだ。
「佐野です。至急、お伝えしたいことが」
皇都にいる柳生へのホットラインがある。歳ははなれているが、二人は旧知の仲である。
「すぐそちらへ出向きます」
しばらくして佐野が基地を離れたとの風聞、榊の上機嫌は周囲に不気味さを与えるほどだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
『伯爵令嬢 爆死する』
三木谷夜宵
ファンタジー
王立学園の中庭で、ひとりの伯爵令嬢が死んだ。彼女は婚約者である侯爵令息から婚約解消を求められた。しかし、令嬢はそれに反発した。そんな彼女を、令息は魔術で爆死させてしまったのである。
その後、大陸一のゴシップ誌が伯爵令嬢が日頃から受けていた仕打ちを暴露するのであった。
カクヨムでも公開しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
道化たちの末路
希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる